一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

1123  ネットカフェぼうやあんたも煤逃かい    マリコ

2013年12月31日 | 

  私は行ったことがないが、ネットカフェとは、インターネットができる喫茶店のことだが、最近は食事、シャワー、個室などもあり、宿泊さえもできるらしい。

 煤逃(すすにげ)は、大掃除をサボって何処かへずらかること。電気・ガス・灯油のない昔は、燃料が薪と炭だけだったから、年間にすれば大量の煤が出るわけだから、家の中が真黒だった。そこで暮の大掃除を「煤払い」と言っていた。その煤払いだから、大変な作業だった。老人や子供は特に邪魔で、外に放り出されたようである。

 ところが、現代では煤払いどころか、大掃除さえやらない。ほとんどの家に、掃除機や換気扇があり、日常的に掃除するから、大掃除など必要ないのだ。

 だから「あんたも煤逃かい」と言われたぼうや(小学生か中学生くらいだろうか)は、意味不明で面食らい、キョトンとしたに違いない。

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1122  笑ふ時独りと思ふ冬の夜  章子

2013年12月30日 | 

 一口に笑いと言っても、思い出し笑い、微笑、大笑い、爆笑、馬鹿笑い、哄笑、冷笑、嘲笑、ほくそ笑む、あざ笑う、せせら笑うなど、色んな笑いがあるようでございます。

 さて、この句の作者、テレビでも見ていて笑ったのだろうか。隣に誰もいないという孤独を自覚して、初めて「本物の孤独」と言える。ところが、孤独と友達になってしまったという歌があるんです。ここまで行けば、人間として最高クラスの「孤独」かもしれません。

 ムスタキの「私の孤独」をお聞き下さい。

 

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1121   着ぶくれて身は革新を貫けず  實

2013年12月29日 | 

 やせ我慢も含めて、今まで冬を薄着で暮らしてきた作者。政治的、社会的、心情的革新は貫いているようだが、唯一身だけはそうはいかなくなったことを嘆いているのだ。どうやら寒さには勝てなくなったらしい。それにしてもこの句、「身も」でないのがせめてもの救いである。心まで非革新では情けないからだ。

 ところで、今の政治に革新はあるのか。例えば「日本維新の会」などという名前だけは革新以上だが、名前負けの非革新のようである。期待した私が馬鹿だった。

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1120   真弓の実窯の煙に巻かれおり   洋子

2013年12月28日 | 

 窯焚きには、おおまかに言うと酸化・還元という2種類の焼成方法がある。還元とは、空気(20%の酸素)を絞り、不完全燃焼させて焚く方法。機関車や焚火の煙などもそうだが、燃料に酸素が足りないので煙が出る状態である。

 ガス・灯油などは、燃料と空気(酸素)がコック一つで一定に調整できるから、酸化・還元は自由自在にできる。しかし、薪窯はそういう訳にはいかない。薪を投げ入れるのだから、薪の大きさなどによって、燃焼状態が秒単位で変化する。薪を投げ入れた瞬間は薪過剰になり還元状態、しばらくすると次第に薪が燃えて減り空気過剰の酸化になる。

 さて、窯場の脇にマユミ(真弓)の木がある。最近、覆いかぶさっていた山桜を切ったので、もろに日差しが当たるようになった。真弓の葉も花も実も、息を吹き返したように元気になった。

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1119   研ぐ磨く掃く拭く洗うも年用意    稱子

2013年12月27日 | 

 この句の「も」がいらないのではないか、「研ぐ磨く・・・・」も順番を再考した方が良いのではないか。順番に違和感を感じるからだが、そこでそれぞれの作業を分析してみた。

〇研ぐ(水・砥石・サンドペーパー)・・・お節料理の前の包丁など

〇磨く(水・クレンザー・スポンジ)・・・風呂、玄関のタイルなど、窓ガラス、流し台、レンジフードなど

〇掃く(箒)・・・床全体、庭

〇拭く(水)・・・壁、柱、ガラス、家具、電気製品など

〇洗う(水)・・・衣類・寝具・

これらの作業手順を勘案して、並べてみると私ならば

研ぐ磨く洗う拭く掃く年用意

となる。但しこれは、あくまで「私ならば」という感想に過ぎず、作者の句を否定するつもりはない。作業をするのはあくまで作者なのだから。

ロウバイ(蝋梅)

