いまジャーナリストとして

 いま私たちの目の前に、次々と現れるニュースをどうとらえ、どう判断するか・・・ジャーナリストの日誌。

東京都知事選で午後8時に当確が出ました・・・出口調査の結果ですが、しかし。

2014年03月17日 18時07分42秒 | 日記

 少し古くなりますが、2月9日に投票のあった東京都知事選に
ついて書いておきたいことがあります。
 テレビが「当選確実」を打つ、その早さです。
 当選確実は、年々早くなり、今年の都知事選では、いくらなん
でもということがありました。
 都知事選の投票が締め切られたのが午後8時、NHKの開票
速報が始まったのがやはり午後8時、そして、画面が開票速報
に切り替わるやいやな、つまり、午後8時に、アナウンサーが
「舛添要一氏、当選確実です」とやったのです。
 
 これには、驚きました。
 8時というと、都知事選の有権者が、最後の最後、投票箱に自
分の票を入れたところです。投票箱には、開いてもいない票がそ
のまま入っていますし、投票所では、投票を終えたばかりの有権
者が投票所で帰り支度をしているところでしょう。
 そんなときに、「舛添要一氏 当選確実」です。
 本当に驚きました。

 どうして、こういうことができるのか。
 それは、「出口調査」をするからです。
 国政選挙や知事選挙クラスの選挙で、投票に行ったとき、投票
所の出口で、
 「どの候補者に投票されましたか?」
 と質問されたことがあるという方もいらっしゃると思います。
 これは、テレビ局や新聞社が、調査員を雇い、だれに投票した
かを調べているのです。
 これを、「出口調査」といいます。
 主要な投票所で、2000人、3000人と調査すれば、投票
の傾向は、だいたい、分かります。

 ある候補の出身地の投票所では、その候補への投票が当然多く
なるでしょう。出口調査ではそれも想定の範囲内で、対立候補の
出身地の投票所でも、調査をするのです。
 そうやって、投票所を広い範囲から何か所、あるいは、数十か
所から選んで調査すると、かなりの精度で、投票の結果が分かっ
てきます。

 今回の都知事選の当確が8時に出たのは、そうした出口調査の
結果です。
 
 東京都知事選挙の場合、完全に都市型選挙ですし、どちらかと
いえば、国政選挙にも似た選挙です。
 候補者の出身地域が投票結果に影響するということもないでし
ょうから、投票所によって投票傾向に偏りがあるということも、
そんなにないでしょう。
 ですから、出口調査も、精度が高くなると思います。

 私も、地方で衆院選や参院選の開票作業を取材したことがあり
ます。その経験を踏まえていえば、開票作業で、候補者がどの地
域から出ているかは、開票の途中経過にかなり大きな影響を与え
ます。
 同じ選挙区にA候補とB候補が立っているとします。A候補は、
その選挙区のA市が地盤です。一方のB候補はB市が地盤です。
 投票を締め切り、開票作業が始まります。
 その際、A市の開票作業のほうが先に進んだら、開票の途中経
過の発表は、当然、A候補のほうが有利に出るに決まっています。
 テレビの開票速報で、途中の得票数が多いA候補より、得票数
の少ないB候補のほうに、当確が出るのも、そういう事情です。
A市より、B市のほうが有権者が多い場合は、当たり前ですが、
B候補のほうが有利です。開票速報の当確は、そのへんを、あら
かじめ、調べておくのです。
 
 それだけではありません。選挙の開票には、作業の公正を期す
ため、立会人がつきます。
 開封された投票用紙は、名前ごとに束ねていき、その束を、投
票計測器にかけます。これは、銀行で使う紙幣計算機のようなも
のです。
 束ねた票を計測器にかけるには、立会人の承認が必要です。投
票用紙に書かれた字がきたなくて、読みにくいときは、立会人に
確認してもらったりします。立会人が慎重だと、開票作業が遅れ
ます。このとき、A市の開票所にいる立会人が慎重だと、開票作
業が遅れます。
 かつては、立会人がどちらかの候補に肩入れして、対立候補の
票に慎重な態度を取って、対立候補の開票作業を遅らせるという
こともあったようです。そんなことをしても、最後にはすべての
票が開くのですから、意味はないのですが、まあ、当選の時刻を
遅らせようという嫌がらせみたいなものですね。

しかしながら、出口調査を克明に実施すれば、候補者の地元の
様子や、地域差も、全部、分かってしまいます。立会人の思惑
や立会人の有無も、まったく関係ありません。
 テレビ局や新聞社の調査員が、
 「どの候補に投票されましたか」
 と質問し、
 「え? 私はB候補です」
 と答える。
 それを調査員がまとめ、テレビ局や新聞社に報告する。
 そうすると、投票結果が、ダイレクトに分かってしまうのです。

