日本裁判官ネットワークブログ
日本裁判官ネットワークのブログです。
ホームページhttp://www.j-j-n.com/も御覧下さい。
 



このブログは、日本裁判官ネットワークという司法改革について発言する現職裁判官メンバーと、元裁判官サポーターによる共同執筆です。投稿は各個人の見解であり、日本裁判官ネットワークという団体の公式見解などではありません。メンバーもサポーターも、種々多忙なため、なかなかうまく更新できませんが、どうか長い目で見てください。今後ともよろしくお願いします。



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gooブログの仕様変更により、広告が表示されるようになりました。ブログ記事の内容との関連性から、弁護士事務所の広告等が表示されるようです。申すまでも無いと思いますが、これは日本裁判官ネットワークとして選定した広告が掲載されているわけではありません。広告に表示された法律事務所を当ネットワークが推奨しているなどと言うことはありません。どうぞご理解ください。



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1 先日用事があって上京した際に,池袋に住んでいる次女夫婦の家に泊めて貰った。来年小学入学の男の子と4歳の女の子の2人の孫と遊んできた。男の子とはオセロの真剣勝負で,接戦であったが2連敗した。ふざけて「こんなチビに負けてたまるか」などと悪態をついていたので,孫は大喜びしたようで,近くまた勝負をすることになった。
2 下の女の子は「木の実博士」で「どんぐり」が大好きで,そこそこ大きい箱にどんぐりを沢山拾い集めていた。近くのあちこちの公園に行くと,どんぐりの木がないかと探すのだというのである。私も妻も2人の子も大のどんぐり好きで,夫婦裁判官として転勤するごとに,転勤先の宿舎の近くの公園などで,どんぐりの木を見つけては,拾って箱に集めたものであった。
3 そうすると,下の女の子のどんぐり好きは遺伝ということであろうか。「おじいちゃんに一番大きなどんぐりをお呉れ。」と言うと,「ダメ」と拒否されてしまった。しかしなお執拗にせがんでいると,中ぐらいのどんぐりをひとつ呉れた。
4 そのどんぐりを自宅に持ち帰って,仏壇に祭ってある妻の位牌の前に,「君の遺伝だよ。」と言って,そのどんぐりを供えたのである。
5 もう20年も前のことだと思うが,私の郷里の桃太郎を祭っているとされている有名な神社の裏山には,桃太郎の古墳があり,その頂上近くに大きな実のなるどんぐりの木を見つけて,親子4人でどんぐりを拾ったことがあった。そのとき次女はまだ小学生であったような気がする。そのどんぐりは,孫が集めていたどんぐりの一番大きなどんぐりの2倍はあるのではないかという気がする。そのどんぐりを沢山拾っておいて,今度上京するときに,孫にプレゼントすることにしようと思っている。そして,私も孫から,この前貰ったどんぐりよりも大きいどんぐりを沢山貰ってきて,妻の位牌に供えてやろうと思っている。きっと妻も喜ぶに違いない。
6 寺田寅彦随筆集の「どんぐり」という一文がある。妊娠中に肺結核になった奥さんが,ある体調の良い日に,近くの小石川植物園に行きたいというので,夫婦で歩いて出かけたところ,奥さんがどんぐりの木を見つけて,夢中になってどんぐりを拾い,自分のハンカチが一杯になると,夫のハンカチを借りてまた一杯にして喜んだという,微笑ましい夫婦の光景が描かれている。
 その後奥さんが亡くなり,奥さんのお墓に苔(こけ)の花が何回か咲いたころ,6歳になった忘れ形見の長男を連れてその植物園へ遊びに出かけたところ,その子が夢中になってどんぐりを拾い,5~6個拾うごとに息をはずませて,父のそばに飛んできて,父の帽子の中に広げたハンカチに投げ込むことを繰り返すのである。その様子を見て,父は母の遺伝だと思うのである。「大きいどんぐり,ちいちゃいどんぐり,みいんな利口などんぐりちゃん」と歌いながらどんぐりの頭をつつく長男の姿に,懐かしさと悲しい思いで亡き妻を忍ぶのである。そして亡き妻の長所も短所も全て遺伝して差し支えないが,母の悲しい運命だけは,この子に繰り返させたくないものだと,しみじみそう思ったというのである。明治38年の作品である。
7  わがやはみんなどんぐりが大好きであるが,そんなことから私は寺田寅彦一家に,わが家との類似性を見い出して,この随筆が大好きになったのかも知れない。(ムサシ)

             



