トモちゃんといっしょ ~認知症の母と暮らして~ 中年プーのぐうたら日記(再会)

実家に戻って3年目。母は中期の認知症。今年から仕事をやめて中年プーに突入。誰にも言えない胸の内を綴ります。

NHK杯フィギュアスケート終了・雑感

2016-11-28 12:45:42 | 日記

11月28日

ご存知の方も多いでしょう。

25日金曜日から27日の日曜日にかけて、フィギュアスケートNHK杯が行われ、羽生結弦選手が圧倒的な力を見せて優勝、エキシビションでは、胸を打つ演技で観客を魅了しました。

 

私はこの金曜日から日曜日、まるで年末かクリスマスのようなうきうきした、楽しい週末でした。まだお正月でもないのに、お正月感が抜けていません。NHKのアナウンサーの解説を聞きすぎたせいでしょうか。特に今年の解説の声と話し方は、年末の「ゆく年くる年」を彷彿とさせました。

羽生選手の演技に泣き、インタビューに笑い、拍手し、夜中の1時まで、ニュースのスポーツ特集を見るために、かぶりついていました。ちなみに帰郷してから、就寝が1時を過ぎたことは滅多にありません。親と一緒に9時半から10時、遅くとも11時には就寝していました。でも寝付けないし、夜中に何度も起こされるので、マイスリーの5mmを服用していました。

ですから、私が1時まで起きているというのは、異例のことです。

かつては羽入君(選手ではなく)のように、真夜中派だったことが信じられません。

 

寝たと思ったら現れて「まだ寝んのか。いつまで起きとるんや」「わしも寝れんようになった」と、たびたび出没するトモちゃんを尻目に(夜中までテレビを見ていて母親に叱られる高校生の図です)、羽生選手のインタビュー等を見ていました。明日か明後日になれば、山のような動画がネットで見られることはわかっているのに。

それほど、この3日は、特別でした。

 

羽生選手が今後の飛躍にとって「とても重要なもの」を掴み、それが形となって、ありありとわかる大会だったからです。そして、羽生選手のそうした「ありあり感」はあらゆる選手に波動的に広がり、確実に影響を与え合っていたと思います。

一番影響を受けたのは田中刑事選手だったでしょう。大活躍でした。

羽生選手がやろうとしていることは、おそらく、外野の一ファンが見ているだけでもハードルの高いことはわかります。選手となればその困難さ、キツイことはより実感しているでしょう。だから……

えげつないくらい、とてつもないことやってるな。ついてけねぇや。と思っている選手は、本当に、抜けなければならなくなる。それくらいに、自分のスタイルが他者をも追い込むことになり、突き詰めれば突き詰めるほど、追い込まれていきます。

 

しかし、です。

女子を見てください。女子は、もう、その時代です。

女子のTOPスリーはおろか、4,5まで、ロシア選手のスコアは、超ハイレベル。男子のそれとほとんど変わらないぐらいにレベルが高いのです。技術だけでなく表現に置いても飛びぬけています。

もちろん日本の女子も頑張っていて、特に若い世代はいい選手がいます。浅田選手はもしかしたら、この流れに乗れていないのかもしれません。あるは、戦略が古くなったのか……年齢的な影響を受けやすい競技であることは仕方がないとしても。この1年で急激に変わっています。

 

一方で、アイスダンスで復帰したヴァーチュ・モイア組。圧巻の演技で「世界最高得点」を叩きだして優勝しましたが、なんと、試合は3年ぶり。ソチオリンピック以来なのです。現在はコーチもすべて変わり、プログラムを決めて練習したり、スケジュールのある生活がとても楽しいと話していましたが。

 

競技による加齢の影響は否めません。

 

戦いであると同時に、芸術でもあるフィギュアスケート。

その対立する要素を融合させ、一気にレベルを高めてしまった羽生選手。

 

それを見るものは、この相反する要素の融合に喜びを感じ、今、この場所に生きている喜びをかみしめ、たぐいまれな幸福な時間を共有することができるのです。

 

魅了されるとは、こういうことを言うのでしょう。

 

生きていてよかった。ありがとう。羽生選手。ともに分かち合う皆様とともに。

 

羽生選手SPのプロトコル(成績表)

