「蝉の巣立ち」と「高齢者の豪雨犠牲」を重ねて考える

2018-07-16 15:12:16 | 日記

       「蝉の巣立ち」と「高齢者の豪雨犠牲」を重ねて考える

 蝉の一生は、卵から生まれ(孵化)自分で地面まで下りて土の中へ。2年から6年かけて幼虫となり、やがて気温のあがったある夜、地面からはい出し、そして飛び立つ。あるものは飛び出したとたんに天敵の餌となるものもいる。幸い寿命を全うできたとしてもその生存期間は約1ケ月、そして子孫を残してこの世を去る。

 私の家の庭にある「紫蘭」の地の底が彼らの住処であり、やがて紫蘭の幹をのぼり、その葉の裏側で羽化しそして飛び立つ。その時の「一声」を耳にすることがあれば、ないこともある。これは毎年のことであった。

 ところが今年は異なった。異常な熱帯夜のせいか、それとも判断が誤ったのか。紫蘭の葉の裏側ではなく、駐車場にある自転車の幌に抜け殻を残し飛び立ったのである。

 確かに紫蘭の葉は幌の上まで伸びてはいる。そこをつたわってきたとしても、己のまわりには何もない。「無防備」の幌の上である。天敵にあうことなく、無事1月間の地上生活がおくれるものかはわからないが、我が家を根城にしてきた一匹の蝉に、無事配偶者を見つけ、子孫を残して欲しいと言葉をかけたいような気になった。

 折しも豪雨災害に見舞われた広島県、岡山県をはじめとした西日本の皆さんには心からのお見舞いを述べたい。そして亡くなられた200名を超える皆さんに哀悼の意を表したい。

 そこで考えさせられたものに、その亡くなった人々の約7割が60歳以上の高齢者であることが報じられている。その皆さんが独居か、あるいは二人暮らしであったかはその詳細を知ることができないが、押し寄せる水を逃れて二階、あるいは屋根に逃れる「垂直移動」ができなかったという実態は報じられていた。

 つまり階段を、時間をかけても二階へ移動できれば助かった命も、あっという間の浸水は、その皆さんに時間的余裕を与えなかったのであろう。確かによろめいても、そして転がっても横への移動は可能である。しかし、足腰が自分の体重を支え、持ち上げる力がなければ上への移動は困難である。また「寝たきり」の老人もいたであろう。それが今日的な災害弱者としての「高齢化の実態」なのだということを痛感した。

 「幌に抜け殻を残して飛び立った蝉」もまた生きにくい環境に置かれたのかもしれない。

 逃げ切れなかった高齢者と「身をあらわにして天敵に遭遇しなければならない蝉」の一生を重ね、重い気持ちになったある日の夏のことである。                    

  三輪車の幌にしがみついている 抜け殻 とその拡大写真                                                           


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