 ですから、克明にやれば、午後8時どころではない。
 午後6時とか、7時に、実際には、出口調査で、結果が分かっ
てしまうということも、十分、あるわけです。

 今回の都知事選では、舛添氏が、細川氏や、宇都宮氏、田母上
氏らに、大差をつけて当選しました。
 これが、僅差の当選、ぎりぎりの競り合いであれば、出口調査
では、当確を打て切れないでしょう。接戦であれば、当確を打つ
のは、もっと遅い時刻になったと思います。
 ところが、大差の当選だったため、たぶん、もう、午後6時と
か、そのぐらいの段階で、出口調査によって舛添氏の当選が、ほ
ぼ分かっていたのではないでしょうか。

 しかし、それにしても、と思います。
 午後8時に投票が終わり、午後8時にテレビで開票速報が始ま
った瞬間に、アナウンサーが
「舛添さんに当確です」
とやるのは、シュールというか、なんというか、驚きます。

もちろん、これを法的に規制するのは、報道に対する規制にな
ります。報道の自由に反します。
ただ、今回の都知事選のようなことがあれば、有権者は、なに
か、釈然としないのも事実でしょう。
出口調査は、始まってまだ20年ぐらいの新しい手法です。
これをどうするか。政府・行政機関が規制を考え始める前に、
報道機関でしっかり議論する必要があると思います。



大震災から3年が立ちました・・・陸前高田と気仙沼の報告です。2014年3月11日(火)。

2014年03月11日 01時09分34秒 | 日記

 きょう3月11日の火曜日は、あの地震から、ちょうど
3年になります。
 東日本大震災は、2011年3月11日に発生しました。
 当ブログは、2011年4月末に福島・いわき、小名浜、
原発20キロ規制ラインに取材に行ったあと、定期的に、被災地を訪れ
てきました。
 取材記録は、次の通りです。

2011年 4月 福島
          小名浜港、いわき、広野町
          Jヴィレッジ
          原発20キロ圏の規制ライン
       7月 宮城
          仙台、石巻、仙台空港
   12年 5月 福島
          小名浜港、いわき、広野町  
          原発20キロ規制ライン
      11月 岩手
          陸前高田
   13年 4月 福島
          小名浜港、いわき、広野町、楢葉町、富岡町
          原発10キロ規制ライン
      11月 岩手
          陸前高田
          気仙沼


 気仙沼に行ったのは、昨年11月のことです。
 東北新幹線を一ノ関で降り、レンタカーを借りて、気仙沼に入り、
そのまま通りぬけて、まずは、お隣りの陸前高田に向かいました。
 陸前高田を取材したあと、気仙沼に戻り、そこからまた一ノ関に
向かい、東北新幹線で東京に帰るというコースでした。
 このときの様子は、陸前高田に絞って、3回、このブログで記事を
掲載しました。

 その後、気仙沼の記事が、ずっと、ペンディングになっておりま
した。
 3月11日の3周年に、気仙沼の記事を掲載します。
 これで、昨年11月の陸前高田、気仙沼の現地報告は、ひとまず、
終了します。

        ******
 
 陸前高田と気仙沼は、すぐ隣り同士です。
 陸前高田から車で20分も南に走ると、もう気仙沼の市街地に
入ります。

 気仙沼の市街地の道沿いに、一軒のお店が営業していました。

 「すがとよ」という看板が出ています。
 お酒屋さんのようです。 
 中に入ってみましょう。

 元気な女性が、レジを打ってらっしゃいます。
 聞くと、この「すがとよ」の奥さんだそうです。
 
 店内は、こんな様子です。

 「負けねえぞ 気仙沼」
 ののぼりが目につきます。

 この奥さんが、震災前と震災直後の写真をお持ちです。
 そこで、その写真をデジカメで、接写させていただきました。
 
 まず、震災直後の写真です。
 スガトヨの周辺、気仙沼の中心街の写真です。

 真ん中に道が一本通っているだけで、道の両側には、地震と
津波で破壊された家並みが、破壊されたまま、残されています。
 
 この同じ場所を、震災前に撮った写真もありました。
 それがこれです。

道の向こうに、ちょっとした山というか丘が見えます。
 同じ丘なので、同じ場所の写真だとわかります。

 もう一枚、壊滅状態になった街の写真もあります。

 津波で、街がまるごと、海水につかっています。

 スガトヨは、震災前、こんなお店でした。

 いかにも老舗のお店らしい構えです。
 ところが、そのお店が、震災で、こんなふうになってしまい
ました。


 震災から3年たち、スガトヨの前の道は、それなりにきれいに
なっています。ご覧ください。

 これが、現在の気仙沼の市街地、スガトヨとその前の道です。
 復旧してきたように見えますが、よく見ると、店や家屋が、
仮の構え、仮店舗です。
 なにより、人の姿が、あまり見えません。
 街の活気が、かつてほどには、戻ってこないのです。