選手はこれを見て結果を詳細に判断しているんですね。下についている旗はジャッジの国籍ですが、これは、

引用者がわかりやすくつけたもので、カナダのジャッジが羽生選手だけに激辛の点をつけています。

A9QoATX

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=2ydyu2CFam4  NHK杯2016羽生SP

 

Virtual interview with YUZU は、翌日に。

 

本日もお読みいただきありがとうございました。


昨日、こんな不思議なことが

2016-11-25 10:31:20 | 日記

昨日、いつものドーナツショップに来て、駐車場に車を止めた時のこと。

 

ふと見ると、正面のフェンスに、鳥が止まっています。

白い、セキレイです。

 

フェンスの高さがちょうど、車の座席に座った目の高さの、やや上です。

まっすぐにこちらに向かってきます。

 

どうするのかと思って見ていると、まっすぐに私の真ん前に来て、止まりました。

当然といえば当然です。そこでフェンスは切れているのですから。

 

フェンスの端まで迷わずやってくると、小首をかしげて私を見つめます。

車の中と外でしばらく見つめ合ったあと、「ああ、そうか」と気が付きました。

 

心の中で話しかけます。

 

「ごめんね。あの時、ちゃんと生きられんかったね。ごめんね」

すると、真っ白なセキレイは首をサクッと、右に振ります。しばらくして今度は左にサクッ。

 

「ごめんなさい。許してください」

すると再び、首を左右にサクッサクッ。

 

しばらく見つめ合ってから、すっと飛び立ちました。

 

なんだかほっとしたような気持ちになりました。肩の力が抜けたような感じです。

それから広場を歩いて、再び空を見上げると、

今度は真っ白な飛行機が雲間に現れました。

 

何もかもが真っ白で、細身の飛行機に見とれて、そのまま、歩き、

どこまで飛んでいくのか見上げていました。

 

すると、「お嬢さん、何かいいもんがとんどるかね」と、見知らぬおじいさんに声をかけられました。

 お嬢さんと声をかけられても否定せず、この際、すっかり「カマトト」に。

 

「真っ白な飛行機が飛んでるんですよ。でも不思議なんですよ」

「ほう」

 

「ほら、あそこ。飛行機雲もないし、ぜんぜん音もしないでしょ」

「たしかに、音がせんなあ。こりゃ不思議や」

 

二人で、大きな雲の中に消えてゆくまで、その飛行機を見上げていました。

 

「こりゃ、いいもんを見せてもらった」と言ってそのおじいさんは立ち去り、

わたしは何となくいい気分で、いつものお店に向かいました。

 

 

わたしがあの時、見せてあげられなかった青い空に、

生まれてこれなかった「むすこ」の微笑みがあるような気がして救われたような気がしました。

 

 

 

本日もお読みいただきありがとうございました。


結構ヘビー、だけど大切なお話

2016-11-24 11:20:02 | 日記

 今日はとても重たくて、だけどとっても大切なことについて書きます。

 

子どもは天からの授かりもの。

この事実をはっきりと悟ったのは、なんと、今朝のことです。

 

じつは……

じつは……の話が私にはいっぱいあって、バツイチ独身のことはもうお話しましたが。

 

じつは……、そのとき子どもを授かっていましたが、

子どもを産み、育てる気力もなく、だいたいにおいて、その気持ちが全く生まれず、

堕胎しました。

 

その時のこともよく覚えています。

 

その時、子どもは「天から授かるもの」という気持ちが、全くありませんでした。

 

とにかく自分、自分、自分。自分のこれからのこと。

母との関係と、夫との関係と、姑との関係で頭がいっぱい。

 

なぜ結婚したかというと、夫の父親が急死したことが、結婚へ背中を押したのですが、一方で、それが離婚の要因ともなったわけで、何とも言いようがありません。

 

この子を守ろうとか、……いいえ、この子を守ることなど、最初から「放棄」していました。

なぜなら、子である前に親の「孫」であるという事実がはっきりと、わかったので、

わたしの子は永遠に戻らないと知り、気の毒なことをしましたが、おろしました。

 

これ以上、親子の泥沼を私の子どもにまで引きずらせるわけにはいかない。

それが私の唯一の、まだ見ぬ子へのメッセージだったと思います。

 

こちらに戻った当初、

「子どもを産ませときゃよかった」と本当に毎日のようにトモちゃんに言われました。

なんとも嫌な気持ちになったものです。

 

 

ゆうべも出ていって、あまりの寒さに、それこそ数分で戻って来たトモちゃん。

 

