メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

魚川祐司「仏教思想のゼロポイント」

2015-09-30 10:02:19 | 本と雑誌
「仏教思想のゼロポイント 「悟り」とは何か」魚川祐司 著 2015年4月 新潮社
 
私は宗教についてはおそらく日本人の平均で、家族の葬儀は仏教、結婚式はたまたまキリスト教、初詣では神社である。無宗教といえばそうであろう。
 
それでも、生き方や世界観、人との付き合い方などについては、仏教やキリスト教の一部を知っているし、影響を受けていることは確かである。また年齢とともに、神道というものも、これはなかなか味わい深いものだと考えるようになった。
さて仏教だが、経典を直接読んだことはなく、関連書籍についても人生論的なやさしいものを少し読んだ程度である。それよりも法事などでお経のあとに僧侶が語る法話が印象深い。
 
ところが本書を読み進むにつれ、仏教のこういう側面はゴータマ・ブッダの教えからはかなり隔たった、時間とともに派生していたものからきているということはすぐにわかった。ゴータマ・ブッダが目標としたものは悟り、つまり解脱・涅槃である。それは生きている衆生にとって現実には不可能だがそれに向かって修行をする、というものではなく、まさにその実現に向かっていくものであり、現実にブッダが、そしてその後に多くの修徒がそれを得た、ということである。
 
それにはどういう認識が必要であり、どうなったらそうなるのか、ということがここで述べられている。出てくる用語は個々に説明されているけれども、かなり多いから読み進むうちにわからなくなることが多い。それでも大筋の論述を誤って理解してはいないと思われる。それは著者が懇切丁寧に書いているからであり、経歴を見ると1979年生まれという若い人だが、初めに西洋哲学を学んだということから、今の我々にもわかりやすい文脈になっているのだろう。
 
こうして読んでみると、著者も書いているように我々が親しい大乗仏教と、あの黄色い服を着て若いころに多くの人が修行に入るミャンマーやタイの仏教(いわゆる小乗仏教)のちがいもよくわかってくる。大乗仏教は、結果として、広がりを持って多くの人たちに共通の影響を与えてきたし、「論語」などのような人生の指針としての役割を果たしてきた。
 
それに対し、ゴータマ・ブッダの教えというのはあくまで「悟り」を目指す個人への指針であり、ここでも語られているように「修行を積んだからと言って人格がよくなるものではない」そうだ。

だからといって、大乗仏教にも共通する「世間」における欲や迷いからの脱却というか、そういう一般の修行が否定されているわかではなく、それらは「悟り」に至る過程でやはりそうあった方が、周囲との関係などで、良いということである。
 
本書は私にとってなかなかない衝撃だったが、その上で、今後法事など落ち着いてつきあっていこうと考えている。また本書を読めば、今もときどき出てくる仏教系のカルトなどについてこれも落ち着いて判断できるだろう。
 
ところで本書でも語られているように、ゴータマ・ブッダの教えに近い修行が行われているのは一にミャンマーのようだが、私の子供ころはここはビルマと呼ばれており、「ビルマの竪琴」(竹山道雄)はその映画とともによく覚えている。確か学校から見に行ったように思う。大戦で捕虜になった上等兵の話で、おそらくかの地の僧侶の姿(映画の中ではあるが)を目にした最初であろう。

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ロッシーニ「ラ・チェネレントラ」(メトロポリタン)

2015-09-22 17:34:18 | 音楽一般
ロッシーニ:歌劇「ラ・チェネレントラ」
指揮:ファビオ・ルイージ、演出:チェーザレ・リエーヴィ
ジョイス・ディドナート(チェネレントラ)、ディエゴ・フローレス(王子)、アレッサンドロ・コルベッリ(父ドン・マニフィコ)、ラシェル・ダーキン(姉グロリンダ)、パトリシア・リスリー(姉ティスペ)、ピエトロ・スパニョーリ(従者ダンディーニ)、ルカ・ピサロ-ニ(哲学者アリドーロ)
2014年5月10日 ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場 2015年8月 WOWOW放送録画
 
