いまジャーナリストとして

 いま私たちの目の前に、次々と現れるニュースをどうとらえ、どう判断するか・・・ジャーナリストの日誌。

安保法案が可決された後、朝日でさえ急に記事が減りました・・・前倒しジャーナリズムの大きな欠点です。

2015年09月28日 00時21分15秒 | 日記

 安保法案が成立して、まだ半月にもなりません。
 しかし、あれだけ安保法案に反対した朝日新聞も、最近は、安保法案
の記事がほとんど出なくなりました。

 この1か月、海外旅行をしていて、日本の新聞を読んでおらず、きょう、
帰国した人がいるとしましょう。
 その人が、きのう、きょうの新聞を読むと、「留守の間、日本はとくに変
わったことはなかったんだ」と感じるのではないでしょうか。
 そのぐらい、いまはもう、安保法案の記事が載りません。

 なんだか、「日本は平常運転」という感じです。

 朝日も、あれだけ反対したのですから、もう少しがんばれよと思いま
す。

 どうして、こんなことになるのでしょう。

 それは、新聞もテレビも、「前倒しジャーナリズム」という傾向があるから
です。ジャーナリズムは、どの国のジャーナリズムであろうと、そういう傾向
がありますが、しかし、日本は、その傾向がとくに強いように思います。

 前倒しジャーナリズムというのは、もともと、日経OBの田勢記者が使っ
た言葉だと思います。
 何か大きなニュースがある場合、それがどんなニュースなのか、新聞各
各社が、争って記事を書こうとします。
 そのニュースが実現する前に、どんなニュースになるのかを、一生懸
命、書こうとするのです。
 それが、特ダネ競争になります。

 例を挙げると、たとえば、内閣改造です。
 時の首相が、内閣改造をすることを明らかにしたとしましょう。そうする
と、新聞各社は、新しい内閣の顔ぶれを一生懸命、取材して先に書こうとし
ます。
 内閣改造をめぐる特ダネ競争です。

 内閣改造は、別に隠すようなことではなく、新しい内閣の顔ぶれが決ま
ったら、必ず発表されます。
 しかし、発表を待ってからでは特ダネにならないので、発表前に閣僚
の顔ぶれを書きたいのです。
 それが特ダネになります。

 前倒しジャーナリズムというのは、この場合、政府が必ず発表する新し
い内閣の顔ぶれを、発表前に、前倒しで書こうとすることを指します。

 安保法案の報道も、少し意味合いは違いますが、この前倒しジャーナ
リズムの傾向が色濃く現れます。
 安保法案が可決されるまでは、連日、ものすごい勢いで記事を書く。
 まさに、前倒しで、いろいろ書きまくるわけです。
 しかし、可決されてしまうと、つまり、ニュースが実現されてしまうと、そ
の時点で、記事を書こうという動機、モチベーションが、いっぺんに失わ
れるのです。

 大きな出来事が待ち構えている。
 大きなニュースが予想される。

 そういうとき、日本のジャーナリズムは、ものすごい勢いで連日、記事を
書きます。
 安保法案でいえば、こうなります。

 2か月前 「政府、今国会内での成立を目指す」
 1か月前 「来月の成立を目指す」
 今月   「首相、今月半ばの成立を目指す」
 連休前  「政府・自民、連休前の成立を想定か」
 週末   「週明けにも委員会で採決か」
 前日   「委員会は明日、採決の構え」
 今日の朝   「自民、きょうにも委員会で採決を強行か」
 今日の午後「委員会、深夜の強行採決」
 翌日の朝 「参院本会議へ」
 翌日の午後「本会議、今日中にも採決か」
 翌日の夕 「採決、深夜にずれこむ」
      「参院本会議で採決」
      「安保法案 可決・成立」

 という具合です。
 その出来事が近い将来に予想されると、記者の側は、モチベーション
が高くなるのです。

 そういう状況で記事を書いていると、その出来事が実現し、ニュースが
現実のものとなった途端に、モチベーションが落ちるのです。

 あれだけ安保法案に反対していた朝日新聞も、同じことです。
 法案が採決・可決された途端、「前倒し」するものがなくなって、急に記
事が減ってしまうのです。

 こんなことが、いいはずがありません。
 本来は、むしろ、そのニュースが現実のものとなった後、そのニュース
の影響や背景、今後の展開などを、書かなくてはなりません。