発端は、タイヤを「スタッドレスタイヤを替えろ」というもの。

「車が危ない。お前のため」というのが彼女の理由。

テレビで散々雪が降るというので、トモちゃんのスイッチが入りました。

 

どれだけ「あれは東京のことだから。明日するからまだいい」と説明しても、聞かない。

 

私は、夕食にワインを飲んだので、出かけられません。

それが「理解できず」に、かっとなって、出ていきました。

 

 

そのとき、昔から、

私の考えや、主張というものを、全く理解しようとしなかった母のことを考えるたびに、彼女に、

子どもとの距離感がないことに気がついたわけです。

 

理由は多々あり、彼女の成育歴の中に発見できます。

 

貧乏な農村の大勢の子どもの中で、里子の生活、つまり「距離を置かれて育った」こと。それが彼女の心に独特の色を付けることになりました。「孤独」という色です。あるいは「寂しさ」です。

 

それが、子どもを持ったとき、反動として、あるいは自分の深い愛の発露と錯覚し、

距離をなくす=子どもと一体になる=あなたは私・私はあなた、になってしまったのです。

 

ああ、トモちゃん(母)には、

「子どもは天からの授かりもの」という発想がまるでなかった、ということに気が付きました。

そして、今、思います。

母となった人を許し認めることができるのは、子どもだけだということを。

 

 

そして、昨日の事件があり、あっ、と思ったのです。

 

私の方こそ、子どもを道具にしてしまいました。

最悪なのは、私の方。私の方が、罪が深い。

 

本当に、ごめんね。

あのとき、人生を経験させてあげることができませんでした。

許してください。

 

本当に、弱いお母さんでごめんね。

心から、ごめんなさい。

 

 

これから祭壇に祈るときは、

父と、生まれなかった子に、祈りをささげようと思います。

 

 

本日もお読みいただきありがとうございました。


地震に思う

2016-11-22 12:55:17 | 日記

今朝、東北沖で地震がありました。

 ニュージーランドで地震がありましたから、心配していたんですが……

今後の経過と、被害の少ないことを祈るばかりです。

 

ところで、気になることがありました。

 

福島第二原発3号機では、午前6時10分ごろ、プールへの送水が停止し、およそ1時間40分後の午前7時50分前にポンプを再起動し、冷却を再開したそうです。

 

ポンプが停止する前は28.7度だったが、冷却を再開した時点の水温は29.5度、2時間弱のあいだに1度近く上昇したことになります。運転上の上限とされるのは65度です。

これは再び何かあった場合、62時間(三日弱)しか猶予がない、と言い替えることもできるわけです。

ちゃんと記憶しておいた方がいいかもしれません。

 

中部地方ではほとんど揺れることもなく、いつもと変わらぬ日常です。

しかし、中部地方には、福井原発銀座が北に控えています。

 

東日本大震災以来、私は、ちょっと特殊なマスクを肌身離さず持ち歩いています。

後ろにもタスキがあって、カラス天狗みたいになるやつです。

自分用以外に二つ。トモちゃんと、一緒に逃げてくれる人のため用に、です。

 

笑われたっていいんです。持っていると安心するのです。

 

このあたりの人は全く無関心。正常性バイアスに侵されていますから。

でも、何かったとき、風向きは、絶対に注意しなければなりません。

 

特に、今頃の北風には要注意ですよ。

 

ですから、私は、前々から天気予報の仕方に、異を唱えています。

 

とにかく、風向きは、必ず、毎日情報として流してほしい。

雨雲レーダーの動きは、現時点のことではなく、数時間単位で、今後の動きを中心にして流すべきです。

 

とにかく予測と、予報が大事です。

天気図ばかり見せられて、わかったような気になっているだけでは、何の役にも立たないのですから。

 

 

そしてフィギュアスケートNHK杯が、もう、数日後です。

羽入君は、どこにいるんでししょう。

すでに仙台だと踏んでいるのですが、

とにかく心身ともにベストな状態でいることを、親戚みたいに祈るばかりです。

 

 

本日もお読みいただきありがとうございました。

 


それぞれのこと

2016-11-21 11:48:15 | 日記

11月21日

昨日、同窓会で思ったことの追加です。

 

スペイン語という、当時はかなり特殊な語学を選択したからか、

特に男性陣では海外出張や支店長など、30か国を回ったとか、

転戦練磨の仕事についている方も多かったのです。

 

そのせいか、身体へのダメージもかなりあるようで、劣化も激しかったり<(_ _)>……

 

男女を通して、スペイン語の通訳をしているのは、

長田女子ひとりだけ(すごーい。うらやま)でしたが、

女性陣も多様です。

 

愛称「ガック」ちゃんは、

介護職についていて、私のように、高齢者の問題に関心があって、嬉しかったなあ。

 

でも、名古屋で「介護をしている」というと、「ええっ?」とびっくりされるとか。

なぜだろう。

 

大変だから? きついから? そして、「その割に会わない」、から?

