いまジャーナリストとして

 いま私たちの目の前に、次々と現れるニュースをどうとらえ、どう判断するか・・・ジャーナリストの日誌。

色あせた橋下「維新の会」・・・太陽の党との合併で、大事なものを失いました。

2012年11月25日 16時35分12秒 | 日記

 このブログは、政党・政治家が、官庁・官僚とつきあう
にはどうすればいいのかを書いているところですが、その
前に、橋下・維新の会と石原・太陽の党との合併について、
書いておきたいと思います。

 結論からいえば、これは、大失敗だったと思います。
 橋下徹氏は、どうして太陽の党との合併などいうものに
踏み切ったのでしょう。
 実に不思議です。

 大阪から始まった維新の会の特徴は、政策論というより
も、まずなによりも、清新さ、フレッシュで新しいイメー
ジにありました。

 なにか新しいことをしてくれるのではないか。
 そういう期待こそが、維新の会の最大の特徴で、それが、
そのまま最大の長所となっていたのです。

 ところが、その清新さ、フレッシュなイメージが、石原
慎太郎氏率いる太陽の党との合併で、もののみごとに消え
去ってしまいました。
 石原慎太郎氏というのは、既存政界、既存勢力を代表す
る大物です。石原氏は、清新でフレッシュなイメージとは
ほど遠いところにいます。

 
 清新さこそが最大の武器である維新の会は、太陽の党と
合併したことによって、最大の武器を、自ら、放棄したことに
なるのです。

 「初ごよみ まだ見ぬ日々は 美しく」
 という句があります。

 新年のカレンダーを開くとき、まだ来ていない日々は、
希望と期待にあふれている。
 心弾むものがある。
 そういう意味です。

 しかし、新しいカレンダーを壁にかけ、新しい1月が始
まってみると、いつもと変わらない平凡な日々、苦しい日
々が続く。
 弾む心も、いつしか、しおれていく。
 実際には、そういう意味も含まれています。

 それでも、なお、「明日」はいい日になってほしいという
思いが、この句には、こもっています。

 橋下徹氏の「大阪維新の会」「日本維新の会」は、初め、
それに似た希望と期待を、見せてくれたのです。
 維新の会は、「初ごよみ」だったのです。
 
 初ごよみ まだ見ぬ日々は 美しく

 この「初ごよみ」を、「維新の会」に変えてみましょう。

 維新の会 まだ見ぬ日々は 美しく

そう。
 国民は、まさに、こういう希望と期待を、維新の会に抱
いたのです。
 だからこそ、あれだけの熱狂で迎えられ、大きな動きと
なっていたのです。

 ところが、石原慎太郎氏という既存勢力の代表と手を組
んだことで、せっかくの真新しいカレンダーに、これまで
と少しも変わらないイベントや日程が、書き込まれてしま
ったのです。
 初ごよみが、いつもの壁にかかっているいつものカレン
ダーになってしまったのです。
 
 そもそも、太陽の党という名前は、石原慎太郎氏の小説
「太陽の季節」から取ったのでしょう。
 そのネーミングのどこに新しさがありますか。
 自分の小説を政党の名前にするのは、気恥ずかしくない
のでしょうか。
 そのセンスを、疑います。
 
  維新の会が太陽の党との合併を発表したとき、気にな
ることがありました。
 メディアの反応が大変少なかったのです。
 合併に対し、猛烈な批判が起きるとか、なんだあれはと
いう声が上がるとか、そういうこともなく、反応そのもの
が少なかった。

 まだしも、激しい批判があるほうがよかったでしょう。
 反応がないというのは、それは、みんな、あの合併に、
どこかしらけてしまったということです。
 どこかしら期待のあった人たちも、あれで、がっかりし
たというか、むしろ、「なーんだ」と思ってしまったので
はないでしょうか。

 あの合併のあと、新聞もテレビも雑誌も、維新の会のこ
とを、あまり取り上げなくなりました。
 みんなして、「なーんだ」と思ってしまったのではない
でしょうか。

 週刊朝日が、橋下徹氏についての連載で、大失敗をしま
した。あれは、ひどい記事でした。
 しかし、維新の会が太陽の党と合併したあと、そう、い
まだったら、週刊朝日も、そもそも、橋下氏のことを連載
で取り上げようなどとは考えなかったのではないでしょう
か。

 維新の会の新しいムーブメントは、もう終わりました。
 選挙では、そこそこの議席を取るでしょうが、そこまで
でしょう。

 初ごよみ まだ見ぬ日々は 美しく

 橋下氏の「初ごよみ」は、あっという間に、色あせてし
まいました。
 本当のことをいえば、橋下氏には、もう少し長い間、
「初ごよみ」
を見させていてほしかったですね。




