語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【木田元】モノそのものへの接近

2018年09月05日 | 批評・思想
 実務的な性格なので、読み通した哲学書は両手で数えられる程度だ。本書はしかし、新書だから薄く、解説書なので読みやすい。読み通せる。
 本書が刊行された1970年は、三島由紀夫が自衛隊に殴り込んで割腹自殺した年であり、翌年には京大闘争で心身ともボロボロになった高橋和巳が結腸癌で逝った。当時、抽象的な体系的知よりモノそのものへの接近を、殊に若い人々は渇望していた、と思う。本書は、そうした時代の要請に応える本だった。
---(引用開始)---
 「アロンは自分のコップを指して、《ほらね、君が現象学者だったらこのカクテルについて語れるんだよ、そしてそれは哲学なんだ!》
 サルトルは感動で青ざめた。ほとんど青ざめた、といってよい。それはかれが長いあいだ望んでいたこととぴったりしていた。つまり事物について語ること、かれが触れるがままの事物を、・・・・そしてそれが哲学であることをかれは望んでいたのである。」
 サルトルがはじめて現象学と出会ったときの情景を、シモーヌ・ドゥ・ボーヴォワールが『女ざかり』のなかでこう描いてみせている。1932年、ベルリンのフランス学院で歴史の論文を準備しながらフッサールを研究していたレーモン・アロンがパリに帰省し、モンパルナスのとあるキャフェでサルトルやボーヴォワールと一夕を過ごした折の話である。
 これはドイツに起こった現象学とフランス実存主義の出会いの貴重な第一ページということにもなるのであろうが、それよりも、いまわたしがここに見たいのは、1930年代のフランスの青年たちの現象学との出会い方なのだ。あらゆる哲学の抽象性に絶望しながらも、現実のなかで分裂する自分たちの思考を整然と組織してくれる救援を求めていたかれらは、カクテルをみたしたコップといったきわめて身近な現実について語ることを許してくれる哲学としての現象学にそれを見出したのである。
---(引用終了)---

□木田元『現象学』(岩波新書、1970)の「序章 現象学とは何か」の冒頭を引用

 【参考】
【知覚】の現象学 ポール・セザンヌ「風景」、1879年頃 ~ビュールレ・コレクション~

 

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