気になる日本語の3回目です。
今回は、「伸びしろ」という言い方です。
いつのころからか、とくに、スポーツの分野で「伸びし
ろ」という言い方をするようになりました。
「あの選手は伸びしろがある」
「彼の伸びしろは十分」
というふうに言います。
しかし、この言葉、なんという傲慢な言葉でしょうか。
先週、テニスの錦織選手は、全豪でベスト8に入りま
した。素晴らしい活躍でした。
今回の活躍を見ていると、いつかきっと、彼は4大大会
で優勝するのではないかと、そう思ってしまいます。
錦織君は、いまや、世界的なプレーヤーになりました。
ところがです。
30日(月)の新聞の運動面を見ていると、ある解説者、
しかも、テニスプレーヤーではない解説者が、錦織選手に
ついて
「錦織選手は、伸びしろがある」
と書いていたのです。
どうですか?
おかしいでしょう?
全豪でベスト8に入り、世界ランクでも20位に入った
選手をつかまえて、
「彼は伸びしろがある」
もないものです。
この言い方が、上から目線の言い方で、傲慢な言い方だ
ということに気がついてほしいものです。
どうおかしいか、ちょっと想像力を働かせれば、すぐに
分かります。
この解説者だけではなく、どの解説者も、タイガー・ウ
ッズのプレーを見て、
「タイガー・ウッズには、伸びしろがある」
とは言わないでしょう。
もし、相撲の白鵬に対し、面と向かって、
「あなたは、伸びしろがある」
と言ったら、横綱に張り倒されるかもしれませんよ。
別の言い方を考えてみましょう。
錦織選手には、4大大会で優勝してほしい。
また、優勝する可能性もある。
それなら、
「錦織選手には、もっともっと上に行ける力がある」
あるいは、もっと簡単に
「錦織選手は、さらに強くなれる」
で、どうですか。
これなら、いわれたほうも、気を悪くしないでしょう。
タイガー・ウッズも、横綱・白鵬も同じです。
「ウッズは、いまよりもっと強くなれるはずだ」
「白鵬は、さらに強い横綱になれる」
これなら、ウッズも白鵬も、気を悪くしないでしょう。
それを、
「彼には伸びしろがある」
というのは、なんとまあ、えらそうな言い方でしょう。
「しろ」というのは、本来、どういう場面に使ってきた
のでしょうか。
たとえば、紙を切って張り合わせるとき、ノリをつける
スペースを確保しておく必要があります。
このスペースを
「のりしろ」
というのです。
本体そのものではなく、本体の横に張り出して確保して
ある余裕のスペースということですね。
本体ではなく、本体の横にある「余裕のスペース」とい
うことで、転じて、スポーツ選手に対して、
「この選手は伸びしろがある」
というようになったのでしょう。
本体だけで精いっぱい、もう、ぎりぎりに力を出してい
るという選手は、なるほど、そこからなかなか記録がよく
ならないかもしれません。
もう、これ以上ないといところまで鍛え、体を使い、そ
れで100メートル10秒を切れないのであれば、10秒
は切れないかもしれません。
しかし、すでに10秒フラットまで記録を出したけれど、
まだ、どこかに鍛える部分がある、どこかにフィジカルに
もメンタルにもまだ余裕があるーーという選手なら、10
秒を切ることも可能かもしれない。
それを、「伸びしろ」があるというようになったのでは
ないかと思います。
しかし、9秒台を出せるかどうかということよりも、一
生懸命に努力している人に、
「この選手は伸びしろがある」
「彼には伸びしろがない」
などというのは、そもそも、失礼でしょう。
最近は、甲子園の高校野球でも、評論家が「なんとか
高校のなんとか選手は伸びしろがある」などというのを聞
きます。
新年の高校サッカーでも、そういう表現を聞きました。
しかし、それは、努力している選手に対して、ものす
ごく失礼です。
こういう失礼な日本語が広がらないようにしたいも
のです。