民主党の失敗・・・国会議員と官僚の力関係はどうなっているのでしょう。

2012年11月21日 02時12分11秒 | 日記

 政治や経済のニュースで、よく、永田町、霞が関という
言葉を使います。
 永田町は国会議事堂のある地番です。ですから、永田町
といえば、国会議員の話になります。国会議員というのは、
立法の担当者です。
 霞が関は財務省や経済産業省、外務省、農水省など中央
官庁のある地番です。ですから、霞が関といえば、官僚の
ことを指します。官僚は、行政の担当者です。

 永田町、霞が関を、ひとくくりに言うことがあります。
たとえば、「永田町や霞が関では」という言い方です。
 あるいは、政治家と官僚も、ひとくくりに言うことがあ
ります。「政治家や官僚は」という言い方になります。
とくにテレビのバラエティ番組では、その傾向が強くな
ります。
 「政治家や官僚は、自分のことしか考えていない」とか、
 「政治家や官僚は、自ら、身を切る改革をやってほしい」
 という具合です。
 政治家と官僚を同列に置いてしまっています。

 しかし、政治家と官僚、国会議員と官僚は、まったく
別のものです。
 「政治家や官僚は」と、同列に置くべきものではあり
ません。

 国会議員は、国民の選挙で選ばれた人たちで、私たち国
民の代表です。どんなへっぽこ議員でも、私たち国民の投
票によって選ばれてきたのです。
 一方、官僚は、大学を卒業したときに、国家公務員試験
にただ一回、合格しただけの公務員なのです。官僚は、私
たち国民の代表ではありません。「公僕」という言葉があ
ります。そう。官僚は、私たち国民の「僕(しもべ)」、私
たち国民に仕えるものなのです。

 国会議員は国民の代表です。
 一方の官僚は国民に雇われている従業員なのです。
 成り立ちからいえば、国会議員のほうがえらいに決まっ
ているのです。

 ところが、実際は、霞が関の官僚のほうが、永田町の国
会議員より力があります。
 具体的な例をあげてみましょう。

 何年か前、自民党政権のころの話です。
 自民党のベテラン議員が、若手・中堅の議員を集めた勉
強会に、財務省の官房長を呼びつけました。
 ベテラン議員は、その席で、官房長を呼んだ趣旨をこう
説明しました。
 「いつも、財務省は、なかなか、我々の言うことを聞か
ない。なにか事業を考えても、財務省は、必ず、予算があ
りませんといって、反対する。本当に、財務省は、いつも
えらそうにしている。そこで、きょうは、財務省の官房長
を呼んだ。君たち、財務省に対して思っていること、ある
いは不満を、きょうは、存分に、ぶつけてくれ。きょうは、
財務省の官房長をとっちめようじゃないか」
 若手・中堅議員は、「そうか、きょうは、財務省をとっ
ちめる日か」と大喜びし、口々に、不満を言い、財務省を
批判し始めました。
 議員「官房長、あんたは、いつも、我々の政策を邪魔す
るじゃないか」
 官房長「いいえ、邪魔するだなんて、とんでもありませ
ん」
 議員「じゃあ、なんなんだ」
 官房長「政策を実行するには、予算をつけなければなり
ません。でも、これだけ財政赤字が大きくなると、予算も
なかなか厳しいのです。それをご説明させていただいてい
るだけなのですが」
 
 初めのうちは、そうやって、財務省への不満、批判が続
きました。
 しかし、若手・中堅議員の発言が一巡すると、雰囲気が
変わってきました。

 中堅議員の1人が、こう言ったのがきっかけでした。
 「ところで官房長。私のところ(選挙区)を通る予定の
高速道路が、まだ着工されないんだよ。早く予算をつけて
くれよ」。

 この発言を機に、若手・中堅の議員は、こぞって、発言
し始めました。
 「私のところのダムも、まだ計画段階のママなんだよ。
来年度の予算で、なんとかならんかね」
 「いや、私のところだって、飛行場を新設するはずなん
だけれど、全然進まなくてね。来年度の予算で、少しでも
予算をつけて欲しいものだな」
 「いや、それを言うなら、今度の新幹線、うちの所を通
る計画なんだが、まだ凍結されたままだろう。新幹線は、
日本全体の話なんだから、早く予算をつけてくれよ」

 ほとんど陳情です。
 財務省の官房長をとっちめる会議のはずだったのに、官
房長に対する陳情に変わってしまいました。
 官房長も、これには戸惑うばかりです。

 勉強会を主催したベテラン議員が、さすがに、割っては
いりました。
 「おい、君たち。きょうは、財務省の官房長をとっちめ
る会なんだよ。それなのに、陳情をしてどうするんだ」。

 ここに、財務省と議員の力関係が現れています。
 本来なら、選挙で選ばれた国会議員のほうが、ただの公
務員である財務省の官僚より、強いはずなのです。
ところが、ここにあるのは、その国会議員が、財務省の
官僚に陳情しているという図式です。