仕事の量と質に比べて、ペイされないから?

 

彼女など、結婚後、無資格から叩き上げて専門職に就いたのですから、

それこそ凄いと思います。

 

イタリア人の男性と交際結婚のリッツ。かっこいいなあ。

 

でもね、それぞれあって、みんないい。

 

県立の大学なので、おとなしい人生かなと思っていたけれど、みんな、それぞれ、

山も谷も経験しているんですよね。

 

何より、子どもを産んで育てるというのは、最上の苦楽を味わう経験です。

それをやり遂げて、生きているわけですから、頭が下がります。

 

故あって、私は、それを選択しなかったのですから、

それなりの人生を歩めたらいいのかな、と思うところです。

 

 

金子みすずの詩と同じです。

それぞれ、ちがって、みんないいのです。

 

 

本日もお読みいただきありがとうございました。

 


心の大洗濯(同窓会)

2016-11-20 23:00:31 | 日記

じつは今日、名古屋で同窓会があり、

本当に、本当に楽しいひと時を過ごしてきました。

 

今年の春ごろに一報があって、夏にということで、とても楽しみにしていました。 

 

念願かなって、今日、高速バスで名古屋・岐阜間のとんぼ返りでしたが、

大満足の大感激。

 

たしか、35人のクラスだったと思いますが、22人の参加という大盛況でした。

 

出かける前。高速バスの乗り場から。

 

 

高速は、普通より高いところを走るので、見晴らしがいいのです。

 

 

 

 

2時間半ぐらいしかいられなかったけれど、一瞬で、時間が十代後半から20代にタイムスリップ。

 

あの頃のニックネームがまだ通用することに、感激です。

 

 

実は、私、この大学の外語学部スペイン語科は、2年で中退しました。

 

それなのに、わざわざ消息をたずね、調べていただいて(長田さーんありがとう!)

同窓会に呼んでいただけたこと。

 

そして、ニックネームまで、覚えていて、もらえたこと。

 

本当にうれしいんです。

 

男性陣は、なんとなくわかるんだけど、ちょっとわかりづらい方もいたかな。

でも話を聞いているうちに、自然にあの頃に戻ります。

 

女性陣は、スーッとあの頃に時間が戻っていけるのです。

ちゃんと年を重ねるのは、とっても素敵なことなんだなあ、とつくづく思いました。

 

年を重ねるのは、本当にいいですよね。

経験は、とっても、大切なこと。

いろいろあって、美しい。それぞれあって、楽しいです。

 

そして……

一度つながったご縁は、切ってはいけない。

いいえ、

けっして、切れてはいないということ。

そのことを、今日は、身をもって、体験しました。

 

心の大洗濯したような、新たな気持ちです。

 

みんな、本当に、ありがとうございました。

 

とても好きな言葉を思いだしました。

仏女優のシモーヌ・シニョレが、若い女性のインタビューに答えたときのこと。

「お嬢さん。孤独というのはね、出会いや経験を整理する時間のことよ」

 

とっても好きな言葉です。

本日もお読みいただきありがとうございました。

 


嫌いなの?

