一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

1306   ゆつくりと五感の目覚め白木槿   よねこ

2014年08月30日 | 

 五感と言えば、般若心経の「色声香味触」の「眼耳鼻舌身」を思い出す。例えば、その中の「視力」の話。

 日本に留学しているアフリカ人の学生が指さして「うわぁ、カッコいいポルシェだなあ」と言ったそうですが、指さした先を見た日本人の学生達には、ポルシェが全く見えなかったそうです。アフリカの青年の視力がすごいというよりは、日本人の学生の視力がめちゃくちゃ悪くなってしまったのです。

 これは、視力に限らず五感全てに言えることで、科学の発達によって得た便利さや安全と引き換えにもらったのが「五感の鈍感化」であり、そしてもっと重要な第六感などは、無念なるかな、とうの昔に失ったと言っても言い過ぎではないのだ。

ノボタン

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1305   赤とんぼの臀呫の群るる単線駅   眞由美

2014年08月29日 | 

(あかとんぼの となめのむるる たんせんえき) 

  臀呫(となめ)とは、「交尾中のトンボの雌雄が,互いに尾をくわえあって輪の形になって飛ぶこと。」と辞書にあるが、実際にはくわえあっているわけではない。それは兎も角、古くは日本書紀に出てくる言葉だというから、出処正しい言葉なので覚えておきたい。正に字の通り、「臀(と)を呫(な)める」のである。

 ところで、「赤とんぼが群るる」なら分かるが、この句の「臀呫の群るる」はどうであろうか。どうも嘘っぽいと思う。というのは私は、飛んでいる赤とんぼのほとんどが臀呫であった、そんな情景を一度も見たことがないからだ。

ハナミョウガ(花茗荷)

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1304   アルデンテまでの一分法師蝉   みち代

2014年08月28日 | 

「アルデンテ   al dente」は、イタリア語でスパゲッティなどの乾麺であるパスタを茹でるとき、芯を残して茹で上げた状態をいう。パスタは、うどんのように水で締めたりしないから、食べるまでの時間を考慮して固めに茹でるのである。

 よく知られている主なセミには、ニイニイ蝉、アブラ蝉、クマ蝉、ミンミン蝉、ツクツクボウシ、ヒグラシなどがある。セミは、地域によってある種が増えたり、別種が減ったりしているそうである。しかし、私の住む地域では、この数十年あまり変化はない。

 法師蝉は、ツクツクボウシ(つくつく法師)のこと。1年の最後を締めくくる最後の蝉である。例年9月末まで鳴くが今年はどうであろうか。

ツリガネニンジン(吊鐘人参)

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1303   山雀は餌を隠して餌台へ   理和

2014年08月26日 | 

(やまがらは えさをかくして えさだいへ) 

 ある動物には、食糧を貯えておく習性がある。リスはドングリやクルミを地面に埋めておくらしいが、埋めたことを忘れるので、それが種の発芽につながるという。ミツバチやアリもそうだが、山雀も餌台のヒマワリの種をせっせとどこかに貯蔵しているらしい。

 人間も、塩漬けなどして食物を貯蔵する様々な技術を開発した。私は、人間の保存本能の変形である収集癖には、いつも考えさせられる。それは、食べられない切手だったり、本だったり、おもちゃだったりするが、それはヤマガラやリスの保存本能と本質的に同じではないか、と思うからである。

セージ

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1302   新聞を取らず十年濁酒

2014年08月25日 | 

 人間社会との関わりには、仕事を筆頭に、町内会、学校、趣味の集まりなど様々ある。又、間接的には、新聞、ラジオ、テレビ、インターネットなどのマスメディアも相当強い影響力を持っている。

 その中で、低落傾向にあるのが、新聞である。勿論その原因は、テレビやインターネットに他ならない。

そう言えば先日、ファミリーレストランで、お父さんお母さんと子供二人(中高生ぐらい)の4人全員が、同じテーブルで会話もせず、それぞれのスマホをいじっていた。

ダイコンソウ

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1301   墓のある限り故郷蕎麦の花   伝助

2014年08月23日 | 

(はかのある かぎりふるさと そばのはな) 

 この句には、謎が多い。例えば、

 故郷である根拠が「墓」というのが異様である。父母や兄弟、実家の建物、幼友達、海や山、田や畑、映画館や喫茶店・・・・故郷の根拠は、他にいくらでもあるではないか。しかし、作者は墓以外を一切否定している(とは限らないが)

 ということは、作者が故郷に帰った時、墓以外に昔を思い出させるものがない、ということになる。父母兄弟は死に、実家の建物は取り壊され新しい建物になり、田畑は住宅街に変わり、町を歩いても全て近代的建物になり・・・・・

 しかし、故郷の根拠がもう一つあるではないか。蕎麦の花が。いづれにしても、おかしな句ではある。

コマツナギ(駒繋ぎ)

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1300   秋暑しあなたUFO信じます?

