「ジェイン・オースティンの読書会」(The Jane Austen Book Club、2007米、105分)
監督・脚本:ロビン・スウィコード、原作:カレン・ジョイ・ファウラー
キャシー・ベイカー、マリア・ベロ、エミリー・ブラント、エイミー・ブレネマン、ヒュー・ダンシー、マギー・グレイス
カリフォルニア州サクラメント、独身で最愛の犬をなくした友人(マリア・ベロ)を元気づけるために、5回の結婚経験がある女性(キャシー・ベイカー)は読書会を思いつく。テーマはジェイン・オースティンで、女五人、男一人で始まる。オースティンの長編は六つで、読者の男女比率を考えれば、それにあわせた設定だろう。そして一ヶ月一作品、担当を決めて進めるうちに、その作品にかかわる問題がその担当ばかりでなくそれぞれに持ち上がっている。離婚したばかりだったり(エイミー・ブレネマン)、同性愛者(マギー・グレイス)、ゲーム・スポーツ好きの夫を持つ高校のフランス語教師(エミリー・ブラント)が教え子と仲良くなりそうだったり、ただ一人の若い男(ヒュー・ダンシー)はいい性格だがなかなか居所が定まらない。
この原作が翻訳され評判になっていることは知っていた。ただ、アメリカのこういう話だと、東部のスノビッシュな話ではないかと敬遠していた。そこで映画ならと見たら、西海岸のきわめて現代的なテンポのいい、コメディの要素もあるアメリカ映画であった。
この顛末の背景にもはや神はいない。何でもありの物語である。それでもドラスティックな、目を覆うような結末にはならないのは、登場人物が自分に素直なばかりでなく、そこに抑制、節度が出てくるからである。神がいないところで、読書会をやっていて、ジェイン・オースティンだからそういう節度が、というのはいくらなんでも、なのであるが、これは映画と思えば、やられてしまったの感があって、後味はいい。
そうまさにここでは「分別と多感」なのである。
この人たちのようにオースティンを読み込んで頭の中に整理していれば、もっと面白いのだろうが、読んでいなくても理解できなくはないようには出来ている。
実は六つの長編のうち、これから読む予定になっている「マンスフィールド・パーク」以外は全部読んでいるのだが、すべて一回だけであるし、彼女の作品はよく似ているところがあるから、どれがどれだかわからないことが多い。
それでも「分別と多感」は映画「いつか晴れた日に」を見たし、「高慢と偏見」はTVドラマ(BBC)、映画「プライドと偏見」、さらにこれを下敷きにしている「ブリジット・ジョーンズの日記」を見ているから、この二つはなんとか今回もところどころで、「ああそうだな」と納得した。
役者はほとんど知らない人たちで、6人のうちだれが主役というわけではないけれど、演技の鮮度ということではエミリー・ブラントが目についた。彼女、「チャーリー・ウィルソンズ・ウォー」では目立たなかったが、「プラダを着た悪魔」ではなくてはならない役と演技だった。
監督のロビン・スウィコード(女性)は、これまで多くの脚本を手がけてきた人で、監督は今回が初めてだそうだ。最初は細かい書き込みが多すぎるようで追いかけるのに手間取ったが、後半からは見事。ただ、結末のさらに一年後は余計なエピローグではないだろうか。
渋谷文化村ル・シネマの最終日、単館上映だからか見逃してしまいそうだった。前日に「河野通勢展」(松濤美術館)からの帰り、文化村の前で看板を目にし、なんとか翌日見ることが出来た次第。通勢に感謝しなければなるまい。
ところで、
エイミー・ブラントの夫役がオースティンのことは何も知らず、名前をきいてアメリカ南部の都市のことかと思った、という台詞がある。
ところが作者はAustenで、地名の方はAustin、昔あったイギリス車の綴りもAustinである。今回はじめて気がついた。