メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

ドニゼッティ「アンナ・ボレーナ」(メトロポリタン)

2012-10-26 15:20:04 | 音楽一般

ドニゼッティ:歌劇「アンナ・ボレーナ」

指揮:マルコ・アルミアート、演出:デイヴィッド・マクヴィカー

アンナ・ネトレプコ(アンナ・ボレーナ)、エカテリーナ・クバノヴァ(セイモー)、イルダール・アブドラザコフ(エンリーコ(ヘンリー八世))、スティーヴン・コステロ(ペルシ)、タマラ・マムフォード(スメトン)

2011年10月15日 ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場  2012年10月WOWOW放送録画

評判のアンナ・ネトレプコの「アンナ・ボレーナ」である。これはやはり生であるいは映像で見るのがいいだろう。ドニゼッティの音楽も彼の多くの作品の中でいい方の部類だろうが、音だけ聴いてもあまり感じないと思う。
アンナ・ネトレプコは声、その表現力も大したものだが、このドラマが進んでいくにしたがって顔にも変化が現れてくるなど、演技者としても跳びぬけた人である。
  

 
  
話は15世紀イギリスのヘンリー八世(エンリーコ)の治世、2番目に妃になったアン(アンナ)の話、そうあの映画「ブーリン家の姉妹」の姉の方の話である。ただここでは映画に出てくる妹メアリーとの確執はなく、妃になってその後侍女と王との関係、アンナが以前から知っていたペルシとの関係を王に悪用され、処刑されるまでの話である。

アンナ、王エンリーコ、侍女、ペルシの四角関係、それもすぐにアンナが責められて死に至るのは必然ということはわかってしまう。あとはそれぞれの心情の吐露があるが、アンナには王を除いた三人の思いの救済が、音楽的に要求されている、そういう作品である。
   

その歌唱が観客にとっても救済になり、カタルシスになる。ただアンナの長丁場の歌は、ドニゼッティやベッリーニのいくつかの作品のような典型的な「狂乱の場」とはちがう。
  

     
演出は全体にオーソドックスで、衣装は考証もしっかりしているらしい。壁面とその動きによる場面変更がスムースで、これはエクス・アン・プロヴァンス音楽祭の屋外公演から影響を受けているようにも、私には見える。
  

   
それにしても、この状況、この結末から、アンナの娘がよくもエリザベス一世になったものだ。この舞台でも一瞬姿を見せる。

  
ドニゼッティやベッリーニのこのころの作品には、舞台がイングランドやスコットランドのものがいくつもある。イタリアにはあまりこういう王国がなかったせいだろうか。それとも彼らの主たるお客がパリだったから、あのあたりの話が適当だったのだろうか。
 


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ポール・サイモン「Under African Skies」

2012-10-21 14:36:51 | 音楽一般

ポール・サイモン「Under African Skies」 (ドキュメンタリー・ビデオ)

2011年、100分

監督:ジョン・バリンジャー  2012年10月 WOWOWの放送録画

 

ポール・サイモンが1986年に作った「Graceland」は、当時まだアパルトヘイト状態だった南アフリカに彼が入っていった時の活動をもとにして作られており、それはいろいろ波紋を呼んだらしい。アルバムはヒットしグラミー賞も得ている。それから25年たってサイモンが南アフリカを再訪、当時の仲間や意見を対立させた人との再会を軸に、当時の映像を交えて作られた、たいへん貴重なものである。

 

実はもったいないことに、この「Graceland」のLPレコードを日本発売直後に買っていて何度か聴いているのだが、そういう背景には特に思い当たらず、何度か聴いただけだった。

 

サイモンがあるところからカセット・テープをもらい、それに入っていたのが南アフリカの人たちが作った音楽、それに興味を持って南アフリカを訪れ何か作ろうと単純にしたらしい。

ところが当時南アフリカはアパルトヘイトを理由に米国をはじめ主要国から様々な場面でボイコットされており、ポール・サイモンのような人が、純粋に音楽活動であれこの国に入るというのは、たとえ相手が迫害されている側の人たちであっても、この国を認めたことになるということから、ずいぶん非難されたらしい。当時それを主張し、今回結局和解した人たちも出てくるし、サイモンの行動に理解を示すハリー・ベラフォンテ(懐かしい!)、ポール・マッカートニー、フィリップ・グラスなどの談話も興味深い。

