いまジャーナリストとして

 いま私たちの目の前に、次々と現れるニュースをどうとらえ、どう判断するか・・・ジャーナリストの日誌。

日本の電機企業の凋落?・・・三洋電機の洗濯機と冷蔵庫部門が中国企業に売却されます。

2011年07月31日 00時19分00秒 | 日記

 三洋電機の洗濯機と冷蔵庫の製造部門が、中国の家電メ
ーカー、ハイアールに売却されることになりました。
 パナソニックが三洋電機を吸収合併し、重複する部門を
整理することになったものです。

 率直な感想として、とうとう、この日が来たかと思いま
す。
 
 電機は、自動車と並んで、日本経済の核心となる部門で
す。
 電機のなかでも、とくに家電は、長い簡、日本の企業の
独壇場でした。

 その家電が、中国企業に売却されるというのは、日本経
済にとって、かなり深刻な意味を持ちます。

 三洋電機は、家電を中心とした企業で、洗濯機や冷蔵庫
といういわゆる白物(しろもの)、あるいは、テレビ、ビ
デオ、携帯電話など、まさに、家庭で使う商品を幅広く生
産していました。これぞというヒット商品はなかったので
すが、他社から生産を受注して、納入するOEM生産でも
知られていました。OEMというのは、三洋が受注して生
産した製品を、発注した企業が、自社ブランドとして売る
ものです。ある会社の製品だと思って買っても、実際は三
洋が作っていたということが、よくあったのです。

 その三洋を代表する部門であった洗濯機と冷蔵庫が、中
国企業に売却されるというのは、時代が変わったと思わさ
れます。

1960年代、70年代、日本の電機企業は、アメリカ
に電機製品をどっと輸出し、アメリカの電機企業を駆逐し
てしまいました。
 なかでもカラーテレビは、日米間の貿易摩擦を引き起こ
します。
 しかし、ソニー、松下、日立、三菱、三洋、シャープの
カラーテレビは、アメリカ企業のカラーテレビより安くて
品質がよく、RCA、GE,フィッシャーといったアメリ
カの電機企業は、次々にカラーテレビから撤退し、アメリ
カの企業でテレビを作っている企業はなくなってしまいま
した。


 そうやって、日本の電機企業は、世界で、家電の王者に
なったのです。

 しかし、いま、その地位は、揺らいできました。
 すでに、液晶テレビは、首位の座を、韓国企業に明け渡
しています。
 売却ということでいえば、オーディオの老舗だったラッ
クスが、もう20年ほど前、台湾の企業の身売りしたこと
があります。
 ただ、オーディオというのは、趣味性の高い分野です。
 洗濯機や冷蔵庫のように、日本の電機企業の核心となっ
てきた部門が売却されるというのは、あまりなかったので
はないでしょうか。
 それだけに、インパクトは大きい。

 かつて、日本の電機企業がアメリカ企業を駆逐し、アメ
リカ市場を席巻しました。
 それであれば、中国や韓国の電機企業が、日本市場を席
巻する日が来ても、おかしくありません。
 いま、立場は変わってきました。

 日本の電機企業は、これから、どうするのでしょう。
 このまま、アメリカがたどってきた道に入ってしまうの
か。
 それとも、巻き返しはあるのか。
日本経済にとって、これは大きな課題になりました。
  
 




日本企業の海外シフト・・・電力不足と円高で拍車がかかっています。大変心配です。

2011年07月28日 01時31分32秒 | 日記


 原発事故を契機に、日本全体での電力不足が問題になっ
てきました。東京電力のエリアでは電力不足になっても、
関西なら電力は十分にあるだろうと、本社機能を一部関西
に移そうとした企業が少なくありません。ところが、関西
電力も、原発のトラブルなどで、電力が不足しそうだとい
う事態になってきました。
 そういう状況を受けて、少なからぬ日本企業が、生産拠
点を海外に移転しようと考えています。

 そこへ、円高も加わってきました。
 これだけの円高になると、輸出は苦しい。そうなると、
企業は、生産拠点を海外に移そうかという考えになります。

 電力不足と円高のダブルパンチで、日本企業の海外シフ
トが加速しそうです。

 日本企業が生産を海外でやるようになると、日本国内で
は人々の働く場が減っていきます。
 あえて誤解を恐れずにいえば、日本企業が中国に出たり
せず、そのまま日本に工場を持っていれば、いまごろ、日
本国内の失業率は1%とか2%の低い水準にとどまってい
るでしょう。大学生が、「就活」などといって、就職に苦
労することもなかったでしょう。日本経済だって、好景気
が続いているでしょう。

 経済が国際化するのは避けられませんから、こんなこと
を言っても意味のないことですし、下手すると「危険な考
え」と言われるのですが、しかし、あえていえば、日本企
業が生産拠点を海外に出すというのは、失業を輸入すると
いう意味でもあるのです。
 
しかし、企業の経営者という立場であれば、日本国内の
失業が増えても、生産を海外にシフトするほうを選ぶでし
ょう。
 企業の経営者という立場でいえば、日本という国の国民
経済よりも、企業経営のほうが大事なのです。企業経営と
いう観点から、生産拠点を海外に移し、その結果として日
本国内の失業率が高くなっても、それはしようがないので
す。というより、日本国内の失業率にはほとんど関心を持
たないと思います。
 
 たとえばソニーです。ソニーは、いまや生産の半分以上
は海外ではないでしょうか。社長もイギリス人です。
 それであれば、ソニーは、本社をたとえばニューヨーク
に移したって、おかしくないのです。
 そうしたら、東京・五反田にあるいまの本社は、ニュー
ヨークに本社があるソニーの日本での現地法人ということ
になります。
いつか、そういう日が来るように思います。
アメリカのほうが、法人税、安いですしね。

 日本企業の海外シフトがこのまま続くと、企業は海外で
利益を得て成長するが、日本という国は働く場所がどんど
ん減っていって失業率が高くなり、このまま低成長が続く
ということになります。

企業の経営者は、それで、たとえば罪悪感を感じるかと
いうと、そんなことは絶対にないでしょう。企業の経営者
にとって最も重要なのは、企業であって、日本経済ではな
いからです。

 いま、曲がりなりにも失業率が急に高くなったりしない
のは、ひとつには、雇用の裾野の広い自動車産業が、いま
も日本で車を作っているからです。
 電力不足と円高で自動車産業まで海外にシフトしてしま
えば、日本経済はいよいよおかしくなります。