2016-11-19 13:25:26 | 日記

私のことがそんなに嫌いなのかと母が言う。

 

心の中でそうだという。

 

でも違う。本当は、そうじゃない。

 

嫌いにならなければ、離れられないのだ。

 

離れなければ、自分になれない。自分が持たない。

そうやって子供は成長する。

 

そうやって、成長したかった。

何度も抵抗し、

四十をすぎて、よっと。やっと離れることができた。

 

離れることで、愛情が湧いた。

 

それが彼女にはわからないのだ。

わからなかったし、これからも、わからないだろう。

 

くっつくことが最上だと、思っているから。


トラップ現象の後

2016-11-19 13:19:31 | 日記

11月19日

17日夜のトモちゃんショック以来どんどん気持ちが退行しているのに、今朝、再度出ていった。

そして10分もたたないうちに、帰ってきた。

 

「どこにも行くところがない。ここにしか居るところがない」

「そうか。それがわかってよかったな。大成長やないか」

 

心からそう思う。

 

今朝の発端は靴。

数か月前に靴は、買った。だから、ある。

 

なのに、新聞の広告を見て靴を買わないといけないと言い出した。

「ケアに履いていく靴がない。あんな靴では恥ずかしくてどうにもならない」と。

 

しかもデイケアは、帰る早々行きたくないとかやめたいといい、今日行くのか明日かと、数分おきに私に聞く。

それを、体よく持ち出す都合のよさ。私にはまねのできない特技だ。

 

「この間買ったし、いくつもある」というと、

「筋が入って、濡れてしまう。恥ずかしくてどうにもならん」

「なら見せてよ」

となって、激しいトラップ現象の後、出ていった。

 

帰ってくることはわかっていた。

 

 

しかし、

相変わらずのトラップ現象。

これに、私の精神が耐えられなくなっている。

 

トラップ現象の後の居間はこうなる

 

襖や障子が撥ね返るほど強く、開け閉めされる。

それが何度も繰り返されるのだ。

 

 

心が持たない。

 

小学校、中学校、高校時代。

何度も繰り返されてきた。

 

私の方こそもう、逃げ場がない。

 

本日もありがとうございました。


天の記憶、この世の出来事

2016-11-18 10:33:53 | 日記

ものの本には書いてある。

 

「あたたはすべてを許し、この状況を納得し、いまこの場所に、

生まれることを受け入れて、ここに来たのだ」と。

 

「この父と母を選び、ここに、生まれてきたのだ」と。

 

 

しかし私には記憶がある。

 

ここはいや。

今は、まだ、生まれたくない。いまじゃない。まだ早い。

そう言って激しく泣きじゃくり、抵抗した。

 

しかし、大きな足が、私の後ろを(たぶんお尻を)思い切り蹴ったのだ。

 

 

だから、

おそらく、これは私の記憶のでっち上げなのだろう。

状況を受け入れがたくて、否定的な記憶を作り、定着させたのだ。

 

 

ヒーラーやスピリチュアル系の人たちが言うように、今の環境と状況はあらかじめ書き込まれ、

予定されたとおりに進んでおり、そのことを私も了解済みだというなら……

 

この世で生きることを、ひとときの、天上からの「お出かけ」だと思えばいい。

 

ところが。私は「お出かけ」が嫌いで、苦手な子どもだった。

準備にとても手間取り、母に急かされてばかりいた。

そして、出かけたくなくなり、最後に泣いてしまうのが、つねだった。

 

とてもとても、厄介な子どもだった。

この田舎に越してきてから、友達がなくなり、適応できなくなって、楽しいことも、

自分が少なからず天の子どもだったことも、全部なくしてしまった。

 

今朝、うちを出るときの月。

西の空。

 

本日もありがとうございました。

 


心のこえは痛くなる

2016-11-18 00:12:32 | 日記

11月18日 母が出ていく

私は母が嫌いだった。

どんなに取り繕ったところで、あの人には我慢ならない。絶対に許せない。そう何度も思った。

しかし母という人は、私が丹念にこしらえた牙城をいとも軽々と乗り超え、打ち壊してしまう。そういうルーズであいまいなところがある。認知症であろうがなかろうが、すぐに忘れる。都合よく。もともとそういう人だった。そのしごく自分勝手に都合よく、いい加減なところも嫌いだった。

しいて言うなら、尻にくっついたガムの噛みかすのような、嫌なものに豹変することが多々あった。

 

時々憎しみしかわかないこともある。

彼女が私に吐いた暴言の数数を、忘れることができない。

お前のためだと言って、土足で心の中に踏み込んできた。そっとしておくという感覚が皆無だった。距離を取ろうとすると、威嚇射撃のように足を踏み鳴らし、あのトラップ現象を起こし、思いっきり襖や扉を開け閉めした。さらに怒りをぶちまけるためにやってきて、皿や茶碗を手当たり次第に投げた。

しかし。

なぜか父は、私よりもっとひどい暴言を投げつけられ、人格を否定するようなことを言われ続けているのもかかわらず、すぐに忘れてしまうのだ。

 