 

なお「Graceland」はやはりプレスリーの出身地のことらしい。音楽的な内容とはあまり関係ないようだが、そうはいっても二人のつながりはうれしいことだ。

 

南アフリカのミュージシャンたちをこうして映像で見ると、本当に音楽の本質というか力というか、アメリカ音楽のルーツというか、直感で感じるところが多い。

ビデオを見た後LPを聴いてみた。歌詞がぎっしりつまっていて、だらしないことだがポール・サイモンが一人になってからのいくつかのアルバムとそんなに違うかというとよくわからなかった。ただ南アフリカの人たち数人をアカペラでやった「Homeless」はやはりすごい。

それからクレジットにリンダ・ロンシュタットの名前があり、はてどこにと調べてみたら「Under African Skies」という曲でポールとデュエットしていた。歌詞に彼女が生まれたツーソン(アリゾナ州)も出てくる。二人の声のブレンドが絶妙で、彼女の発声の良さが生きているようだ。彼女のこと知ってはいたが、今ほど好きではなかったから気がつかなかったのかもしれない。 

 

ともあれ、ポール・サイモンは音楽から南アフリカに入ってしまい、そのあといろいろ言われ、彼自身は人種差別反対だろうから苦しんとは思うのだが、そうはいってもかの国のミュージシャンにやる気がある以上、音楽第一とし、最後はそれが空間と時間に通じた、ということは、彼の意志と音楽の力、と思いたい。 

 

ポールは小柄だし、ずいぶん年取ったなと思う。もう70歳だから当然だけれど。

 

ポールと南アフリカといえば「明日に架ける橋」、この国の教会で元来のゴスルとして歌われているという話をきいている。おそらくアレサ・フランクリンが1971年にフィルモア・ウェストで歌ってからだとは思うけれど、そのプロセスはよくわからない。

最近NHK地デジで再放送されている「glee2」の3話だったか、教会でこの曲がゴスペルで歌われるシーンがあった。

 

なお「Graceland」やはりプレスリーの生地のことのようで、音楽的な内容とは関係ないようだが、ポール・サイモンの頭の中にプレスリーがいることは確かで、それが表に出たのはうれしいことだ。


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「ネットの自由」VS. 著作権 (福井健策)

2012-10-18 13:57:17 | 本と雑誌

「ネットの自由」VS. 著作権  TPPは、終わりの始まりなのか 

福井健策 著 光文社新書(2012年9月)

 

「著作権とは何か」、「著作権の世紀」に続く三つ目である。この分野を、事例をうまく使い、明解に説明しているということで著者は際立っているが、「何か」そして「今の時代における著作権の大きな問題」ということに続いて、今回はTPP問題に見る米国主導の知財強化が世界を席巻しかねないということを軸に、さらに今後の問題点、可能性をさぐるというものである。

 

実は米国政府のTPP知財文書が流出したとされていて、この本にもそれが載っている。このとおりになると、米国の巨大なコンテンツ業界、またメディア、プロバイダーによる世界の囲い込みとなりかねず、それを日本の権利者団体も自らの利益を考えれば歓迎しかねない、という困った状況のようだ。 

そうなると私などはこれまで米(こめ)を除外すればTPPは進めて方がいい(米は国防手段の一つとして残しておいた方がいい、米さえあれば貿易封鎖に耐えられる)と考えていたが、知財権がこうだと、この部分は見送った方がいい。

 

著者の考え方には私もほぼ同感で、このままいくと著者はむしろ創作活動が低下するといっており、また私もデジタルアーカイブをはじめ、ネット社会での過去の資産活用に支障をきたすと考える。

著者がうまくまとめている権利と利用のバランスは妥当なものだと考えるけれども、日本における一般の見方はむしろもっと権利尊重に寄っているだろう。

 

しかし、ネット社会の変化を見ていると、近い将来、気がついたらいつの間にか知財権がほとんど崩壊している、まるでソ連崩壊のように、ということになっているのではないかとも思う。