 しかし、流れは、明らかにその方向です。
 企業は栄えるが、日本は衰退の方向に向かう。
 「国破れて 山河あり」
 という言葉があります。
 戦争で敗れ、国がぼろぼろになっても、山や川といった
自然はそのままちゃんと残っているという意味です。
 この言葉を使うと、いまの日本は
 「国破れて 企業あり」
 という方向に向かいつつあるように見えます。

 日本は衰退するかもしれないが、企業は栄えているーー
ということです。
 しかし、そんなことがあっていいわけではないのです。
 なにか対策を考えなければなりません。

 政府は、手をこまねいているときではありません。




女子サッカーのこと・・・「世界一」ということの素晴らしさ。「世界一」が持つ素晴らしい意味。

2011年07月27日 02時51分21秒 | 日記

 しばらくご無沙汰してしまいました。
 再開します。
 またご愛読をお願いします。
 
 さて、女子サッカーです。
 書き尽くされた感がありますが、女子サッカーの快挙を
書かないわけにはいきません。

 ポイントを、ふたつに絞りたいと思います。

 ひとつは、「世界一」という輝かしい称号を得たスポー
ツのことです。
 団体スポーツ、というと、もっぱら球技になりますが、
これまで、「世界一」になった球技は、まず、東京五輪の
ころの女子バレーボール、ミュンヘン五輪のころの男子バ
レーボール、北京五輪の女子ソフトボールが挙げられます。
 さらに、野球は、ワールドベースボールクラシックで2
連覇を遂げました。
 そして、今度の女子サッカーです。

 「世界一」というのは、素晴らしい。

 私たちの足下に一本の道があります。
 その道をどこまでもたどっていくと、細く険しい山なみ
を越えて、はるかかなた、ひときわ高くそびえる美しい山
の頂につながっています。
 そして、その高い頂に、日本の女子サッカーがある。
 あるいは、日本の野球がある。

 いま、私たちが日本でサッカーをし、あるいは野球をす
るとき、それが、はっきりと、世界一高い山につながって
いる。
 スポーツをする者にとって、これほど、勇気づけられる
ことはないでしょう。
それは、スポーツを見る者にとっても、同じことです。

 自分たちが日本でいまやっているスポーツ、私たちが目の
前で見ているスポーツが、まぎれもなく、世界で一番高い頂
につながっているという事実は、私たちを奮い立たせて
くれます。

 だから、「世界一」になる意味というのは、本当に大き
いのです。
 
 もうひとつのポイントを書いておきます。
 今回、女子サッカーの優勝を受けて、新聞や雑誌がさま
ざまな記事を載せました。
 その中で、日経新聞の運動面の記事が秀逸でした。
 おおむね、次のような内容です。
       ***
 これまで女子サッカーは、大柄な選手がボールを蹴りあ
い、パワーのある方が勝つという感じだった。
 しかし、日本は、短いパスをつなぎ、何人もの選手でボ
ールを前に運んでゴールを決めるというサッカーをした。
 それは、小柄な日本人が、体格で勝負するのではなく、
パスでボールをつなぐというスタイルを選び、その日本的
なスタイルを磨き抜いたものだった。
 そして、そのスタイルが、「女子サッカーの未来を開く
もの」として、世界で高い評価を受けた。
 それは、「日本的なもの」を徹底して磨いたら、「ガラパ
ゴス」ではなく、「世界標準」になってしまったというこ
とだ。これほど痛快なことはない。

       ***

 どうです。いい記事でしょう。
 日本の特徴を一生懸命に磨いたら、それが、ガラパゴス
になるどころか、スタンダードとして世界に受け入れられ
たというわけです。

 わけもわからず「世界」を意識するのではなく、日本の
長所を徹底して伸ばしたら、それが「世界」になる。
 日本はいろんな分野で、なんとなく自信を失っています。
 そういう状況で、これは、思わず奮い立ちたくなるよう
なことでしょう。

 女子サッカーで、ふたつに絞って、ポイントを書きまし
た。
 では、また。




菅首相の会見・・・「脱原発」はだれも反対しませんが、問題は、それを、だれが言うのかなのです。

2011年07月15日 02時18分44秒 | 日記

 だれも反論できない言葉というのがあります。
 「これからは、原発をなくす方向で考えていかなければ
ならない」
 という言い方は、いま、ほとんどの人が、 
 「そうだよなあ」とか
 「その通りだわ」と思うでしょう。

 「これからは太陽熱発電を普及させるべきだ」
 「太陽熱以外にも、風力発電、地熱発電、波力発電など、
自然エネルギーを利用した発電を研究開発するべきです」
 というのもその通りです。
 100%その通りです。

 問題は、まず、それを、どんな人物が言うのか、です。
 そしてまた、いつ、どのタイミングで言うのか、です。
 どんな状況で言うのかも、問題になります。

菅首相は、13日夕方、久々に記者会見し、
 「原発に依存しない社会をめざすべきだと考えるに至り
ました。計画的、段階的に原発依存度を下げ、将来は原発
がなくてもやっていける社会を実現していきます」と語り
ました。
 原発をなくす方針を表明したものです。

 首相は「原子力事故のリスクの大きさを考えた時、
これまで考えていた安全確保の考え方だけでは律すること
ができない技術だと痛感しました」とも述べました。
 
 言葉そのものは、とても正しいのです。
 この言葉だけを取ると、もうまったく、その通りです。
 だれも反対しません。
 実際、そうあってほしいと切望します。

 しかし、これを菅首相が言うと、とたんに、言葉が軽く
なります。
 菅首相は、首相になってからきょうまで、同じように、
「こうしたい」と口にした案件が、いっぱいあります。
 ところが、そうやって口にした案件を、菅首相は、すぐ
に忘れさってしまうのです。
 言うだけで、全然実行しないのです。

 挙げてみましょう。
(1)最小不幸社会
 菅首相は、首相になってすぐ、国会の所信表明演説で、
「私は、最小不幸社会を作りたい」と言いました。
 最小不幸社会という言い方には、政治をやる人間として
のセンスの悪さを感じます。最小不幸と言われて、喜ぶ国
民はいないでしょう。
 「最小不幸」などというのは、なんだか、演歌に出てくる
薄幸の女性を思い起こさせます。
 さびしい言葉ですよ。
 それはさておくとして、所信表明演説で言ったあと、菅
首相が「最小不幸社会を実現する」と語るのを、聞いたこ
とありますか?