このチェネレントラ(シンデレラ)、見るのは3回目くらいだが、そのたびに楽しめ、またより傑作という思いが強くなっている。以前アップしたものは2009年のメトロポリタンで、演出は同じ人だった。二つを比べると、今回の方がよりコミカル、悪くいえばドタバタが強くなっているが、おそらくそれは確信犯だろう。装置、照明は今回の方が少し暗い色調のようだ。もっとも前の録画を再度確かめたわけではなく、なんとなくである。
 
キャストでは、継父と義理の姉二人以外はちがうものとなっている。特に今回は当然主役の二人、ディドナートとフローレスが呼び物だ。二人ともこの役を長く手掛けている。特にフローレスは本当に期待どおりで、こんなに魅力ある、そして歌唱が完璧な王子はちょっとないだろう。
 
ディドナートも期待通りで文句はないようなものだが、欲を言えばあまりにとびぬけて歌唱をこなしてしまうため、登場した最初から、これは彼女が最後は姉たちをやりこめてしまう、また王子に対しても優位にたつだろう、ということが見えてしまう感がある。まあここまで20年以上歌いこんで、これが最終公演、つまりこのあとはより重く強い声質の役に移る(これは普通)ようだから聴きおさめと思えばいいのかもしれない。
 
話しの筋に沿ってどうか、ということでいえば、前回のガランチャもよかった。その容姿も含めて。
その他では、従者のスパニョーリがなかなかいい味を出している。
 
今回あらためて思ったのは、このオペラでは、カボチャの馬車もガラスの靴も出てこず、王子が相手の生まれなどにとらわれていないか、そういう王子なら一緒になろうという自立した女性像を提示し、しかも最後に自分をいじめた家族を許そうと王子に言う、そのこと。ペローの童話のあと、ロッシーニのこのオペラが作られたことの意味は大きい。まだ見ていなけれどディズニーの実写版「シンデレラ」はアニメなどとはちがい、少し自立した女性として描かれている側面があるといわれている。ロッシーニの影響はおそらくあるだろう。
 
指揮はファビオ・ルイージ、この人はメトでもドイツ・オーストリア系のものが多く、それは経歴からも自然のようなのだが、そこは名前のとおりイタリア人、スピード感、ブリオ、カンタービレもよくまた柔軟で、前回のベニーニとは別の感じで、とても楽しめ、高揚感もあった。

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パガニーニ 愛と狂気のヴァイオリニスト

2015-09-07 14:33:35 | 映画
パガニーニ 愛と狂気のヴァイオリニスト(The Devil's Violinist、2013独、122分)
監督・脚本:バーナード・ローズ 音楽:デヴィッド・ギャレット、フランク・ファン・デル・ハイデン
デヴィッド・ギャレット(パガニーニ)、ジャレッド・ハリス(ウルバーニ)、クリスチャン・マッケイ(ワトソン)、アンドレア・デック(シャーロット)、ヘルムート・バーガー(バーガーシュ卿)
 
パガニーニというひとは、作曲家のなかでは映画の題材として向いていると思う。これまでにも何度か取り上げられているようだ。
ただこの映画、本職ヴァイオリニストであるギャレットが演奏ばかりでなく音楽全般にも加わり、力を入れたわりには、面白みに欠け、ちょっと残念だった。
 
パガニーニの天才ぶりが評判にになりはじめたとき、いち早くそれに目をつけマネージャーを買って出たのがウルバーニ、この人はメフィストフェレス風であり、内面の「魔」が天才の「魔」を見抜くといった感じである。その売出しに応じてロンドン公演を思いついた指揮者・呼び屋のワトソン、そして理解しない新聞記者、社会運動家などを交えたドタバタが前半で、期待とは違い退屈する。
 
ワトソンの娘で声楽を習っているシャーロット(この人チャーミング)は、パガニーニのわがままぶりに最初はあきれて誘いを拒否していたが、その才能に気づき好きになっていく。ちょっところっとなるのが簡単で、早すぎる感はあるが。
それからの後半は、楽曲・演奏の実力中心の騒ぎで、映画としてまずます。
 
パガニーニ作の他、なかなかうまい使われ方をしている曲いがいくつかある。特にウルバーニの「魔」を象徴しているシューベルト「魔王」、そしてシャーロットが練習していて、乙女が内面から何かにつき動かされる不安を象徴している同じシューベルトの「糸を紡ぐグレートヒェン」。あれっ、時代がかなりあとのラフマニノフ?と思ったが、クレジットにはラフマニノフ作曲でも「パガニーニの主題による狂詩曲」、なるほど。
 
