WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

「花嫁」

2021年08月16日 | 今日の一枚(various artist)
◎今日の一枚 533◎
Various Artist
フォーク・ベスト
 数日前に一旦退院したが、今日また入院した。今度は治療のための入院である。明日手術をし、10日間で退院の予定である。ただしその後、半年以内に3週間の入院治療をしなければならない。これまで、入院などしたことがない私にとっては、ずいぶんと長く感じられるが、一方未知の経験であり新鮮でもある。
 退院から数日間の自宅での生活は、家族の配慮もあり、のんびりと過ごすことができた。食事等の制限がなかったので、かつおやメカジキを食べ、酒も飲んだ。メカジキを刺身で食べるのは、気仙沼だけらしい。お盆期間に入ると、船が休みなのか、スーパーから生のかつおは消え、冷凍ものに変わった。お盆のためか、値段の高い本マグロの中トロも並ぶようになった。コロナ禍で今年も東京の長男の帰省はなしだが、長男が来れば、高い中トロを買ったかもしれない。

今日の一枚は『フォーク・ベスト』である。熱狂的なフォーク体験などなかった私が、アップルミュージックでこのアルバムをダウンロードしたのは、病院のコンビニで買った『週刊現代』(2021.8.21, 28号)の「1971年夏、名曲《花嫁》と僕の青春」という記事を読んだからだ。「花嫁」という曲は知っていた。ヒットしたことも知っていた。なかなかいい曲だと思う。しかし、成立の背景や歌詞の意味を考えたことはなかった。
 駆け落ちの歌なのだ。そして、古い価値観の中で自由に生きる人生を肯定する歌なのだ。1969年に東大安田講堂が陥落したことを契機に、学生運動は退潮に向かった。目標を見失い、進むべき道に逡巡する若者たちが、自分の信念に基づき自由に生きればいいというメッセージに共鳴したというのである。記事には、人生の中でこの歌に励まされた話しがいくつか紹介されている。「花嫁」を作詞したきたやまおさむ氏は、次のように語っている。
71年は、それまでの価値観が音を立てて崩れ落ちていく時代でした。たとえば、結婚もそのひとつです。当時は親の敷いたレールに従って結納品や嫁入り道具を揃え、望みもしない結婚をする若者たちも多かった。もちろん、それは女性だけではありません。男性だって同じです。そんな古い価値観を跳ねのけて、みんなで新しい時代に突き進もう。生きたいように生きればいい。これからの時代を作っていくのは、俺たちなんだ。そんな思いを込めて、「花嫁」の歌詞を書いたのです。
 そう思って聴くと、やはり考えさせられるものがある。現在に比べてかなりシンプルな古き良き時代だったのだと思う反面、自由な生き方へとテイクオフするのは、実際にはかなりの勇気とエネルギーが必要だったのではないかとも思ったりする。時代を象徴する歌には、それなりの背景があるものだ。
 私はこのコンピレーションアルバムの1曲目の「あの素晴らしい愛をもう一度」が好きだ。卓越した歌詞とメロディーだと思う。

魂へのバッハ

2015年03月11日 | 今日の一枚(various artist)

 ●今日の一枚 425●

魂へのバッハ

 3.11である。もう4年だ。あの大津波の翌日だっただろうか。避難所になっていた地元の中学校で、かつての教え子に出くわした。彼女は私を見つけると駆け寄り、興奮した様子で堰を切ったようにしゃべりはじめた。用事があっていっていた市街地で津波に遭遇し、一旦流されたが必死の思いで逃れたのだという。衣服はぴじゃびじゃに濡れてしまったが、たまたまそばにいた人の好意で服を貸してもらい、なんとかこの地元の避難所まで辿りついたのだそうだ。彼女はそしてこう続けた。山形に嫁ぎ、子どもをつれて里帰りしていたのだが、実家の母親に子どもを預けて用事に出かけていた。子どもと母親の消息がわからない。そういって彼女は泣き崩れた。携帯電話も流されて連絡のつけようがないとのことだった。私は、電池がなくなってもかまわないから使いなさいと携帯電話を差しだしたが、何度かけなおしても通じなかったようだった。彼女の実家は海の近くであり、家屋は流されたはずだ。翌日、避難所で再び彼女に出合ったのだが、まだ子どもと母親の消息は分からないとのことだった。私は、その時知っている限りの探す方法を教え、希望を失なわないよう声をかけたが、それ以来、避難所で彼女と会うことはなかった。現在に至るまでそのままだ。彼女と、彼女の子どもと、そして彼女の母親がどうなったのかはわからない。ただ、無事を祈るのみだ。

