あまりにも平凡な還暦鬼女です。

あまりにも平凡な還暦鬼女です。あまりにも平凡で普通な日常で感じるささやかな疑問や悩み問題を、発信します。

NHKの報道しない自由

2014-08-31 00:24:18 | 日記
都民である私は、舛添都知事辞めろデモに興味があってどこかマスコミで報道しないかなと思っているのだが、どこも報道しないので不満を感じている。みなさまのNHKでさえも報道しないのが気に入らない。私はちゃんと受信料を銀行の引き落としにして払っている。最近はテレビが嫌になって見ないことが多いので、受信料をかなり割高に感じるようになっている。それなのに、みなさまのNHKだなんて、みなさまの御要望なんて無視で、受信料払ってない人達の御要望の方に沿っているような! 気に入らない。舛添さんが、都民でない人達のために働いているのとよく似ている。受信料をキチンと払って都税を納めている都民としてひがんでしまうのも当然でしょ?

マスゴミ 「報道しない自由」の罪

2014-08-29 20:50:02 | 日記
8月24日の舛添都知事辞めろデモが未だマスコミで報道されていない。このことによって韓ドラ風妄想もいや増しに募るのだが、無知な私にはあまりにも不思議な現象なので地道に考えてみようと思う。いまは朝日新聞の捏造記事が問題になっていてマスコミは大騒ぎだ。でも、ちょっと前までは「捏造する自由」と並べて「報道しない自由」とか言われていた。それなら、「捏造する自由」と「報道しない自由」は兄弟みたいなものじゃないだらうか?「捏造する自由」に謝罪と賠償が求められるなら、兄弟である「報道しない自由」にも同様に謝罪と賠償が求められるべきじゃないだろうか?
何故なら、私たちは都民にとって重大なイベントであるはずのデモを「報道しない自由」によってスムーズに情報を共有することが出来ず大いに損害を受けている。そして、都庁と舛添さんが、デモする人達を都民と認めず「ネトウヨ」とレッテルを貼り付けることで無視しし続けようとしていること、これも報道しないことで助けている。故意で報道しないのなら、捏造と兄弟みたいなもので、やはり報道しないことによる罪もあるべきではないかと思う。

差別をスーパーで考えてみた

2014-08-28 23:52:36 | 日記
最近は、さまざまな事情から豚肉が値上がりしている。今日はスーパーの精肉売場ではカナダ産の豚肉がセールになっていて、国産の豚肉は見えずらい上段の棚に少量づつのパックで高めに売られている。隣の鶏肉売場でもブラジル産の鶏肉が同じ感じで売られている。そこで私は、商品をシゲシゲと観察し、更に産地で評価、価値判断して、更に値段と折り合いがつけるかどうか検討して、最終的に購入するかどうかを選択する。この作業でいつも頭をよぎるのは、これって、差別なのかなって?もし、産地が韓国産だった場合、韓国産だから購入しないことにすると差別だと怒られそうで怖いのだ。またスーパーの方で韓国産と表示すると差別される恐れがあるので、産地の表示はとりあえず宇宙産としたりすることも考えられる。客として購入するかどうかの価値判断が出来ないので産地の表示をハッキリしろと文句を言うと、なんだお前はまた差別しようとしているのかと怒られそうで怖い。選択するための価値判断を如何様にすればいいのか、どういうことを差別と言っているのか是非ともきちんと分かるように教えてほしい。




新大久保コリアンタウンの思い出

2014-08-28 00:21:44 | 日記
韓流ドラマが好きだったので、新大久保のコリアンタウンには4回くらい行きました。新宿からちょっと足を伸ばせば新大久保ですから気軽でした。いつ行っても人が溢れるほど混雑していました。何回か食事もしましたが食事は正直なところ口に合わず、買いたい物もなく、若い男の子が沢山店先に立っているのを見ながら成る程日本人とは雰囲気が違うもんだなと、感動しては喜んでいました。それが今では、ネットで韓国の悪口を言うネトウヨです。時代は移ろい変わるものです。数時間前、テレビのニュースで寂れて様変わりした新大久保のコリアンタウンを映し出しているのを見ました。何故か日本人の所為と言っているみたいな。そのコリアンタウンの閉じた店々を映し出した映像は、日本各地のシャッター商店街の哀愁には遠く及ばないものでありました。

韓ドラ妄想風 舛添さんの未来

2014-08-26 00:52:00 | 日記
韓ドラ妄想風に見ると舛添さんは小心者のはず、その舛添さんが都民を敵に回してもビビらないからには相当に強力なバックがあるはずです。それに、これだけのルール違反のデタラメをしているにもかかわらずマスコミも与党も野党も沈黙を続けているとは、実に不思議な眺めではありませんか?韓流ドラマに於いては、一番の大悪人は大抵は黒幕に徹していてますから、舛添さんみたいに注目を浴びながら自ら矢面に立つ様なマネは決してしないものです。だから、舛添さんはひとつのコマみたいなものと考えられます。突如、嫌韓に回った日本人の気持ちがなかなか読めない焦りが舛添さんみたいな存在を生んだものと考えると面白いですね。誤算があっても現状を認めず指示通りの役割を演じ続けるとか韓流ドラマのコマとよく似ています。発端の都議会セクハラヤジとか、懲りない朝日新聞とか、しばき隊とか、コマは沢山あります。みんなよく頑張っています。国会議員のお友達からも、次は総理に‼︎とか囁かれていたりして。でも、韓流ドラマではそう言った役割のコマは役割を果たしても果たさなくても、用がなくなったら大抵は身内の裏切りにあうか、自滅することになってます。以上楽しい韓流ドラマ風妄想でした。