さてクレジットの出演者になんとヘルムート・バーガー、卿の役で見ていて気がつかなかった。ヴィスコンティ晩年の作品から後、ほとんど見てないが、ともかく無事(失礼)にやっていてなにより。


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ジャージー・ボーイズ

2015-09-01 21:11:03 | 映画
ジャージー・ボーイズ(2014米、134分、JERSY BOYS)
監督:クリント・イーストウッド
ジョン・ロイド・ヤング(フランキー・ヴァリ)、エリック・バーゲン(ボブ・ゴーディオ)、マイケル・ロメンダ(ニック・マッシ)、ヴィンセント・ピアッツァ(トミー・デヴィート)、クリストファー・ウォーケン(ジップ・デカルロ)、マイク・ドイル(ボブ・クリュー)
 
「シェリー」という1962年のヒット曲は60代後半多くの人の記憶にあるはずである。日本でカヴァーしたのは九重佑三子・パラダイスキングで、あの漣健児の訳詞。
 
歌ったのはフォー・シーズンズというニュー・ジャージー出身の4人組。この若者たちがどう出会い、音楽をやり、「シェリー」から始まるヒットを続け、しかしいろいろもめごとがあって、それぞれの人生がどうなっていくか、ヒットしたミュージカルの映画化である。この時代のミュージシャンにはありそうな話だが、見ているこっちとしても新しい発見がいくつかあって、面白く見ることができた。
「シェリー」一発ではなく、その後かなり継続して活躍しており、1960年代中ごろからはアメリカもビートルズに席巻されたのだが、このグループはずいぶん頑張っていたようだ。
 
あのハイトーンが目立つリード・ボーカルはフランキー・ヴァリで、そういわれるとその後ソロでたびたび名前を聴いた気がする。4人目に作曲・キーボードで優れたボブ・ゴーディオが入ったことが、「シェリー」をはじめヒットを飛ばし、また彼の性格ゆえかかなり長続きしたようだ。ゴーディオを紹介したのがメンバの仕事仲間のジョー・ペシ(俳優)だった(年齢からしてちょっと疑問もあるけれど)とか、ゴーディオがその前に作っていた曲にあの「Short Shorts」(タモリ倶楽部のテーマ曲)があったり、マイク・ドイル(プロデューサー・ディレクター)が実はあの有名なリベラーチェ(ラスベガスなどで活躍した派手なエンターテイメント系ピアニスト)だったり、エピソードに欠かない。
 
フランキーとボブが他の二人と離れがちになり、またフランキーの家族に不幸があって彼が落ち込んだ時にボブが書いてフランキーを復活させたのがあの「Can't Take My Eyes Off You」(君の瞳に恋してる)だったとは(この場面はシンプルに感動的)。この曲は多くカヴァーされ、1980年代バブル期のディスコでは一番人気があった。
 
なぜか4人が気に入り、面倒をみていた街の顔役デカルロは、久しぶりのクリストファー・ウォーケン、この人が出ているとその役をじっくり味わう気になる。
 
監督はクリント・イーストウッド、この人の守備範囲は本当に広い。いろんな人間のいろんな面に興味を持ち入り込んでいくのだろうが、そこから表現へというのは驚異的である。見てはいないけれど「グラン・トリノ」(2008)という映画があるように、若ものたちへの関心は深いのかもしれない。この映画、細かいところに気のきいたエピソードがあり、なかなかしゃれているが、欠点は長いこと。前半を工夫して2時間以内にしてほしかった。
 
さて前述のように、「シェリー」の後はビートルズが目立ってしまったせいか、何十年かたって、1960年代のアメリカのポップスについては特にわが国では情報不足になっている。だからあの「アメリカン・グラフィティ」(1973年、ジョージ・ルーカス)は貴重なのだが、これは1962年の一夜が舞台、まさに「シェリ-」とはすれ違いで、フォー・シーズンズの曲は使われていない。したがってこの「ジャージー・ボーイズ」はそれを補ってくれてうれしい。加えてビーチ・ボーイズの映画も作られているとかで、それも見てみたいと思っている。個人的にはアメリカの音楽の方がイギリスのものより好きだし。




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