板の庵(いたのいおり)

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エッセイ:「鉄砲の伝来(9)」2010.03

2016-03-29 20:03:10 | エッセイ
エッセイ:「鉄砲の伝来(9)」2010


 ピストル(短銃)といえばNHK「あさが来た」で、今の福岡県飯塚市にあった炭坑(現・県立嘉穂高校敷地)の経営で現場に乗り込んだ主人公の浅子が、五代友厚に護身用に貰って携帯したのは実話らしい。 

 映画「ビルマの竪琴」(監督・市川昆、主演・中井貴一)で知られるビルマ(1948-1989)、は今はミャンマー。長らく軍事政権が敷かれアジアの最貧国に落ちた。ビルマの独立運動を主導し、達成目前で暗殺されたアウン・サン将軍の娘、アウンサンスーチー氏率いるNLDが今回の総選挙で圧勝した。
 これまで国際世論は彼女の生命を心配、監視してきたが、まだ暗殺の危険性は排除できないだろう。これからは、彼女の描く理想のミャンマーへどう動いて行くのか世界が注目するだろう。
 
 有史以来、人類が求めてきた理想はことごとく打ち砕かれてきた。もう戦争はいやだ、仲良く平和に暮らしたい。誰もがそう考え、そうでありたいのだが、そうはいかない。ヨーロッパでは陸続きの国境がいつも荒らされてきたからこそ、その思いはいっそう強いのだろう。
 昨年のパリに続き今回のブリュッセルで発生したテロに日本人も巻き込まれ言葉を失う。
一方EU内のトルコでも度々テロが発生しているがなぜかマスコミの報道は少ない。
 国境を自由に往来できる制度、難民の寛大な受け入れなどがテロの誘発を容易にしているとも言われている。
  国境でのチェック体制を元に戻すとなると、2兆円を超える費用が新たに発生するのだそうだ。さらに難民を追い返すということになると、どのような事態が発生するのか想像もつかない。一旦制度の手綱を緩めるとそれを元に戻すことは至難なことではない。
 テロリストがEU内でテロを起こし騒ぎを大きくすることは雑作のないこと。EUのテロ対策は混迷を深め、テロを阻止することは事実上不可能に近いといえる。

 米国が、共和党のトランプ氏の言うイスラム系移民を拒否したとしても、テロのリスクはほとんど変わらない。なぜなら、すでに米国内にはISに同調し貧困、偏見、差別などを抱える国内の不満分子が多数いるからである。移民拒否は、むしろそのリスクを高めることになるかもしれないのだ。
 テロの矛先がEUから再び米国に向けられる日は近いのではないかと心配する。米国は、そうならない前に、捕まえた危険人物を徹底的に「水攻め」にする法案を認めるのであろうか。

 ところで、日本人の歴史上の人物といえば、NHKの大河ドラマにもあるように、戦国時代の織田信長、豊臣秀吉、徳川家康とその関連に相場は決まっているようだ。そして彼らが腐心した三つのキーワードは、「銀」「鉄砲」「キリスト教」である。
 
 特に鉄砲は戦いのあり方を変えて、信長や秀吉を天下人に押し上げる大きな力になった。私が学校の教科書で習ったのは、1543年ポルトガル人が種子島に来て鉄砲を伝来したということであった。
 
 しかし、実際には、ポルトガル船ではなくて、中国の密貿易業者のジャンク船が種子島に持ち込んだものである。中国人の正直が「ポルトガル人を一緒に連れて行ったら、日本人はビックリして鉄砲が売れるに違いない」と。
 
 私は、鉄砲がよりによって種子島(領主:種子島)経由で伝来したのを不思議に思っていた。たぶんでポルトガル船が種子島に漂着したからであろうと想像していた。ところが事実は、東シナ海を縄張りにする中国の蜜貿易船によりもたらされたことを知ったのである。

 さて、室町(足利)幕府は遣唐使派遣中止以来500年ぶりに日中国交(明と)が再開し、以降150年間にわたり遣明船の派遣が続いた。1451年には遣明船団は最多で、総勢9艘の船に1200人の使節団が乗り込んだ。
 特筆すべき輸出品は、銅92トン、硫黄238トンである。全長が30~40メートルの木造帆船9艘に、軽自動車238台の重量の硫黄を積んで東シナ海横断した。硫黄は中国が輸出品として力を入れていた黒色火薬の原料である。
 
 幕府から「勘合」の証票を買い取った天龍寺(京都)らの有力寺社と島津(鹿児島)、大友(大分)、大内(山口)らの西日本の守護大名が船団経営に参入した。さながら、中国に対する九州産硫黄の「爆売り」である。
 
 キリシタン大名として有名な大友宗麟氏(豊後・大分)は、種子島銃とは異なる系統の鉄砲を入手。九州大名の鉄砲の国内生産体制の確立は早かった。大友からを受けた十三代将軍足利義輝は「数多の鉄砲の中でも最も優れたもの」といっている。

 1559年、長尾景虎(上杉謙信)に上洛を許した将軍足利義輝は、「火薬の製造方法」を伝えている。上杉家文書によれば、これは大友宗麟が将軍家に献上したもので、硫黄、硝石、木炭の調合量と調合方法が詳細に記されていると。

 戦国時代の日本は技術革新の時代であった。鉄砲は短期間で国産化され、その生産技術は列島各地に広がっていた。それまでの輸出一辺倒だった硫黄の国内需要を高め、炭の安定需要を確立させた。輸入に頼っていた硝石も国内生産の技法が開発されていく。
 
 一方で、今で言うグローバル化が進行する中で、九州の戦国大名の外交方針の転換で東南アジアとの交易を象徴する事実が分かってきた。
 大阪堺の16世紀後半の遺構の地中から二個のタイ産の壷が出土。中身は硫黄化合物であった。同位対比解析の結果、九州(大分)の産(別府)の硫黄であることが判明。
 また16世紀後半の豊後府内(大分市)の遺構から出土した多くの鉛球(鉄砲の弾丸)がタイのソントー鉱山産の鉛であることが判明。当時南蛮貿易での輸入品の支払いは銀でまかなわれていた。
 輸入品の鉛、硝石、ロウソクなどはまず九州で下ろされ、カラの壷に伽藍岳産の硫黄を詰めて瀬戸内海を通って堺に運ばれたものと推測される。 そして、堺では織田信長の勢力下に組み込まれた鉄砲鍛冶による量産体制が敷かれていたことが分かる。
 
 信長の軍事政策をみると、堺の貿易港を押さえ、大阪の石山本願寺を執拗に攻め、伊勢湾の出口である長島輪中を押さえ、琵琶湖両岸の大津と草津、朝倉攻めで敦賀の港を押さえ日本海交易網など貿易港や交通の要衝を押さえている。

 信長は、地球儀や世界地図を見ながら話を聞くのが好きだったという記録が残っている。キリスト教の宣教師からヨーロッパのさまざまな情報を得ていたといわれる。宣教師は、「欧州では土地よりも港を押さえることで、富を独占してきた」と吹き込んだらしいが真実はいかに。

 よく信長、秀吉、家康の気性を「鶯・ウグイス」に喩えることがあるが、そうなのだろうか。鶯に喩えて、三者の覇権寿命を言っているのかもしれないと思うことがある。(余談)






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