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1 今年9月中旬,妻が死亡した。4年前に罹患した乳ガンが脳に転移したのである。67歳で,私より7歳年下であった。妻の死については,私自身が取り返しのつかない痛恨の判断ミスをしたという後悔の思いがある。そのような思いをする人が少しでも少なくて済むようにと思って,ありのままを書くことにした。
2 平成24年5月,妻は定例の健康診断を受けた。乳ガンの検査も受けており,マンモグラフイー検査でも異常はなかったということであった。
3 その年の8月,事務所で机を囲んで事務員も含めて昼食の弁当を食べながら雑談をしていたとき,私が健康に関するある提案をした。健康であるためには脚力の強化が大切であり,その工夫として,事務所の1階下の階でエレベーターを降りて,1階分だけ階段を歩いて登り,下りる時はできるだけ階段を歩くというものであり,既に私が1か月実験してみて,とてもよいという内容であった。
4 妻はそれを聞いて何も言わなかったが,密かに実行していたようであった。そしてそれから約1か月が経過したころ,妻が階段を下りる際に足を滑らせて,右腕の肘を強く壁にぶつけて,小さな骨がポロッと欠けたというのである。すぐに手術を受けて治癒したが,その際何度か右腕のレントゲン撮影を受けたようである。
5 それから約2か月後の11月ころ,妻の右の乳房が少し大きくなった。「もしやガンではないか!?」。私は直ちに病院で検査を受けるように妻を説得した。しかし妻は直ちには病院に行こうとはせず,私も「何が何でも検査を」とまでは考えず,そして手遅れになった。これが痛恨の後悔の理由であり,妻を亡くして2か月以上が経過した今,耐え切れぬ思いで日を送る原因となった。
6 手遅れになった理由はいくつもある。①まず異常を発見した半年前に,既に乳ガン検査を受けて異常がなかったことである。②次にガンというのは急速に大きくなるものではなく,長年かけて少しずつ大きくなるものではないかという,素人の無知である。③そしてレントゲン撮影がそこまで強力なガンの原因となるという認識がなかった。④妻は,以前にも乳房の異常があり,検査を受けたところ,乳腺炎であったか,リンパの異常であったかは定かではないが,いずれにしても乳ガンではなかったことがあった。⑤そして妻は,弁護士業のほか,大学教授,県庁や弁護士会の各種委員会の委員など,甚だ多忙であった。⑥また妻はその後も甚だ元気で,仕事など頑張っていたことなどである。いささか不運が重なったということであろうか。しかしどのように弁解できる理由があっても,私にとっては全く何の役にも立たないことである。
7 その後,翌年5月に乳ガンに詳しい病院で検査を受けて,直ちに手術を受けたが,時既に遅く,乳ガンは既に10センチを超えていたという。そして皮膚ガン,骨転移,脳転移を経て,最後は予期せぬ早さで心臓が停止した。腎臓機能が低下し,尿毒症だったと思われる。脳への転移は,「播種型」だとの説明であった。
8 その後2週間に10回の「全脳放射線照射」治療が行われ,成功した。そしてタイケルブ錠という錠剤を飲むことになっていた。1日1回5錠を飲み,劇的に効く場合もあるとのことであったが,その開始直前に食事を誤嚥して誤嚥性肺炎になり,この治療はできなかった。その後点滴による各種薬剤と栄養補給を受けたが,入院から1か月と1週間で,妻は私を残して慌ただしく遠い国へ旅立ってしまったのである。(ムサシ)



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新刊本「希望の裁判所」の論考とコラムの目次です。

是非手に取ってください。

第1部 希望の判決
 希望の判決どどいつ    竹内浩史
   コラム1  判決は裁判長だけのものか
 家族観に踏み込んだ最高裁  森野俊彦
    コラム2  裁判長あての脅迫状
第2部 希望の裁判官
  現職が語る裁判官の魅力        浅見宣義
      コラム3  裁判官の転勤はなぜ3年ごとか
  裁判官が弁護士になってみた    中村元弥
      コラム4  官舎あれこれ
  弁護士が裁判官になってみた    工藤涼二
      コラム5  半世紀前の裁判官生活
  裁判官人事制度の改革          小林克美・仲戸川隆人
      コラム6  法服について

第3部 希望の弁護士
  ロースクールから生まれた「あなたに寄り添う弁護士たち」井垣敏生
      コラム7  ささやかなクリスマスプレゼント
  弁護士の輝く時代へ           久保井一匡
      コラム8  正義の女神
第4部 希望の裁判手続
  裁判員裁判が日本の刑事裁判を変えた        安原浩
      コラム9  果てしのない狸か猫か論争
  民事裁判はこう変わった         井垣敏生
      コラム10 裁判官の「てん補」って知ってますか
  せっかく判決を取ったのに       平野哲郎
      コラム11  支部・出張所の処理態勢と楽しい想い出
  変わりつつある家事事件         間部泰
      コラム12  裁判官のサラリーマン化?
  少年への「寄り添い」            横山巌
☆コラム1~9は論考執筆者が分担して書きました。コラム
 10~12は,山田徹さん(弁護士・元裁判官)の寄稿です。


 



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出版記念パーティの成功

 先に予告していました出版記念パーティは予定どおり,11月26日法曹会館で行われました。多数の方にご出席いただき,推薦文を書いていただいた周防監督や,司法制度改革審議会会長だった佐藤幸治先生等ネット以外の沢山の方から今回の新刊『希望の裁判所』にご祝辞をいただきました。ありがとうございます。そうした方々のご支援でできた本だと実感しました。それと共に,論考執筆者以外にも,山田徹さんにはコラム10~12を寄稿いただき,J-ネットファンクラブからは,花束の準備もしていただき,サポーター,ファンクラブメンバーというJネットを支援していただける方々にもご協力いただけたことを実感しました。ありがとうございます。この場も借りて重ね重ね感謝申し上げます。