 どうしてこんなことになるかというと、財務省は、国の
財政を一手に握っているからです。

 予算を何に使うのかは、財務省の主計局が、がっちり管
理している。
 予算のもとになる財源は、もちろん税金ですが、これは、
財務省の主税局が、しっかり握っている。
 しかも、その税金(国税)を徴収する実務部隊まで、財
務省が持っている。国税庁のことです。国税庁は財務省の
傘下にあります。

 財務省は、日本という国の財政を、入口(収入)から出
口(使い道)まで、すべてを、一手に管理しているのです。

 財務省の官僚たちは、自分たちの財務省のことを
 「役所の中の役所」
 といって、自慢します。
 財政を入口から出口まで完全に握っていたら、そう言い
たくなるのも、無理はないでしょう。

 そこに、閣僚がひとりでぽつんと乗り込んでいったら、
どうなるでしょう。

 野田首相は、首相になる前、財務相を務めました。
 野田さんは、財務相になるまでは、財源を洗い直せば、
財政は再建できると主張していたのに、財務相を経験すると、
 「消費税増税に政治生命をかける」と
 言うようになってしまいました。

 民主党の幹事長代理をしている安住氏も、財務相を
している1年ほどの間に、発言が、財務官僚のように
なってしまいました。

              (続く)




民主党の失敗と霞が関・・・野田首相は、政治家ではなく、ただの実務家になっていました。

2012年11月18日 23時54分37秒 | 日記

 党首討論で衆院解散を明言するとは、野田首相も、やる
ものです。
 党首討論に至る数日間、野田首相の表情には、間違いな
く、生気がよみがえっていました。
 「消費税増税に政治生命をかける」と話していたころ、
野田首相は、うつろな表情をしていました。いま、表情と
書きましたが、あのころは、むしろ、無表情といったほう
がよかったでしょう。能面のように無表情でした。
 しかし、党首討論の少し前から、野田首相の表情には、
明らかに生気がよみがえっていました。
 人間らしい表情になっていました。

 どうしてでしょう。
 
 党首討論で、自民党の安倍総裁と議論したのは、
 1)赤字国債法案や衆院定数の是正法案を国会でどう審
議するか
 2)なにより、衆院解散をどう考えるか
 ーーという点でした。

 この論点は、いずれも、「極めて政治的」な論点だった
のです。
 国会での審議をどうするか、解散をどうするか。
 これは、政治家同士でなければ話ができません。
 別のことばでいえば、官僚には立ち入ることのできない
議論です。
 そうでしょう。衆院の解散をどうするかという議論には、
官僚がどんなに優秀であっても、立ち入ることができませ
ん。それは、政治家にしか出来ない議論です。
 
 党首討論で、野田首相と安倍総裁は、政治家同士として、
まことに政治的な議論をしたのです。
 野田首相は、このとき、
 「政治家・野田佳彦」
 に戻り、
 「政治家・安倍晋三」 
 と議論をしたのです。

 だから、野田首相の表情に生気がよみがえったのです。

 では、それまで、野田首相は、どうして能面のように無
表情だったのでしょう。
 消費税を増税するというような財政の議論、「政策論」
は、政治家同士の議論には、なかなかならないのです。
 消費税の増税という議論は、野党・自民党と議論するよ
り先に、野田首相は、なによりもまず、財政を担当する財
務省、財務官僚と議論しなければならなかったのです。

 野田首相は、「消費税増税に政治生命をかける」と宣言
しました。
 しかし、では、野田首相は、それを、いったいだれに向
かって宣言したのでしょうか。
 実は、野田首相は、あのとき、消費税増税を国民に向か
って宣言したのではありません。
 野田首相は、消費税増税を、官僚、財務省の官僚に向か
って宣言したのです。
 野田首相は、「あなたたち財務官僚の説明を受けて、い
ま、消費税増税が必要であるということがよく分かりまし
た。あなたたち官僚諸君の説明は、その通りだと思います。
だから、あなたたちの言う通り、ちゃんと、消費税を増税
します。それに、政治生命をかけるから、官僚諸君、よろ
しく頼みますよ」と、財務官僚に対して、宣言したのです。
 あなたたちの言う通りにしますよ、と宣言したのです。

 そのとき、歴史的な政権交代をした民主党の政治家とい
う顔はどこかに消え、野田首相は、なんとか財政を立て直
さなくてはならないという実務家の顔になってしまったの
です。
だから、あのとき、野田首相の表情から生気が消えてし
まったのです。

 野田首相は、「政治家」である限りは、人間的な顔をし
た生き生きとした政治家であったのだろうと思います。そ
の限りにおいては、優秀な政治家だったのでしょうし、少
なくとも、優秀な政治家になろうとしていました。
 最後の最後、安倍総裁と政治家同士の議論をする段階に
なって、そうした生き生きとした政治家の側面がよみがえ
ってきました。

