*真船豊作 上村聡史演出 公式サイトはこちら 紀伊國屋ホール 9日まで
物語は1945年8月15日に始まる。中橋家のあるじ徹人(石田圭祐)は、医師として半世紀に渡り、阿片中毒などの治療のために蒙古まで足を延ばして邁進してきた。82歳になった今も剛健で食欲旺盛。衰えることを知らない。ほうぼうで慕われているらしいが、妻あや(倉野章子)、長男勘助(浅野雅博)はじめ3人の娘たち(浅海彩子、名越志保、𠮷野実紗)はほったらかしであった。父と反対にからだの弱い勘助や、それぞれ嫁いで苦労している妹たち皆大陸育ちだ。内地よりも北京のほうに馴染んでいる家族が引揚げの決断を迫られるなか、徹人と勘助が大激論を交わす。
堂々たる体躯で声量の豊かな石田は、徹人役にうってつけだ。長男勘助は52歳の設定で、浅野の実年齢よりは少し高いのだが、色白でおっとりと優し気な青年の印象が強い彼が、子どものころから喘息の持病があり、人一倍繊細な神経を持ちながら、ただ弱々しいだけではなく、父のように人生を真正面からどしどし歩いていけないことへの引け目や、その反動の自尊心など、鬱屈した長男を演じて新鮮であった。
戯曲のト書きにも、登場人物の台詞のなかにもしばしば出てくる「しいんとした長い間」、「しいんと静かで」という言葉の味わいをいま一度考えたい。見せ方にさまざまな工夫を凝らすことは、劇作家が言わんとしていることを視覚化することであり、今回の幕の扱い方などはとてもおもしろいものであった。しかしながら、台詞を確かに客席に届けることのほうがより重要ではないか。それは大きな声ではっきりと…ということにとどまらず、この戯曲のなかのこの場面、この人物の台詞は、声の大きさ、高さ、速さ、色合い等々、どのように発することが的確であるのかということだ。
場面転換に中橋家の女性たちが、奉公人である中国人のアマたちがしっとりと歌いあげようとする『夜来香』に対抗するかのように、終いには絶叫する演出には、どのような意図があったのだろう。戦争に負けたこと、引揚げるにしても、北京で生まれ育った自分たちは、内地に戻ったところで、どうやって生きていくのか…心は千々に乱れ、やりきれない思いを『夜来香』にぶつけさせたのか。絶叫する女性たちがいずれも客席に向かって懸命に訴えているように見えるのだが、どう受け止めてよいのか非常に困惑した。
本作には心に染み入る場面、大切に聞き取りたい台詞がたくさんある。勘助が母と妹たちに向かって、息子の良助の母替わりになってくれたことへの感謝を縷々述べる。大変な長台詞であり、その中で妹たちが連れ合いを亡くしていたり、子どもに恵まれなかったりなどといったことが明かされて、つまりは「説明台詞」なのだが、「観客に情報を示している」といった作為がなく、「ああ、幸子は、愛子は、そうだったのか」と舞台に描かれない年月、彼女たちの心象が自然に想像できるものであった。勘助は「お母さん…長々御苦労さんでした…ありがたいことでした」と深々と頭を下げ、母も妹たちも涙にくれながら、辞儀をする。身内どうしでこんなにも礼節のある言葉と仕草を交わしあうことの、何と美しく、温かなことだろう。勘助のこの台詞には(真実こめて)とのト書きがあり、浅野の演技は劇作家の思いに十分に応えるものであった。
公演パンフレットに演出の上村聡史の寄稿があり、1946年に本作の初演を演出した千田是也の一文が紹介されている。「批判とか解釈とか、そんなもののもぐり込む余地の無いほど、ぴったりと作品と一つになってしまわねば、演出などできるものではない」「この『中橋公館』という戯曲は、実は俺が書いたのだというような錯覚を起こすほど、その作品にすっかり憑かれてしまわねば」。
この情熱には頭が下がるばかりだが、劇作家と戯曲にのめり込みつつ、一方で客観的な視点も必要であろう。作り手の労苦は想像しかできないが、気持ちよく受け止めたい舞台であった。
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