私はそうではなかった。

そんな母の血を、私も受け継ぎ、さらにその子が受け継ぐことは、耐えられなかった。

だから結婚をし、家庭を持つ気持ちにはなれなかった。子どももいらないと思った。

 

最初から、家庭には絶望していた。

 

今でも母は、私に婿が来ると思っている。何で結婚しなかったのか、と。

「男と遊びすぎたで、結婚できんのや」と真顔で私に言う。

 

そんなこと、もう、どうでもいいではないか。

せめて、私の前で、「金をくれ。全然持っとらんで、金をくれ。何にも買えん」といきり立たないでほしい。

たくさんの洋服も、使いきれないシャンプーもリンスも、ティッシュもトイレットロールも化粧品もあるのに、ないという。

そして「ここにある」というと、癇癪を起こす。

お願いだから、かんしゃくを起こして戸をパタパタし、物を投げつけ「こんなところになんか」と言って、出ていくことをやめてほしい。

 

傷が深まるだけだ。

私が傷ついたというと、「私の方が傷ついた」とエコーのように母が言う。

死にたいというと、さらに母が「私も死にたい」とエコーで言う。

 

私が子どもの顔になって泣きながら座っていると、母は母の顔になって、元気になってくるのだ。

ああ。もうやめてほしい。

 

本日もありがとうございました。


トモまたでていく

2016-11-17 20:02:26 | 日記

いま、8時を回ったところ。

激高したトモちゃん、

出ていく。

 

ボージョレを歳暮にしたいと言い出し、くるくる話が変わって、対処に困る。

数日前、12月に、贈答ショップの早割で頼むと決めたはずだった。

 

テレビで、ボジョレーを見てから、スイッチオンになってしまった。

毎年買っていることもあり、たちまち、買いに行くと、しつこく付きまとった。

 

お金がないと言いだし、今日じゃなくてもいいのにというと、話がエスカレート。

出ていった。

 

そして数分で戻ってきた。

 

今度は私の気持ちが収まらない。

傷が深すぎて、収拾がつきません。

 

別バージョンでダークサイドを書きます。 そうしないと気持ちが収まりません。

 

 


あれは、何だったのか

2016-11-17 10:37:30 | 日記

今朝、国道の外気は6度。来月には5度になり、じき冬になります。

 ところで、記憶というのは不思議です。

 

数日前のこと。

大切なメモをなくして、一晩中探しても見つからず、

あきらめきれずにいたところ、なんと翌日。

 

パソコンを開いたら、ワード保存の文章の中に、

「メモだと思っていたもの」が、そのまんま、ごそっと保存してあるではありませんか。

 

あのメモは一体何だったのでしょう。

メモを書いた指の感触も、メモを書いた紙も、文字の並びもしっかり覚えている。

そのはずでした。

 

なのに、メモはなく、代わりにワードに保存されており……??

 

トモちゃんの記憶の消滅とそれによる記憶の書き換え。

これは、本当に面白いテーマです。

 

昨日もこんなことがありました。

夕食に、トモちゃんが作ってくれていた「大根干しの煮物」と、

二人で一緒に作って、トモちゃんが知らないうちに味付けていた

「牛肉と玉ねぎいっぱいの炒め物」。

 

とても美味しそうにできたのですが、一口食べて「うわー辛っ」っていう感じです。

味付けが辛い料理のオンパレードでした。

 

「おかーさん! 辛っ」というと、「お前が作ったんやないか」と応酬されます。

 

それはないでしょ、「神様はいつもお見通しよ」と思うのですが、

トモちゃんは、本当に自分ではなく、私だと思っているんですよね。

 

これが、常々おこる争いとストレスの元凶です。

そこで、「神様のお見通し」をさらに一歩進めてみたいと思います。

 

自分でさえ、書いてもいないメモを本当に書いたと、

とんでもない記憶違いをするわけですから。

 

 

ポイントを、整理します。

①    トモちゃんを避難せず、「あら辛いわねえ、どうしたのかしら」とあいまいに話を持っていきます。

 

②    次に、「本当だ、辛いわね」とトモちゃんに事実をちゃんと認識してもらいます

 

③    しかし、「事実を認識する速度が、高齢者はとても、とっても「遅い

  本当に遅いです。一日後のことだってあるし、一週間後か、1年後のこともあるのです。

 