 30代の頃だったろうか。ちょっとしたことがきっかけでクラッシック音楽に目覚め、毎日興奮して聴いていたことがあった。このコンピレーションアルバム『魂へのバッハ』は、その頃購入したものだ。クラシックへの入門編として、かなり聴きこんだCDだ。

 3.11の、その後の数日間の避難所のことを思い出すと、このアルバム所収の、③ 「神よあわれみたまえ」(『マタイ受難曲』より)が頭の奥の方から聴こえてくる気がする。逆に、この曲を聴くとその時の情景が浮かんできたりもする。その雰囲気があまりにぴったりだからだろうか。避難所になった中学校の、体育館の更衣室につぎつぎと遺体が運び込まれてきた光景が、記憶に焼きついて離れない。尋ね人を捜すホワイトボードに書かれた見覚えのある名前が、そのいつまでもいつまでもずっと残っていた文字が、今もありありと思い出される。息子の同級生の、一緒に少年野球をやった仲のいい友だちの名前だ。避難所となっていた体育館で行われた卒業式で、答辞に立った代表生徒の、「天が与えた試練というには,むごすぎるものでした」「命の重さを知るには大きすぎる代償でした」という言葉は、マスコミに取り上げられて全国的に有名になった。彼は、息子とも、行方不明の生徒とも、保育所の頃からずっと一緒の仲のいい友だちだったのだ。その行方不明の生徒は、後に遺体で発見された。

 音楽は現実を変えることはできない。けれど、「神よあわれみたまえ」の悲壮なメロディーは、幾ばくかでも我々の魂を浄化してくれる。それはおそらくは受苦的であるということと関係がある。音楽が、悲しみや苦しみを分かち合ってくれるように感じるのだ。素手で立ち向かうにはあまりに辛い現実もある。音楽が自分自身を支える手助けとなることもあるのだ。かつて暗すぎて敬遠していたこの曲が、今は優しく心に響く。おそらくは商業的な戦略としてつけられたであろう『魂へのバッハ』というタイトルが、今となっては身に沁みる。


シークレット・ポリスマン・コンサート

2012年09月23日 | 今日の一枚(various artist)

☆今日の一枚 334☆

The Secret Policeman's Concert

 昨日、Book Off でスティングの『ソウル・ゲージ』の中古CDを、何と300円で買ったのだが、そういえばスティングのアルバムはカセットテープでたくさんあったよなと思って探してみると、すっかり忘れていた面白いアルバムを発見した。1981年の『シークレット・ポリスマン・コンサート』のライブ録音だ。AXIA GT-Ⅰx(nomal position)というテープに録音されており、やや音の広がりが劣る気はするものの、それほど音質が悪いとは感じない。針のノイズの存在から音源はLPだと思われるが、webで調べてみるとLPの曲順は下の通り。私のカセットテープとは若干曲順が異なっているようだ。あるいは、テープに収まるように編集したのかもしれない。

