因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

劇団フライングステージ第39回公演『PRESENT』

2014-07-16 | 舞台

*関根信一作・演出 公式サイトはこちら 下北沢OFFOFFシアター 21日まで(1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12,13,14
 公演ごとに新作を発表してきたフライングステージが、めずらしく再演を行った。2003年初演の作品である。筆者は未見だが、劇団HPで上演台本を読むことができる。舞台の設定が2003年から2014年に改訂された「誰も死なないエイズの話」(公演チラシより)である。

 つきあい始めて3年め、やや倦怠気味のカップル太陽(澤口渉/ロデオ★座★ヘヴン)と真人(阪上善樹)が暮らす部屋が舞台である。ある土曜日の朝、太陽は真人に重大なことを告白したために、ふたりの関係はみるみる揺らぎはじめる。部屋には彼らを心配するゲイの友だち(石関準)、太陽の母親(関根信一)、ボランティア(木村佐都美/おちないリンゴ)、元カレ(岸本啓孝)、新しい彼?(小浜洋)などがひっきりなしに出入りし、かえって話が混乱したりする。

 舞台には赤いソファとテーブルなど、最小限の調度類があるのみで、場面によってそこが病院の通路やビルの屋上になることもあるが、、「気がつけば久し振りの『一人一役』というオーソドックスな芝居」(劇団DM/関根信一挨拶文)とあるように、2010年上演の『トップ・ボーイズ』に代表されるように、演劇ならではの約束事をたっぷり盛り込んだ作品にくらべると、今回の舞台には作者の劇作の変容の過程がかいま見られ、大変興味深い。

 太陽の母親の敦子(関根)は、息子がゲイであることは何とか理解しても、エイズウィルスに感染したことに対しては激しい拒絶反応を示す。
 フライングステージの作品では、必ずといっていいほどゲイの当事者とその家族との軋轢が描かれる。11年前の初演においては、その軋轢の程度が今よりもなお強かったのではなかろうか。その母が、2011年上演の『ハッピー・ジャーニー』で、同じく関根信一が演じる札幌の母親に緩やかに結実しているように思える。息子がゲイであり、苦悩しながらそれを受け入れる。息子を失ったあとは、札幌のレインボーマーチでおにぎり販売のボランティアをしている。決して明るい肝っ玉母さんではなく、恥ずかしそうに小声で「おにぎり、いかがですかー」と呼びかけるうち、主人公の母親(石関準)としだいに打ち解ける。「ここに来る子たちがみんな息子にみえてきてね」とほほ笑む母に、もしかしたら今回の『PRESENT』の母・敦子も、いつか太陽が先に逝ってしまったそのあとに、札幌の母のように穏やかに微笑むことができるのではないだろうか。

 物語の終幕、太陽と真人は、新年を迎えた新宿の夜空をみながら語り合う。来年もこんなにきれいな空と星を見られるだろうか。再来年、十年先、百年先、千年先は?
 そこまで行けば、もう人間すらいなくなっているかもしれないが、エイズは恐ろしい病気ではなくなっているかもしれない・・・。

 太陽はまだエイズの発症には至っていない。薬や治療法も日進月歩で進歩している。しかし来年、再来年、彼が生きている保証はない。
 ここで自分はにわかに心がざわついた。2003年の初演から11年経っているのだ。初演の終幕で、太陽と真人が「十年先」と想像した、その11年先が2014年の今である。初演で太陽を演じた羽矢瀬智之が昨年急逝したことが不意に思い出され、感傷的になるまい、それは舞台の本意ではないと言い聞かせながらも、胸が迫った。
 チェーホフの『三人姉妹』の終幕、オーリガの台詞が思い浮かぶ。

「やがて時がたつと、わたしたちも永久にこの世にわかれて、忘れられてしまう。(中略)でもわたしたちの苦しみはあとに生きる人たちの悦びに変わって、幸福と平和が、この地上におとずれるだろう。そして、現在こうして生きている人たちを、なつかしく思い出して、祝福してくれることだろう」(神西清訳)。

 『PRESENT』は決して予定調和のハッピーエンドではない。たしかにこの十数年で医学は進歩し、性的マイノリティへの理解も広まっている。しかし東日本大震災、原発事故、憲法改正の動き、特別秘密保護法や集団的自衛権行使容認の閣議決定など、この国はどうもよくわからない方向へ進んでいきそうである。これからさらに10年経ったとき、どうなっているのか。
 そう考えると大げさかもしれないが、絶望的な気持ちになる。
 だが自分は『PRESENT』によって、希望を持つのである。太陽に生きていてほしい。登場した人たちがみな何とか元気で幸せに生きていてほしいと思うのだ。

 公演チラシに記された「「今」と「贈り物」、2つの意味を持つ『PRESENT』がをキーワードに描く。2014年版『誰も死なないエイズの話』」を、もう一度読みかえす。
 初演のときの「あのとき」が、「今」になっている現在、登場人物は誰も死んでいない。フィクションだから可能なことだとわかっていても、自分はそこに希望を見いだしたいのだ。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「非戦を選ぶ演劇人の会」ピ... | トップ | 猫の会番外公演「猫のサロン... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

舞台」カテゴリの最新記事