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М・バナール『黒いアテナ』 ほか 新刊・旧刊集書録 その1-1

2018年10月04日 | 本日の新刊ー雑誌

          ▲今月の新刊・旧刊書 雑誌など

 

М・バーナール 『黒いアテナ』 など その1-1

 ▲左から『ロシアを動かした秘密結社 フリーメーソンと革命家の系譜』2014年彩流社 現代思想など

高価な本のためしばらく入手できなかった、М・バーナールの『黒いアテナ』 読み始まったのだが、実に手ごわい本なのだ。考古学・語学・言語学・人類学・神話学など多岐にわたる専門知識の習得を要請されている。これに挑戦する意志がないと全く歯が立たないような代物なのだ。門前払いされるか否かはあなたの心意気次第だけではないようだ。心意気だけではだめなようだ。

自分の無学・無知に思わずたじろぎながら、ころんだ先でしっかりと『黒いアテナ』を握りしめているという案配だ。

いやー!とんだ本を入手してしまったようだ。これはまずい、私の読書計画を10年は狂わしてしまいそうな本だ。

何でも疑う心、

「ほんとうと言われていることはほんとうか」

ということが日常になりつつある人にはまさにうってつけの本であると思う。この本の周辺にこだわり始めるとこれから10年は読書・探書に明け暮れてしまう勘定だ。いや10年でも足りないかもしれないが。

М・バナールの計画では4巻になるもののⅡ巻の部分だけで日本語訳では2分冊(上巻554頁、合計1142頁)となる。全巻完成では、いったい何頁になるのだろうか。

ところで、このМ・バナールという人はどのような環境で育った人なのだろうと思わず考えてしまった。

巻末にある著者紹介にはこうある。

М・バナール Мartin BERNAL

1937年ロンドン生まれ。コーネル大学名誉教授。ケンブリッジ大学キングス・カレッジ卒業。コーネル大学正教授2001年に退職。著書に『1907年以前の中国における共産主義』(コーネル大学出版局、1976年)、『黒いアテナー古典文明のアフロ・アジア的ルーツ 第一巻 古代ギリシアの捏造 1795-1985』(フリー・アソシエーション・ブックス、ラトガーズ大学出版局、1987年)『カドモスの文字ー紀元前1400以前のセム語アルファベットの西方伝播』(アイゼンブラウン社、1990年)、『黒いアテナへの批判に答える』(デユーク大学出版局、2001年)

などとある。

その昔、そういえば、科学史の大著を出したバナールという名の人がいたはずと、家の本を探しだしたのだが、『歴史における科学』1966年 みすず書房 

その本の奥付の著者略歴を見てみた。するとこうある。

著者略歴

(J・D・Bernal, 1901-1971)

アイルランドに生まれる。1922年ケンブリッジ大学卒業。デーヴィ・ファラデー研究所に入り、ブラッグ卿の下でX線解析による結晶構造研究を専攻1927ー1934年ケンブリッジ大学講師。1934-1937年同大学結晶研究室副主任、1937年英国学士院会員となる。1938-1963年ロンドン大学パークベック・カレッジ物理学教授。1963年同カレッジ結晶学教授に転じ、1968年病気nため退職、

他方1936年、ブラッセル国際平和会議科学部会議超長を務め、大戦中は英国治安省および航空省顧問として、ケベック会談に参加。1947-1949年イギリス科学労働者協会「副会長。1950年世界平和会議不評義会副会長。1958年1965ー年同評議会の代表委員会議長。著書は本書(『歴史における科学』)のほか、『科学の社会的機能』(1951、創元社)、『生命の起原』(1952、岩波書書店)、『戦争のない世界』(1959、岩波書店)『宇宙・肉体・悪魔』(1972、みすず書房)などがある。

上の略歴からすると、『黒いアテナ』の著者、М・バナール Мartin BERNALのお父さんが『歴史における科学』を書いた、物理学者にして科学史家、平和活動家 J・D・バナール 1901-1971)なのではないかと思う。お父さんはアイルランド出身というから、人種差別、平和についての立ち位置、ヨーロッパの歴史認識などは、英国文化だけの視点ではなく、欧米文化について広い視野から検討する環境にあったと言えるのではと思われる。