SIDE 1
1.ROXANNE/スティング
2.MESSAGE IN A BOTTLE 孤独のメッセージ/スティング
3.CAUSE WE'VE ENDED ASLOVERS 哀しみの恋人たち
  /ジェフ・ベック&エリック・クラプトン
4.FARTHER UP THE ROAD/ 〃
5.CROSSROADS/ 〃
6.I DON'T LIKE MONDAYS 哀愁のマンディ
  /ボブ・ゲルドフ&ジョニー・フィンガーズ
SIDE 2
1.IN THE AIR TONIGHT 夜の囁き/フィル・コリンズ
2.THE ROOF IS LEAKING 天を仰いで/ 〃
3.THE UNIVERSAL SOLDIER/ドノバン
4.CATCH THE WIND/ 〃
5.I SHALL BE RELEASED/シークレット・ポリスマン

 『シークレット・ポリスマン・コンサート』は、1981年にアムネスティ・インターナショナルに賛同するアーチスト達によって、ロンドンのシアター・ロイヤルで数回にわたり開かれたコンサートである。アムネスティ・インターナショナルは、政治犯として不当に投獄されている人々、いわゆる「良心の囚人」の解放と人権の擁護を訴える組織だが、当時大学生だった私は、教育学の先生が南アフリカのアパルトヘイトに反対する立場から、投獄されていたネルソン・マンデーラの救済活動をやっていた影響を受け、アムネスティーには特に関心があった。実際、南アフリカに行くことを勧められ、その気になったこともあったのだ。結局、日本中世史の勉強のため断念・挫折したのだが・・・・。

 さて、ギターの2大ヒーロー、ジェフ・ベックとエリック・クラプトンの初競演ということで話題となったこのコンサートだが、今聴いて私の心をとらえるのはスティングがギターの弾き語りで歌う「ロクサーヌ」と「孤独のメッセージ」の美しさである。原曲の芯の部分をこれだけ純粋に抽出されると、感動、万感胸にせまるものがある。ブームタウン・ラッツのボブ・ゲルドフがピアノの弾き語りで歌う「哀愁のマンディ」もなかなかいい。何か心が熱くなる。

 ちょっと前のバングラディシュ救済コンサートはもちろんだか、USA for Africa といい、バンド・エイドといい、少なくともこのころまでは、批判精神をもって社会的活動を行うロック・ミュージシャンは確かに存在したのだな、と改めて思う。最近の若いミュージシャンはどうなのだろう。

 スティングについては、この前取り上げた『ナッシング・ライク・ザ・サン』に収録されている「孤独のダンス」も、チリのピノチェト軍事独裁政権下の人権抑圧を批判したもので、反体制者として逮捕され行方不明となった配偶者・息子の解放を訴える女性たちが、路上で形見の衣服を抱き一人一人踊るさまを歌ったものだった。また、ブラジルの先住民カイヤポ族らとともに熱帯雨林保護活動も行っているらしい。最近では、プーチン政権を批判して逮捕されたロシアのパンク・ロックバンド「プッシー・ライオネット」を擁護し、ロシア政府を批判する発言をして注目されたようだ。この発言をモスクワで行ったことがすごい。さすがに、アムネスティー・インターナショナルの支持者、スティングだ。

「プッシー・ライオットのメンバーが7年も刑務所に入るというのは、あまりにひどい。自分の意見を言うのは、民主主義では合法で最も基本的な権利です。政治家は異なる意見に寛容でないといけない。このバランス感覚やユーモアのセンスは、強さの表れであって、弱さを示すものではありません。ロシア政府は、この誤った起訴を取り下げ、3人のアーティストを普通の生活に戻し、子どもたちの元に帰すべきです。」

 迂闊にも私は、この問題を今日まで知らなかった。アムネスティーは今後もプッシー・ライオットのメンバーの釈放を求めるキャンペーンを続けていくということであり、注目していかねばならない。


寺島靖国 プレゼンツ

2012年09月08日 | 今日の一枚(various artist)

☆今日の一枚 329☆

寺島靖国 presents

Jazz bar 2002

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 コンピレーションアルバムである。『寺島靖国プレゼンツ Jazz bar 2002』。2002というぐらいだから、2002年の発売なのだろう。いわずと知れた吉祥寺のジャズ喫茶『メグ』の店主・寺島靖国さんが、近年の作品の中から隠れた名演をチョイスしてコンピレーション・アルバムにまとめるという趣向である。寺島靖国プレゼンツ・シリーズで所有しているのは、現在のところこの一枚のみだ。

