散歩とともにメタ病も回復から

糖尿病で医者にやせるしかないと言われ、どうにかこうにか減量できた話とそれから

小鹿田焼の里へ

2024年04月02日 | 日常茶飯事
餞別のお礼に、小鹿田焼を贈ることに。軽トラを小野から走らすに、流れてはいる川の側面は、まだ災害の残害が、痛々しく、工事中で一方通行の所がありました。でお目当の小鹿田焼は、親せきを頼る事にしました。その昔同僚と雪道をとおり、取材に伺ったことがありました、その時の同僚と親せきの奥さんは、今は会うことが、できなくなり、寂しさもあります、チェーンなしで積雪のなか二人ともイチカバチかで笑いながらも、必死に車を走らせたことや、冷たい中奥さんが、準備段階の土づくりを教えてくれたことが思い出されます、ものすごく大変な作業、もちろん他もしかり、土を水車で粉々するのに、長い期間に人がかかっていなけばならんと大将は、言っておらろた。機械化されたものとは、違い一つ一つ味があり、一概に価値をつけられないと思います、よがんだんは、いらんかいと言われたが、断ってしまった。実はその中にも、良くできたのもあることもしっていましたが。学生時代おばあちゃんにもらった皿などを東京の文通相手に、送ったところ、たいそう褒められ、喜こばれました。おばあちゃんは、お見通しでしたが、恥ずかしながら私は、いまだに良くわからない。しかし名人があえてそんなのつくれば、それはまちがいなく価値あるものと判断される、本当に奥深い。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

毎日千歩

blogram投票ボタン

成長