 今回の新刊本は,出版記念パーティで何回も触れられましたが,若手法曹,司法修習生,ロースクール生,法学部生,それらを目指す高校生や社会人の方々を主に対象としています。是非そういう方々に読んでいただき,希望の裁判所に自ら関わり,さらに希望の裁判所を発展させたいとの意欲をかき立てるきっかけになってくれれば,こんなに嬉しいことはありません。また,訴訟等にご関心のある市民の方々にも読んでいただき,平成の司法改革によって,裁判所が相当変化してきたことを実感していただければと思います。そして,周りの方々にもご紹介いただけると幸いです。



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裁判官ネットワークで、11月25日発売(店頭にはもう少し早く並ぶと思います。)の「希望の裁判所」を出版します。

是非お読み下さい。執筆の動機や苦労を語る記念パーティもしますので、ご参加いただけると幸いです。

日本裁判官ネットワーク「希望の裁判所」出版記念パーティのご案内

日時:平成28年11月26日(土)午後1時から5時まで
場所:法曹会館 2階 高砂の間
   千代田区霞が関1-1-1 TEL:03-3581-2146
当ネットワークは,11月21日,「希望の裁判所」と題する書物を,LABO(弁護士会館ブックセンター出版部)から出版します。
司法制度改革を否定的にみる意見がある中で,「なぜ裁判所に希望があるのかを語る」出版記念パーティを開催しますので,奮ってご参加下さい。
当ネットワークのこれまでのシンポジウムに参加していただいた周防正行監督,佐藤幸治京大名誉教授,他多くの方々にご出席をお願いしています。
当日は,午後1時から1時間余り,当ネットワークのメンバーらが,出版の目的,経緯などを語り,ご祝辞をいただき,午後2時~3時から宴会を行う予定です。
会費は,ベテラン法曹1万円,その他の法曹6千円,一般の方3千円です。

http://www.j-j-n.com/も参照してください。

 



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先日、法廷での弁論を終えて、裁判官室に戻ろうとすると、立ち会っていただいた主任書記官が
「先ほどの裁判官の強制執行についての説明ですが、よいのでしょうか?」と話しかけてきました。
私は、何のことかわからず「えっ、何か間違ったことを言いましたか?」と逆にお聞きしたところ、どうやら、書記官は、私が出頭したきた被告に対して、調書判決の効力について、強制執行されることがあり、その対象が不動産、預貯金や給料などであることを説明した際、不安がる被告に対し「まあ、そうはいっても預金とかがなければどうにもならないし、給料の差し押さえと言っても、最低限度の生活に必要な部分は差し押さえることができないませんけどね。」などという説明をしたことで、被告が支払わなくても良いというふうに受け取っていないか、原告が気を悪くしていないかということを心配してくれているのでした。
「うーん、どうかなぁ・・・。だけど、本当に資産がないのであれば、どうしようもないのは事実だしねぇ。まあ、人によって理解力に差はあるし、誤解する可能性もなくはないけど。裁判所から「支払え」という判決を受けると、死んでも支払わないといけないと思い込む人もいるしねぇ。私もできるだけ、易しく説明しているつもりなんだけど、どう言えばよかったのかなぁ。あとで弁護士にでも相談しなさいと言って帰してしまえばよかった?主任だったら、どう説明します?」
私は、法廷に出頭した被告に対しては、できるだけ易しい言葉で裁判の仕組みを説明し、わからないことや聞きたいことがあれば、できる限りの説明をするようにしています。ただ、そうした説明は一方当事者にとっては不要に感じられることがあったり、被告にとって誤解を招くこともあろうかと思います。しかし、それでも私は、そうしたやり方を改める気にはなれません。簡易裁判所は市民に最も身近な裁判所であり、法律の詳しい人たちだけが来るわけではないのですから。
もちろん、主任は私の立場を気遣って、わざわざ指摘してくれたのですから、その指摘は真摯に受け止め、言葉遣いや表現を工夫していく必要はあると思います。
しかし、誤解や一方当事者からの反発をおそれて、必要最小限度のことしか発言せず、できるだけ波風を立てないように弁論を終わらせるのでは、私は何のために裁判官になったのかわかりません。
もともと、裁判所というところは、非常に保守的な役所(「消極的・受動的な国家機関」なんて言いますけど)であり、当事者間の公平や裁判作用の本質などということを根拠に、必要以上に世話を焼かない、立ち入らないという風潮があります。法律に従って粛々と判断を示せばよく、余計なことをして、世間から非難を受けるようなことを一番恐れているような気がします。そうすると、結局、目立つようなことは極力避け、言い回しや表現は念を入れて慎重に、事務処理は法律に従った必要最小限度のことしかしないという非常に後ろ向きの仕事に終始していくように思います。
しかし、これからの社会においては、多様な価値観が認められ、様々な個性を有する人たちが当事者となり、自らの権利利益を主張して裁判制度を利用するのですから、そうした裁判所の姿勢は今後、少しずつ改めて行く必要があるのではないでしょうか。
先日、足腰と耳の不自由な年配の方が被告となって法廷に来られたので、私は、法壇から降り、原告と書記官にも被告席に来てもらって、被告の隣に座り、テーブルを囲んで、書面を広げて、指で指し示しながら弁論を行いました。被告の方は、障害があっても大きな声でゆっくりと説明すれば、ちゃんと事件のことを理解し、自身の財産状況も把握しておられました。その事件は、司法委員にも特にご配慮いただき、無事に和解成立となりました。裁判官は法壇から下りてはならないというきまりは特になく、とりわけ一般市民に最も身近な簡易裁判所にあっては、当事者の個性や事情を汲み取って、できる限りの配慮をする必要があると考えた結果です。
「言葉を使って説明をする以上、相手に誤解されたり、言い過ぎることがあるのはもとより承知のうえです。それで批判されたり、問題にされたりするのは、ある意味、表現の自由に伴う義務やリスクであり、仕方のないことです。批判や問題をおそれて、何も言わないし、何もしないというのであれば、簡裁判事とはいえ、私が裁判官になった意味はないと思っています。主任の意見は、貴重なものとして、心に留めておき、さらに表現などは工夫したいと思います。せっかく気にかけてもらったのに、気を悪くしないでね。これからも気づいたことがあったら、遠慮なく言ってください。わざわざありがとう。」