 当時、付き合いで買った。だからあまり期待感もなく、しばらく放置していたのだが、少しして聴いてみるとこれがなかなかいいではないか。さすがに寺島氏、帯のコピーに「八面玲瓏70分の快楽メロディー」とある如く、歌心のある、比較的わかりやすい、メロディーを損なわない演奏が並んでいる。評論家としての寺島氏の論説には賛否両論があろうが、長年ジャズにかかわる仕事をしてきた人だけあって、それなりの一家言をもち、自らの視点できちんと演奏を見極め、仕分けする力をもっている。私などは、たまたま食卓に置きっぱなしにしていこともあるのだが、食卓のBOSEでときどき聴く、生活の中の一枚になっている。このシリーズ、他にも買ってみようかと思っているのだが、機を逸し未だにこの一枚のみである。そろそろ、古いやつは値段も下がってきただろうから、そろそろ買ってみようか。

 ⑤ モンセフ・ジェノー・トリオ「ウィ・ウィル・ミート・アゲイン」、知らない人だったけど、とてもいい演奏だ。


夏にお世話になるアルバム

2012年09月06日 | 今日の一枚(various artist)

☆今日の一枚 328☆

Bossa Nova Millennium

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 我が東北地方もまだまだ暑い日が続いているけれど、それでも少しずつ涼しくはなっているようだ。今夜はしばらくぶりに、エアコンなしで、自然の風で眠りにつけそうだ。今年の夏は暑かった。そしてやはり、ボサ・ノヴァを聴く機会は多かった。

 今日取り上げるのはコンピレーション・アルバム。2001年発売の『ボサ・ノヴァ・ミレニアム』だ。もう10年以上前のものだが、当時は大宣伝攻勢で、かなり売れたアルバムだったはずだ。私もその当時買ったと記憶しているが、以来かなりお世話になっているアルバムである。

 本当に重宝なアルバムなのだ。何しろ、とりあえず聴きたい有名どころの曲はすべて入っているという感じなのだ。もちろんボサ・ノヴァには、以前にこのブログで取り上げた、キャノンボール・アダレイの『キャノンボールズ・ボサ・ノヴァ』や、ポール・デズモンドの『ボッサ・アンティグア』、あるいはジーン・アモンズの『バット!ボサ・ノヴァ』や、アイク・ケベック『ソウル・サンバ』などの大好きな隠れた名盤(?)もあるが、夏にとりあえず生活のBGMとして聴きたいという点では十分だ。私などは、このアルバムとハリー・アレンの『アイ・キャン・シーフォーエヴァー』があれば、何とか夏を乗り切れるなどと思っているほどだ。部屋のステレオで、食卓のBOSEで、はたまたクルマのHDDで、この十年ほど、夏の生活のBGMとして、このアルバムには本当にお世話になっている。

 ゲッツ&ジルベルト「オ・グランジ・アモール」、いいなあ・・・・。

 収録曲は以下の通り。(クリックすると拡大されます)Scan10023_3


セレクト・ライブ・アンダー・ザ・スカイ

2007年06月10日 | 今日の一枚(various artist)

●今日の一枚 173●

Select Live Under The Sky '87 10th Special

Tribute To John Coltrane

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 昨日に続いて、今日も完全オフ、長男の少年野球の観戦に行ってきた。準決勝では苦戦したが、わが息子のタイムリー・ヒットで2-1で何とか逃げ切り、決勝では7-5で負けていたものの、最終回裏にこちらの3ベース・ヒットや息子の四球に相手のエラーも絡んで、7-8で逆転サヨナラ勝ちだった。勝利の瞬間、ランナーとして生還し、仲間と抱き合う息子を見て、親バカだが、やわらかいボールでキャッチボールを教えていた頃を思い出し、年月の過ぎ去る速さをしみじみと感じた。来週も別の大会があるのだが、仕事の都合で応援には行けそうもない。