 しかし、財政政策を論じるようになり、消費税を増税す
るかどうかという議論する「実務家」になった瞬間、野田
首相は、実に平々凡々たる実務家になってしまったのです。
 野田首相は、というより、ほとんどの政治家は財政政策
を議論するようになると、同じように、平々凡々たる実務
家になってしまいます。
なぜか?
 それは、財政政策の議論で、財務省、財務官僚に、普通
の政治家が、勝てるはずがないからです。
 財政は、理論も、資料も、データも、すべて、財務官僚
が主導権を握っています。
 民主党は、09年、政権交代をしたときにマニフェスト
で「増税はしません」「財政を徹底的に見直せば、財源は
出てきます」と打ち出しました。
 しかし、財務官僚に
 「日本の財政は、増税しなければ、もうやっていけませ
ん」と言われ、データと資料をもとに、詳細な説明を受け
たら、首相も財務相も「そんなことはないだろ」と反論で
きないのです。
 反論できるだけの資料もデータも、政治家の手にはあり
ません。

 すべての資料とデータは、財務省と財務官僚が握ってい
ます。
そういう中で、財政をどうする、消費税増税をどうする
という実務的な議論をしたら、政治家は、官僚に負けるに
決まっています。
 政治ではなく実務の議論をした瞬間に、一流の政治家も
三流の実務家になってしまうのです。

 「消費税増税に政治生命をかける」と宣言したとき、野
田首相は、実は、一流の政治家ではなく、三流の実務家に
なってしまいました。

 野田首相も、賢明な政治家です。
 だから、政治家・野田佳彦は、あのとき、自分が三流の
実務家に落ちてしまったことを、だれよりもよく知ってい
たのだと思います。
 だから、あんな生気のない能面のような表情になったの
です。

 詳細な資料と、さまざまな理論とともに、財務省から「消
費税増税は不可欠です」と説明を受け、それでもなお、政
治家がひとり財務省に乗り込み、財務官僚と「消費税増税
は必要ないはずだ」と渡り合うのは、ほとんど、不可能な
ことです。

 財務省は、最強・最大のシンクタンクです。
 財務省は、というより、霞が関は、最強・最大のシンク
タンクです。
経済産業省、外務省、総務省、農水省、それは、いずれ
も、それぞれの分野で、最強・最大のシンクタンクです。
 
 そこに、政治家が、ぽっと乗り込んでいっても、論破さ
れてしまいます。
財政の資料は財務省にしかありません。本当に赤字な
の?と疑問を持っても、それを確認する資料は、財務省が
持っています。
 TPPで農業を議論しようにも、議論のベースになる農
業の統計や資料は農水省が持っています。 
 
 財務相に任命された閣僚は、いずれ、財務省に取り込ま
れ、財務省の代弁者になります。
 それが、普通のコースです。

 野田首相は、消費税増税を打ち出したとき、完全に財務
省の代弁者になっていました。
 一流の政治家ではなく、三流の実務家になってしまった
からです。
 ところが、最後の最後、いよいよ、もう解散・総選挙し
かないというぎりぎりのところに来たとき、野田首相は、
三流の実務家から、一流(といっておきましょう)の政治
家に戻ったのです。
 だから、表情に生気がよみがえった。
 野田首相は、安倍総裁との党首討論で、人間らしい顔を
して、人間らしいやりとりをしました。
 そうやって、最後の最後に、政治家・野田佳彦が帰って
きたのです。

 しかし、それは国民にとって極めて不幸なことでした。
 国民は、09年の政権交代で、民主党政権の首相には、
一流の政治家が就任することを期待したのです。
 国民は、首相がつまらない実務家であることなど、望ん
でもいなかったのです。

 野田首相は、最後の最後に、政治家に戻りました。
 しかし、どうせなら、任期の間、ずっと政治家でいても
らいたかった。
 それこそ、政権交代を実現した国民の期待だったのです。

 では、最強・最大のシンクタンクである財務省、あるい
は経済産業省、つまりは霞が関と、政治家はどう渡り合え
ばいいのか。
 民主党のマニフェストでいう「脱官僚」を実現するには、
いったい、どうすればよかったのか。
 それを、次回、考えてみたいと思います。




野田首相と衆院解散・・・民主党は期待が大きかっただけに失望も大きくなりました。

2012年11月16日 11時02分32秒 | 日記

 野田首相が衆院を解散しました。
 民主党政権は、2009年8月の総選挙で歴史的な政権
交代をして登場しました。
 それから3年少しです。
 
民主党政権が、国民に、これほどの政治不信をまき散ら
すとは思いませんでした。

政治不信というのは、長い間の自民党政権の時代にも、
ずっとありました。
しかし、自民党政権のころは、どんなに政治不信があっ
ても、野党の社会党や、その流れをくむ民主党という勢力
が存在し、
「社会党になれば」
「民主党政権が誕生すれば」
という思いが、国民のどこかにありました。
社会党や民主党、あるいは、ほかの野党が、政治不信の
逃げ道として、そこにあったのです。