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先日、タクシーと単車の間で生じた物損交通事故の損害賠償請求事件において、和解が成立しました。
原告はタクシー会社、被告は単車を運転していた中年女性で、どちらにも弁護士なしの、いわゆる本人訴訟でした。
素人同士の法廷でのやり取りは大変なので、簡単な弁論の後、準備手続室に移動してもらって、双方の言い分を聞き、事故態様から過失割合を検討しました。原告の会社の方は、もともと車両の修理代金に一定の過失割合を乗じた額を請求しているので、この過失割合が妥当かどうかということなのですが、緑の本に照らしてみると、概ねこの過失割合が認められるようでした。
被告になった中年女性は大層、ご立腹で、タクシーだって前をよく見ていなかったのだし、自分だってバイクの修理費がこれだけ掛かると言って、見積書を持ってきています。
そこで、双方の損害額に原告主張の過失割合を乗じてみると、互いに請求できる金額はほとんど同じになりました。
双方の言い分をじっくりと聞いたあと、私は、請求金額も少額であるし、このまま裁判を続けるのも大変でしょうからということで、自分の損害は自分で負担し、相手には請求しないということでどうでしょうかと提案してみました。その後、紆余曲折はあったものの、その線で合意ができ、無事に和解成立となったのでした。
和解条項を説明し、最後に「訴訟費用は各自の負担」という点を説明すると、いきなり、被告の中年女性が「裁判の費用なんか一銭も払いませんよ。だって、向こうが勝手に裁判を起こしたんですから」と言い出しました。
私は、「いやいや、実際には払う必要はありませんよ。」というと女性は腑に落ちない様子で「払わなくてもいいんですか?」と念を押してきます。私が「ええ、そうですよ。」というと、その女性は「だったら、裁判官のお給料は誰が払うんですか!?裁判官はどうやって生活するんですか!」と声をあげます。
「ええっ????」
どうやら、この女性は訴訟費用というのは、弁護士費用、さらには裁判官の報酬のことだと思い込んでいるようなのです。
私はなんだか可笑しくなってしまって、笑いをかみ殺しながら「いやいや、私たちの給料の心配までしていただかなくても結構ですよ。ちゃんと他所からもらっていますから。訴訟費用というのはね、裁判書類の作成とか、それを送るのにかかった送料とか、そういうものであって、弁護士さんの費用とか、私たちの給料とか、そういうものは含まれていないのですよ。裁判官は公務員で、国から応分の給料を頂いて暮らしておりますので、安心してください。今回の裁判での訴訟費用も自分の分は自分で負担するというだけで、相手から請求されるようなことはないということですよ。」と説明してあげました。
年配の女性は、狐につままれたような顔でしたが、最後に「そういうものですか。でも、話のわかる、いい裁判官にあたって良かったわ。じゃあ、これからもしっかり頑張ってください。」と言っていただきました。
一般の市民の方からすれば、弁護士も裁判官も「裁判」が飯のタネであり、弁護士が依頼者から報酬を得ているのと同じように、裁判官も当事者から手数料を得て生活をしているのだと考えるのは無理もないことなのかもしれません。
裁判官が当事者からお金をもらうことは、少なくとも日本では絶対にありませんが、法廷に来られる当事者は、税負担を通じて、司法システムの維持経費を負担しているわけで、ある意味では、私たちにとって「お客さま」であるともいえます。原告被告双方のお客さまに満足していただけることは至難の技なのですが、それでも、私たちは良質な司法サービスの提供を心がけ、毎日頑張っております。
この度は私の給料まで心配してくれて、どうもありがとうございました。今回は、軽微な事故で済んだうえに、トラブルも解決できましたが、これからはくれぐれも運転には注意し、事故のないようにしてくださいね。