(2)強い財政、強い社会保障
 昨年の選挙では、「日本には、強い財政、強い社会保障
が必要です。そうじゃありませんか、みなさん!」と絶叫
し、消費税のアップを持ち出しました。
 そして、選挙に大敗しました。
 その後、「強い財政、強い社会保障」とは、さっぱり言
わなくなりました。
 最近、民主党が消費税率のアップを打ち出す会議をやっ
たとき、久しぶりに、この言葉を聞きましたが。

(3)1に雇用、2に雇用、3に雇用
 去年の夏から秋にかけ、大卒の就職内定率が歴史的に
低く、若者の失業が問題になったとき、菅首相は、
 「大事なのは、1に雇用、2に雇用、3に雇用です。
そうじゃありませんか、みなさん!」
 とやはり絶叫していました。
 最近の菅首相が、そんなことを言うのを聞いたことが
ありますか?

(4)平成の開国
 去年の後半から、TPP(環太平洋経済パートナーシップ)
が大事な政策案件になってきました。
 太平洋を取り巻く国々で、貿易の自由化を一気に進めま
しょうという構想です。
 日本は、農業を抱えているので、貿易の完全自由化には
なかなか踏み切れません。当然、TPPは、農業をどうと
らえるかによって、賛成と反対が真っ二つに分かれます。
 それを、菅首相は、記者会見をして、
 「TPPに参加して、平成の開国を進めます」
 と宣言しました。
しかし、これは、党内で議論してまとめたものではなく、
党内からも、農業従事者からも、猛烈な反発が出ました。
 あれほど力んで語った「平成の開国」というキャッチフ
レーズでしたが、その後、菅首相は、この言葉を言わなく
なりました。
 いま、全然聞かないでしょう?

 こうやって、ちょっと挙げただけでも、これだけの政策
案件が、口にしては投げだし、口にしては投げだしーーと
いう状態になっています。
 小さな案件じゃないですよ。
 いずれも、国のありようの根幹に関わる政策案件です。

 菅首相は、これだけの重要案件を、次々に口にしては
投げ出すということを繰り返してきたのです。
 子供が、ケーキの好きなところだけ、食い散らかすよう
な感じです。

 悪いことに、いまここで挙げた案件は、反対の立場
を採る人でも、無視はできない案件なのです。
 財政の問題は、結局は消費税のアップということにな
るのですが、これは、いずれは避けて通れません。
 菅首相という人が小ずるい人なのは、彼自身、消費税
は野党も避けて通れないということを知っていて、こう
いうからです。すなわち、彼は当時、「消費税の議論に
反対するのは、歴史的な視点を欠き、歴史に対する責任
を放棄するということです」と言い募りました。
 こういう言い方は、とてもずるい言い方です。
 たしかに、消費税の議論は避けて通れない。だれも
無視するわけにはいかない議論です。
 でも、だからといって、「反対するのは、歴史に対す
る責任を放棄することです」と言い募るのは、きちんと
議論しようという姿勢ではありません。
 ただ単に、けんかを売っているだけです。

 仏の顔も三度まで、といいますが、これだけの重要案件
を、口にしては投げ出してきた人には、もはや、重要な政
策案件に携わる資格はないと思います。
「またか」ということです。

 次の問題は、たとえ正しいことであっても、いつ、どう
いう時期に言うのか、ということです。
 14日の国会討論で、自民党と公明党の議員が、「菅首
相は、原発依存をなくすというようなことを、6月まで全
然言ってなかった。いまこの時点になって急に持ち出すの
は、政治的な意図があるといわざるをえない」と追及して
いました。
 その通りです。
 
 地震が起きたのは3月11日の金曜日です。すぐに福島
原発がおかしくなり、その週末から週明けにかけて、相次
いで水素爆発が起きました。
 そして、放射線が飛び散り、とんでもない話になってき
たわけです。
もし、この時点で、つまり、3月14日とか15日とか、
そんな時点で菅首相が、
 「原子力は制御するのが困難な技術だと思います。これ
からは、原子力に依存しない国を作りたい」と述べ、
 そのうえで、
 「ただし、いまは、福島原発の事故を収束させなければ
なりません。最優先の課題は、福島原発の事故です。いま
は、政府として、全力で、福島の対応に当たります。そし
て、原発に依存しない国というのは、福島を収束させたあ
とに、改めて議論したいと思います。いまは、福島の収束
に力を貸してください」
 とスピーチしていたら、間違いなく、拍手喝采だったで
しょう。
 私も、3月15日とか16日に、その言葉を聞いていた
ら、菅首相を支持していました。

 しかし、7月になって、いまここで「原発に依存しない
国を」と言われても、「いまさら、なにを」という感じが
します。

 13日の会見では、「原発に依存しない国を作りたい」
と言うだけで、具体策は何も言いませんでした。
 これは、菅首相の希望であり、願望です。
 しかし、具体策のない希望、願望であれば、なにも、7
月になってから言う必要はなかったでしょう。
 首相が自分の希望、願望を言い、国民にアピールするの
は、悪いことではありません。しかし、それなら、なぜ、
もっと早くに言えなかったのでしょう。
具体策を検討していたので7月までずれ込んだというの
なら分かりますが、今回のは、具体策のない希望であり願
望です。それなら、3月でも4月でも、もっと早くに言え
たでしょう。
 
 そして、さらにまた、今回の会見で、首相は、脱原発は
言いましたが、福島をどう収束させるのかは、まったく言
及しなかったのです。
 目下の大懸案である福島に言及せず、脱原発という希望
だけを言うのであれば、それは、「政治」の名に値しない
でしょう。
 首相の会見の当日は、福島産の牛肉の放射線量が基準値
を超え、それが各地に出荷されていることが大問題になっ
ていました。高校野球の県予選では、グラウンドの放射線
量を計測しながら試合をしています。子供たちは、屋外で
は放射線の量が高いというので、屋内で遊んでいます。
 そうです。
 福島原発の事故による影響や被害は、いまも、ちっとも
収束せず、むしろ、拡大しているのです。
 なによりも、原発周辺の住民は、いつまで避難すればい
いのか分からないまま、故郷を離れて避難している。
 
