大阪東教会礼拝説教ブログ

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ローマの信徒への手紙14章1~12節

2018-01-29 19:58:38 | ローマの信徒への手紙

2018年1月28日 主日礼拝説教 「主のために生きる」吉浦玲子

<なんでもありではない>

 社会において「多様性」という言葉が良く使われます。性別や国籍やバックグランドやさまざまな思想信条の異なる多様な人を受け入れていくことが必要だと言われます。会社員時代も「多様性」という言葉は良く使われました。さまざまな違う立場の人を受けいれ、共に力を合わせていく時、企業も成長していくということが建前としては語られていました。しかし、そういわれながら、現実的には、日本の社会においては、多様性を受け入れることは難しいことです。多様性どころかむしろ近年、異質なものを排除する傾向はかつてより強まっているようにすら思えます。これまでも出る杭は打たれるということは日本においては往々にしてありました。目立つ人、特出した人は疎ましがられる傾向がありましたが、もっとあからさまにバッシングされたり、陰湿にいじめられたりするようなところが増えて来たように感じます。いわゆる「不寛容」な社会になってきているように思います。

 主イエスの弟子たちに目を向けて見ますと、実に多様でした。政治的に言えば熱心党の右翼から、まるきり逆の左の人までいたようです。ごちごちのユダヤ教徒もいれば、ユダヤ教徒からはゆるしがたいローマ帝国の手先の徴税人もいました。

 さらにペンテコステののち教会が立ちあがった時、そこには、ユダヤ人もいれば異邦人もいるという状況でした。それは単に今日における国籍や民族の違いを越えて交わったということではありません。長い長い歴史的な背景のもと、ユダヤ人と異邦人の間の乖離は大きなものでした。ですからローマの信徒への手紙の前半で繰り返しパウロはユダヤ人と異邦人の問題を取り上げて語っていたのです。また、一方で、教会の中には医者もいれば、奴隷もいる、社会的身分も様々でした。その多様性のなかで教会は豊かに活力に満ちて成長していきました。たび重なる迫害で散らされながら、しかし散らされた先でさらなる多様な人々を主イエス・キリストへと招き、広がって行きました。

 1世紀から2世紀、生まれたばかりのキリスト教会は実に多様な人々の信仰によって建て上げられていったと言えます。しかし、多様性と「なんでもあり」ということは当然違います。産声を上げたばかりの教会が、キリスト教は愛の宗教なのだから、何でもかんでも受け入れましょうと単純に考えていたのであれば、教会はおそらく2世紀か3世紀ごろに消滅していたでしょう。教会の根幹にかかわる教理や教会のあり方については極めて厳密であったのです。厳密に整えられてきたのです。さまざまな異端的な考えは厳しく否定されてきました。そのことにおいて、教会は教会であり続けたといえます。

今日の聖書箇所ではパウロは信仰におけるグレーゾーンの部分を語っています。徹底的に議論をしなければならない根幹の部分と、ある程度の幅を持たせても良いグレーゾーンへの対応についてパウロは語っています。教会がその構成員のいろいろな意味での多様性を保ちながら、なお、信仰においてひとつのものであること、逆に一つの信仰を信じることにおいてこそ、まことの教会であり続けるのだという重要なことが語られています。

<食べる食べないと信仰の根幹>

 本日の聖書箇所で「信仰の弱い人を受け入れなさい」とパウロは語り始めます。信仰が強いとか弱いと言われると、私たちは少し抵抗を感じます。目に見えるバロメーターがあって私たちはそれぞれの信仰を測れるわけではありませんし、他の人を見てあの人の信仰は弱いなどということは、むしろそんなことを言うこと自体が不信仰な気がします。パウロがここで「信仰が弱い」ということを語っているのには特別な背景があるようです。2節以降を読みますと、食べ物の話が出てまいります。また特定の日の話がでてきます。つまり食べ物や日に関わることで、教会の中に対立が起きていたようです。これと似たような話がコリントの信徒への手紙Ⅰ8章にも書かれています。偶像に備えられた肉を食べていいのか食べない方がいいのかということです。キリスト教ではない異教の偶像に供え物とされていた肉が、当時、コリントの市場に出回っていたようです。当時は市場で売られている肉の中のどれが偶像に備えられていたのか区別がつかなかったようです。ですから偶像に備えられていた肉を汚れたものと考えて、それを食べないようにするために、いっさい肉を食べないという人がいたようです。ローマの信徒への手紙における背景は明確ではありませんが、コリントの信徒への手紙と同じような問題があったのかもしれません。あるいは別の理由で禁欲的な人々がいたのかもしれません。