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Yuiの「fight」(全国学校音楽コンクール)

2012-10-09 09:47:52 | 音楽一般

昨日のNHK全国学校音楽コンクール中学校の部決勝、今年の課題曲(合唱)はYui作詞・作曲の「fight」だった。一週間前に関東甲信越の代表選考会の放送(決勝と同じくETV)で聴いたときに、いい曲だなと思った。

 

決勝では一段とレベルも上がって、出場校はすべてこの曲と自由に選んだものを歌うのだが、ずっと聴いていてあきない。中学生たち、毎年笑顔で歌うけれども、今年は本当に内面から自然にそれが出ているようだった。

 

中学生の時期は自分で振り返ってもそうだけれど、もやもやしたわかりにくい時期で、またそれだからこうして音楽をやると面白い。このところ中学校の課題曲を名の知れたシンガー・ソングライターに作らせているのも、NHKのそういうことを考えての狙いかもしれない。

 

このfight、「頑張れ」が12回出てくるという特異な歌詞、本来こういうの嫌いなのだが、そして「頑張れ」と励ますのは逆効果でとんでもないこともあると組織内で教育されることもあり、それは納得できるし、昨年の災害の後、単純に頑張れという曲には違和感を持たれるというのもそうだろうと思う。

 

そういうことを前提にして聴いても、これは見事にちがう世界に皆を引き込んでいく。特に歌うものに。思うようにいかない現実を受け入れながら自分で自分に頑張れとつぶやいているような。それを可能にするのが、言葉に加えての音楽だろうか。

 

大会のゲストで登場したYui本人がギター1本でこれを歌った、絶唱。もちろん合唱のための松本望の編曲も素晴らしい。

 

歌詞の中に「勝ち負けだって 本当は大事なことなんだね」とある。おりしも昨日は「体育の日」、運動会で一等二等というのを今でもやめているのだろうか。

 

番組の最後にテロップで、各地区大会出場の校名が流れる。東北は全般に盛んなようだが、中でも福島県はずば抜けて多い。それにこのところ小中高あわせて入賞が多く、昨日も金賞が会津、銀賞が郡山であった。郡山は昔から音楽が盛んだったけれども。


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ベルリオーズ「ファウストの劫罰」(メトロポリタン)

2012-10-05 16:29:37 | インポート

ベルリオーズ:劇的物語「ファウストの劫罰」

指揮:ジェイムズ・レヴァイン、演出:ロベール・ルパージュ

マルチェロ・ジョルダーニ(ファウスト)、スーザン・グラハム(マルグリット)、ジョン・レリエ(メフィストフェレス)

2008年11月22日 ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場  2012年9月WOWOW

 

登場人物が少ないことと、人物に関するドラマ性が単純だからか、コンサート形式で上演されることも多いらしい。いくつかの部分は極めて有名でしばしば名曲コンサートで取り上げられる。

 

全曲盤(LP2枚組、ミュンシュ指揮ボストン交響楽団)が手元にあり、一度は聴いたはずだが、あまり記憶はない。廉価盤のかわりに歌詞対訳なしというものである。

 

さて、こうしていま売れっ子のルパージュにかかると、これがスペクタクルというかレビューというか、とにかく見ものとしては面白いものになる。これはこれで一つのいきかただろう。

 

舞台中央から後方に、三階建くらいのビルの大きな骨組み、前方と後方の壁は透明にもなりまた映像投影の対象ともなり、また赤外線による人体感応機能や、声の変化によって色などが変わるというしかけを用いたりしている。

なにしろメフィストフェレスが支配する世界がほとんどだから、こうでもした方がむしろリアルともいえる。

 

音楽、特にオ―ケストラはいたるところベルリオーズ節だから、レヴァインの棒もあって、聴かせどころはいくつかある。

ただ、この内容で二時間はちょっと飽きる。 

 

さて最後に、マルグリットは74段の階段(梯子)を上って天に召されていく。舞台の上では74もないようだが、プリマも高所恐怖症ではつとまらない。たいへんである。

 

 


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