だからこそ、2009年8月、民主党が政権を取ったと
きには、国民が大きな期待を寄せたのです。

たぶん、過去のどの政権よりも、期待が大きかったので
はないでしょうか。

しかし、民主党は、迷走しました。
簡単にいえば、民主党は、ほとんど自民党と同じように
なってしまいました。
「自民党とどこが違うのだろう」
多くの国民がそう思ってしまったのではないでしょう
か。
とくに最近の民主党は、
「自民党以上に自民党的」
な政党になってしまいました。

自民党時代は、政治不信や期待はずれなことがあっても、
社会党、民主党という野党があり、国民は、その野党に期
待をかけることができました。
しかし、民主党が政権を取ると、野党はもちろん自民党
です。
民主党政権が期待はずれに終わったら、野党に期待をか
けるといっても、その野党は、国民が飽きていた自民党
だったのです。
そうなったら、国民は、いったい、どこに期待をつなげ
ばいいのでしょう。
そこに出てきたの、橋下徹氏と維新の会だったわけです。

民主党政権は、過去のどの政権に比べても、国民の期待
が大きかったと思います。
それだけに、期待はずれに終わったとき、失望も、過去
のどの政権に比べても大きかったのです。

期待が大きかった分だけ、民主党の罪は大きいのです。
今回の解散に際し、民主党の政治家は、なによりもまず、
そこをしっかりと認識しなければならないでしょう。

その時の政府、政権党に失望した国民が、期待をかけた
新しい動きというのもは、過去に、何度もありました。

1990年代に登場した「日本新党」がそうでしょう。
日本新党は、細川護煕氏を代表として人気を集め、最初の
総選挙で50議席を獲得しました。

同じころに登場した「新党さきがけ」もそうです。

もう少しさかのぼれば、1970年代後半に、河野洋平
氏の「新自由クラブ」があります。
新自由クラブは、大きなブームとなって、かなりの議席
を獲得し、国民の期待を集めました。

そうやって、国民の期待を集めた新党は、過去に何回か
登場したのですが、みな、どこかへ消えてしまいました。
いまや、覚えている人も少ないでしょう。
現在、維新の会が盛り上がっていますが、しかし、日本
新党や新自由クラブが登場したときは、もしかすると、維
新の会以上の盛り上がりだったのではないでしょうか。

民主党が決定的に違うのは、現実に政権を取ったという
ことです。
民主党が担った期待は、それだけ半端なものではなかっ
たということです。

だからこそ、民主党政権に対する失望も、より大きく
なってしまったのです。

民主党の政治家、とりわけ、鳩山、菅、野田氏という3
人の首相は、そのことを真剣に認識しないといけないでし
ょう。

次回以降、民主党政権の問題点を、少し具体的に見てい
きたいと思います。



1997年のスマートフォン・・・せっかく先端を行く製品を作っていたのになぜ失敗したのでしょう。

2012年11月12日 01時17分33秒 | 日記

ソニー、シャープ、そしてパナソニックと、日本の電機メーカー
が、苦境に陥っています。
 これはもう、個別企業の低迷ではなく、日本の電機産業の凋落
といっていいような状況です。

 凋落のひとつの象徴は、スマートフォンでしょう。

 現在、携帯電話がどんどんスマートフォンに置き換わって
いますが、日本のスマートフォンの市場で圧倒的に売れて
いるのは、まず、アップルのiPhoneです。
 アップルに対抗するアンドロイド系のスマートフォンでは、
韓国のサムスンの製品が主流になっています。

 スマートフォンのような小型のIT機器は、本来なら
日本の電機メーカーがいちばん得意な分野でした。
 その分野を、アメリカのアップルと、韓国のサムスンが
トップを争うようになるとは、4、5年前なら、想像
もできなかったことです。

 スマートフォンで、日本企業は、いったい、何をして
いるのか。
 日本企業はどうなってしまったのでしょうか。

 実は、日本の企業は、早くも1997年に、iPhone
やアンドロイドに先駆けて、スマートフォンを出して
いました。
 東芝が「ジェニオ」
 パナソニックが「ピノキオ」
 という製品を出していたのです。

 以前、東芝の「ジェニオ」の話を、このブログで
書いたことがあります。
 当時は、このブログも、まだ始めて間がないころで、
読んでいただいている方も、多くはありませんでした。

 そこで、そのときの記事を、少し手を入れて、改めて
掲げておきたいと思います。
 「日本企業の失敗」の研究のひとつとして、読んで
いただればと思います。

 東芝の「ジェニオ」を、私は、1997年に買いました。
 当時は、まだ、スマートフォンという呼び名さえありません。

 その「ジェニオ」の実物が、手元に保管してあります。
 それを紹介しますので、いかに先を行く製品だったかを、
ご覧になってください。 

 まず、ジェニオの全貌です。
 手前にあるのは、サイズを比較するために置いたシャープペン
シルです。


 どうですか?
 デザイン的にはちょっとごつごつしていますが、見るからに
スマートフォンでしょう。

 このジェニオは、透明なカバーがあって、カバーが開きます。
 開けたところをご覧になってください。

 なかなかしゃれているでしょう?