 もしそれが偶像がらみの問題であれば、そもそも偶像は虚しいものであって、力がないものです。従ってそこに備えられていた食べ物は汚されていないのです。ですから食べても問題がないということになります。しかし、当時の教会の中には、やはりそういう肉は食べたくないと言って食べない人々がいたようです。そういう人に向かって、そもそも汚れていない肉を食べないなんて「あなたたちは信仰が弱い」といって批判する人々もいたのです。あるいは特別な禁欲的な傾向があった人々にも「信仰が弱い」と批判が向けられたと考えられます。パウロ自身も、食べる食べないということで言えば食べて良いという考えでした。ですからあえてパウロ自身も食べない人に対して「信仰の弱い人」という言い方をしています。また、5節にはある日を他の日より尊ぶ人もいれば、とあります。これは日本で言うところの大安とか仏滅というような感覚に似たものかもしれませんし、あるいは何らかの宗教的な特別な日を設定して尊重していた人々がいたのかもしれません。特別な日の感覚は分からないでもないですが、食べる食べないということに関しては、私たちはあまりピンとこないかもしれません。でも、日常的な宗教的判断に迷うことを思い浮かべると理解できると思います。神社仏閣が数多くあるこの日本に住む私たちは、キリスト教以外と接することは多く、似たような宗教的な判断に困る問題にはいくらでも遭遇するからです。たとえば、仏教式の葬儀に出席した時、クリスチャンは焼香をすべきなのかしないようにするのか、ということです。観光旅行に行った時、神社やお寺の中に入っていいのか、ということです。絶対に焼香はしない人もいますし、あるいはしてはいけないと指導される牧師もいます。偶像崇拝になるので神社仏閣にはその敷地にすら一歩たりとも足を踏み入れないという人もいます。最近で言えば、ハロウィンは悪魔崇拝につながるからクリスチャンはやってはいけないという人もいれば、いやあれは単なるお遊びのイベントだから楽しんでいいのだという議論もあります。

そういう事柄について、パウロは「各自が自分の心の確信に基づいて決めるべきです」と語っています。これは単純に自分で考えて勝手にやればいいと言っているわけではありません。「心の確信」に基づいて決めるのです。信仰において、自分の確信を問うのです。昔勤めていた会社では、神道ではないのですが、妙な神様を祀っていました。見た目は神社に似たものが各事業場にあって、そこで毎月、まつりごとが行われていました。そのまつりごとは経営者クラスが出席するのですが、その時の供え物を上司が職場に持ってくることがありました。バナナとか饅頭とかです。当時はクリスチャンではなかったので、ありがたく頂いて食べていました。クリスチャンになったころ、職場を異動して、そういう供え物を持ってきてくれる人がいなくなりました。しかし、後からパウロの文書を読んだとき、いま、妙な神社風のものに備えられていたものを食べろと言われたいやだったろうなと感じました。理屈では食べて良いのですが何となくいやだったろうと思うのです。昔のわたしに、今の私ならいいます。「なんとなく嫌な気がして迷うようなら食べない方がいい。これは問題はないと確信を持てるのなら食べたらいい」と。