④   この、 高齢者の「事実認識速度の違い」をキモに銘じて、肝に銘じて、とにかく待つ

 

 

実際に、待つことを実践するのはとても忍耐がいることです。

なかなかできないかもしれません。

 

この結果は、おいおいご報告していきましょう。

 

いつものお店のお手洗いの前の壁にありました。微笑み、ですね。

 

本日もありがとうございました。

 


11月14日は世界糖尿病デー

2016-11-14 12:44:21 | 日記

昨夜のニュージーランド地震、気になります。

亡くなられた方のご冥福を心からお祈りするとともに、日本への影響が懸念されます。

 

世界地図を見ると、海を挟んでプレート同士がぐるりとつながり重なっていて、

まさに環太平洋とはよくいったものです。

 

さらに今日は、スーパームーン。

そして、世界糖尿病デーです。

 

インスリンを発見したフレデリック博士の誕生日にちなみ、この日になったそうです。

教授はビーグル犬を糖尿病にさせて実験し、膵臓からインスリンが分泌されることを発見。

氏の貢献により糖尿病のしくみの解明と治療が飛躍的に進んだといいます。

 

昨日は、トモちゃんといっしょに、

市の主催する「糖尿病デー」のイベントに参加しました。

 

 

血糖値が測定してもらえて、トモちゃんは7.4とHbA1cの値が微増しています。

老人会の旅行用にと買いためたお菓子と、柿のせいだと私は思います。

 

 

ところが、

驚いたことに私の食後血糖値が181mgと、アチャー😵の値

ドクターの指導を受けることになり、早食いであることが判明。

 

東京ではこんなことなかったのに、悪玉コレステロールも増えてしまい、散々です。

 

たしかに、早食いである。

早食いになってしまいました

学校なんて悲惨でした。のどを詰まらせながら押し込んで、15分で終了でしたから。

 

その名残に加えて、隠れワインの習慣。さらに加えて、

トモちゃんの際限ない繰り返しによるストレスも、早食いを加速させているでしょう。

 

まさに「生活習慣病」街道まっしぐら……

181mgショックからしばらく、立ち直れません。大ショック。

 

 

父の植えた菊が、ようやく咲きました。

わが家の菊がこんなに咲き誇るのは珍しいです。 

 

本日もありがとうございました。

 


トモちゃんをフィールドワークする 「いない、いない、ばあ」

2016-11-10 11:49:15 | 日記

 

何度も書いていると思いますが、トモちゃんを、愛情を持ってフィールドワークする。

それが、このブログの最大のテーマです。

 

極力、自分の感情を交えず書こうとしていますが、そうはいきません。

そこには依存的母親の老後とどう向き合うか、という隠れたテーマが潜んでいます。

 

東京では、高齢者のQOLの研究をしていました。

大学院での研究テーマは、

「高齢透析患者の透析導入過程における病気の意味付け」でした。

 

2013年の暮れ、トモちゃんに軽い認知症の疑いを発見し、

帰らないわけにはいけないと判断。

2014年、春。速攻で帰郷しました。

 

 

嘘も方便。

これはトモちゃんの最大のポリシーであるとともに、

わたしの命題でもあります。

 

認知症になると、嘘と思われるような発言が、たびたび見られます。

「事実と異なる」こと=「うそ」という等式でわたしたちが生活しているからです。

 

でもこれは「恒に」等しい式ではなく、ただの等式だと認識すべきなのです。

 

例えばトモちゃんが、「わたしがやった」というとき、そうでないことが多々あります。

反対に、「わたしじゃない」というとき、トモちゃんがやったことが、多々あります。

 

この事実に反する現象の理由として「直近の記憶の瞬間的欠落」があります。

正確には「不定期な欠落」と呼んだ方がいのですが。

 

その「欠落」を埋める理由として、

「自分を守るための」「新たな事実や意味」が付け加えられるからです

 

ですから、本人にとって、それは嘘ではなく、あくまでも「事実」なのです

 

 

ここで今朝の出来事分析してみます。

 

1 早朝、牛乳が、配達された。

2 トモちゃんが取りこんで、テーブルに置いた。

3 朝食のとき、私が、トモちゃんの許可を得て、冷蔵気にしまった。

 