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1118   冬服の電車に混じる半ズボン   豊春

2013年12月26日 | 

 この句の「冬服の電車」は、「冬服を着た人々が乗っている電車」という意味。まあ、誰だって分かるだろうが、俳句ならではの省略である。

 その中に、元気よく半ズボンを穿いた、たぶん少年が混じっているのだ。少女たちだって、ミニスカートを穿いているに違いない。

 さて、作者はどうであろう。下はズボン下に長ズボン、上は下着にシャツ、セーターに上着、そしてたぶんダウンジャケットかコートを着ているに違いない。

 子供たちと比べて、何という落差。それに驚いているのだ。確かに、私たちにも半ズボンの時代があったのに・・・・・

 いやいや、嘆くことはない。我々の年になったら、痩せ我慢が最も良くないのだ。着ぶくれて汗を掻くくらいが丁度良いのである。

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1117   冬の窯積み重なりし方眼紙   炎火

2013年12月25日 | 

 窯焚きに最も重要なのは、温度管理である。そこで、31年前の第一回からずっと35×50センチの方眼紙に記録している。誰がいつ焚いたのか、その時の最高温度がどうであったか、1時間単位で記入する。時には天候や気温なども。

 下の写真は、今回の86回目の記録の一部。板に画鋲で止めておくが、今までの記録紙を全て重ねておくには、厚すぎて画鋲が止まらない。せいぜい30枚が限度だ。

 「積み重なった方眼紙」と言っているが、そこには今までの86回の窯焚きの歴史と経験も積み重なっている。

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1116   そちら鍋こちらビビンバお達者で  遊石

2013年12月24日 | 

 ビビンバとは、器にご飯を入れて、上にナムル類を載せたものを指す。ナムルとは、韓国の家庭料理の一つで、もやしなどの野菜やワラビなどの山菜、野草を塩ゆでしたものを調味料とゴマ油であえたもの。

 ユッケを載せた「ユッケビビンバ」、タコや貝などを載せた海鮮系の「へムルビビンバ」、生野菜を多く載せた「野菜ビビンバ」、辛口の味噌だれをかけた「テンジャンビビンバ」などがある

韓国の鍋(チゲ、チョンゴル)には、白菜キムチと肉・野菜で作る代表的家庭料理のキムチチゲ。チョンゴルには、牛の小腸(コプチャン)を使った辛味のホルモン鍋など種類は様々。

 作者はきっと、韓国料理店に行ったのであろう。そこで知り合いに会い、「お達者でしたか」と挨拶したのであろう。又は、「お達者でお過ごしください」と言って別れたのかもしれない。いづれにしても、年末句会にぴったりの句であった。

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1115   第208回  岩戸句会 12月 

2013年12月23日 | 岩戸句会

そちら鍋こちらビビンバお達者で   遊石

内孫も外孫も皆コート着て

                    

冬の窯積み重なりし方眼紙      炎火

故郷は日帰りの距離師走かな

 

冬服の電車に混じる半ズボン     豊春 

光る海小舟漂う年の暮

 

年の瀬や独り岩風呂指鉄砲      鼓夢

指ほどの間引きし大根の辛みかな

 

 

研ぐ磨く掃く拭く洗うも年用意    稱子

冬バラの棘に怒りのあるごとし

 

皺くちゃの顔が機敏に松手入れ    洋子

まゆみの実窯焚き煙にまかれおり

 

笑ふ時独りと思ふ冬の夜       章子

平和主義貫く父のインバネス

 

時間という魔物を食べて毛糸編む   薪 

朽野に灰釉厚き窯の肌

 

忘年会終りて月の青さかな     歩智

時雨るるや高速道の二分間

 

電飾に犇めく街や年の暮       雲水

年の瀬の犬と歩いているところ

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1114   柚子湯して逝かねば逢へぬ夫思ふ  美佐子 

2013年12月22日 | 

  今日は、1年で最も昼間が短い冬至、柚子湯をする日でもある。庭の柚子を10個ばかり放り込んで朝湯。それからの犬との散歩は、薄着で出掛けられる。さすがに、朝酒はしない。

  さて、あの世で亡き夫に逢えると思うのは、あの世の存在を信じているという前提があるからだが、私のように信じていない人間はどうなるのか。こんなに淋しく不幸なことはない。