 原発に依存しない国を作るのが大事なことは、みんな分
かっている。
 しかし、いまは、福島原発の事故による影響や被害が全
然収束しておらず、むしろ拡散している。
 それにまったく言及せず、「脱原発」という自分の希望
を述べる。そして、それだけのために記者会見を開く。

 それはちょっと違うだろう、と言わざるをえないのです。
 菅首相という人は、この人自身が、いまや、日本にとっ
ての「ストレステスト」になってしまっています。
 


東京の緯度、世界の緯度・・・世界の主要都市の緯度をまとめておきます。南半球も追加しました。ローザンヌなど五輪関係の都市を加えました(18年5月)

2011年07月13日 17時29分10秒 | 日記

 サマータイムのような制度は、その地域の緯度と大きな関係があります。
 欧州は緯度が高く、夏は夜遅くまで明るさが残ります。
 サマータイムは、それを生かす制度です。

 逆に、アジアのように緯度の低い地域では、サマータイムを実施しても、
あまりメリットがありません。

 そんなことをこのブログで原稿に書くため、何度か、世界の主要都市の
緯度を調べ、簡単な一覧表にまとめてきました。

 すると、その緯度の一覧表のページを、多くの方に読んでいただく
ようになりました。緯度を調べるサイトは多数あるのですが、専門的な
ものが多く、かえって分かりにくいところがあります。
 その点、簡単な一覧表は、分かりやすいのかもしれません。
 
 ブラジルでオリンピックが開かれるのを機に、南半球の都市の
緯度も加え、一覧表を、新たに更新し、掲載しておきます。
 世界各地の緯度を知るためのご参考としていただければと思います。

 過去の更新は以下の通りです。
*初めて掲載した日・・・2011年7月
*冬期五輪のソチの緯度を掲載・・・2014年2月
*いわゆるイスラム国の関連で、中東の都市を追加・・・2015年1月
*リオ五輪で南半球の都市などを追加・・・2016年7月
*IOCのあるスイス・ローザンヌ、冬季五輪の長野、平昌を加えました
                 ・・・2018年5月

    ***********
       
   世界の主要都市の緯度

レイキャビク(アイスランド)・・64度
イエローナイフ(カナダ)・・・62度
レイキャビクは世界で最も北に位置する首都
ということになると思います。


ストックホルム・・・59度
モスクワ・・・・・・55度
エジンバラ・・・・・55度
ベルファスト・・・・54度
ベルリン・・・・・・52度
ロンドン・・・・・・51度

パリ・・・・・・・・48度
シアトル・・・・・・47度
オタワ・・・・・・・45度

ローザンヌ・・・・・46度
 ローザンヌはIOC(国際オリンピック委員会)があります。
ジュネーブ・・・・・46度

オタワ・・・・・・・45度

ソチ・・・・・・・・43度
札幌・・・・・・・・43度
ボストン・・・・・・42度
ローマ・・・・・・・41度
シカゴ・・・・・・・41度
ニューヨーク・・・・40度
ワシントン・・・・・38度
ホノルル・・・・・・21度

青森・・・・・・・・40度
秋田・・・・・・・・39度
仙台・・・・・・・・38度
新潟・・・・・・・・37度
長野・・・・・・・・37度
東京・・・・・・・・35度
大阪・・・・・・・・34度
広島・・・・・・・・34度
高知・・・・・・・・33度
熊本・・・・・・・・32度
鹿児島・・・・・・・31度
那覇・・・・・・・・26度

ウランバートル・・・47度
北京・・・・・・・・39度
ソウル・・・・・・・37度
北京・・・・・・・・39度
平昌・・・・・・・・37度

長野と平昌はともい北緯37度で、冬季五輪の開催地としては、
最も緯度の低い都市になります。

上海・・・・・・・・31度

中東地域の都市をまとめると次のようになります。
アンカラ(トルコ)・39度
バグダッド(イラク)・・33度
ダマスカス(シリア)33度
アンマン(ヨルダン)31度
エルサレム・・・・・31度
カイロ・・・・・・・30度
ドバイ(UAE)・・25度
リヤド・・・・・・・24度
中東は、暑いイメージがありますが、実はそう南の方に位置する
わけではなく、シリアのダマスカスは大阪と変わらず、エルサレム
は鹿児島と同じぐらいの緯度ということになります。


ここからはおもに東南アジア諸国です。
ニューデリー・・・・・・・・28度
ダッカ(バングラデシュ)・・23度
ハノイ・・・・・・・・・・・21度
ビエンチャン(ラオス)・・・17度
バンコク・・・・・・・・・・13度
シンガポール・・・・・・・・ 1度
ジャカルタ・・・・・・・南緯 6度


ここからは、南半球の都市です。
リオデジャネイロ・・・南緯22度
ブエノスアイレス・・・南緯34度

ヨハネスブルグ(南ア)・・・南緯26度
ケープタウン(南ア)・・・・南緯33度

シドニー・・・・南緯33度
オークランド(NZ)・・・南緯37度
クライストチャーチ(NZ)・・南緯43度

南半球の緯度を北半球の緯度と比べると、
リオはかなり緯度が低く、ホノルルと同じぐらいであること
が分かります。8月のリオ五輪は南半球の冬に当たりますが、
現地からの報道を見ていると、緯度が低いので、寒いという
感じではないようです。
ブエノスアイレスやケープタウンは、東京、大阪と
ほぼ同じぐらいの緯度ということになります。シドニーも
そう変わらないですね。
ニュージーランドのクライストチャーチは、札幌と同じ
ぐらいの緯度です。現地の様子を見ていると、気候的にも
札幌とよく似ている感じがします。

 さて、この一覧を見ていると、日本の都市が、欧米の都市に比べ、
いかに緯度が低いか、よく分かります。
 これだけ緯度が違うと、欧米の暦や習慣をそのまま持ち
込んでも意味がないということも、また、よく分かります。

 たとえば、ジューン・ブライドです。
 6月の花嫁にはいいことがあるという言い方です。
 日本でも、いっとき、ジューン・ブライドという言い方
が流行し、実際に、6月に結婚式をする人が少なくありま
せんでした。
 しかし、6月は梅雨の真っ最中です。
 そんな雨の中で式を挙げても、と思います。
どうしてそんなことになったのでしょう。