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24 断酒は38日間続いた。39日目に妻と,親しい友人の3人で食事したので,その際飲酒した。ビールと日本酒の美味しさが胃に沁みた。多少多めに飲酒したので,翌日も断酒できるか不安であった。それまでの緊張感がプッツンして,断酒以前の状態に戻ってしまうのではないかと心配したのである。しかし大丈夫そうである。私のトレーニングメモに,飲酒しなかった日は○(勝ち),理由のある飲酒は△(引き分け)と記載される。何としても正当な理由なく飲酒して×印(負け)と記載することは避けたいという思いが強い。×印がつくということは,固い筈の決意が崩れたことを意味する。それは怖いということである。しかし飲酒した翌日も案外淡々として断酒できた。一つの山を越えたというのか,健康に関する一つの新たなシステムができたということかも知れない。
25 わが家には,今年私が作った梅酒が3瓶ある。いずれも1800CCである。氷砂糖を少なめにしたのでとても美味しくできた。1瓶の半分くらい飲んだ状態で断酒に入ったので,まだ沢山残っており,危ない。梅も美味しくなっている。断酒後は,梅酒の梅を1日1個だけ食べてよいことにした。また酒粕は健康によいとされている。以前NHKの「ためしてガッテン」で見た記憶である。ビタミンと繊維質が多いという内容であったと思う。以来この数年間,健康のためにと称して1日小さな1切れの酒粕をしぶとく食べてきた。そして最近新種の酒粕を見つけてしまった。「大吟醸」と名付けられている。しかも水分(絞り残りの酒)の量がとても多く,「これは美味い」という話である。食べ過ぎると酔うかも知れない。
26 最近のノンアルコールビールは驚くほど美味しくなっている。これまではとてもまずいと思っていた。今のところ3社のノンアルビールを試飲したが,1社のビールは私には合わない。他の2社のものはとても美味しい。このノンアルビールと梅酒の梅と酒粕「大吟醸」を活用することで,飲酒したいという欲望との格闘に勝利できそうな気がしている。種々策を練っているということである。
27 例年どおり今年もお盆明けに,1泊の人間ドックの検査が予定されている。断酒の効果はどうなのか。高校のクラスメートである担当医師を驚かせてやろうと,今から楽しみである。血糖値については5年位前に,ゴーヤジュースを始めた効果として血糖値が下がり,「君のその体型からみても,この数値はおかしい」と彼を驚かせたことがあった。今年はきっと,γーGTP(飲酒量の数値)でも,中性脂肪の数値でも,彼を驚かせることになるに違いない。できれば「脂肪肝よ,さようなら」となりたいものである。
28 このところむやみに空腹感が強く,まるで中高生に戻ったかのようである。体調がよいということなのかも知れない。体重はゆっくりと減っているが,今年末には70キロを切るつもりでいる。これは私が高校を卒業した頃の数値である。
29 今後,飲酒の結果を○勝○敗○引き分けとして,統計を取り,最近新たに作成した「健康ノート」に記載することにした。毎月の結果と連勝記録を纏めてみようというのである。家には50グラム単位で測定できる「精密体重計」もある。体重についても,結果を纏めることにした。単なる遊びに過ぎないが,甚だ愉快な気分ではある。毎日トレニングメモに結果を記入するのが楽しい。今年の末頃には一体どんなことになっているのか,それを楽しみにして頑張ってみることにしよう。(ムサシ)



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重荷  


 今回の参議院選挙では、選挙権が18歳以上に引き下げられ、高校3年生や大学1回生が初めて投票所に足を運び、1票を投じたようです。
 そうした若者の有権者の声をテレビの報道番組ではよく取り上げていたのですが、ちょっと気になった発言がありました。マイクを向けられた女子高生が、かなり緊張した声で「こんな大切な選挙で、自分で考えて投票しないといけないのは、ちょっと重荷で・・・」と話したのです。インタビューは、そこで終わってしまうのですが、「重荷」という言葉がはっきりと聞き取れ、私はなんだかぎょっとしました。
 そういえば、裁判員制度が始まった時も、街角でインタビューで受けていた主婦が、「そんな人の生き死にを決めるような判断をしなければならないなんて、私のような素人には重荷で・・・」と言っていたような気がします。
 そうなのです。18歳の高校生が有権者になって投票で1票を投じるのも、普通の主婦が裁判員になって有罪・無罪の評決をするのも、その人にとっては、同じように「重荷」なのかもしれません。
 政治にせよ、司法にせよ、専門家に判断を委ね、不満であっても決まったことには粛々と従い、インフォーマルなところで、文句を言うのが私たちのリアルな姿なのかもしれません。そうであれば、「重荷」は背負わず、身は軽く、おまけに口まで軽くなり、政治家や公務員、裁判官と言った縁遠い人達の嘘かまことかわからぬ噂を種に、悪口を言っていればいいのです。
 しかし、そうした一方で、社会はどんどん「自己責任」という便利なキーワードを使って格差や貧困を正当化しています。あの時、決断したり判断しなかったあなたが悪い、というわけです。
 もともと、私たちは、「重荷」を背負うような教育を受けてきたのでしょうか。学校では、予め定められた校則に縛られ、先生の言うことを黙って聞く子が優秀であり、自分達で意見をまとめて何かを成し遂げるというような経験もほとんどなく、政治や社会などというものを真面目に語るような人はどこか胡散臭い、煩わしい人と毛嫌いされてきたように思います。万事は先生たちが決めたことにそのまま従うのが普通であり、表立って反抗するのはヤンキーや不良ぐらい。「暴力」で反抗するのも、「運動」で仕組みを変えるのも嫌で、うまく「空気を読んで」その場をすり抜ける。そして、自分達でルールを作ってそれを守るという自己統治の経験もないまま、社会に出て、さあ、選挙権をあげるから投票しなさい、大切な1票ですよ、自覚しなさい、あるいは、裁判員として裁判官と評議して、評決をし、被告人にとって適切な量刑を考えなさいなどと言われても、どうして良いか分からないというのが本当のところなのではないでしょうか。
 