 付属のタッチペンで画面を触って操作します。
 その画面の左側に、操作するコマンド群が並べてあります。
 コマンド群のアップを見てください。

 ご覧になれますでしょうか。
 左上に「インターネット」とあります。
 すでにインターネットに接続できたんですね。
 真ん中あたりには、
  「ノート」「分類」
 とあります。
 これは、ジェニオに文書を記録しておくコマンドです。

 そのすぐ下には、
  「スケジュール」「アドレス」
 があります。
 その日の予定を書き込んだり、メールアドレスを記録したりする
ことができたのです。
 
 さらにその下には、
  「メモ」
  「アプリケーション」
 があります。
 メモには、文字通り、メモを書き込むことができました。
 アプリケーションは、非常に大事で、ジェニオ用のソフトを
このコマンドで操作するのです。
  
 一番下には、「メニュー」もあります。

 どうですか?
 いまのスマートフォンと、ほとんど変わらないでしょう。
 スマートフォンとして、十分な機能を備えているのです。

 いまのiPhoneと並べて写真を撮ってみました。

 
 もう一枚、別の角度から撮りました。


 どうでしょう?
 サイズなど、そんなに変わらないでしょう?
 画面の大きさも、ジェニオは負けていません。

 デザイン的には、さすがに、iPhoneは洗練されていて、
ジェニオは、ちょっとごつごつしています。
 しかし、ジェニオが出たのは、15年も前ですよ。

 15年前というと、アップルのiPHONEどころか、
音楽を聴くiPODも、まだ出ていないころです。

 これが、ビックカメラなどの量販店で市販されて
いたのです。
 売れませんでしたが。
  
 電話は、PHSを搭載していました。

 私は、当時、すぐにこのジェニオを買いました。
 駅などで、ジェニオを耳にあてて、通話をしていると、
そばを通った人が「これはいったい、なんだろう?」という
表情でちらちら見ていたものです。

 こうやって、改めて、並べてみると、
 1997年に発売された東芝のジェニオは、
 2009年に発売されたアップルのiPhoneと比べて
遜色がありません。

 すばらしいでしょう?
 こんなものを、日本の企業は、いまから15年も前に作っ
ていたのです。
 世界を1周も2周もリードしていたのです。
 うまくやれば、これが世界標準になってもおかしくなかった
のにと思うと、非常に残念です。
 なぜ、これが失敗したのか。
 その「失敗の研究」が非常に大事になります。
 日本のIT企業が巻き返すには、この「失敗の研究」が
絶対に必要です。

 それにしても、素晴らしい機械でした。
 これが、1997年に市販されていたわけです。
 いま見ても、ほれぼれします。
 15年前にこれだけの製品を出しながらと思うと、
本当に残念です。
 


アメリカ大統領選挙(その2)・・・大統領は聖書に手を置いて宣誓するのですが・・・。

2012年11月09日 16時38分47秒 | 日記

アメリカの大統領に当選すると、1月に就任式があり、大統領
は聖書に手を置いて、誓いの言葉を述べます。
 そして必ず、

 GOD BLESS AMERICA
 アメリカに神の祝福を

 と言って、締めくくります。

 これは、アメリカの大統領がキリスト教徒であることを大前提に
しているのです。

 1620年、イギリスで迫害を受けたキリスト教徒たちが、迫害を
逃れ、船に乗って、新大陸にやってきました。
 着いた所は、ボストンです。
 彼らは、ピルグリム・ファーザーズと呼ばれます。
 アメリカ人にとって、彼らこそ「建国の父」です。

 建国の父たちがキリスト教徒だったので、アメリカではキリスト
教、しかも、プロテスタントが圧倒的に普及し、彼らを代表する
大統領も、当然のように、キリスト教徒でした。
 だから、就任式で、聖書に手を置いて宣誓するのも、当たり
前のことだったのです。

 アメリカは、白人の人口が一番多く、ときとして、黒人、ヒスパ
ニックの人たちとの間で、人種問題が起きます。
 しかし、宗教的には、キリスト教が圧倒的多数だったので、大
統領の宣誓で聖書を使うことについては、ほどんど、何の疑問
もありませんでした。

 ところが、近年、中国系を中心に、アジア系アメリカ人が増え
ています。ニューヨークには大きなチャイナタウンがありますし、
西海岸の主要都市では中国系アメリカ人が本当に多くなりまし
た。
 アメリカのテレビドラマを見ていても、登場人物に、必ず何人
か、アジア系のアメリカ人が入っています。
 
