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「安保法制違憲訴訟について」(その4)

2016年04月26日 | ムサシ

18 憲法や法秩序を無視するような政治の暴走は,一時的に成功するかのような状況となることがあったとしても,結局長続きする筈はない。主権者である国民はそこまで愚かではないし,政治の暴走は必ず早晩破綻するに違いないと私は思う。
19 人類は比較的近い過去の歴史の中で,もっと極端な政治の暴走と悲惨な結果を経験している。第一次世界大戦に敗北したドイツは,帝政ドイツが崩壊した後の1919年8月にドイツ共和国憲法を制定した。これがワイマール憲法であるが,この憲法は,国民主権を規定し,自由と正義のもとで内外の平和に貢献し,社会進歩を促進させることを目指しており,社会権保障を志向するなど,現代憲法への転換がなされ,その後に制定された諸外国の憲法の模範となったとされており,当時世界で最も民主的な憲法とされていたとのことである。
20 ところが1929年の世界恐慌で大量の失業者が溢れたという事情などもあって,ドイツでは急速にナチスが勢力を伸ばして,1933年1月にヒトラー内閣が誕生した。そしてその僅か2か月後には「全権委任法」が成立したのである。この法律は,ヒトラー内閣にワイマール憲法に拘束されない無制限の立法権を付与したものであり,憲法違反の法律であるが,ワイマール憲法は改正や廃止の手続きが取られることなく,事実上停止状態になった。つまりワイマール共和政は崩壊したということになる
21 なぜそのようなことになったのか。それには理由がある。初期のヒトラは国民から熱狂的に支持され,民主的手続きを経て首相に就任しているのである。1934年には,大統領と首相を統合した「総統」職を新設して,自らその職に就くために国民投票を実施したところ,賛成票は実に90%を超えたというのである。
22 ヒトラーは,失業率30%,失業者600万人を抱えて麻痺していたドイツ経済を4年間で,アメリカに次ぐ世界第2位の活気に溢れた経済に一変させたという。それは奇跡的な成功であったものであり,当時の経済学の理論に反した方法で成し遂げられたというのである。ヒトラーは有効需要を国が生み出すという経済政策を推進したのであるが,それは経済学者のアドバイスを無視して,社会保障と福祉を中心にして,生産力の拡大と完全雇用を目指した失業抑制政策であり,ヨーロッパの各国の失業者が1個のパンを求めてうめいていたときに,ドイツ経済を活気に溢れた経済に一変させたというのである。
23 ナチスドイツには,シャハトという天才的な経済担当者がいたのだそうで,第一次世界大戦の敗戦で,賠償金の支払いで不況のどん底であえいでいたドイツを,アッという間に救ったというのである。その成功は,失業をなくしインフレを抑えたということである。
24 それから40年後に,当時世界の最先端を行った経済学者であったガルブレイスは,「ヒトラーの経済政策は,現代の経済政策を予見していた。」と評価したそうであるが,「それはヒトラーの経済学の知識によるものではない」とも付け加えたという。
25 ヒトラーには優れた才能があったということではあるのだろうが,一体彼はなぜ致命的に間違ったのか,ヒトラーを熱狂的に支持した国民にはどのような責任があったということになるのか,興味を覚えるところではある。(ムサシ)


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