 この緯度表で分かるように、欧州の主要都市は、みな高
緯度に位置します。高緯度の地方には、梅雨というものが
ないのです。日本でも、緯度の高い北海道には梅雨がほと
んどありません。
 欧州では、4月は、まだ冬の雰囲気がまだまだ色濃く残
ります。
 それが、6月になると、いっぺんに春が来て、花が一気
に咲き乱れます。
 緯度が高いから、そうなるのです。
 だから、欧州では6月に結婚式をすると、最高の気候の
なかで式を挙げられます。
 だから、ジューン・ブライドなのです。

 欧州に比べて緯度の低い日本では、欧州の6月に相当す
る月は、桜が咲き誇る4月です。
 日本は、欧州より春が早くくるのです。
 だから、日本でいい季節は6月ではなく、4月です。
 緯度の違い、風土の違いを無視して、緯度の低い日本で、
欧州のジューン・ブライドという考え方を持ちこむのは、
少々、無理があるということになります。

 緯度の高さは、その国や地域の風土に大きな影響を与え
ています。それを無視して、ほかの国や地域の習慣を導入
しようとすると、いろいろ不都合なことが起きてしまいます。
 
青森・・・・・・・・40度
仙台・・・・・・・・38度
長野・・・・・・・・37度

東京・・・・・・・・35度
大阪・・・・・・・・34度
鹿児島・・・・・・・31度
那覇・・・・・・・・26度



節電(2)・・街灯を消しても犯罪は増えなかったとは、なんという言い方でしょう。街灯はつけましょう。

2011年07月12日 00時59分17秒 | 日記

 枝野官房長官が、11日の会見で、「節電で街灯を消し
ても犯罪は増えなかった」と話しました。

 なんなんでしょう、これは。
 きのうのブログで心配していたことです。

 街灯を消すというのは、夜のことです。昼間は街灯を点
けません。

 そして、夜は、電力が余っている時間帯です。
 電力を節電したいというのは、あくまで、昼間のピーク
時の電力の話です。
 夜、電力を節電する必要は、まったくないのです。

 それなのに、実際、各地で、街灯を消すということをや
っている。
 街灯を消せば、夜道が暗くなり、犯罪が増えるのではな
いか。そこで、回答したのが、枝野長官の会見だったとい
うわけです。

 しかし、夜は電力使用のピーク時間帯からまったくはず
れています。しかも、夜間電力は余っています。

 その夜に、大事な街灯を消すと言うこと自体が、間違っ
ています。
 本来、官房長官は「夜の街灯は消す必要がありません。
むしろ、街灯は、防犯上からも、点けておいてください」
というべきなのです。
 それを言うにことかいて、「街灯を消しても犯罪は増え
なかった」とは、いったい、なんという言い方でしょう。
 これでは、夜、街灯を消すのを、官房長官が勧めている
ことになります。

 もちろん、日本は、基本的には安全な国ですから、夜、
少々暗くても、それが犯罪につながるということは、可能
性としては少ないでしょう。

 しかし、夜、街灯はあったほうがいいに決まっています。
 とくに女性のみなさん。夜、街灯の消えた真っ暗な道を
歩いていて、気持ちが悪いでしょう?
 駅から家に帰る道は、街灯がちゃんと点いていて、明る
いほうがいいでしょう?
 犯罪が起きてからでは遅いのです。
 それを、官房長官が、街灯を消すことを奨励するような
言い方をするとは、いったい、なんということでしょう。

 ただでさえ電力の余っている夜に、わざわざ街灯を消す
必要がどこにあるのでしょうか。

 電力使用のピークの時間帯が終わった夕方からは、ちゃ
んと電力を使いましょう。
 私たちは、もっと自分で判断して、ものごとを決めなけ
ればならないと思います。
おかしいことはおかしいのです。

 菅首相の居座りとともに、おかしなことばかり増えてい
ます。
 おかしいことはおかしいのです。
 「おかしいことはおかしい」と言いましょう。



15%の節電・・・節電が必要なのはピーク時だけです。夜は電力が余っています。もっと疑問を。

2011年07月11日 01時48分54秒 | 日記

 7月から15%の節電というのが始まりました。
 どこも、エアコンを緩くし、蛍光灯を消したりしています。

 しかし、これは、おかしい。

 15%の節電というのは、電力使用量がピークになると
きだけのはずです。
 それはつまり、夏の午後2時を中心に、午前11時ごろ
から午後4時、5時ぐらいまででしょう。
甲子園の高校野球をやっているとき、みんな家でエアコ
ンをがんがん効かせてテレビを見るので、日によってはち
ょっと危ないんだという話が、前からありました。それが
まさに、午後2時前後のことです。


 今回は、そこへもってきて、福島原発が停止し、東電の
エリアでは当然、電力が足りなくなります。
 しかし、それは、あくまでピーク時の話です。

 昼間、オフィスでエアコンの設定温度を高くするのは、
これは百歩譲って、やむをえないとしましょう。

 しかし、ピークが過ぎた午後4時、午後5時以降は、電
力の使用を控える必要はまったくないのです。

 とくに、夜は、電力が余ります。

 ですから、夜、蒸し暑いのに、エアコンをつけないとか、
扇風機で我慢するとか、そんなことはする必要がないので
す。
 夜は、普通に、エアコンをつければいいのです。

 電力は貯めておくことができないので、夜、余った電力
は捨てられます。
 それを家庭で使っても、何の問題もないのです。

 とんでもない勘違いというしかありません。

 どうして、こんな勘違いが起きるのでしょう。

 まず、「15%の節電」は「ピーク時の節電」なのに、
それをちゃんと知らせない政府と電力会社に責任がありま
す。
 こんなこと、それこそ、菅直人首相が、会見して、「ピ
ーク時だけ、節電してください。あとは、普通に電力を使
っていただいて結構です」といえば済む話です。この人は、
本当に大事なことは、なにも話しません。

 もうひとつ。国民の側の勘違いも大きい。
 「15%の節電」は、「使用電力の量」のカットなのに、
なぜか、みんなして「使用電力の料金」つまり「電力料金」
のカット」だと勘違いしているフシがあるのです。