 いずれ、アジア系アメリカ人が、アメリカの大統領候補になり、
大統領に当選する日が、来ないとも限りません。
 1980年代後半、民主党の大統領候補者選びに、黒人のジ
ャクソン氏という宗教指導者がいました。有力候補の一人では
ありましたが、当時、黒人が大統領になる日は、まだ当分来な
いだろうと言われていました。

 しかし、それから20年ちょっとで、黒人のオバマ大統領が登
場したのです。
 
 ですから、アジア系アメリカ人が大統領になるというのは、決し
て、夢物語ではないのです。

 さて、そこで問題です。
 アジア系ということは、もしかすると、キリスト教ではない可能
性があるのです。
 現在のアメリカの規定では、アメリカ生まれでなければ、大統
領にはなれません。お父さんが移民でアメリカに来て、アメリカ
生まれの本人(息子)が大統領になるというのはかまわないの
ですが、本人自身が移民してきたという場合は、アメリカ大統領
にはなれません。
 ですから、本人が中国や香港からアメリカに留学してきて、そ
のままアメリカ国籍を取ったというような場合は、大統領にはな
れません。
 ですから、アジア系アメリカ人といっても、アメリカで生まれた
人だと、キリスト教徒になる可能性は高いのですが、しかし、もと
もと、アジアは決して、キリスト教が盛んな地域ではありません。
 移民してきた両親が仏教徒だったというケースも多いと思いま
す。
 その場合、息子は、仏教徒ということもあります。

 その息子が大統領選挙に立候補し、当選してしまったら
仏教徒のアメリカ大統領が誕生するということになります。
 そんなことは、アメリカ史上、初めてのことです。
 そもそも、アメリカという国は、キリスト教徒が作った国なので、
キリスト教徒以外の大統領を想定していません。

 もし仏教徒の大統領が誕生したら、大統領の就任式で、それ
でもやはり、聖書を使うのでしょうか。
 聖書はコンパクトに一冊の本にまとまっています。仏教の場
合、聖書に相当するようなコンパクトな書物があるわけでないの
ですが、なにがしかの書物や経本があります。
 それに、仏教の場合、「神」GODではなく、「仏」BUDDHA
です。
 アジア系アメリカ人が大統領になれば、もしかすると、そういう
仏教の書物に手を置き、
 GOD BLESS AMERICA
 ではなく、
BUDDHA BLESS AMERICA
 というのでしょうか。
 
 アメリカ人の友人に、そのことを尋ねてみました。
 「そういう場合、宣誓は、どうするのかね? 本当にBUDDH
A BLESS AMERICA というんだろうか?」
 彼は、苦笑しながら、答えました。
 「そんな悪夢みたいな質問はやめてくれよ」

 アメリカという国は、そもそも、そういうことを想定していないの
です。しかし、何十年か先、21世紀中には、そういうことが起き
ないとも限りません。
 アメリカは、そういう国なのです。





アメリカ大統領選挙(1)・・・民主党と共和党の違いとは。

2012年11月07日 12時55分01秒 | 日記

 アメリカ大統領選挙の開票が始まりました。
 民主党のオバマ氏か、共和党のロムニー氏か?
大接戦ですが、もう何時間かすれば、次の大統領が決ま
ります。

 そこで、きょうから何回か、アメリカ大統領選挙に
関するトピックス、あるいは、こぼれ話を書いてみた
いと思います。

 初回は、民主党と共和党の違いです。

 日本にいると、アメリカの民主党と共和党の違いは、い
まひとつ、分かりにくいところがあります。
 戦後、日本では長い間、自民党と社会党の対立がありま
した。自民党は資本主義を掲げる政党、社会党は社会主義
ないしは社会民主主義を掲げる政党です。
簡単にいえば、資本主義か社会主義かということで、そ
の違いが分かりやすかったのです。
しかし、アメリカの場合、民主党も共和党も、両方とも
もちろん、資本主義を前提にしています。ですから、その
違いが分かりにくいといえば、分かりにくいのです。

しかし、両党の大会に行ってみると、お互いの違いが非
常によく分かります。
民主党も共和党も、大統領選挙の1年ほど前に党員の大
会を開き、候補者を決めます。この大会は、3、4日間も
続くもので、いかにも、イベント好きのアメリカ人の催し
という感じです。
両党とも、毎回、全米の主要都市を持ちまわりで大会を
開きます。広いアメリカのことですから、大会の開かれる
都市には、飛行機で行きます。
空港では、大勢の党員がボランティアで、道案内や宿泊
の案内などをしています。
そのボランティアを見れば、両党の違いが、実感として分
かるのです。