 作者のようにあの世を信じているにしても、「死なねば逢えぬ」というのが不思議な感覚。誰だって老いたくないし、死にたくはないし、だけど逢いたいし・・・・・全く矛盾だらけの人生。

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1113   ひだり手のほかは許さず冬の雲   あけみ

2013年12月20日 | 

  1974年、「二人でお酒を」がヒットした時、女の方から別れを告げる歌が公然を流れる時代になったのかと、思った。「冬の雲別れ話は女から」なんてことは現実問題としては昔からあっただろうが、公然と歌として流れることに時代を感じたのである。又、それがかっこよく見えたのだから面白い。

 だから、この句の「左手の他は許さない」のは、驚くほどのことではない。しかし、左手の他の「ほか」が気になるところ。いわゆる体のどこも、まして心など決して許していない、ということだろう。

 しかし、作者の本音としては、そろそろ「ひだり手のほかも許して冬の雲」にしようかと悩んでいるに違いない。

レモン

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1112  のほほんと海の年の瀬を見ている

2013年12月19日 | 

  師さえ走るはずの師走、年末、年の暮、年の瀬が、今や様変わりである。大掃除はしない。松飾りはしない。お節料理は作らない・・・・正月行事は一切せず、日常と全く変わらない。マンションに住む人が増え、核家族化が進み、単身所帯が増えれば、当然の成り行きだろう。海外旅行や国内旅行などで、正月に家にいない人々が4人に一人のおよそ3000万人。

  戦後68年、これほどまでに世の中が変わるとは、想像が付かなかった。ということは、これからの数十年も同様に、想像がつかないほど変化するに違いない。

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1111   木枯や睡蓮鉢を室内に

2013年12月18日 | 

  昨年、良く咲いた睡蓮を屋外でそのままにしておいたら、今年芽が出てこなかった。根を調べたら、枯死していた。たぶん熱帯性なので、寒さに耐えきれなかったのであろう。今年は、目が出ることを期待して、室内に入れてみることにした。

  口径30センチの小鉢に土と共に睡蓮を植え込み、水の入った大鉢に小鉢ごと入れてあるから、取り出すのは簡単である。葉っぱを2枚残したが、蕾が2つあったのには驚いた。水温が高ければ、まだまだ咲くつもりだったのだ。四季のない熱帯の睡蓮は、休む暇なく咲き続けるのだろうか。

 

 

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1110   ゴミ入れのダイヤル錠や冬茜

2013年12月17日 | 

  市内各所にあるゴミ集積所。郊外では、カラスなどの動物にやられないように、丈夫な金網のゴミ入れが設置されている。その中には、町内の者以外に捨てさせないように、番号合わせのダイヤル式の錠を使っている所がある。

  私は、これはちょっとやり過ぎではないか、根性が狭いと思う。熱海は、観光地でもあり、沢山の観光客が来る。彼らのゴミを受け入れる度量があってもいいのではないか。

 そんなことよりも、消費税が値上げされるようだが、消費税の使用目的の第一は、ゴミの無料化に使うべきである。昨今の各市町村のゴミ有料化によって、海山にゴミが不法投棄されているからだ。物を買えば必ずゴミが出る。その処理に消費税を使わないのは、政治家が無能か又は怠慢である。

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1109  窯出しの椀で一服冬座敷

2013年12月16日 | 

 昨日は、年二回の穴窯の窯出しだった。趣味で楽しんでいる女性の陶芸作品を使って、集まった皆さんと共に実際はコーヒーを飲んだ。

 場所も実際は、応接室、句会場、カラオケ室、食堂、宴会場など全てを兼ねている作業場である。畳を敷き詰めた座敷ではない。

 「嘘八百じゃないか」って。小説や俳句に嘘は付き物で、「事実でなければいけない」なんて考えは捨てたほうがよろしい。

 話は変わるが、猪瀬都知事は沢山本を書いているようだが、きっと嘘を付くことに慣れ過ぎていたんじゃないか。未だに嘘に嘘を塗り重ねているんだから。

 都議員たちも都議員で、都政を放っておいて、詰まらぬ追求をいつまでしつこく続けるんだろう。ああいう馬鹿し合い(化かし合い)の委員会をごく真剣にやっているようだが、一体何が生まれるんだ。はてさて都政は一体どうなるのか。

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