 今回、必要なのは、「電力の量のカット」であって、「料金
のカットではありません。
 言い換えれば、今回、必要なのは、「倹約」ではないの
です。

 それが、どこかで、ごちゃごちゃになってしまっている。

 そして、政府も電力会社も、どうも、その勘違いを、意
図的に放置している雰囲気があります。
そうだとすれば、けしからんことです。

 私たち日本人は、「倹約」といわれると、抵抗できなく
なるところがあります。
 「倹約」あるいは「もったいない」という言葉には、弱
いのです。

 たとえば、こういう状況を想定してみてください。
 ある家庭で、蒸し暑い夏の夜に、奥さんが、エアコンを
使わずに扇風機で済まそうとしています。
 そこで、家族が、「暑いからエアコンをつけよう」とい
います。
 奥さんは「今年は15%の節電が必要なのよ」と答えま
す。
 家族が「でも、それはピーク時のことで、夜は電力が余
っているんだから、夜は節電の必要がないんだよ」と説明
します。
 すると、奥さんは「それはそうかもしれないけれど、で
も、節約するというのは、いいことでしょう」と答えます。
 
 そうなんですよ。
 この「節約するというのは、いいことでしょう」という
言い方は、私たち日本人にとって、魔法の言葉になります。
 「節約するのはいいことでしょう?」と言われると、「違
う」とは言えないのです。
 私たち日本人にとって「節約」は美徳なのです。
なんというか、ロジックの通用しない世界です。

 しかし、今回、そういう言い方は、非常によくない。
 それは、ひとつには、政府と電力会社が、日本人のそう
いう「美徳」を、意識的に利用している感じがあるという
ことです。15%の節約を実現するには、この「節約は美
徳」という文化にアピールするのが、一番、都合がいいの
です。しかし、そんなことは、やってはいけないことです。

 もうひとつ。「あら、電気を節約するのはいいことでし
ょう?」といってしまうと、今回の電力不足の原因から目
をそらせてしまうことになるのです。それが怖い。
 今回の電力不足は、明らかに、長い間の原発政策のツケ
です。福島原発で、安全対策が不十分だったのに、安全対
策は万全だと言い続けてきたツケが回ってきたのです。
 それを、「電気を節約するのはいいことだ」で済ませて
しまうと、今回の電力不足の本質を覆い隠してしまうこと
になるのです。

 「15%の節電」が必要なのは、ピーク時だけです。
 素直なのはいいことですが、あまり素直過ぎると、だま
されてしまいます。
 「権力」「権威」のいうことは、「本当かね?」と、どこ
かで疑ってみる。それは、とても大切なことです。
 


きょうは七夕です・・・七夕って、なぜ、雨ばかり降るのでしょうか?理由は。

2011年07月07日 15時39分09秒 | 日記



 きょう7月7日は七夕です。
 せっかく1年に一度、牽牛・ひこぼしと織女・おりひめが会える
日だというのに、日本は多くの地域で朝から雨模様です。
 とても、星空を見るどころの話ではありません。
ひこぼしは、わし座のアルタイル、おりひめは、こと座のベガですが、
見るのはちょっと無理でしょう。

 7月7日の七夕は、いつもたいてい雨模様です。
 どうしてでしょうか。

 答えは簡単です。
 当たり前ですが、7月7日は、梅雨の最中だからです。
 では、なぜまた、わざわざ、梅雨の最中を七夕としたのでしょう。
 本来の七夕は、旧暦の7月7日です。
 それを、新暦というか、いまの暦の7月7日に、機械的に持って
きたから、梅雨の最中になってしまったわけです。

 日本の季節の行事は、基本的には、旧暦がベースになっています。
 ですから、それを機械的に新暦に持ってくると、おかしなことに
なってしまうのです。

 旧暦への置き換えは、まあ、だいたい、新暦の1か月遅れです。 
 ですから、七夕も、1か月遅れの8月7日にすると、これはもう
真夏になりますから、まず間違いなく晴れています。
 そうすると、ひこぼしのアルタイル、おりひめのベガ、それに、
白鳥座のデネブで大きな三角形を描く「夏の大三角」が、天の川
にひたって輝いているのが、とてもよく見えるのです。


 実際、地域によっては、七夕を8月にやるところもあります。
 私の母方の実家のある地域は、まさにそうで、子供のころの8月、
夏休みに入ってから泊まりにいって、親戚の人たちと七夕をやりま
した。あのときは、よく晴れていて、降るような星空でした。

 季節の行事は、旧暦でやるのがいいと思います。

 そんなこといったって、という声も聞こえてきそうですが、しか
し、私たちは、大事な行事をけっこう旧暦でやっています。
 代表は、お盆です。
 お盆は8月の15日、16日ですが、これは旧暦です。
 お盆には、民族大移動といわれるほど、日本人は故郷を目指しま
すが、それは、まさに旧暦で動いているわけです。

 お盆を、七夕と同じように7月15、16日にやれば、まだ梅雨
も終わってないでしょう。雨の中、お墓参りにいってもしようがな
いですね。
 第一、7月にお盆をしたら、夏休みという感じがしません。
 あれは、8月にやるから、いかにも夏休みという感じがするので
す。

 京都の大文字の送り火は、8月15日、16日ですが、それも、
お盆にあわせて、旧暦でやるわけです。さすがに、伝統の街・京都
は、大事な行事は、ちゃんと旧暦でやります。
 お盆は、亡くなった人が戻ってくるときですから、やっぱり、晴
れている真夏のほうがいいでしょう。

 お中元は、おもしろいですよ。
 関東は、お中元を7月にします。
 しかし、関西でお中元というと、8月です。関東のお中元が終わ
る7月の半ばごろから始まって、8月15、16日のお盆で終わり
ます。
 関西は、お中元を、旧暦でやっているわけですね。
実は、大学で東京に来て、7月にお中元をやるのを見て、びっく
り仰天しました。

 お中元は、お盆とセットの行事でしょうから、お盆を8月にやる
のなら、お中元も8月にやるのがいいように思います。

 というわけで、きょう新暦の7月7日の七夕は、また雨模様です。
 


一日も早く退陣を・・・菅首相は、せっかくの首相のパワーを、マイナスの方向にしか使えません。

2011年07月07日 02時19分29秒 | 日記

 菅首相は、6日の国会の答弁で
 「満身創痍、刀折れ、矢尽きても、がんばりたい」
 と話しました。

 絶対に辞めないと宣言したようなものです。

 今回、改めてよく分かったのは、日本の首相、総理大臣
というのは、大変強い権限を持っているということです。

 日本の首相は、本人が続けようと思っている限り、だれ
がどうやっても、辞めさせることが出来ません。
 それが、大変よく分かりました。

 今回の一連の騒ぎの中で、唯一、収穫があったとすれば、
それは、日本の首相は大変強力なポジションにあることが
満天下に知らされたということです。

 これは、皮肉ではありません。
 
 日本の首相が、これだけ強力なパワーを持っているので
あれば、それを、プラスの方向に使えばいいということで
す。
 残念ながら、菅首相は、そのパワーを負の方向へ、負の
方向へと、使っています。すなわち、そのパワーを、ただ
辞任しないというその一点に使っているのです。ものすご
い無駄遣いです。