     ※             ※

 今日の一枚である。最近、割と叙情的なものばかり聴いていたので、久しぶりにガツーンというジャズを聴きたくなって取り出した一枚である。1987年に行われたライブ・アンダー・ザ・スカイの特別プログラム「トリビュート・トゥ・コルトレーン」におけるライブ・レコーディング盤である。参加メンバーは、

   ウェイン・ショーター(ss)

   デイブ・リーマン(ss)

   リッチー・バイラーク(p)

   エディ・ゴメス(b)

   ジャック・デジョネット(ds) 

である。ショーターとリーマンのソプラノ・サックス吹きくらべがひとつの聴きものになっているが、ピアノがハービー・ハンコックとかでなく、リッチー・バイラークというところも面白い。ちょっと音の厚みに欠けるような気がしないでもないが、リッチー・バイラークもこういうプレイができるのですね。

 バブルの頃はジャズの野外コンサートの花盛りであったが、近頃はめっきり減ってしまった。私も何度か足を運んだこのセレクト・ライブ・アンダー・ザ・スカイも今はもうない。野外ということで、サウンド的に素晴らしいものが期待できるわけではないが、ビールを飲みながら開放的な気分で聴く野外ジャスは違った意味で格別のものだった。残念ながら、この1987年のライブ・アンダー・ザ・スカイに足を運ぶことは出来なかったのだが、今CDで聴くにつけ、そのことが悔やまれる。コルトレーンに影響を受けた人たちの繰り広げる音のバトルの熱気が、モニター・スピーカーからもビシビシ伝わったくるからだ。

 ショーターとリーマンのバトルについては、後藤雅洋氏の《 よりコルトレーンの音色に近いということではリーマンに、音色の迫力ではショーターに軍配を上げたい 》(後藤雅洋『ジャズ・オブ・パラダイス』JICC出版局)という評価に従がいたい。

 1987年、私は野外コンサートなどにはいけない、四畳半トイレ共同の古いアパートに住む貧しい身の上だった。


AOR

2006年09月29日 | 今日の一枚(various artist)

●今日の一枚 59●

The Best Of AOR  ”Melodies”

Scan10012_9  たまにはこんな音楽を聴くのもいいのではないか。懐かしのAORだ。AORとは、Adult Oriented Rock = 大人向けロックのことだ。

 コンピレーション・アルバムである。私はコンピレーション・アルバムをほとんど買わない。主義というほどのものではないが、演奏者が意図したちゃんとした作品を聴きたいと思っているからだ。にもかかわらず、このアルバムを購入したのは、数年前の長期出張の際、あまりの退屈さに辟易して、ふと見たスポーツ新聞にこのCDの宣伝が載っていたことがきっかけだ。マイケル・フランクス、クリストファー・クロス、アル・ジャロウ、シカゴ、ボビー・コールドウェル、リー・リトナー、ドナルド・フェイゲン、J.D.サウザー、TOTO、エア・サプライ、ボズ・スキャックス、アース・ウインド&ファイアー、プレイヤーズ……、懐かしく魅惑的な名前がならんでいた。すぐさま夜の街に飛び出し、CDショップを探し、このCDを手にいれた。そのCDは、主張中、パソコンのCDドライブでかけられることになった。

 私がAORに出会ったのは、ちょうどロックやブルースからジャズを聴き始める過度期だ。もしかしたら、AORがなければ、私の音楽生活はロックやブルースなど重くて暗いタイプの音楽に塗りつぶされていたかもしれない。硬直した思考や感性からも脱出できなかったかもしれない。その意味ではAORは「恩人」である。今、AORを聴くことはほとんどないが、だからこそAORは私にとっての青春の音楽なのかもしれない。今でも私の中では、AORは、ほらもっと肩の力をぬいて感じていいんだよ、といっているようだ。

 それにしても、プレイヤーズの「ベビー・カムバック」。いいですねえ……。