『黒いアテナ 古典文明のアフロ・アジア的ルーツ Ⅱ 考古学と文書にみる証拠』藤原書店2004年の 上巻に作家の小田実が「『黒いアテナ』のすすめ」という長い推薦文を書いている。

小田実は、フルブライト留学で、ギリシア古典学の勉強にアメリカにわたったが、長い間、何でも見てやろう精神で、市民活動家になったが、晩年は、目指していた古典学に戻ってきていたようだ。

小田実は2007年に亡くなっているから、2004年この本に寄せた推薦文は、晩年の作と言えるだろう。

訳者は、代々木ゼミナールで英語を聴講していた金井和子と書いてある。予備校生ではなく、高校生で、代ゼミの英語の授業を聞いていたらしい。いわば当時のダブル・スクール組というわけだ。こういう人が、大学院で懸命に学ばないと、なかなかこのような本を訳し通すことはできないだろう。

1969年、縁あって、代々木ゼミの小田実の「作文ゼミ」を聴講した私は、英語は相変わらずだめなままだったが、小田実が作文ゼミで、種々多芸な人を討論相手に呼んできたのですっかりとりこになり、鶴見俊輔・小中陽太郎などべ平連の面々の著作や、デモにも通うようになっていた。

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2005年のある日、雑誌の『大航海』が「テロの本質」という特集号を出していた。その特集記事を買い求めて読んでいたところ、その特集記事ではないのだが、岸田秀という精神分析学の先生が、連載で「新説世界史」という論考を掲載していた。やがて『嘘だらけのヨーロッパ製世界史』となっていく論考である。

その号は「ギリシアを作ったのはエジプトか?」というのだった。なかなか面白く読んだのだが、その時は興奮は一過性に終わり、すっかり忘れていたのだが、2018年の今年になって雑誌のバックナンバーを読み返すうち、岸田秀が、面白い記事を連載していたのを再び思いだしたのである。調べてみると、単行本にもなっているのがわかった。当初連載中のタイトルを新刊の時に変えているので、なかなか、本にたどりつけなかったのだが、新書館で出版後、講談社の「学術文庫」に入っていることが判明。ようやく岸田秀の『史的唯幻論で読む世界史』2016年を入手、読むことができた。

ヨーロッパ文明は、じぶんたちが正統なるギリシア文明の継承者と称しているが、これは詐欺行為であり、欺瞞であるのではと・・・・

そうなると、岸田秀が読み込んだМ・バナールの『黒いアテナ』を読むしかないではないか。

「ほんとうと言われていることはほんとうか」

今回、ノーベル化学賞受賞した人物も、「常識を疑え」「教科書を信じるな」

「自分で考え、納得するまで、考え続けよう」と言っている。

М・バナールの『黒いアテナ』Ⅳ部作は、Ⅱ部までは日本語訳があるようだ。言語学・人類学・古典文献学・神話学・考古学の相互に入り組んだもつれた迷路のような歴史は、誰が書いたとしても異論・批判は避けられないだろうが、そのためのしっかりした論説の土台の一歩を目指していることは間違いないのではないだろうか。

帝国意識は、知らず知らずにうちに文化という名の歴史把握の中に紛れ込んでいるものでもある。帝国の傲慢な意識はドイツ第三帝国のナチズムだけに存在するものではなく、それを越えて広がっているヨーロッパ中で未だに支えあっている無意識でもあるかも知れない。

ひとつ、ナチス・ヒトラー政権が遺したものを批判すれば、人類の差別意識が根絶できると思えない。

古典文明のアフロ・アジア的ルーツ、あるいは古代文明の交流の実相はどのようなものなのだろうか。それを考えていかないと、定説と思っている歴史観のうちに、差別意識がまぎれ組んでいるのに気が付かない。

М・バナールの『黒いアテナ』の中には、ヨーロッパの中心から逸脱している、アイルランドの視線があり、ギリシアに注ぐ眼差しも、いわゆる正統派史学となじまないものにしている何かがあるのかも知れない。

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戦後アメリカ占領下の日本の三大事件のことを追ううち、いつもながら、普段は見たくもないタイトルの本がだんだん私の本棚の隠れた片隅を占領しているのに気がつく。森川哲郎さんは、父親がハルピンで無実の罪で銃殺されたこともあり、誤審・誤判・免罪などに関心が向かい、この方面の著作がライフワークのようになったようだ。




つづく

 

 



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