 ニュースを前倒しで書くのではなく、むしろ、ニュースを「検証」するジ
ャーナリズムです。

 これは、日本のジャーナリズムにとって、大きな課題です。



安保法案の強行採決と抗議集会・・・昨年の総選挙に行きましたか?棄権は自民党を支持したのと同じです。

2015年09月18日 02時51分56秒 | 日記

 安保法案は2015年9月17日(木)、参院の特別委員会で強行採決さ
れ、可決されました。
 その様子をテレビ中継で見ていましたが、正直、みっともないものでした。
 与野党とも、みっともなかったというほか、ありません。

 同じころ、国会の周辺では、安保法案に反対する集会が開かれていま
した。
 この集会は、テレビ各局がこぞって取り上げており、参加者の言葉がよ
く紹介されていました。
 「国民の声を聞け」
 「これは独裁だ」
 「民主主義の終わりだ」
 などなど。
 
 日本を取り巻く環境は、中国の海洋進出によって、決定的に変わって
しまいました。
 1960年安保、1970年安保では、大きな反対運動がありました。
 特に1960年安保の抗議集会は、今回のシールズの諸君を中心とした
抗議集会どころではない、はるかに大きな規模でした。
 そのときの写真は、以前にもこのブログで掲げましたが、もう一度掲げ
ておきます。

 これはすごいですよ。国会を取りまいています。
 今回の抗議集会は、このときと比べると、小さなものです。
 管官房長官が「以前はもっとすごかった」と会見で答えていましたが、
それもよく分かります。

 安保法案に対し、国民は、抗議集会に出た人たちが言うほど、反対は
していなかったということだと思います。

この国会の審議中、この春先からここまでの長い間、中国が南シナ海
や尖閣諸島に船を出す様子が毎日のように報じられていました。
 この中国の海洋進出が、これほどまでに続くと、国民としては、安保法
案に反対するわけにはいかなくなってくるのだと思います。

 17日に安保法案が参院の委員会で強行採決されたのを受け、中国
のテレビ局は、これを批判的に報じていました。
 しかし、自ら海洋進出しておいて、どの口で批判するかということでしょ
う。

 論点はたくさんあります。
 その中で、今回は、国会前の集会で出た「国民の声」について考えて
みたいと思います。

 結論からいうと、国会前の抗議集会に参加したみなさんは、去年の年
末の総選挙で、投票所に行きましたか? ということです。
 
 安倍首相は、昨年2014年11月21日に衆議院を解散しました。
 そして、12月14日に総選挙が行われました。

 その結果はというと、まず、投票率は52.66%で、過去最低となりまし
た。
 有権者の半分しか、投票に行かなかったのです。
 簡単に言えば、みんな、投票所に行かなかったわけです。

 国会前の抗議活動に参加した人たちは、どのぐらいの人が、投票に行
ったのでしょう。
 民主主義国家においては、とにもかくにも、まず選挙こそ、民意なので
す。
 選挙で投票せず、いまになって、抗議集会に出て、「国民の声を聞け」
というのは、話がおかしいのです。

 では、昨年の総選挙の結果はどうだったでしょう。
 衆議院の定数は475議席です。

2014年12月14日 総選挙

獲得議席  選挙前

 自民   291   293
公明    35   31
 与党   326   324

 民主   73    62
 維新   41    42
 共産   21     8
 次世代   2    19
 生活    2     5
 社民    2     2
 無所属   8    17
 野党   149   151

 ご覧のように、自民党が圧勝しています。
自民党は、2012年12月の総選挙で大勝し、民主党から政権を奪い
返します。
 その選挙で、安倍首相が誕生したわけです。
 
 安倍首相は、経済面では、すぐに、アベノミクスと呼ばれる大胆な金融
緩和を打ち出し、長いデフレ不況に沈んでいた日本経済を浮揚させまし
た。
 政治面では、憲法改正への意欲を見せ、集団的自衛権についても言
及していました。
 
 アベノミクスと集団的自衛権と、二つの大きな課題があるから、解散・
総選挙などないだろうと、だれもが思っていました。衆院の任期は4年で
すから、2016年の任期切れまで、選挙はないだろうと、予想されていた
のです。
 ところが、現行8%の消費税を10%に上げるかどうか、安倍首相は悩
み、結局、2017年まで先延ばしにすることを決め、それを問う形で、201
4年11月、解散に踏み切ったのです。