<すべてを主のために>

パウロはそもそもこのような問題に関して、信仰の根幹にかかわる問題ではないと考えていました。肉を食べようが食べまいが、それによって救いから切り離されたり、教会がひっくり返るような問題ではない、それよりも、食べる食べないというそのようなことで教会の中に分裂が起こり、相互に、相手を見下したり、裁くようなことが起こるそちらの方が問題だとパウロは語っています。

逆にいいますと、分裂や争いというのは、往々にして食べる食べないのレベルの問題で起こるのです。信仰の根幹にかかわることなら徹底的に議論をしたらいいのです。そこにおいてはなんでもありではありませんでした。実際、議論をして教会は2000年生きてきたのです。その信仰の純粋さを継承してきたのです。しかし一方で、食べる食べない、言ってみれば、些末の問題で、議論以前のくだらない争いが起きてしまうのです。議論以前の争いで共同体が疲弊してしまうことが往々にしてあるのです。

そして信仰の根幹に関わらないことで争いが起こるのは、信仰の根幹が見失われているからだとパウロは語っています。「食べる人は主のために食べる。」また「食べない人も主のために食べない」と6節でパウロは語っています。どちらも主に感謝をしているのならいいではないかと語っています。わたしたちの行いが「主のため」であるならば、それで良いのです。なぜならば私たちは「主のもの」だからです。

私たちが自分が「主のもの」であることを忘れ、「自分のために」「自分の考え」を主張しているところに不毛な争いが起こります。少し前の節に戻りますが、4節に「他人の召し使いを裁くとは、いったいあなたは何者ですか」とあります。食べる食べないで争う相手もまた「主のもの」なのです。主に仕えている人なのです。そのことをわきまえないとき、争いが起こります。その人のためにも主イエス・キリストは血を流し、肉を裂かれたのです。

しかし、そもそも主イエス・キリストは私のために、他ならぬ私のために血を流し、肉を裂かれたという意識が希薄な時、他の人のためにキリストが血を流し、肉を裂かれたという感覚を持つことはできません。自分自身が「主のもの」である、という意識がなければ、あの人も、この人も「主のもの」であるとは思えません。そこに争いの源があります。

主イエスが十字架でご自身の命を差し出してくださいました。神の裁きの前で滅びるべき私たちが命に生かされる存在とされるために、わたしたちを自分のものとしてくださった。壮年婦人会でヨハネの黙示録を学んでいますが、今月学びました箇所には、救われる人々には「小羊の名と小羊の父の名」がしるされているとありました。名が刻まれているというのは、前にも申しましたが、所有者を明らかにすることなのです。「小羊の名と小羊の父の名」というのは「主イエスと父なる神の名」ということです。

主イエスを信じる者にはすでに「主イエスと父なる神の名」がしるされています。私たちはすでに主の所有物とされているのです。「わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。」パウロは語ります。すでに主のものとされている私たちは生きる時も死ぬ時も主のものとして生きて、また、死にます。命は私たちの勝手にすることはできません。私たちの命が輝かされるのは、「主のもの」として生きる時です。「主のため」に生きる時です。

「自分のため」に生きないことは不自由なことでしょうか?束縛でしょうか?そうではないことをみなさんはすでにご存じだと思います。自分のために、あるいは家族のためにでも、会社のためにでもいいでしょう、主以外のもののために生きていたときそこに本当の喜びがあったでしょうか?素晴らしい達成感を得ることはあるでしょう。家族に感謝されることもあるでしょうし、会社で評価されることもあるでしょう。でもそれは永続的なことではありません。世の中では、素晴らしい才能を持った人がたいへんな業績を上げたり、記録を残した人が、晩節を汚すことも往々にしてあります。

わたしたちは「主のもの」として「主のため」に生きる時、本当に自分自身が生き生きと生きがいに満ちて歩むことができます。本当に意味で隣人のために生きることができます。自分のため家族のため会社のために良きことをなしていくことができます。私たちにはすでに神様のしるしがつけられているからです。「主のもの」として「主のため」に生きる私たちを主は限りなく慈しんでくださいます。あふれるほどの祝福を注いでくださいます。

 


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