 私の実家は神戸市です。神戸は1995年1月17日、
阪神大震災で壊滅的な被害を受けました。

 来年2015年は、阪神大震災から、20年です。
 もう20年もたつのかと、驚きます。
 来年、20歳の成人式を迎える人たちは、震災の年に
生まれたんですね。

 神戸の街は、20年たって、一見、元の姿を取り戻したように
みえます。しかし、場所によっては、まだ、倒壊した家屋をただ
取り除いただけで、何もない空き地となってしまった土地が、
あちこちに残っています。
 何よりも、人と企業が、神戸の街と神戸の港を離れてしまい、
街のにぎわいが、震災前と比べ、明らかになくなっています。

 20年たっても、なお、元には戻りません。
 いったん離れた人や企業は、なかなか戻ってこないのです。

 気仙沼の市街地を見てまわり、私は、神戸で感じたのと同じ
ように、ここに、かつてのにぎわいを取り戻すのは大変だろう
と感じました。
 人と企業が戻ってこないと、街のにぎわいは戻りません。

 街のにぎわいを取り戻す。
 それが、復旧、復興のひとつの要素ではないかと、神戸の
経験を踏まえて、そう思います。

 そんなことを思いながら、気仙沼をあとにして、同行のYさん、
Aさんとともに、一ノ関駅に向かいました。

 これで、昨年11月の陸前高田と気仙沼を訪問した報告は
ひとまず終了とします。
 しかし、今年2014年もまた、被災した各地を訪れ、
被災地の現在を、このブログで、報告したいと思います。
 
 被災したすべての街に、にぎわいが戻るよう、 願わずには
いられません。



ソチ五輪とロシアの軍事介入・・・ソチ五輪はきわどいタイミングでした。

2014年03月03日 18時58分30秒 | 日記

 ロシアがウクライナに軍事介入しそうです。
 ウクライナは、ソチ五輪が開かれたソチのすぐそばです。
 これが、ソチ五輪の前に起きていたなら、アメリカや欧州、
それに日本は、ソチ五輪をボイコットしていたのではないで
しょうか。

 実は、1980年のモスクワ五輪は、日米欧の諸国が
ボイコットしており、もし、ソチ五輪を参加拒否という
ことにでもなれば、ロシア(旧ソ連を含む)での五輪は、2回続
けてボイコットということになるところでした。

 旧ソ連は1979年12月、突如として、アフガニスタンに侵
攻しました。軍事介入というよりは、はっきり、侵攻といってい
い軍事行動でした。
 日本の新聞各紙も、一面で「ソ連 アフガンに侵攻」と大扱い
し、私も、これは大変だと思ったことをおぼえています。
 このアフガン侵攻は、出口のないまま泥沼化します。ソ連に対
抗し、アメリカもアフガンの反ソ連勢力を支援します。
 それが、その後のアフガン地域の大混乱につながります。

 当時は、東西冷戦がまだ続いていました。
 そこで、アメリカが翌1980年のモスクワ五輪をボイコット
することをいちはやく発表します。
 欧州諸国も、これにならいます。
 日本は苦しみます。苦しみますが、最後は、アメリカにならっ
てボイコットせざるをえなくなりました。

 この結果、柔道の山下選手や、レスリングの高田選手など、金
メダル確実といわれた選手が五輪に出ることができなかったので
す。

 日本オリンピック委員会(JOC)が、選手を集め、ボイコッ
トを発表した際、何人かの選手が発言しました。
 レスリングの高田選手は「私は、このモスクワ五輪に出て金メ
ダルを取ることを目標に、苦しい練習を・・・何のために練習
をしてきたのか・・・」と言って泣き崩れました。
 それを見た柔道のコーチが、たしか佐藤コーチだったと思いま
すが、レスリングのコーチではないのに、
 「高田君、君の無念はよく分かる。よく分かります。もうそ
れ以上言わなくても、よく分かります」
 と大声で慰め、その場にいた選手たちが、みな涙にくれ
るというシーンがありました。

 モスクワ五輪の次は1984年のロサンゼルス五輪です。ソ連
をはじめ、東ドイツ、ポーランドなど、当時のいわゆる東側の
諸国は、今度はロサンゼルス五輪をボイコットしました。
五輪がボイコット合戦になってしまったのです。

 今回も、もし、ロシアのウクライナ介入がソチ五輪の前に起き
ていたら、アメリカや欧州、それに日本も、ソチ五輪をボイコ
ットしたと思います。
 実際、この軍事介入を受け、日米欧は、ソチで開かれる予定の
G8サミット(主要国首脳会議)をボイコットする方針だと伝
えられています。

 ソチ五輪のボイコットという事態になり、日本もボイコットし
ていたら、ロシアは、2020年の東京五輪をボイコットする
かもしれません。
 ソチ五輪は、きわどいタイミングでした。