60歳の男性が小学生兄弟の命を奪う      その重さはいかほどか

2016-02-10 20:23:19 | 日記

 60歳の男性が小学生兄弟の命を奪う

          その重さはいかほどか

 

    今年も免許証の更新がやってきた。75歳以上の高齢者は「認知症判断」の講習会を受けることが義務付けされている。費用も時間もかかる。何もそのような講習は必要ないという意見もあるが、判断の検診を受け、そして自動車教習コースでの運転は、かつて緊張しながらハンドルを握ったことと、指導員の判定をドキドキしながら待った記憶が蘇ったことは無駄ではなかったと考える。

    私の地元で60歳の男性が運転する車に小学生二人の兄弟がはねられた。交差点を右折するときの事故と報道されている。左折の場合は死角による巻き込みが考えられるが、交差点における右折の場合は、右前方がそれなりの広い視野による判断は可能である。残念ながら詳しい情報は得られない。もしかして、一時停止をしている車の陰から飛び出してきた子供に気付くのが遅かったのかもしれない。このようなケースはよくあることである。そこで「停止している車の陰から子どもが、あるいはバイクがそして自転車が飛び出してくるかもしれない」という危険予知が必要ということになる。

  とりわけ、はねてしまった男性からすれば被害者は「孫の年齢」であろう。悔いようがない地獄を見た想いであることは間違いない。「夢であってほしい。時計が止まってほしい」と念じたであろう。いずれにしても、高齢になればなるほど瞬時の判断が鈍くなることは間違いない。

  そこで考える。いずれは運転免許の返上が必要となる。そして「足」を失った時の高齢者に外出をためらうケースが多い。家に引きこもるケースが多いと言うことである。足を使わなくなれば間違いなく体力、知力は一気に衰える。そのことを意識した準備が必要であると思うがどうだろうか。

  そこで提案がある。路線バスの利用を習慣にする取り組みができないかということである。具体的に述べてみたい。私の町の路線バスの利用に「定期券」というのがある。1年間有効で料金は24.000円である。定期券であるから「いつでも、どこからでも有効」である。自宅からの最寄りのバス停で乗車。バス時刻表を携帯しデパート、スーパー。そして美術館、食事のできる喫茶店へ。本屋を経由して自宅へ戻る。いわゆる「バス乗り継ぎの一日」である。いずれ「毎日が日曜日」である。足もかなり使うだろうし頭も使う。そして何回乗車しても毎日乗車しても年間24.000円である。

  そこで考えた。「毎月5の日を高齢者無料乗車の日」の実現を求める要望の力再度出せないか。現にいずれのコースもどの時間帯もバスの中はガラ空きである。そして油を燃やして走っている。そうであれば高齢者に、バス利用の習慣をつけてもらうための「投資」ができないかということである。利用者が増えれば路線も多くなる。便も増えるだろう。ますます利用しやすくなる。

   高齢者の公共交通の利用に対し自治体の補助がある。もちろん全面的に廃止されたところもあれば、補助が縮小されたところもある。私の市では、バス・タクシー、温泉入浴、針灸の治療に年間8.000円の補助が出ている。そこで「5の日の実現」を立ち上げた市民パワーが、今度は補助の増額を求める運動を起こし、そして増額が図られたとしたらどうなるだろう。

  自動車を所有するがゆえに課せられる自動車税・保険寮・車検料・そしてガソリン代の合計はいかほどか。そして終始、事故の重圧を持ち続ける。そのことを考えれば「公共の足の確保」のための運動を起こす事、そして、それが実現した時に日々の生きがいがどれほど変わるだろうか。そんなことを考えて高齢者講習を終了した。そして月内には免許の更新に出かける私である。


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