大阪東教会礼拝説教ブログ

~日本基督教団大阪東教会の説教を掲載しています~

マルコによる福音書第2章1~12節

2022-01-30 12:34:05 | マルコによる福音書

2022年1月30日大阪東教会主日礼拝説教「屋根を壊す」吉浦玲子 

<屋根をはがすのは信仰か> 

 ガリラヤ中に福音の宣教をされ、病を癒され、悪霊を追い出し、重い皮膚病を癒し、神の御業をなされた主イエスが、ふたたび、その宣教の始まりの場所、カファルナウムに戻って来られました。おそらく以前と同様、主イエスはシモンとアンデレの家、つまりペトロの家におられるのではないかと考えられます。主イエスがカファルナウムに戻られたことが知れ渡り、また、たくさんの人々がペトロに家に押しかけてきました。今日の場面もこれまでと同様、病の人が癒されましたという話になるのですが、この2章は単なる奇跡の治癒物語ではなく、さらに主イエスの秘密といいますか、主イエスがどういうお方なのかということが少し人々の前であかされている場面となります。つまり、主イエスが単なる治療家、福祉活動家ではなかったことが描かれています。同時にそれゆえにこの地上において起こって来る確執が姿を現してきます。具体的には当時の権力者たち、ファリサイ派や律法学者との対立の構図が見えてくる箇所です。 

 今日の聖書箇所で、驚きますのは、これまでと同様、病の人を主イエスのもとに連れてくるのですが、その人たちは、「群衆に阻まれて、イエスのもとに連れて行くことができなかったので、イエスがおられる辺りの屋根をはがして穴をあけ、病人の寝ている床を吊り降ろした。」とあります。当時の家は定期的に屋根の補修をしたようで家の壁には屋根に上りやすいように屋根までの階段のようなものがあったと言われます。だからといって人様の家の屋根を断りもなく剥がして穴をあけるなんて、とんでもないことです。非常識極まりないことです。4人の人々は何としても病人を癒してもらいたいと願い、屋根をはがすというとんでもない行為を行いました。逆に言いますと、主イエスにはきっと癒していただけるという思いがあったからでしょう。病人と病人を担いできた人々の間柄は分かりませんが、どうかこの人が主イエスに癒されますようにと願い、屋根まではがしたのですから、病人と担いできた人々の間には深い交わりがあったと思われます。 

 ここで「イエスはその人たちの信仰を見て」と書かれています。人の家の屋根を勝手に壊すことが信仰でしょうか?信仰熱心なら何をしてもいいのでしょうか?いやそもそもこの病人を連れてきた人々は、ただただ病人を癒してほしいという一心で主イエスのところに連れて来たのであって、主イエスのおっしゃっている福音や神の国を求めていたとは思えません。実際、彼らは、主イエスが御言葉を語っておられたのに中断するような行為をしているわけです。しかしなお主イエスはその人たちの「信仰」をご覧になったのです。福音宣教をむしろ邪魔しているような彼らの行為を信仰だと認めてくださったのです。 

 あるSNSで、こういうことを書いておられる牧師がおられました。「叫ぶ信仰」と「平静な信仰」についてです。弟子たちはガリラヤ湖で嵐にあった時、主イエスに助けてください、船が沈みそうです、と叫びました。これまでさんざん主イエスの奇跡を見てきた弟子であったのに恐れ怯えて叫んだのです。聖書に限らず、一般的に宗教的態度としては、どのようなことがあっても平静で神や仏に信頼して平静である姿こそが宗教的、信仰的だと感じられます。実際、私たちの信仰は、良き時も悪しき時も神に信頼するものです。しかし、いきなり、どのようなときでも「神よあなたにゆだねます」とか「御心のままに」と神に信頼しきる信仰というのは得られないのです。生涯、私たちはガリラヤ湖で叫んだ弟子たちのように神に叫ぶのです。実際、神はそのような試練をわたしたちにお与えになるのです。その都度、私たちは、神に助けられ、神の奇跡を見せていただくのです。そしてなお、ふたたび試練の嵐に襲われる時、「助けてください」「なんで私がこんな目に遭わないといけないのですか」「今すぐどうにかしてください」とおたおたして叫ぶのです。SNSに書いておられた先生は、まず神に叫ぶ信仰が大事なんだとおっしゃっていました。日本ではあまりにも「御心のままに」「御手にゆだねます」と平静な心を持つようにという信仰教育が強すぎて、むしろ「叫ぶ信仰」が育っていないと。私もそう思います。「叫ぶ信仰」が育っていないところで「御心のままに」とゆだねるのが立派な信仰者だと教育されすぎて、本当のところの神との信頼関係が結べない信仰者が日本では多いのです。今日の聖書箇所の屋根をはがした人々は、とにかく主イエスにお願いしたら癒していただけるという素朴な信仰をもってまさに「叫ぶ信仰」をもって主イエスのもとに来たのです。そしてそれを主イエスは「信仰」と認められたのです。 