「このような諸改革は、国民の統治客体意識から統治主体意識への転換を基底的前提とするとともに、そうした転換を促そうとするものである。統治者(お上)としての政府観から脱して、国民自らが統治に重い責任を負い、そうした国民に応える政府への転換である。」(司法制度改革審議会意見書より)
 重荷を降ろして、すべてを所与の前提として受け入れ、身を処すことによって、人は奴隷となるのかもしれません。隷従の道は、案外と、気楽と楽観で舗装され、あっという間に終点に着いてしまうのかもしれません。その終点はどんなところなのかはわかりませんが・・・・。


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16 私とも親しかった50歳を過ぎたばかりの働き盛りの弁護士が,飲酒過多が原因と思われる肝臓ガンで亡くなったという出来事に,飲酒に関して日頃から反省気味の私は衝撃を受けた。丁度その直後に,私が年3回受けている健康診断の時期がやってきたので,私は掛かり付けの医院で血液検査を受けた。厳しい節酒を決意し,断酒状態になってから13日目のことであった。そして医師に,私が「肝臓ガンの心配はないか検査して戴きたいのです。」と告げた。
17 その数日後血液検査の結果を聞きにその医院に出かけた。医師は,従来とは別の検査を行なって下さっており,その腫瘍マーカーの数値を示して,「肝臓ガンの心配はないと思いますよ。」と言われたが,更に私が強く希望したため,すぐにCTスキャン検査もして下さったが,やはり肝臓ガンの心配はないとのことであった。但し脂肪肝であると告げられた。
18 血液検査の結果では,暫く飲酒していないためか,中性脂肪の数値が大幅に低下し,ほぼ正常値になっていた。血糖値を示すHbA1c(ヘモグロビンエイワンシー)は5・9(6・2以下が正常値)であった。飲酒量に関するγーGTP(ガンマジーティーピー)は少しだけ数値が低下していたが,正常値ではなかった。医師は,「この数値の低下にはもう少し時間がかかる。」と言われた。
19 そして医師は笑いながら,「この検査結果では,ほんの少し栄養失調ですね。」と言われた。赤血球数などがほんの少し不足しているというのである。「エッ!本当ですか?嬉しいです!」などという妙な会話が交わされた。
20 家でも外でも正当な理由なく酒を飲まないと決意してから,なぜか外での飲酒の機会もなく,1か月が経過した。多い時は週2~3回飲んだことも少なくないので,また近く飲酒する時が来ることは間違いない。正当な理由があれば飲んでよいことになっている。久しぶりに酒の味を思い出した後も,「家でも外でも正当な理由なく飲酒しない。」という決心が崩壊しないでいられるかについては,依然として宿題のままである。現在31連勝0敗0分けである。「分け」は正当な理由があって飲酒した場合に記載される。
21 この間少し時間をかけて,「トレーニング一覧表」を改訂した。内容もきめ細かく充実し,使い易くなった。朝の起床時から夜の着床時まで,運動でのトレーニング項目や仕事や読書や趣味などの計画も記載される。従って,その一覧表に記載された項目を順番に従って淡々と実行してチェックして行けば,いつの間にか多くのトーニングができてゆくという話である。これは役に立つ「システム」のような気がする。
22 体重を1日30グラム,月1キロのペースで減らそうと思っていたところ,この1か月で2キロ余りも痩せてしまった。飲酒したい思いと断酒が続くことの喜びとの葛藤に,断酒の喜びが勝利しているということのようである。
23 今後どのような展開が待っているのかは不明であるが,何となく面白いことになりそうで,期待できそうな気もする。そういえば以前「いつまでもデブと思うなよ」(岡田斗司夫著)という本を読んだことを思い出した。1年で体重を50キロ減らして67キロになったというのである。私も少なくとも1年で10キロ減らして,70キロを少し下回る体重を目指すことにし,脂肪肝ともサヨナラしたい。(ムサシ)



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「車物損事故、簡裁の審理迅速に 最高裁がモデル作成」(2016年5月26日付け日本経済新聞より)
 簡易裁判所で自動車の物損事故をめぐる訴訟が増えていることを受け、最高裁は訴訟のスピードアップに乗り出す。今秋をめどに審理のモデルをつくり、簡裁に役立ててもらう。弁護士をつける保険が普及したことで長引く訴訟が目立つといい、最高裁は「無用な長期化を避け、当事者の負担を減らしたい」としている。