 では、プラスに使うとはどういうことか。
 それは、首相のこの強力な権限で、財務省、経済産業省、
農水省、外務省、国土交通省など、霞が関の官庁と官僚に
指示・命令を出し、自分の思う政策を、どんどん実行する
ことです。

 菅首相は、そのパワーの使い方を知らないのです。
 サミットで、菅首相は、日本の1000万戸の家に太陽
電池を取り付けると宣言しました。
 あの宣言は、いったい、どこへ行ってしまったのでしょ
うか。
 菅首相という人は、思いつきで何かを打ち出します。そ
して、打ち出した瞬間に、どうやら、忘れてしまうようで
す。
 本来なら、1000万戸の家に太陽電池を取り付けると
いう宣言をするとき、霞が関の関係官庁、この場合だと、
経済産業省、国土交通省、農水省、それに予算をつける財
務省というところでしょうが、そうした官庁に対し、
 「1000万戸の家に太陽電池を設置する。ついては、
その具体策を立案して、私のところに持ってきなさい」
 といえばいいのです。
 今回明らかになったように、首相には強力なパワーがあ
り、そうやって指示を出せば、各官庁の官僚は、従わざる
をえないのです。
 それなのに、菅首相という人は、せっかくのその強力な
パワーの使い方を知りません。というより、パワーの使い
方を間違っています。すなわち、自分が首相を続けるとい
うただその一点に、そのパワーを使っています。

 首相のパワーをプラスに使い、ちゃんと政策を企画・立
案して実行に移せるのであれば、人間的な好き嫌いは別に
して、首相を続けてもいいと思います。

 しかし、首相のパワーの使い方を知らず、そのパワーを
ただ負の方向でしか使えないのであれば、もう、首相でい
る資格はありません。
 そして、実際に、パワーを負の方向、マイナスの方向で
しか使えないことが、はっきりしました。
 それであれば、もう、首相を辞めなければなりません。

 「満身創痍、刀折れ、矢尽きてもやる」
というような場合ではないのです。
 首相のパワーの使い方を全く知らず、負の方向にしか使
えないから、満身創痍になり、刀折れ、矢が尽きるのです。

 ここまで来たらはっきり書きますが、菅首相は、一日も
早く、首相を辞めるべきです。




松本復興相の辞任・・・あえて少し擁護してみます。しかし、なさけないのは、別のことです。

2011年07月05日 23時26分37秒 | 日記

 松本復興相が、暴言を吐いて、辞任に追い込まれました。
 宮城県の村井知事との会談で、松本復興相は、聞いてい
るほうがちょっと恥ずかしくなるような言葉づかいをしま
した。それが、全部テレビで放映されるという空前の話で
す。

 たしかに、辞任する以外に、なかったでしょう。

 しかし、今回は、あえて、ちょっとだけ、松本復興相の
肩を持ってみます。

 宮城県庁を訪ねた復興相は、知事の応接室に通されます
が、知事はいません。2分ほどしてから、知事が入ってき
ました。それに対して、復興相は
 「お客さんが来たら、先に部屋に入って、待っているの
が当たり前だろう」
 と言いました。
 あきらかに、むっとした様子でした。

 これは、分からないでもありません。
 例えば、だれか大切な人と会食するとします。決めた日時
に、決めたレストランで落ち合うことにします。
 会食しましょうと声をかけた方(ホスト)は、必ず、
相手(ゲスト)より先に入って待っています。
 声をかけたホストが、招いたゲストより遅れたら、それは
失礼です。
 復興相は、この感覚だったと思います。

 テレビの解説者には、復興相が自分のことを「お客さん」
と位置づけたのも間違っていると指摘する人がいました。
しかし、復興相が「お客さん」と言ったのは、一般論とし
て、お客さん(ゲスト)が来るときはーーという感じで発
言したようにみえます。
 自分のことをお客さんと位置づけた発言ではないように
思います。

 松本復興相は「俺は、お客さんが来るときは、先に部屋
に入って待っている」とも言いました。

 会食のときは、絶対にそうです。
 そうでないと失礼になる。

 松本復興相は、この感覚で、村井知事に「失礼だ」と言
ったのだと思います。
 その限りにおいては、大変よく分かるのです。
 だから、松本復興相、ちょっと気の毒だったという感じ
がします。
 そこは、復興相を、ちょっとだけ擁護します。

 しかし、仕事で、人にアポイントを取って訪ねていく場
合、どうでしょう、相手は、必ず先に応接間なりで待って
いるでしょうか?

 そんなことはないでしょう。

 取材で、アポイントを取って、例えば、どこかの企業の
社長や役員に会いに行く。その場合、まずは秘書室に行く
ことが多いわけですが、担当の秘書が、「お待ちしており
ました」といって、応接室に通してくれる。そこでお茶の
一杯も出て、飲んでいるうちに、アポを取った社長が
 「やあやあ、お待たせしました」
 などと言いながら入ってくる。
 そんな感じではないでしょうか。

 ある企業の社長を訪ねて行くアポの時間を午後3時とし
ましょう。
 普通、3時より少し前、4、5分前には、秘書室を訪ね
て行きます。だから、アポの時間より、ちょっと前には、
応接室に案内されるのです。
 それが、訪ねていく側の礼儀でもあるでしょう。
 そして、そのときに、社長がすでに応接室で待っていた
なんてことは、ありえないでしょう。

 だから、社長が定刻に応接室に来ても、訪ねていった側
は、どうしても1分や2分は待つことになるのです。

 実際、村井知事は、復興相が帰った後、記者団に、
 「私は定刻に応接室に入ったんですけどね」
 と話していました。

 村井知事は、なにもおかしなことはしていない。
 訪ねて来た人が、アポの時間よりちょっと早く来て、応
接室で1、2分待った。
 そこへ、定刻になったので、村井知事が入ってきた。
 全然、おかしなところはないのです。