民主党のボランティアは、白人にまじって黒人やヒスパ
ニックのアメリカ人も多く、服装もラフな雰囲気です。T
シャツやジーパンです。彼らが、フランクな感じで、道案
内をしてくれます。どちらかというと、若いアメリカ人が
多いかもしれません。
これに対し、共和党の大会に行くと、空港にいるボラン
ティアの雰囲気がまるで違います。40代、50代のいか
にも上品な感じの家庭の主婦が道案内に立っています。T
シャツやジーパンはあまり見ません。ちゃんとジャケット
を着たりしています。白人が多く、古き良き時代のアメリ
カの家庭を思い起こさせるような雰囲気です。

この様子を見るだけで、民主党と共和党で、支持者の所
得水準が違うということが、ぴんと来ます。
もちろん、共和党のほうが、所得水準が高いということ
になります。

今回も、共和党のロムニー候補が、低所得者層のことを、
つい無視してしまうような発言をして、批判されていまし
たが、さもありなんという感じです。

民主党は労働者の党というイメージになるのですが、し
かし、労働者といっても、資本主義が大前提であることが、
アメリカの特徴です。
(次回もアメリカ大統領選挙のこぼれ話を書きます)。






素晴らしい日本シリーズでした・・・プロとは何か? 統一球の問題点は。

2012年11月05日 17時53分19秒 | 日記

シャープと尖閣でたくさんのコメントをいただいてい
るなかで、野球の話を書くのは、少々気がひけるのです
が、しかし、この原稿だけは、書いておきたいと思いま
す。

         *** 

 日本シリーズは、巨人が優勝して、終わりました。 
 このシリーズは、両チーム、力を出し合って、本当にい
いシリーズでした。
 なかでも、第4戦、北海道での2試合目は、素晴らしい
試合でした。久しぶりに、しびれるような試合でした。
この試合は、両チームの投手が素晴らしい投球を続け、
0-0のまま、延長戦に入り、日本ハムが1-0でサヨナ
ラ勝ちしたのです。

 日本シリーズであればこそ、こういう試合が、魅力を放
ちます。

 日本シリーズで1-0の素晴らしい試合があったから、
だから、飛ばない統一球でいいじゃないかーーとなっては、
話が違うのです。

 これは、わずか7試合しかない日本シリーズだからいい
のです。
 普段の公式戦で 1-0 の試合は、退屈で、見ていら
れません。
 野球は点数の入るのがおもしろいスポーツです。
 日本シリーズの場合、7試合しかないので、1点の重み
が違います。だから、私たちも、いつ1点が入るか、息を
ひそめて見入るのです。
 これを、年間144試合もある公式戦で、毎日やってい
ては、選手も疲れるでしょうが、見る方も疲れてしまいま
す。なんといっても、1-0 の試合というのは、ランナ
ーが出ないので、見る方も退屈なのです。

 バスケットボールの試合を見ていて、気がついたことが
あります。
日本のバスケットボールの試合は、65-72 とか、
71-52 というようなスコアで決まります。
ところが、アメリカのプロバスケットボール(NBA)
は、112-108 とか、115-124 とか、か
なりの点数が入ります。日本の試合の倍ぐらいの点数が入
ります。

どちらの試合も手を抜いているわけではないのに、不思
議です。
そこで、アメリカ人で、学生時代にバスケットボールの
選手だったという友人に話を聞きました。
すると、彼は、笑って答えてくれました。
「それはねえ、アメリカのバスケットで普段の試合は、
お互い、最初の50点ぐらいは、無理なディフェンスを
しないで、相手がいい攻撃をしてきたら、素直に点数を入れ
させるんだよ。
 ダンクシュートとか、素晴らしい攻撃は、プロとして
の技術を観客に見せるわけだね。
 それがプロだと思う」
 なるほどねえ。

 「それは、手を抜いているとか、八百長とかそういう
ことではなくて、プロの技術をみてくれーーということな
んだ。
 でも、お互い、50点ぐらい入ったら、激しいディフ
ェンスをして、もう、相手に点数を入れさせない。そこか
らが勝負なんだね」
 
初めの50点ぐらいは、よく点が入るわけです。
だから、終わってみたら、お互い、得点数の多い試合に
なっている。

彼のいうのは、プロの試合のありようを、よく示してく
れています。
観客は、ファンは、ひいきのチームが勝つところを見た
いけれど、同じように、プロの技術も見たい。プロの技術
を見て、楽しんで帰りたい。
だから、プロの試合には、ある種、エンターテインメン
トの要素が不可欠だというわけです。

プロ野球の日本シリーズのように、たった7試合で日本
一を決めるというような戦いは、エンターテインメントの
要素がなくても、私たちは、満足します。
しかし、普段の144試合もある公式戦を、いつもいつ
も、1-0とか2-1 のようなロースコアの試合にして
しまうと、楽しむためのエンターテインメントの要素を奪
ってしまいます。

2011年から導入された「統一球」は、この大事なエ
ンターテインメントの要素を、日本のプロ野球から奪って
しまったと思います。