11月5日6日、1泊でクンユアムへ行きました。
クンユアム、、、
ハッと熱くなる地名です。
インパール作戦、日本から見放された日本兵、
風雨で読めなくなった石碑、
朽ちた木碑に乗っかっていた穴だらけの鉄兜、
12年前にリコーダーでボランテイアをした町。
今は知名度も上がりました、日本の多くの財団が慰霊碑に寄付をしています、立派に祀られ、記念碑も増えました。
(クンユアムの戦争博物館内の写真より)
戦争博物館はタイ人が建てた博物館、今は日本からの寄付もあり展示品、建物、庭も立派になりました。
ムエトー寺院の中の慰霊碑
「一緒に日本へ帰ろうね」
そう思ってそれぞれの慰霊碑の前で「ふるさと」をリコーダーで吹きました。
日本から持参したリコーダーです。
今回の旅行は7人、友達の車、そして友達の運転です。
最初に向かったのは友達の奥さんの実家、カレン族の集落。
その友達家族は普段は市内に住んでいます、上の子は学費の高いインターナショナル幼稚園に行ってます。
月に何度か遊びに行くので家を建てたらしいです、家は村1番の豪邸ですって。
奥さんの弟さんが2日前に結婚式を挙げました、宴の余韻が残ってます。
タイは女系社会です、娘は婿をもらいます、息子は婿に行きます。
弟さんの嫁ぎ先(?)の集落は電気がない、来月開通するんですって。
急斜面の道路、雨が降ったら車は使えないって。
集落全員が家族みたいな社会です。
友達の2番目の子、2才ですって💛
心温まる交流をして次の目的地のクンユアムのブアトーン(メキシコひまわり)へ
三分咲きでした。
本来なら花で山並みがまっ黄色になるはずなんですがね。
そして主目的のクンユアムです。
ダメもとでセンダオ先生を訪ねました、なんと!
偶然でした、家の前に立っておられました。
彼女は中学、高校の副校長先生でした、今は退職されています。
こうして書いているとあの頃のことがよみがえってきます。
クンユアムにはボランテイアとして孤軍奮闘して日本語の授業を根付かせたゆき子先生、ソロバンの井原先生がいました。
お二人のことを書くと長くなるので避けます、日本人の気概を持った頭の下がる方たちでした。
今夜のホテルはここから3時間ほどのメーサリアン町。
ブアトーンの時期なのでクンユアムの全てのホテルは満室でした、ホテルは3軒ぐらいしかありませんがね。
メーサリアンもぎりぎりセーフでした、
ゆったり2泊の計画でしたが空きがなくて1泊となったんです。
翌日は秘境温泉へ。
木のつり橋です、これを渡らないと温泉に行かれません。
タイあるあるの恐い橋
足元の渡り板が離れています。
かなり揺れます、私の場合、前の人と相当な距離をあけないと揺れのため落ちます。
手すりの縄の位置が低すぎます、かといって私は手すりがないと落ちます。
足元の板のみを見つめながらどうにか渡り切りました。
まったりのんびり~
帰りもこの橋。
私、学習しました
1人で渡れば揺れないのだと、両手で縄を掴めば安定するのだと。
皆さん、おつかれさま~
クンユアム、、、
ハッと熱くなる地名です。
インパール作戦、日本から見放された日本兵、
風雨で読めなくなった石碑、
朽ちた木碑に乗っかっていた穴だらけの鉄兜、
12年前にリコーダーでボランテイアをした町。
今は知名度も上がりました、日本の多くの財団が慰霊碑に寄付をしています、立派に祀られ、記念碑も増えました。
(クンユアムの戦争博物館内の写真より)
戦争博物館はタイ人が建てた博物館、今は日本からの寄付もあり展示品、建物、庭も立派になりました。
ムエトー寺院の中の慰霊碑
「一緒に日本へ帰ろうね」
そう思ってそれぞれの慰霊碑の前で「ふるさと」をリコーダーで吹きました。
日本から持参したリコーダーです。
今回の旅行は7人、友達の車、そして友達の運転です。
最初に向かったのは友達の奥さんの実家、カレン族の集落。
その友達家族は普段は市内に住んでいます、上の子は学費の高いインターナショナル幼稚園に行ってます。
月に何度か遊びに行くので家を建てたらしいです、家は村1番の豪邸ですって。
奥さんの弟さんが2日前に結婚式を挙げました、宴の余韻が残ってます。
タイは女系社会です、娘は婿をもらいます、息子は婿に行きます。
弟さんの嫁ぎ先(?)の集落は電気がない、来月開通するんですって。
急斜面の道路、雨が降ったら車は使えないって。
集落全員が家族みたいな社会です。
友達の2番目の子、2才ですって💛
心温まる交流をして次の目的地のクンユアムのブアトーン(メキシコひまわり)へ
三分咲きでした。
本来なら花で山並みがまっ黄色になるはずなんですがね。
そして主目的のクンユアムです。
ダメもとでセンダオ先生を訪ねました、なんと!
偶然でした、家の前に立っておられました。
彼女は中学、高校の副校長先生でした、今は退職されています。
こうして書いているとあの頃のことがよみがえってきます。
クンユアムにはボランテイアとして孤軍奮闘して日本語の授業を根付かせたゆき子先生、ソロバンの井原先生がいました。
お二人のことを書くと長くなるので避けます、日本人の気概を持った頭の下がる方たちでした。
今夜のホテルはここから3時間ほどのメーサリアン町。
ブアトーンの時期なのでクンユアムの全てのホテルは満室でした、ホテルは3軒ぐらいしかありませんがね。
メーサリアンもぎりぎりセーフでした、
ゆったり2泊の計画でしたが空きがなくて1泊となったんです。
翌日は秘境温泉へ。
木のつり橋です、これを渡らないと温泉に行かれません。
タイあるあるの恐い橋
足元の渡り板が離れています。
かなり揺れます、私の場合、前の人と相当な距離をあけないと揺れのため落ちます。
手すりの縄の位置が低すぎます、かといって私は手すりがないと落ちます。
足元の板のみを見つめながらどうにか渡り切りました。
まったりのんびり~
帰りもこの橋。
私、学習しました
1人で渡れば揺れないのだと、両手で縄を掴めば安定するのだと。
皆さん、おつかれさま~