というわけで、この年始に何してたんだろうと振り返るわけですが、まず原稿を書きました。はい、締め切りすぎてました、ごめんなさい。仕事は持ち帰らない主義なんだがなあ…。
次に、「のだめカンタービレ」の再放送を全部見ました。←あほか…
もちろん件の飛行機がズドドドドド~~~と飛んでいくところが、
ナオさんとこのネタなのもちぇ~~っく。そうそう、下地島の宿で本放送を固唾を呑んで見守った二人…別に変な意味じゃないですが、たまたま本放送が下地滞在日だったんですねえ。
話を戻しますが、実は当方は原作を知りません。音楽とか料理とかって、やはり現物が体感できて何ぼだと思っているので、正直なところ紙媒体では辛かろうと思うのですよね。よく食い物の漫画ってありますけど、あれに全然共感できない人なのですよねえ。
「う~~~ん、旨い」
って描かれても理解できないんだよねえ。仮に高尚なレシピを掲げられてもね、実感できない。むしろ、本当にこれが旨いのかどうか気になって仕方がなくなる。
その意味では、音楽ナ漫画の
「この溢れる情感は何だ~~」
見たいなせりふも空々しくて共感できないのである。
あたしの場合、
共感できない=フラストレーションが溜まる
なので、読むこと自体が辛いわけですよ。
その意味ではテレビはええのお、音が付きますからね(笑)
さて、件のナオさんのところの
「これまでも脱力系、これからも脱力系 ヽ(´ー`)ノ」
なんてコメントを読むと、当方にはとてもじゃないが真似でけんと思うわけです。
言いたい事を書きなぐってるだけだとは思いませんが、書き出した時点でまだ何を書くか決めていないことも多いですし、多分に結果オーライなのがここのスタンスでございます。
そもそもタイトルなんか最後に書きますしね、まさに行き当たりばったりなのです。
これは当方の性格によるものかと思います。
出掛ける時も、えらい綿密に算段したかと思うと、平気で経路を踏み外して明後日に行ってしまいます。おかげでしばしば辻褄あわせ(帰るためにはどこかで経路に戻ってこなければならぬ)のために悪戦苦闘するのですが、そんなのもある種の快感だったりします。
で、本題な訳ですが、今でも昔でも当方のポリシーとして、
「全ての出来事は偶然でもたまたまでもなく、すべて必然である」
というのがあるんですね。
「たまたま出会った」とか
「偶然幸運に恵まれて」
とか人は言いますが、当方に言わせればそんなものはまやかしであって、全て必然だと思ってます。
だって、その場所にいるという何がしかの判断をしたのは自分な訳でしょ。それは偶然ではなくて、自分がその時そうあるように、直接間接を問わず、何らかの判断を重ねてきた結果な訳ですよ。
変なこだわりですか?
そう思うんだから仕方がない。
何でこんなのをイキナリ書いてるかといいますとね、どうも世間では
「自分が努力した結果」「綿密な計画を練った結果」「予定通り」
よりも、
「たまたま」「偶然」
という形にして、現実を隠してまでそれを強調する姿勢が流行している感があるんですよ。テレビにしてもネット上にしてもね。
私には理解不能です。
自分はいつも自然体ですって顔をしたいんだろうか…
「自分の判断が正しかったので、幸運にめぐまれた」
これじゃ駄目ですか。当方は全てこの方向で解釈してますけど。