 ですから、争点は、消費税の引き上げの先延ばし、アベノミクスの成
果、そして、集団的自衛権の3つでした。
 
 選挙は、圧勝すると、次の選挙では大きく議席を減らすというのが、通
り相場です。
 ですから、2014年12月の総選挙では、自民党は、2012年のような圧
勝はないだろう。むしろ、議席をどこまで減らすだろうか。それが、大きな
焦点となっていました。

 ところが、ふたを開けてみると、自民党は、選挙前の293議席から2議
席減らしただけで、291議席を取り、予想外の圧勝となりました。
 公明党は、選挙前の31議席から35議席へ、4議席増やしました。

 民主党は、選挙前の62議席から73議席へ、9議席増やしましたが、7
3議席程度では、どうにもしようがありません。

 自民党は、単独過半数です。
 公明党の支持がなくても、自民党一党で、衆議院の過半数を制するだ
けの議席を得たのです。

 私は、その結果を見て、「自民党が勝ちすぎた」と思いました。
 「これなら、安倍首相は、思い通りにやってしまう」と思いました。
 当時、同じように、「自民党は勝ちすぎた」と分析する声は、新聞でもテ
レビでも、よく見ました。
 
 有権者は、自民党を勝たせすぎたのです。
その結果が、今回の安保法案の強行採決です。
 これだけ圧倒的な議席を持ったのですから、安倍首相は、国民から圧
倒的な支持を得たことになります。

 国会前の抗議集会で、どんなに「民意を聞け」と叫んでも、わずか10
か月前の選挙で、これだけの圧勝をしたわけですから、「民意」は、安倍
首相、安倍自民党を支持したのです。
 もし、昨年の12月の総選挙で投票に行かず、今年2015年の9月に国
会前で「民意を聞け」と抗議しているとすれば、それは、どこか、おかしい
のです。

 亡くなった政治学者の丸山真男さんは、名著「現代政治の思想と行
動」で、こう書いています。
 「選挙に行かない、選挙に棄権するというのは、時の政権党を支持す
るのと同じだ」
 と。
 政権党の支持者、今回はもちろん自民党の支持者ですが、自民党の
支持者は、長年の支持者が多いでしょうから、選挙で投票に行く確率は
かなり高い。
 しかし、いわゆる無党派層と呼ばれる人たちは、何か強い関心がなけ
れば選挙でも投票に行くパーセンテージは低い。
 実際、昨年の総選挙の投票率は、52%という空前の低さとなったので
す。
 無党派層が選挙に行かなかったわけです。
 そして、その結果、長年の支持者が地味に選挙に行く自民党が勝った
のです。
 無党派層が選挙に関心を示さず、投票に行かなかった。その結果、自
民党が勝ったのです。
 無党派層が棄権したということは、自民党を支持したのと同じことにな
ったわけです。

 ですから、国会前で抗議活動をしている人たちが、もし、去年の選挙
に行かなかったとすれば、その人たちが、安倍自民党を勝たせてしまっ
たということになります。
選挙に行かなかったことによって、自民党を勝たせる「民意」を作って
しまったのです。

 去年の総選挙で自民党が負け、過半数を取っていなければ、9月17
日の強行採決は、なかったのです。
 選挙に行かなかった人たちが、自民党を勝たせたのです。
 そこを、猛反省しないといけません。

 トーマス・マンは、
 「政治を馬鹿にする者は、政治にしっぺ返しされる」
 と指摘しました。

 去年の12月、有権者の半分しか投票に行かなかった。
 選挙に関心がなかった。
 つまりは、政治を馬鹿にしたのです。
 そして、いま、そのしっぺ返しを受けているのではないでしょうか。

 国会前で抗議活動をするのは、いいことです。
 でも、次の選挙では、必ず全員、選挙に行きましょう。
 それが、民主主義国家で「民意」を反映させる一番の道です。
 「どうせこんな国で」と、投票に行かないようでは、何も変わりません。 





朝日の中国報道・・・抗日70年の式典で朝日はまるで中国の新聞でした。朝日はもうだめか。

2015年09月04日 17時09分12秒 | 日記

 中国が、9月3日、抗日戦勝70年式典を開きました。
 日本の各紙は、3日の夕刊の一面トップで、そのことを報じて
います。
 当ブログは、今回、中国の式典のことより、日本の各紙の報道
について書いておきたいと思います。
 結論を先にいえば、朝日は、ちょっとひどすぎる、ということ
です。