2014年08月22日 | 

 「UFO見たことあります?」「あ、一度見たことありますよ」

「どこで?」「熱海で」「どんなでした」

「えーと、確か数年前の夕方でした。視界も良かったので、伊豆半島から東京方面に、海上を移動して行くのが良く見えました。動いたり止まったりしていたから、飛行機ではなかったし、ヘリコプターでもなかった。それは断言できますよ」

「じゃあ、UFO信じます?」「UFOは、日本語で言えば未確認飛行物体でしょう?そう言う意味では信じますよ。」

 私に質問した女性によると、「地球外生命は、金星や火星に住んでいるそうですが、特殊な感覚や知覚がないと普通の人間にはなかなか感知できない」そうです。

コバギボウシ

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1299   正蔵に莨火あげる夜の秋

2014年08月21日 | 

(しょうぞうに たばこびあげる よるのあき) 

 昼は蝉夜は虫の音たのしめり・・・・なんていう季節です。それでもいつまでも聞いていると飽きるから、YouTubeで八代目林家正蔵の「莨の火」落語を聞いてみました。

「莨」は、「たばこ」と読むんですね。「良い草」と書くんですが、今の日本では「脱法(危険)ハーブ、脱法(危険)ドラッグ」ほどではありませんが、健康に「悪い草」のようです。

お暇でしたら、「莨の火」をお聞きください。

ゲンノショウコ(現の証拠)

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1298   独りで来て独りで帰る魂送り

2014年08月19日 | 

 友人が癌病棟に入院している。彼は、「早く死にたい」と口癖のように言っているという。私の推測では、仕事や家庭など自分のやるべきことをやり尽した、からではないか。だから、それほど悲観的に考える必要はない、と思う。

 ところで、母親に連れられてお見舞いに来たお孫さんが言ったそうである。「おじいちゃん、早く死ねるといいね」

オミナエシ(女郎花)

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1297   胡瓜捥ぐ僕の地球に朝が来て

2014年08月18日 | 

(キュウリもぐ ぼくのちきゅうに あさがきて) 

 スーパーの園芸売り場で、何気なく胡瓜と茄子とミニトマトの苗を買ってしまった。今考えると、余りにも元気な苗で、買ってくれと言わんばかりに思えたのである。たった、二株づづである。ついでに、小松菜の種も。

 草ぼうぼうの庭の隅に、畳1畳ほど開墾して、苗を植え、種を蒔いた。太陽と水さえあれば、放っておいても結構簡単に育つものなんだね。

 そう言えば以前、友人に誘われて、伊予の福岡正信氏を訪ねたことがあったっけ。彼は、無耕起、無農薬、無除草,無化学肥料の自然農法を提唱していた。30年ほど前のことである。それ以来、農業という神聖な職業には手を出さずじまいだったが、さすがにこの年になって、そういうこだわりを捨てられたのは、実に喜ぶべきことだ。

 焼き物は決して育たないが、野菜は放って置いても育つ。

キンミズヒキ(金水引)

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1296   送り火の燠やあの世の色かとも   久子

2014年08月16日 | 

(おくりびの おきやあのよの いろかとも)

 私のおばあさんは、よく言っていた。「あの世は、とてもいい所らしいわよ」「どうして?」「だって、誰も戻って来ないでしょ」

 子供の頃から私は、「あの世」はあるものだと信じていた。それは、「サンタクロースがいる」と信じるのに似ている。

 この句の作者は、「あの世」を信じてこの句を作ったのだろうか、それとも信じている振りをしてこの句を作ったのだろうか。

クサギ(臭木)

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1235   敗戦日今日は息子の誕生日   のり子

2014年08月15日 | 

  大学から戻った息子から、「お母さん、はい」と言って、小さな包みを渡されたそうです。「あら、なーに」「プレゼントだよ」「あなたが自分で買ったの?」「そうだよ」「今日は、あなたの誕生日なのよ。どうして?」「僕の誕生日だからだよ」

  そう、その日は二十歳の息子さんの誕生日なのでした。包みの中には、カットグラスが入っていました。「水割りでも飲んでよ」

 作者の目がウルウルしたのは、言うまでもありませんね。

ケイトウ(鶏頭)

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1234   電線に今日も帰燕の増ゆるかな

2014年08月14日 | 

(でんせんに きょうもきえんの ふゆるかな) 

  テニスの後、友人宅の庭で西瓜を御馳走になった。ふと目を遊ばせると、4本の電線に数十羽の燕が一斉にこちらを向いていた。

「あの燕たち、西瓜を食べたいんでしょうかねえ、そんな風に見えるけど」すると主人曰く「毎年、あの電線に何百羽もの燕が止まるんですよ。でも、最近は年ごとに数が減ってゆくような気がするんです」

  いづれにしても、この数十年の日本における燕の住宅事情が、良くなっているとは決して言えない。人間とかかわりの深い雀も相当減っているとか。

キョウチクトウ(夾竹桃)

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1233   新涼や盲ひし女に見詰めらる

2014年08月12日 | 

( しんりょうや めしいしひとに みつめらる)

 俳句仲間が失明した。網膜萎縮である。次第に見えない部分が増えてゆき、ついには失明に至る怖い病気で、現在治療法がない、という。

 突然失明すると、困ることが沢山ある。危ないから一人で外出できない。どこへ行くにも付き添いが必要である。慣れた家の中ならば、料理洗濯は何とかなるらしい。しかし例えば、電話を掛けることさえままならない。冷蔵庫に何が入っているか、記憶しなければならない。物をどこに置いてあるか、全て記憶しておかねばならない。つまり、ボケている暇がない。

 しかし、字が書けない、読めないのはつらい。ストレスが溜まって、俳句を作る気にもならないらしい。

カヤツリグサ

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1295   枇杷と桃葉ばかりながら暑気払い   江戸川柳

2014年08月11日 | 

(びわともも はばかりながら しょきばらい) 

江戸時代の暑気払いとは、「枇杷」の葉と「桃」の葉を煎じたものが、よく飲まれた。又、味醂に焼酎を加えた「本直し」もよく飲まれたそうである。但し、現代のように、人々が集まって宴会をするわけではなかった。

 当時は、電気冷蔵庫がない時代だから、井戸で冷やすのがせいぜいで、どちらかというと暖かいまま飲んだようである。

 皆さんも暑気払いを口実に、ビールやアイス、かき氷などを食べ過ぎて、お腹をこわしたりしないように、お気を付け下さい。

カンナ

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