東日本大震災では3月11日に少し帰宅難民経験をしたほかは特に被害をうけていないけれども、その後気分が浮かない状態は長く続いた。音楽もあまり聴く気にはならなかった。
ただ先に書いたように、ズービン・メータが音楽活動で日本への支援をいち早く表明したので、彼のマーラー「復活」(ウィーン・フィル)を聴き、久しぶりにいいなあとは思った。
一方、世の中の音楽家たちの活動、その曲たちは元気づける曲が多い。彼ら、彼女らの思いは真摯なものだし、それに文句はない。
ただ、以前どこかで読んだことがあるのだが、悲しいときは悲しい曲がいい、そう、事実はそうなのだ。で、ベートーヴェンの「悲愴」を聴いてみた。ピアノはフリードリッヒ・グルダ、さらさらと快調に進んでいく演奏と曲想の取り合わせがまたいい。
それではと思い出し、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」をかけてみた。続けて5番、4番も。
実はこの「悲愴」とは相性が悪く、あんなに同じ作曲家のピアノ、ヴァイオリンの協奏曲、ピアノ三重奏曲、ピアノ曲、歌曲などは好きなのに、こっちは構成感がいまひとつしっくりこないし、終わっても悲愴なままというのがなんともであった。
ところが、今回はもう打ちのめされてしまった。よく聴けば、管弦楽の細部、そして進行、あの素晴らしい第3楽章のフィナーレで曲が終わったと思いきや、また第一楽章にも出てくるあの悲しいメロディーが、、、
これは、悲しみをいやすでもなく、克服するでもなく、聴く人を慰めるのでもなく、ひたすら悲しみを、憂鬱を生きている、それでも生きている、なんかニーチェの永劫回帰みたいだけれど、そういう人の曲、それだけの曲なのである。それを稀代のメロディーメーカーが、見事な管弦楽で作り上げた。なぜいままでそれを受けとれなかったか。
でも、ある程度クラシック音楽を聴き続けた人が、もし古今の交響曲で名曲10曲をあげるとなると、「悲愴」は入らないのではないだろうか。皮肉だけれども私が若いころは、私はともかく多くの人が選べば入っていただろうが(逆に私は入れなかっただろう)、その後マーラー、ブルックナー、ショスタコーヴィチがこうまでポピュラーになってしまうと、どうなんだだろう。
今、わたしなら「悲愴」はまちがいなく入れる。そしてこの3曲、ブラームスの4曲と比べても遜色ない。
さて今回取り出して聴いたのは、カラヤンが1980年代中ごろ、彼の最晩年近くにウィーン・フィルと録音したもの。
カラヤンは確か「悲愴」を7回、5番と4番を6回録音している。レパートリーがおそろしく広いカラヤンで、一番多い、しつこくやったのがチャイコフスキーというのが、どうもこれまで納得できなかったのだが、今回わかったような気がする。かれは哲学者ではなく、やはり音楽家、演奏者だったのだ。
そしてこの演奏、素晴らしいとしかいいようがない。
そしてここでのウィーン・フィル! これはなんだろうか。
ウィーン・フィルって、チャイコフスキーが一番好きなんじゃないのか。もちろんドイツ・オーストリー系の音楽はうまいけれども、それは彼らにとって「ミッション」、チャイコフスキーは「プレイ」、といったら失礼だろうか。ほんとうに楽しそうに、こんなにうまく弾けて楽しいな、というのがちょっと見えてくる。
そういえば、こういうウィーン・フィルを良く知っていたのが英デッカで、カラヤンについても1960年ごろまとめて録音をしたときにチャイコフスキーのバレエがいくつか入っていたし、その後フランスのジャン・マルティノンが指揮した「悲愴」は大ヒット、そしてリッカルド・シャイ―の第5番は彼のメジャー・デヴューではなかったか。