 むしろ、あのとき、なぜ松本復興相が怒ったかというと、
それはたぶん、彼の心の中に、
 「大臣は、知事より格上だ」
 という意識があったからだと思います。
 格上の大臣、格上の俺が来るんだから、先に待っている
のが当然だろうーーという意識があったと思います。

 では、松本復興相が、訪米してオバマ大統領に会うこと
になったとしましょう。
 ホワイトハウスを訪ねていきます。
 アポの時間よりかなり前に行きます。
 大統領の応接室に通されます。
 当然、応接室には、まだだれもいません。
 待つこと数分です。
 緊張します。
 そこへ、オバマ大統領が、にっこり笑いながら、
 「ハーイ、ハウアーユー」 
 とかなんとか言いながら入ってきます。
 
 さて、松本復興相は、そのとき、
 「おいオバマ君よ。お客さんが来るときには、先に来て、
待っているもんだ。しっかりしろよ」
 と言うでしょうか?Z
 言うわけありません。
 オバマ大統領が少々遅れてきても、喜んで、握手をする
でしょう。
それはオバマ大統領のほうが格上だと思うからです。
 そこでオバマ大統領に
 「おまえさん、遅いじゃないか」
 と言えればたいしたものですが、それはありえないでし
ょう。

 しかし、宮城県庁では逆に、松本復興相は、村井知事に
対し、
 「格上の俺を待たせやがって」
 という気持ちが、どうしても、あったのです。

 もしかすると、今回、それが一番なさけないことなのか
もしれません。


政治は三流・・・しかし、政治が一流だったことはあるのでしょうか? ここから一流を目指しましょう。

2011年07月02日 01時51分23秒 | 日記

 「経済は一流、政治は二流」だった日本が、いまや、「政
治は三流、経済も三流」に変わってしまったのではないか
という話の続きです。

 この話は、政治に焦点を当ててみましょう。
経済は一流から三流に落ちたとします。
 一方の政治は二流から三流に落ちたわけです。

 そうなんです。
 政治は、一流から落ちたのではなく、二流から三流に落
ちただけのことです。

 では、日本の政治が、一流だったことはあるのでしょう
か。そこが、今回のポイントです。

 福田、安部、麻生と続いた自民党政権の政治は、とても
一流とはいえませんでした。
 鳩山、菅という民主党の政治は、二流か三流かというと
ころです。

 小泉首相は最近では珍しく、長い間、首相をやった政治家
ですが、その政治は、三流ではないにしても、一流とはいい
にくいでしょう。

 戦前の政治は、日本が太平洋戦争に突っ込んで行ったこ
とを思うと、一流であるはずがありません。もしかすると、
四流、五流かもしれません。 

 さかのぼっていくと、明治の開国をした直後からしばらく、
日露戦争ぐらいまでは、日本の政治は、かなり、いい線を
行っていたのではないかと思います。
 アジアを植民地にしようとする欧米諸国の力に必死で対
抗し、一貫して、独立国であり続けました。あの帝国主義
の時代、アジア、中東、アフリカの国で、独立国を保った
国は少ないのです。
 なんというか、政治の必死さが伝わってくるのです。


 日露戦争で勝った後も、日本政府は、日本の国力がたい
したものではないことをよく認識しており、ロシアとの講
和にあたって、決して、ロシアに居丈高に接しようとはし
ません。それどころか、ロシアとの戦後交渉を有利に進める
ためにアメリカを味方につけようと考えます。まず、その
外交的な思考が素晴らしい。
 そして、その実現に向け、例えば、金子堅太郎男爵を
アメリカに派遣します。金子は、アメリカを横断しながら
講演会を開き、日本の立場をアメリカ国民に訴えていきます。

(金子堅太郎。明治4年にハーバードに留学している)

それがあって初めて、日本とロシアの講和が、ポーツマ
ス条約として結実するわけです。

 総じて、明治のころは、まだまだ貧乏で小さな国ではあ
りましたが、政治はかなり一流に近かったのではないで
しょうか。
 なによりも、このころの政治は必死でした。
 そう。政治には、必死さが必要なように思います。
 
 日露戦争のときは、捕虜となったロシア人を極めて手厚
く処遇します。日本海海戦で敗れたロシアのロジェストベン
スキー長官は日本の病院で手当を受け、それを、東郷平八
郎長官が見舞うということもありました。

 太平洋戦争で、日本軍は捕虜を虐待しましたが、明治の
日本軍はそういうことはしなかったのです。
 どこでおかしくなったのかーーというのは、司馬遼太郎
氏が、一つのテーマとしています。

 ともかく、明治の政治は、一流に近い部分があった。
 それが、昭和に入って、おかしくなった。
 戦後は、なかなか、政治が一流という時期はなかったの
ではないか。

 そういうことになります。
それであれば、いまの政治が三流であっても、嘆く必要
はありません。
 経済の場合は、一流が二流か三流に落ちたわけですから、
これはつらい。一流の輝きを取り戻すように、がんばらな
ければならない。
 しかし、政治は、もともと一流ではなかった。もともと
二流だったのが三流になっただけのことですから、そう悲
しむべきことではない。
 そう。ここからがんばればいいのです。
ここから、一流を目指せばいいのです。

 「政治がひどい」と嘆くのは、その通りです。
 嘆きたくなります。
 しかし、もともと一流ではなかったのだからと思えば、
また対応が違ってきます。
 もともと一流ではなかったのですから、いま、「政治が
ひどい」「政治がどうしようもない」というのは、当たり
前のことです。

 一番いけないのは、「政治がひどい」と言い、政治に絶
望し、政治に無関心になってしまうことです。

 国民が政治に絶望し、政治を馬鹿にしたとき、ドイツで
は、ヒトラーが登場したのです。
 もちろん、いまの日本でヒトラーが登場することはない
でしょうが、しかし、我々が政治に絶望し、政治に無関心
になってしまうと、いったい、どんな首相が登場するか分
からない。
 トーマス・マンは「政治を馬鹿にする者は、政治からし
っぺ返しを受ける」と言いました。
 その通りです。

 「政治も三流、経済も三流」というのは、決して、悪い
だけの言葉ではありません。
 政治はもともと二流だったのだから、三流になってもそ
う悲観せず、ここから一流を目指せばいい。そうとらえる
のがいいと思います。

 決して絶望しない。
 それが大事です。
 絶望せずに行きましょう。