一法学生の記録

2014年4月に慶應大学通信部に進んだ法学生の記録である
(更新)2017年4月に神戸大学法科大学院へ進学しました。

基本書の「読み」方 3

2016-01-09 19:31:16 | 日記
基本書の「読み」方 3

 さらに付け加えると、

 「ただし」が、否定(but)、条件(condition)あるいは例外(exception)を含むものであるということを、述べた。

 同じく、

 「すなわち」と書いて、詳しく説明しているものは、その意味(mean)するところを述べているし、短くまとめている要約(summaraize)している場合を、分けることができる。

 「したがって」も、因果(so)をしめしているのが、前提から導き出される当然の帰結としての結論(result)なのか、微妙な違いがある。

 また、

 「これを〇〇の原則と呼ぶ」などの場合は、定義と原則の区別が定かではない。

 以上

基本書の「読み」方 2

2016-01-09 19:11:47 | 日記
基本書の「読み」方 2

 基本書を読みながら、味得したことを追記したい。

 基本書の書かれ方には、様々な型があるのだが、一本の本によってその書かれ方に一定のパターンがあることが分る。

 冒頭には、原則(principle)が来るか、要件(condition)が来るか、あるいは定義(definition)が来るか、または前提(assumption)あるいは根拠(basis)が、くる場合がある。

 続きには、例外(exception)、効果(efection)、意味(mean)あるいは、結論(result)、事例(example)、支持(support)、因果(so)など、様々である。

 今まで、肯定的なあるいは積極的なものを(and)で一纏めにし、否定的なものを(but)で一纏めにしていたが、細かく見ていくと文と文の関係には異なる性質であることが分る。

 注意が必要なのは、「しかし」と「ただし」の違いの様に、字面に任せて(but)にしそうなものだが、「ただし」の場合には、よく見ると、例外(exception)あるいは、条件(condition)を示しているものの方が、多い。

 これ以外にも目的(purpose)、要約(summurize)あるいは、対比(compare)など、色々な関係が見えてくるものである。

 一切、論理学の根拠に基づかない、我流であるが、ただ「読む」といっても、これらの違いに意識的であることは、一つに、漫然と読んでいないことの徴であること、二つに、識別を訓練付けることが何かしらアウトプットに役立つのではないか、と考えている。

 以上

基本書の「読み」方

2016-01-06 07:55:30 | 日記
基本書の「読み」方

 基本書の学習の仕方は、色々とあると思う。よくでてくるのが基本書を「読む」という、ことだ。僕にとって佐藤功先生の『概説日本国憲法』が、はじめての基本書であったが、その時から、基本書を「読む」ということを諦めている。なぜなら、読んでも分ったようで、分らないからである。

 自分的には「読む」というよりか、「写す」といい。基本書のあらすじを、1.分析して、2.構造を掴み、3.ノートに写す、という作業をしている。勿論、1.分析しての、の前には、0.読む、が含まれているのだろうが、読んだだけでは本当に頭に入らないのである。

 「写す」といっても、漫然と写すのではない、写し取るだけなら写経と変わらない、それでは、依然として理解できない。基本書のあらすじは、体系的に、項目ごとに、細かく、整理されているが、その一つの項目を見ても、筆者が伝えたいことがある。簡潔に、かつ的確に、次第を漏らさず、書かれているのだが、注目をしているのは、文と文の接続である。

 民法の我妻先生の書き方は、面白い。はじめに、結論めいた一文を掲げる。そして、「しかし」とつなげて、例外を示す。さらにに、「したがって」とつなげて、原則との関係を示す。といった具合に。だが、往々にして、接続詞は宛にならない場合も少なくない。「しかし」と始まりながら、その文の「、」で区切られた連続する節の内容に関していえば、前文に対する否定になっているが、その一文全体を見渡せば、答えは肯定しているという、場合もある。このため、ノートには、前文と後文の関係を示すための、印をつけている。

 「AND;BUT;SO;EX;対比;結果;肯定;」等などを文の先頭に必ず明示することで、漫然と「読む」ときに、おちいり易い、あやふやな理解による理解を、防いでいる。

 だが、僕の学習方法も、修正を迫られていると言えよう。この方法では、時間がかかりすぎるのだ。例えば、我妻先生の民法総則は、500ページあるが、この方法で読み込める速度は、一時間4~5ページである。10時間かけて40頁しか進まない。週末の一日漬けで勉強しても、50頁ぐらいしか進まないのが実感だ。また、読み応えのないといったら語弊があるが、分かりやすさを重視する、最近の基本書の傾向から言えば、「読む」ことをしても、理解できてしまうので、わざわざ「写す」必要まであるのかと、思われるときがある。

一方で、利点もある。それは、「読む」ということに比べて、はじめやすいし。「書く」ということに比べても、はじめやすい。どういうことかというと、「読む」という行為では、あやふやな理解の上に理解を重ねがちであり、かつ、十分に脳裏に焼き付かないため、段々眠くなってくるのだ。次に、「書く」となれば、ここでは論述の事をいうが、既読の知識を回想する、あるいは、綜合するなど、高度な頭脳運動が必要になり、たとえば、疲れているときなどに「さあ書こう」としても、中々進むものではない。

 だが、「写す」ということであれば、仕事が終わってから、心身ともに疲れが襲ってこようが、なんとか、はじめることができ、眠くなることもなく、つづけることができるのが、一番のメリットである。

 以上

生まれ変わる日

2016-01-05 21:26:41 | 日記
生まれ変わる日

 今日は、何でもない月曜日。でも、ちょっぴり特別な月曜日。

 皆さんも、人生に変化を起こした日はありますか。そんな日は多分、特別な日なんでしょうけれども、僕の場合は普通の月曜日でした。

 昨日の夜は、たった一時間しか、眠れませんでした。なぜかと言えば、仕事やそのほか、人生の事を考えていたのです。

 それでも結局答えが出なかった。朝から、仕事が捗らなかった。そんなことは、30歳にもなると、何てことはない。
 
 一つ会社の中で、自分にできることは限られているんだから、精一杯やればいい。そう、思いなおした。

 そして、僕は生まれ変わった。一生このままではいかない。出した答えは、常に、研鑽を怠らないこと。

 たぶん、今とは何も変わらないだろうが、僕は、さっそく部屋の隅の雑誌と衣類で山盛りにになった、小机をもう一度片付けている。

 勉強しよう。

 何が何でも、力を尽くせば、必ず将来の種になる。

 以上