 もともと私は、朝日新聞を、決して嫌いではありませんでした。
 慰安婦問題で、どうしようもない朝日の体質を見せましたが、
その後も、紙面そのものは興味深い記事も多く、健闘していま
した。
 しかし、3日の夕刊は、いくらなんでも、ひどすぎました。

 この日、中国は、大規模な軍事パレードをしました。
 習近平主席は演説をして「中国は、日本の軍国主義のたくらみ
を徹底的に粉砕し、この偉大な勝利で世界の大国としての地位を
改めて確立した」と述べました。その一方で、「中国は平和を愛し
てきた」とし、230万人いる中国軍を今後30万人減らすこと
を明らかにしました。
 なにしろ、大きな大陸間弾道弾(ICBM)を、初めて、それも
何基も披露した大規模な軍事パレードです。その大パレードを背景
にして、「平和を愛してきた」というのも、無理があります。
 ほとんど、ブラックユーモアの世界です。
 むしろ、この演説は、中国が「戦勝国」であることを改めて宣言
し、「強い中国」を誇示したものでしょう。

 さて、そこで、それを報じた3日の各紙の夕刊を見てみましょ
う。
 まず、読売です。
 一面の大見出しは、
 「中国が抗日戦勝70年式典」
 です。
 その横に、
 「軍事力を誇示」
「31か国首脳級参加」
 とあります。


 日経新聞は、
 「北京で抗日戦70年軍事パレード」と横の見出しがあり、
 メインの大きな見出しとして、
 「習政権 強い中国 誇示」とあります。
 その隣りに、「日米欧首脳は欠席」となっています。


 読売も日経も、
1) 中国が、抗日70年で大規模な軍事パレードをした。
2) 強大な軍事力を示し、強い中国を誇示した。
 ――という紙面展開になっています。

 
 ところが、朝日を見て、驚きました。
 同じ日の朝日の夕刊は、
 大見出しが
 「習主席 兵力30万人削減」
 です。
 これが大見出しです。
 えっ?という感じです。
 その横の見出しが、
 「平和重視を強調」となっています。
 その上に、少し小さく
 「中国戦勝70年式典」
 とあります。
 そして、四つ目の見出しが、
 「軍事パレード 最新兵器披露」
 です。


 正直、この見出しだけ読むと、中国の新聞かと思ってしまいま
す。
 これは、中国の大規模軍事パレードです。
 それなのに、大見出しが「習主席 兵力30万人削減」です。
 大見出しというのは、新聞社として、一面トップのその記事が、
どういう内容かを伝えるものですから、朝日は、中国のこの式典
が兵力30万人削減するのを公表するのが大きな狙いだったと一
面で言っているわけです。
 さらにまた、その横にあるサブの見出しが、「平和重視を強調」
です。中国が、抗日70年の戦勝記念として大規模な軍事パレー
ドをしたのを、朝日は「平和重視を強調」というのです。
 
 正直、考え込んでしまいます。
 中国の大規模な軍事パレードを前にして、
 「平和重視を強調」
 とは、いったい、何を見ているんだろうと。

 しかも、ICBMを見せて軍事力を誇らしげに示しているのに、
そこに関する朝日の見出しは「最新兵器披露」です。
 「誇示」ではなく、「披露」です。
 まるで、自動車メーカーが新車をお披露目するような見出し
です。
 巨大化する中国の軍事力に対する警戒感が、何も感じられない
のです。
 日本の集団的自衛権は批判するのに、中国の軍事パレードは、
「最新兵器披露」です。
 これは、おかしいでしょう。

 この大規模な軍事式典で、習近平氏は、確かに演説の中で「3
0万人削減」と「平和を愛してきた」と言いました。

 しかし、権力者が演説した言葉を、そのまま、大見出しにして
読者に伝えるなら、それは、ただ単に、権力者の広告塔になって
しまうでしょう。

 朝日は、安倍首相が何か話す場合、安倍首相の言葉を決してそ
のままでは伝えません。必ず、安倍首相の言葉を批判しながら伝
えます。
 それなのに、中国の習近平主席の言葉は、何も批判せず、その
まま大見出しで伝えています。
 朝日は、習氏の言葉は、そのまま信用するのでしょうか。
 