4 私の出勤時、トモちゃんは、牛乳がないことにふと、気が付く。

別の表現にすると、

テーブルの上に、いま、牛乳がないことを目にした

それによって、トモちゃんには、新たな「事実」が出現した

 

5 牛乳がないと、何度もたずねはじめる。不安の出現。

  このとき、冷蔵庫を開けて、どうしたかな?と確かめることはしません。

   ←ここが病気である所以ですね。

 

6 あの牛乳配達は、ちゃんと配達したのか、という方向に、話をすすめていきます。

エスカレートすると、非難し始める

ので、程よい頃に、牛乳を見つけ出さないといけません。それもマジック(手品)で。

 

7 「ほら、冷蔵庫に牛乳あるよ。心配しないで

 

わたしは、これはぞくぞくするほど面白いと思っています。

 

わたしも、よく怒ってしまうので、気を付けないといけないのですが、

「ある」という「発見」を、「事実として再発見すること」これが最大のポイントです。

 

 

常に、いま目にしていることが、いま(リアル)、という生き方が、トモちゃんです。

テレビを見て、いま見ていることで、不安になる、心配になる、

それによる不安の解消を求めてうるさいほど発言する。

 

新聞の広告を見て、いま見ていることで、なにかの買い物を思いつく。

その理由としての「不在」「非存在」=ない、という意味付けがあるのです。

 

そんなトモちゃんに必要なのは、

いま、のなかに、

「ある」をみつけてあげること。

 

それは、子どもの頃、母とした、

「いない、いない、ばあ」をすること、と同じです。

 心からの安心と、それによる喜びを感じさせてあげること。

 

そこで、きょうのまなび、です。

「うそ」はうそではなく、新たなものの見方である。

そのとき「うそ」は「方便」に変わる。

 

本日もありがとうございました。


色々あった11月9日

2016-11-09 19:02:31 | 日記

11月9日水曜日 

今日は農業祭という行事で、皇太子さまが訪問されます。

トモちゃんは、リハビリを休み、沿道でお迎えするそうです。

 

さいわい雨は上がって日差しがあるけれど、外は風が強くて、とても寒いんだな。

風邪ひかないようにヒートテック仕様のチュニックを出してあげました。

 

「これはぬくとそうや」と着てくれました。ところが……

化粧を終えてふと見ると、あれれ??

 

全部脱いで、昨日着ていて服に変わっています。

なんじゃこりゃ。

「せっかく出してあげたのに。着かえちゃったの。風邪ひいても知らないよ」

「これがええんや、ぬくとい(あったかい)んやで」

 

 

あらら、さっきの「ぬくとい(あったかい)」は何だったのかしら。

まあいいわ。

 

こうやって、たびたび、たびたび、私の行為(好意)は踏みにじられます。

たまらないときもあります。

 

思えば、私が思春期の頃……トモちゃんが私に対して良かれと思って施した行為のどれもこれもが、

押し付けでした。

いやだったなあ。つらかったなあ。思い出します、思いださなくてもいいのに。

 

その再現ドラマを演じているんでしょうね、毎回。

だから、わたしは、そんなことはしてはいけない。もうしない。

 

復習は復讐でもあります。やだやだ、そんな恐ろしいこと。

それを解放するには、意味の置き換えが必要なんです。

 

つまり、あの時のトモちゃんは、母親役割を果たそうとして懸命だった。

それこそ懸命に必死に生きていたのです。

 

昨日も書きました。

自分の正しさの主張はおしつけでしかありません。

相手を幸せにするどころか、反発を招くだけです。

 

母親として、方向はちょっと違ったけど、懸命に頑張っていたんだと、

ありがとうの言葉でつつんであげましょう。

ありがとうという、愛の包み紙で、くるんと包んであげましょう。(できるかな???)

 

 

うちの下の紅葉も、なかなかいい感じで色づき始めました。

 

 

(追伸)

ところで、 

帰宅後、お帰りになる皇太子ご夫妻のお見送りに間に合いました。

私なんかの心配をよそに、トモちゃん、

ホッカイロをもって、しゃあしゃあと並んでいます。

最高!

 

寒風の中、旗を持ち、1時間待って、近所の方々とお見送りしました。

 

雅子様はとてもお綺麗でした。

どこか物憂げなご様子でしたが、とても品のある方です。そりゃそうだ。

お写真を撮るという発想がなくて、携帯を忘れてしまいました。

 

 

本日もありがとうございました。