12月13日 日曜日、バッカスの襲来
明け方近くにみぞれが降り、今年に入って2回目の雪となりました。
それに合わせるように、灯油も値上がりし、ガソリンも急に高くなっています。
予想通りの展開ですが嫌な気分。弱い者いじめです。
私の唯一の楽しみであり生きる喜び、フィギュアスケート。
歴史的な大会となったGPFフランス大会ですが、予算難で大変な大会だったとか。
トモちゃんでさえ「あのメダルは何や? プラスチックのおもちゃか」と言うほど、お粗末な代物で。
誰かのメダルの金具は取れるような雑な作りで、ちゃちなものだったようです。
それだけでなく、表彰台も急場しのぎの代物だったとか。
やはり、いくら経費がないといっても、選手に対する敬意がなさすぎます。
お金がないなら、誠意と工夫とセンスで示すべきなのに。
フランスという国が少し嫌いになりました。
その一方で、女子も男子も、ジュニアも、すばらしい演技で歴史を切り拓いた選手のことが、一層好きになりました。
ところで、この大事な最終日(日曜日)
早朝のネットによる生中継だけは、小さなパソコン画面で観ることができたのですが、その後のテレビ放送は落ち着いて観ることができませんでした。
というのも、この日、突如「バッカスの神々が襲来」したのであります。
「バッカス」とは、母トモちゃんの一族です。まさに襲来でありました。
わたしたちは何がおこったかわからず……ただただ唖然とし、酒盛りが始まったのです。
こりゃ、たまげた、です。
これは、第一弾。ケイちゃんと漬け物と煮しめの、地味バージョン。
この後、寿司が登場します。
いや、確かに。
前日、トモちゃんの携帯に「日曜日に行くから10時に待っているように」と電話があり、内心私は、ほくそ笑んでいたのです。
だって、トモちゃんが彼らと一緒に昼ご飯を食べに行って、しばらく「実家」にいてくれるなら、こんなにありがたいことはありません。
ところが、です。この状況を、どう説明したらいいか。
トモちゃんの実家というのは、トモちゃんの母親の生まれたところですが、トモちゃんはそこで育ちました。大勢のいとこたちと一緒に、です。
トモちゃんの母親、つまり私の祖母は二回結婚し、最初の結婚の子どもが「トモちゃん」なのです。離婚して実家に戻った祖母は、トモちゃんを実家に残して「再婚」し、トモちゃんだけが「祖母の旧姓のまま」実家に残されて、14歳まで、いまでは限界集落ぎりぎりのような「田舎」で育ちました。
そのご一家さまは、名だたる「酒飲み」いわゆる「酒豪ぞろい」で、何かあると酒を飲み、飲んだ勢いで「トモちゃんに当たり散らす」(トモちゃんの話なので主観が入っていいますが、あながち嘘でもありません。
ミニ虐待的なこと、つまり飲んで見境のなくなった大人の憂さ晴らしのために、八つ当たりされる境遇に、置かれ続けていたのは事実です)
「そうでなければ、トモちゃんのあの、習性を理解できません。
すぐにかっとなって、見境なく怒り散らし、奇声をあげる。足を踏みならして怒りをぶちまけ、手当たり次第に物を投げつけて破壊する、などという凶暴な性癖を理解できません。
トモちゃんが、あんな凶暴な性格になったのも、やつらがトモちゃんをいじめたせいだ。
トモちゃんの凶暴性の原因を作った「あの一族」を私はとうてい許すことはできないし、来てほしくないし、付き合いたくはないのです。
それなのに、『あの人たちは来る』。まるでバッカスの襲来のように、飲み、喰い、よっぱらい、愚痴を言い、いびきを掻いて寝る。酒と、愚痴と、食べ物と、ぐち。
やつらは性懲りもなくやってくる。どんなに来てほしくないと思っても、トモちゃんがいる限り「やってくる」
あからさまに嫌な顔をしてもやってくる。
嫌な顔が、菩薩にでも見えるのだろうか。
トモちゃんが、あんな凶暴な性格になったのも、やつらがトモちゃんをいじめたせいだ。
まず、そのことが彼らには理解できない。
大体において、トモちゃんがどれほど凶暴かを全く知らない。
すごく、すごく嫌だ。
あからさまに嫌な顔をしてもやってくる。
嫌な顔が、菩薩にでも見えるのだろうか。
その理由がわかった。
彼らは、いくところがない。もう、飲んで騒いで、愚痴をいう場所がなくなったのだ。
かわいそうだが、
バッカスの神々は、もうこの世界には通用しない種族らしい。
息子の嫁さんが、嫌っている。仲が悪い。悪いどころの騒ぎではない。異常に悪いらしい。
だから、飲んで騒ぐところがないのである。
そりゃそうだ、と私は思う。
私がこんなに嫌がっていることがわからずにやってくるのだから、身近にいる嫁が楽なはずがない。嫁に嫌われて当然なのに、まったくわからない。
どちらも、自分たちが正しいと思って一歩も譲らないのだから、折り合うはずもない。
こうした騒動の被害をこうむり続けてきた私の悲哀を、誰も知らない。
悔しいが、仕方がない。
親戚ばかりがいっぱいいて、私はそうした付き合いにホトホト疲れ、引き回されて、もう嫌だ。
父が亡くなって、やれやれと思ったけれど。
父の看病や葬儀の際には、まったく助けになるどころか、やって来て騒々しく騒ぐ。みな自分の都合でしか生きていない。
自分の都合を私に押し付けないでくれ。
一方、父方の本家は、その昔は大きな農家だったけれど、経済的に困窮した時代が長くあり、父が金を貸していた。
その妹にも金を貸したり、部屋を世話したり、さらには、跡取り息子の嫁の病気の世話までした。
いい人すぎた。
だから、親戚に振り回され続けた親と、その親に、嫌々振り回されてきた私がいる。
自分の都合を私に押し付けないでくれ。
はっきりいって、私は嫌いです。いやです。たのしくありません。
トモちゃんの采配で、親戚に引き回される生活を、嫌々やらされてきたけれど。
子どもだもの、仕方ない。
親に言われりゃ、やらざるを得ない。
でも、もういいじゃない。
時代は変わる。
飲んで愚痴をいうだけの神々は、もう必要とされていない。
大家族的な家の最末端に育ったトモちゃんと、そんな家から放り出された古い神々の収容場所として、
いま「トモちゃんの家」が求められているらしい。
「早く仕事に行け」と トモちゃんに家を追い出され、こうしてドーナツショップの片隅に、
ささやかな居場所を見つけている私。
どんな小さな場所でもいい。
音楽とともにいられれば、ささやかな居場所になる。
古い、バッカスの神々よ。
居場所がないなら、「トモちゃんの家」に来ればいい。
「ここが落ち着く。楽しい」なんて言われたら、「また来てください」と言ってしまうよ。
本日もお読みいただきありがとうございました。