 安倍首相が、「徴兵制はありえません」と発言したなら、朝日は、
中国の習主席の演説を伝えるように、
 「安倍首相 徴兵制を否定」
 と素直に書くでしょうか。
 いや、なにかしら、必ず疑問符をつけて報じるでしょう。

 中国の抗日70年の式典を報じる朝日の紙面を見ていると、朝
日は、はっきりと、中国と習近平政権を支持しています。
朝日は、いや、そんなつもりはありませんと言うかもしれませ
ん。
しかし、この日の朝日新聞は、まるで、中国の新聞のようでし
た。
 朝日は、いったい、何を考えているのでしょう。
 正直、がっかりしました。
 これまで、朝日がんばれ、という気持ちがなにがしかありまし
たが、これでは、もう、朝日がんばれと言う気持ちをなくします。

 かつて、朝日の中国報道は偏向していた時期がありました。
 まるで、そのころの朝日に戻ったようです。
 こんなことをしていると、朝日は読者の信用を、さらに失うと
思います。




エンブレムと責任・・・組織委の武藤事務総長は辞任の一手です。官僚OBの起用はもうだめです。

2015年09月02日 23時51分47秒 | 日記

 東京五輪のエンブレムの続きです。
 佐野氏の作ったエンブレムを使用中止とし、改めて公募することを、五
輪組織委の武藤事務総長が、9月1日(火)、記者会見して発表しまし
た。

 武藤氏は、大蔵省(財務省)の出身です。大蔵省で事務次官をしてい
ました。典型的な大蔵官僚です。
 1日の記者会見は、もうまったく、大蔵官僚の会見そのものでした。
 霞が関の官僚は、こうやって責任を回避するという典型のような記者会
見でした。 ひどいものです。

 何か問題が起きたときの霞が関、とくに、大蔵省の官僚の会見は、
特徴があります。
 第一に、問題があるとはなかなか認めないことです。
 第二に、問題があるとやっと認めても、自分の責任ではないと主張す
ることです。問題はあったかもしれないが、自分は悪くないんだと言い張
るのです。
 第三に、済んだことは仕方がないのでこれからを大切にしたいと言い
始めるか、あるいは、問題を一般論に替えて、上手にすり抜けることです。

 武藤事務総長の会見は、すっぽり、この図式に当てはまります。
 第一に、佐野氏のエンブレムを使用中止とする理由について、
 「佐野氏から撤回したいと申し入れがありました」
 「このままでは国民の理解が得られないと判断しました」
 と説明しました。
 これは、一見、もっともらしい説明に見えるのですが、しかし、
 「私(あるいは五輪組織委)がこのエンブレムには問題があると
判断しました」とは、一言も言ってないのです。
 武藤氏は、エンブレムを使用中止にした理由を説明するのに、「佐野氏」
あるいは「国民」を主語にしているのです。

 この人が言うのは、佐野氏が撤回を申しいれてきましたであり、国民の
理解を得られないと思います、ということなのです。
 「私が、このエンブレムは使用中止にするべきだと判断しました」とは
ただの一言も言ってないのです。

 第二に、記者から「責任はどこにあるのか」と質問され、こう答えました。
 まず、「デザインを決めたのは、審査委員会です」。
 デザインを決めたのは審査委員会であって、組織委ではありません。だから
私、事務総長には、関係がないのですというわけです。
 そして、
 「三者(組織委、審査委、佐野氏)にそれぞれ責任があります。
しかし、どこに責任があるかというような問題ではないと、私は理解して
おります」
 「一か所に責任がある問題とは理解していません。組織委ということで
言えば、トップが責任を持つことは確かですが、もともと、ひとり一人が責
任を持つようにしており、分解してだれに責任があるかと決めるのはすべ
きではないと思います」
 と述べました。

