因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

くちびるの会第1回公演『旅人と門』

2014-07-23 | 舞台

*山本タカ作・演出 公式サイトはこちら 渋谷ギャラリー・ルデコ5F 27日まで
 声を出すと気持ちいいの会(コエキモ)主宰の山本タカ(1,2,3,4,5,6,7,8,9)が、新しい創作の場を立ち上げた。何年もともに舞台を作りつづけてきた仲間ではなく、他劇団の俳優たちと芝居を打つ。劇作家、演出家としての自分、俳優、劇団のありかた。それぞれに可能性を求めての試みであると想像する。
 コエキモには2010年晩秋から通っているので、舞台をみるたびにおなじみの顔ぶれに再会できること、適材適所はもちろんだが、配役や造形にハードルを上げて取り組む様子などを嬉しくみていた。今回はその懐かしさがないぶん、新鮮で刺激的な舞台ではないだろうか。

 ルデコ5Fにはみごとなまでに何も置かれていなかった。俳優は上手と下手、客席の通路も使って出入りする。5歳の哲と両親が暮らす近未来のこの国。哲のうちのトイレは科学が支配するカッパの国とつながっていて、そこでは人間の夢をエネルギーにしている。盗まれた夢を探して、哲の旅がはじまった。

 夢と科学。この相反するもののがどのように拮抗するか、融合に導かれるか。これが劇作家が本作を通して示したいものであると思われる。

 ときおり思うのは、劇作家というのは、いったいどのような思考を重ねて戯曲を書くのだろうか。実在した人物の評伝であれば、その人物に関する資料や映像にできうる限りあたって材料を揃え、吟味する。書きたいテーマ、使いたいモチーフをどのように料理し、舞台に乗せるか。リアリズムの作品であればどうにか想像がつくのだが、SF風の設定やファンタジックな作風の場合、あまり理詰めで考えずに心を委ねるくらいのゆとりをもって舞台に接したほうがいいのだろうが、ついつい「〇◎は△▼の象徴だろうか」、「ここがあれにつながって」といった具合に、目の前の事象を整理整頓、交通整理しながらみる傾向がある。なのであまりに「ぶっとんだ」作品になると早々にお手上げになってしまう。
 じつは野田秀樹という方の舞台を、自分はきちんと理解できたことがない。こういう人の頭のなかはどうなっているのかしらんと困惑する。ほとんど唯一の例外が『半神』だが、これは衛星放送の上演の録画を何度もみたこと、萩尾望都の原作漫画があるために、完全な野田オリジナルに比べるとわかりやすかったためである。

 さて『旅人と門』に話を戻すと、率直に言って野田作品に対する感覚と似たようなものを強く受けた。小さなスペースで、すぐ目の前の俳優の熱演が苦しく感じられるところもあり、話もいささか盛り込み過ぎたか・・・という印象である。
 しかし上演台本を読み直してみると劇作家の言わんとしていることが、周到に練られた台詞で緻密に展開していくことがわかり、これをどうして本番の舞台から受けとれなかったかが悔やまれるのである。
 この台本に書かれていることが立体化する舞台がどんなものなのか。
 ぜひみたい!という思いが掻きたてられる。遅いよ因幡屋。
 上演台本を読んで、今夜の舞台がいよいよ魅力的に思われてきた。嬉しいのだが、なぜこの幸せを本番の舞台で感じとれなかったのか。嬉しいのにはがゆく残念で、いまはこの困った感情を受けとめるしかない。

 夢は、眠っているときにみるものと、起きているときに抱くものの2種類があり、本作ではおもに前者の認識で進行するが、ときに後者のニュアンスも滲ませている。前者の夢は人間の努力や意識とは無関係にみるものであり、後者は社会常識や経験などによって消えたり消されたりするものである。科学という具体的で現実的で、人間が努力研鑽によって作り上げたものはその対極にあり、夢と科学はたがいに相いれない部分がありながら、夢は科学によって実現でき、また科学によってさらなる夢が生まれる可能性も秘めており、車の両輪のような関係でもあるのだ。また劇中で「原子」と受けとったことばは、台本では「原始」である。しかし劇作家が311の震災と原発事故を潜ませていることが伝わってくる。

 これまで劇作家山本タカは、既にある小説や戯曲をベースに独自の劇世界を構築する作品を多く発表してきた。みるものにとっては原作の存在が作品の方向性を考える上で重要なナビゲーターであった。それがあるがゆえに、自分の苦手な「ぶっとび型」の舞台ではないだろうという安心感もある。しかしちがう見方をすればどうしても原作に頼ってしまい、彼がほんとうは何を言いたいのかを見極める妨げになる可能性もあったのではないか。

 ここ数回の公演において原作の存在は次第に控えめなものとなり、劇作家自身が「書きたい」と願う部分がより強く提示されるようになった。まだ過渡期にあり、たがいをよく知るコエキモのメンバーだけでなく、今回の新ユニットの立ち上げなど新しい面々との仕事を重ねながら、変容していくと想像する。
 これが筆者が山本タカに抱く夢である。実現するにはもちろん先さまが(笑)どんな作品を書くかによるのだが、客席の自分もまた単に夢みているだけではなく、台本を読み込む力、目の前の舞台の展開をからだと頭と心ぜんたいで受けとめる力を養わねばならないだろう。
 夢の実現にはやはり努力が必要なのだ。

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