滋賀県甲賀市の信楽高原鉄道(SKR)は、1991年5月にJR西日本の列車と正面衝突して42人が死亡、628人が負傷した鉄道事故を総括する冊子を初めてつくる。今夏の完成を目指し、事故を起こした一方の当事者として事故や遺族らにどう向き合い、事故の教訓を安全向上に生かしてきたかをまとめる。
JR信楽線から第三セクターに衣替えしたSKRは今年7月、創立25年を迎える。事故は発足5年目に起こり、会社の歴史は事故の歴史と重なるが、社員は全員が事故後の入社で当時を直接知らず、「決して忘れない」との思いを込める。
編集の中心は、滋賀県OBとして事故の年から8年間社長を務めた北川啓一顧問(87)=大津市=。事故の状況、遺族や負傷者への補償、裁判過程、信楽駅構内の事故資料館開設などについて、写真を交えてまとめる。遺族や弁護士ら関係者に寄稿も依頼する。
700部作製し、事故関係者や図書館、各地の三セク鉄道などに配る。費用はSKR、県と市の3者で50万円ずつ分担する。北川顧問は「各章ごとに反省や教訓を書き入れる形にして、事故を風化させることがないようにしたい」と話している。
(4月4日付け京都新聞・電子版)