 これは、ちょっと信じられない釈明です。
 トップが責任を持つのは確かだとしながら、三者それぞれに責任がある
と言い、責任は分担しているというのです。

 これは、決済書類を作るときに、関係者の全員が印鑑を捺すという役
所のやり方そのものです。大勢が印鑑を捺したのだから、その全員に責
任があるんだというわけです。そうすれば、だれか一人が責任を負うとい
うことをせずに済むのです。
 いわゆる「ハンコ行政」ですが、武藤氏は「ひとり一人が責任を持つよう
にしており」と説明し、組織委が「ハンコ行政」であることを、自分の口で、
堂々と言ってのけたのです。
 組織委はハンコ行政でやってますと、堂々と説明し、だからだれに責
任があると分解してもしようがありません。つまり、私、武藤に大きな責任
があるわけではないのですと、まあ、この人は、そう言っているわけです。

 しかし、「どこに責任があるという問題ではないと、私は理解しております」
とは、なんという言い方でしょう。
 「私は理解しております」というのです。
 記者も、こんな言い方で、言いくるめられて入れはいけません。
 武藤氏が、どう「理解」していようが、それはただ単に武藤氏の考えに
すぎないのです。
 武藤氏の考えとは関係なく、責任の所在というものは、ちゃんとあるのです。
 武藤氏が「そう理解している」からといって、そこで追及の手を緩めて
しまっては、会見の意味がありません。
 記者はもっとしっかりせよ、と言いたい。

 そして、第三です。
 記者が、今回の問題で国際的な信用が失墜していると指摘したのに
対し、武藤氏は、
 「もちろんある程度は影響していると思うが、新たなエンブレムを作る
ことで理解を得ていきたい」
 と釈明しました。
 これも常套句です。
 何か問題が起きて、やっとそれを認め、ではどうするんだ、というときに、
「新たに対応するので、ご理解を得たい」と答えるのです。
 武藤氏は、まさに「新たなエンブレムを作ることで理解を得たい」とかわ
し、エンブレムの盗作疑惑と、使用中止という大きな問題を、「新たなエン
ブレムを作る」ということに、巧妙に置き換えているのです。

第一に、問題があると認めない。
 第二に、ようやく認めても、自分は悪くないという。
 第三に、済んだことより、これからが大事だと強調する。

 武藤氏の会見は、まさしく、このパターンでした。

 東京五輪の組織委員会の責任者に、こういう官僚OBは、もうまったく
そぐわないことです。
 
 この会見によく似た会見が、最近も、ありました。
 プロ野球で、飛ばないはずのボールがいつの間にか飛ぶようになって
いて、それをコミッショナー事務局が知りながら黙っていたということがあり
ました。そのとき、当時の加藤コミッショナーが会見しました。
 加藤氏の会見は、官僚の会見の3つの原則に見事に則っていました。
 ボールをめぐる疑惑について、加藤氏は、会見でこう語りました。
 第一に、「私は、これは、問題があったとは思っていません」
 第二に、「何かあったとしたら、事務局が責任者です」
 第三に、「これからはちゃんとやります」
と。
加藤氏は、外交官、つまり、外務官僚です。
 霞が関の官僚は、結局、こうなるのです。

 企業で不祥事があったとき、社長が、武藤氏や加藤氏のような会見をしたら、
猛烈な批判を浴び、収拾がつかなくなるでしょう。
 企業で不祥事が起きたら、社長の辞任は、まず、必至です。
 それなのに東京五輪の組織委は、これだけの問題を引き起こしながら、事務
方のトップである武藤事務総長が、何の責任を取らずに、そのまま居座る。
 こんなおかしなことがあっていいはずがありません。

 事務「局長」ではなく、武藤氏は、事務「総長」という大きな肩書き
です。
 それだけ大きな肩書きなら、責任も大きくなります。
 武藤事務総長は、責任を取って、潔く辞任する一手でしょう。
 



東京五輪のエンブレムが使用中止になりました・・・ひとまずよかったと思います。

2015年09月01日 14時00分53秒 | 日記

 東京五輪のエンブレムが、使用中止となりました。
 遅きに失した感じはありますが、使用しないことに
なって、ひとまず、よかったと思います。

 この問題は、当ブログでも何度も取り上げてきまし
たが、すべてが不透明すぎました。

 つい先日、組織委が、エンブレムの「原案」というもの
を公表し、この「原案」は、完成したエンブレムとは
違うから、問題はない、という言い方をしていました。

 しかし、実は原案がありました、というだけでも
びっくりするのに、完成したエンブレムは原案と違う
から問題はないという言い方には、さらにまたびっくり
しました。

 えっ?
 という感じでした。

 使用中止になって、よかったと思います。

 とりあえずの速報です。