 私の担当する事件でも、こうした車両物損事故をめぐる訴訟が結構あります。記事にもあるように、弁護士保険特約の普及により、この種の事件では、双方当事者に弁護士代理人が選任され、主張の応酬が続きます。
 私は、こうした事件では、双方の主張や証拠が出揃った段階で、弁論準備手続に切り替えて、ラウンドテーブルで双方代理人と膝詰めで主張や争点を確認し、証拠を整理するようにしています。
 こうした時に、いくつか困惑することがあります。
 まず、ドライブレコーダーの映像の取り調べです。最近のタクシーやトラックなどの営業車は、ドライブレコーダーを装備していることが多く、この録画映像がDVDに複製され、事故態様に関する重要な証拠として提出されます。双方代理人と一緒に、このDVDを視聴して議論するのですが、裁判所のパソコン環境は世間一般からするとかなり遅れているようで、うまく再生できないことが多いのです。その場合、ファイル形式を指定して変換した後に提出し直してもらうことが多く、その都度、当事者にご負担をお掛けしているようで申し訳ない気持ちになります。(結局、当事者の方で、ファイル形式の変換ができず、ドライブレコーダーの映像をさらにビデオカメラで録画したものを提出してもらったところ、画面の映り込みが激しく、とても見にくかったことがありました。)
 また、事故態様に関して、私は自分で買ったミニカーを使って、双方の当事者代理人に主張する事故態様を再現してもらうのですが、スケールが合わず苦労しています。市販のミニカーは、トラックも軽自動車も同じサイズなのです。双方が同じような車種の事件であれば、問題ないのですが、車種が違うと、損傷部位が合わなかったり、動きがうまく再現できずに苦労します。代表的な車種について、同じスケールでの模型があればもっと、内輪差や接触後の離合の際にできる損傷についても、スムーズに議論ができたのになぁと歯がゆい思いをしたことがあります。
 さらに、事故現場の状況については、証拠として図面や写真を提出してもらっているのですが、鮮明でない場合があります。そうした場合、グーグルなどで検索すれば、3D地図が表示され、かなり具体的に状況が把握できます。ところが、これも裁判所のパソコン環境では利用が難しく、私は、弁論準備の席に、私物のタブレット端末を持ち込み、その場で双方代理人に事実上確認してもらって、図面や写真の理解の助けとしています(代理人が、ネット上で公開されている地図を事故現場の地図として提出している場合もありますが、その場合でも、パソコン上で拡大してみたり、3D表示にすると分かりやすいのです。)。
 双方当事者・代理人と裁判所との間での対話と議論が充実した審理の中心であり、その結果としてくだされる判断だからこそ、当事者の納得と理解が得られるのではないかと思います。双方の主張や認識の相違をはっきりさせるためにも、準備書面の応報だけではく、しっかりと対話と議論をすることが大切で、そのためのツールを整備することも重要なことではないかと思うのです。
 審理の長期化を避け、当事者の負担を減らすには、どうしたらよいか。審理モデルという「ソフト」とともに、より充実した審理に役立つ、様々な「ハード」の整備も重要ではないかと感じている今日この頃です。
 


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6 今年5月末ころ,ふと節酒しようと思い立った。文字どおり酒を「百薬の長」にしようと思ったのである。しかし一旦飲酒を開始すると,その日の飲酒量を低量に押さえるのは容易ではない。百薬の長であるためのアルコールの量は純粋アルコールで30CCなので,ビールなら500CC(ロング1本),日本酒なら1合である。
7 結局節酒開始を思い立ってから連敗を続け,6月前半は3勝12敗という結果であった。家では一切飲酒しないという限定的断酒を決意したが,容易ではなかった。そこで6月前半の最後の日である6月15日の夜,自宅での飲み納めのつもりで,多目の飲酒をした。「明日からは絶対家では飲酒しないぞ。」という決意表明であり,自分に言い聞かせ,納得させようとしたのである。
8 その後不思議なことに,1滴も飲酒しない日が継続できるようになった。なぜかたまたまこの間,懇親会などもなく,飲酒しない日が今日で20日目となっている。6月の後半は,全く飲酒しない日が15日間継続したので,事務員には,相撲風に「6月後半『場所』は全勝優勝です!」と伝えた。家の外での飲酒の際に,飲酒量を控え目に押さえることができるかどうか,その日の帰宅後飲酒しないでいられるかどうかは宿題のままである。自信はないが,自らの尊厳を懸けてやるしかないということになる。
9 私は自作のトレーニング一覧表に,トレーニングの成果を記録している。最近,飲酒に関する記入欄を充実させた。全く飲酒しない日は◎,外での許される飲酒は△,外での許されない飲酒と自宅での飲酒は×が記入される。
10 その後体重は期待するほどには減量しないが,少しずつ減少してはいる。体調も何となくよいようで,なぜか以前よりも空腹感が強くなっている。胃腸が健康になっているということなのかも知れない。とにかく10キロ減量することにした。毎日体重も記録されている。
11 私が変則的な断酒を開始して間もないころ,身近な所で,ある衝撃的な出来事が発生した。当地の50歳を過ぎたばかりの弁護士が突然病死したのである。死因は肝臓ガンだそうであるが,彼は酒好きで,かなり肥満体であった。妻とその話をした時,妻は,「次はあなたかもね?」という眼をして私を見た。この出来事も私の断酒の決意を本気にさせる原因となったことは間違いないところである。
12 また久しく飲まないうちにノンアルコールビールが予想以上に美味しくなっていたことにも助けられている。
13 「さびしみて 生ける命の ただひとつの 道連れとこそ 酒を思ふに」(若山牧水)という短歌がある。私は,「さびしみて」生きているわけでも,酒を「ただひとつの道連れ」と思っているわけでもないが,私はこの短歌が好きである。酒を愛する者としての共感ということなのであろう。断酒や節酒をしても,この短歌が好きであることに変化はないだろう。
14 いずれ本当の「酒の達人」となって,外でも家でも適度に酒を楽しむことができる人間を目指して,名実ともに「酒を百薬の長」にしたいと思っているが,それは遙か未来の夢物語なのかも知れない。
15 そして,私が断酒を本気で決意した真の理由は,乳ガンに罹患している妻の病気に対して私の切なる願いが込められているということである。(ムサシ)



