板の庵(いたのいおり)

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エッセイ「モンゴリアンに寄り倒される日本(23)」2017.12

2017-12-06 18:03:52 | エッセイ
エッセイ「モンゴリアンに寄り倒される日本(23)」2017.12


大相撲の日馬富士の傷害事件に伴う引退,その騒動の張本人である「貴乃花親方の乱」、昨今の横綱白鵬の品格を欠く態度に報道が過熱し相撲ファンならずとも国民の注目の的になっている。

 自民党の伊吹文明・元衆院議長は会合で、横綱白鵬関について「大横綱だからなんでもできると思い上がっているんじゃないか」などと痛烈に批判した。
九州場所千秋楽の優勝インタビューで「日馬富士関と貴ノ岩関を再び、この土俵に上げてあげたい」と述べたことについて、「矩(のり)(守るべき事柄)をこえている」と指摘。観客に万歳を要求したことも「TPO(時と場所、場合)がよく分かっていない」と苦言を呈した。
 
十一日目の嘉風との一戦では、負けた土俵下で約一分間にわたって“待った”だと主張した。力士が行司に物言いをつけるなど前代未聞のことで見苦しい。
 
さらに伊吹氏は、三権分立を引き合いに「内閣は内閣の、国会は国会の矩をこえないという気持ちを持っていないと謙虚さを失ったと言われる」とも述べ、横綱批判は返す刀で居並ぶ議員への講釈にもなった。
 同時に「いずれ親方になり、日本相撲協会の運営にも携わるべき人だ。日本社会の在り方や秩序をわきまえなければいけない」と述べた。

私は、久方ぶりに国会議員から真っ当な発言を聞いたような気がする。また、矩(のり)などという言葉を初めて知った。
TV番組ワイドショー等のコメンテイナーが偉そうなことを言ってもそれはあくまでも個人の主観。元衆議院議長による今回の「矩(のり)」という苦言は、見識ある日本国民の意見を代表しているようでもある。

価値観は時代と共に変わるもの。大相撲といえども例外ではないが、変えてはいけないものも当然ある。大相撲の魅力の一つに一般社会にはない非日常性があるように感じる。同じ格闘技にあってボクシングやレスリング等と明らかに異なる。
 大相撲の世界は古い日本文化が残るある種特殊な社会である。見方によっては不条理とも思える条件の中で生き抜く力士の姿に対してファンは拍手を送っているのかもしれない。

すでに「すもう」は相撲かSMOUかが問われかけ始めているのかもしれない。それは礼に始まって礼に終わるとした「じゅうどう」が柔道かJUDOUかが問われたのに似ている。
国際化により大相撲は確かに面白くなったように思う。ハワイ出身の力士が活躍したころは、体力に任せた力相撲で小兵の日本力士にない面白さがあった。
その後の10年以上をモンゴル出身力士に横綱を独占されてきた。幕内のおよそ四分の一がモンゴル力士で占められている。白鵬を中心とした勢力が物を言う風潮が見え隠れし始めた。

力士の普段着として浴衣のほかにジャージがある。今回の事件後に白鵬やモンゴル出身者は、背中に横文字でモンゴリアン・チームと記載されたブルーのジャージを着用している。モンゴリアンの強さを誇示し、モンゴル派閥を主張しているのではないかと、うがった見方をする向きもある。

通常どのスポーツ選手もプライベートまで所属する協会団体から規制されることはない。相撲協会はジャージによる外出までは認めていないそうだ。
このジャージは、日本の相撲をモンゴル人に広めるためにモンゴル相撲連盟(元小結旭鷲山が会長)が作成したもので、今年モンゴルでアマチュアの21回世界相撲選手権大会(体重別)の開催に尽力し協賛してくれた白鵬にプレゼントしたものだそうだ。優勝者は無差別(モンゴル)、重量(ロシア)、中量(日本)、軽量(ロシア)、団体(モンゴル)。

横綱は勝ちを求められるものである。32歳の白鵬は体力の衰えを感じてか最近の取り口が変わってきた。形振り(なりふり)構わず勝つというのが根底にある。がっちり受ける立ち合いから変化相撲になり、猫だましを使い、かち上げを多用するようになってきただ。
時にはダメ押しのプッシュで土俵下に相手を突き落とす危険な行為(昨年土俵下の審判が骨折)で協会から厳重注意を受けてきたにもかかわらず、反省の態度は見えてこないという。

貴乃花親方は、現役時代から相撲道や横綱の品格を実践しそれを主張し続けている。一方、白鵬は「勝つことが品格」とあくまでも勝にこだわる。したがって反則をしなければ手段を選ばずということである。しかし白鵬の「かち上げ」(主に肩を使う)はサポータを着用した肘うちであり明らかに反則であるという専門家もいる。
横綱は優勝(可能性も含め)できなくなったら引退という意識が強いのだろう。そこが貴乃花の “品格を問われるような技を使って綱にしがみつくより潔く引退すべき”との意見と対立するところだ。

横綱の品格を含めて白鵬の言動に遠慮するような協会の対応に貴乃花親方は不快感を持っているのではないかと言われている。
彼の主張には理解できるが昨今の一連の対応を見ていると、あまりにも意固地すぎる。どこの世界でも改革や自分の主張を進めるには関係者を説得して理解させることが無ければ一歩も前に進まない。

人は理屈だけでは動かないものである。情熱と熱意をもって協会との信頼関係を作るしか方法がないように思う。それなくば、協会内部で孤立し、大相撲の改革どころか変人扱いにされ、厄介者との烙印を押されかねない。もしそうなれば全国の相撲ファンにどれだけの失望を与えるだろうか。

今年のインターハイ(高校総体)の相撲大会で優勝と準優勝はモンゴル出身留学生で占められている。いずれ彼らも大相撲の力士になるだろう。また、元横綱朝青龍の甥御(朝青龍を超えるとの評価)も大相撲に入門するそうだ。
そうなってくると、大相撲の関取はモンゴル力士によって占められる日も早晩やってくることが予想される。




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