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1 突如として「断酒?宣言」をすることになった。正確には「節酒宣言」ということになる。病気だから酒を止めようということではなく,一応健康体なのであり,弁護士としての仕事はまだ暫くは続ける予定であるので,職業上必要な飲酒の機会には,今後も飲酒は続けるつもりである。そこで「断酒」ではなく,「節酒」ということになるが,家でひとりでは絶対に飲酒しないことにしたのである。結構固い決意ではある。「酒は百薬の長」であるので,飲酒量を減らすという選択肢もある。しかしその方法では必ず失敗するに違いないと思うのである。懇親会の場合にも,酒量は大幅に減らし,帰宅後は飲酒しないことになる。「断酒?」は既にある程度実験済みで,成功する自信ができたので,この一文をこのネットのブログに投稿することにしたのである。
2 私は以前ヘビースモーカーで,1日2箱の喫煙をしていたが,忘れもしない昭和53年5月の給料日にピタリと喫煙を止めたのである。「健康のために強い意志でキッパリと煙草を止めた」というような,そんな格好いい話ではなく,意志の弱い男の笑い話に過ぎない。その年の4月私は判事補として和歌山地裁に着任したが,釣好きの先輩裁判官から「和歌山は釣りのメッカで,堤防からの紀州釣り(ぬか団子釣り)でチヌ(黒鯛)がよく釣れる。」と言って釣りを誘われたのである。私も釣りは好きで,キスの投げ釣りは得意であり,投釣用の竿は数本持っていたが,チヌ釣りの経験はなかった。そこでチヌ竿などの釣具を買うために,同期の裁判官であった妻に小遣い値上げ請求をしたところ,「煙草を止めて釣竿を買ったらどう?」と即座に拒否されて,やむなくそうしたのである。その年の5月の給料日にチヌ竿を1本買って,煙草を止めた。煙草とチヌ釣りのどちらかの選択を迫られて,やむなく釣りを選択しただけのことであるが,そのお陰で,結果として現在も肺ガンなどにならず,健康であるということなのである。「母ちゃん,小遣い値上げ請求を拒否してくれて本当にありがとう。君のお陰で今も肺ガンなどにならず元気なんだよ。」という笑い話なのである。もっとも当時はまだ煙草が有害であるという説を聞いた記憶はなかったが。
3 ところで,断酒や禁酒と禁煙はどちらが困難であろうか。実は私はこれまで長期間に亘り繰り返し「節酒」を試みたが,見事に失敗してきたのである。酒が百薬の長であるためのアルコール量は,純粋アルコールの量にして30CCであるとされている。ところが節酒の決意はいつも,飲酒開始後に脆(もろ)くも崩れ,一旦飲酒するとアルコール量を30CCに押さえるのは至難の業である。そして「今日1日だけはオーバーを許すが,必ず明日からは・・」となり,それが実現できる明日は永遠にやって来ない。
4 このたびは変形の「断酒?」が成功しそうな気配であるが,妻は全く信じてくれない。私は断酒の策として,毎日ビール350CCと日本酒ワンカップ1本(1合)を飲んだことにし,その酒代を500円とみて,断酒貯金として毎日500円を貯金することにした。そのために空になったペットポトルをハサミで切断して,マジックで「断酒用貯金箱」と記載した貯金箱を作成した。そして毎日500円硬貨1個をそれに投入している。不思議なことにこの工夫により,私の断酒の決意は強化され,飲酒しようとする衝動との戦いに連日勝利している。いずれ「断酒貯金」により巨万の富を貯めようかと,認知症老人の夢を見ている気分であるが,この貯金は案外楽しみになっている。
5 そして私が断酒を本気で決意した真の理由は別にあるが,今は書かない。(ムサシ)



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