<あなたの罪は赦される> 

 そののち、主イエスは不思議なことをおっしゃいます。「子よ、あなたの罪は赦される」これはいつか赦されるでしょう、ということではなく、すでに赦されていると訳せる言葉です。ここは、下手をするとこの人の病気はこの人の罪に原因があるのかと思ってしまうようなお言葉です。不幸な状況にある人が、その人の罪のゆえにその状況にあるとしたら、それは因果応報を語っていることになります。しかしそうではないのです。担がれてきた人は中風、いまでいう脳血管障害を起こし、その後遺症で体の自由を奪われていました。しかし、その中風という病、体を自由にできない苦しみ、それ以上に、この人をとらえているものがある、それが罪の力だと主イエスはおっしゃるのです。この人にとって、もっとも大事なことは、肉体の病が癒されること以上に罪から解放されることだと主イエスは考えられたのです。これはこの中風の人だけのことではありません。いま、病や大きな試練の中にはなくとも、一人一人の日々にはそれぞれに苦しみがあります。その苦しみのおおもとにあるのは、罪なのです。ですから主イエスはおっしゃったのです。「子よ、あなたの罪は赦される」 

 さて、これを見ていた律法学者が「心の中であれこれ考えた」と書かれています。律法学者は聖書に精通し、神のこと、罪のことを、よくよく知っていた人々です。その人々は「この人は、なぜこういうことを口にするのか。神を冒涜している。神おひとりのほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか」と考えたのです。律法学者というと、新約聖書においては悪役的な位置づけで、この言葉も主イエスに反抗しているように感じます。しかし、この律法学者の「罪を赦すことができるのは神おひとり」ということ自体は、まったく間違ってはいないのです。いたってまっとうなことです。 

 律法学者たちには主イエスがどなたかということが分かっていなかったのです。もちろん屋根をはがされた家に集まっていた人々は弟子たちも含めて、主イエスがどのようなお方かはっきりとはわかっていませんでした。しかし、彼らは、主イエスの業を見たのです。それを神の業だと考えたのです。ですから主イエスの言葉を聞こうと集まって来たのです。しかし、律法学者たちはその神の業を見たり聞いたりしても、そこに神の力、神の権威を感じることができなかったのです。彼らはイエスの行いやお言葉を律法と照らし合わせチェックしていたのです。病の人が癒され、悪霊が追い出される、そのダイナミックな神の業に喜びや驚きを感じることができなかったのです。信仰というのは喜びや驚きから始まるものです。さきほどの「叫ばない信仰」もそうですが、喜びや驚きのない、したり顔の宗教者には主イエスがわからないのです。 

 そのことを知ったうえで、主イエスはおっしゃるのです。「中風の人に『あなたの罪は赦される』と言うのと、『起きて、床を担いで歩け』と言うのと、どちらが易しいか。人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう」 

 病の癒しと罪の赦しのどちらが人間にとって大事であり、そしてまた困難なことであるか、それを主イエスは知らせようとおっしゃいました。そして神にある罪の赦しの権威がご自身にあることを知らせようとおっしゃいました。そして中風の人を癒されました。「わたしはあなたに言う、起き上がり、床を担いで家に帰りなさい。」すると、それまで体の自由が聞かなかった人が、どうにか起き上がれるようになったとか、歩けるようになったというだけでなく、自らが横たわっていた床を担いで出て行ったのです。<人々は皆驚き、「このようなことは、今までみたことがない」と言って、神を賛美した>とあります。人々はこれは神の業だと驚き、神を賛美したのです。「皆」と書いてありますが、その賛美の中にさきほどの律法学者たちは入っていなかったと思われます。もともと人々から敬われる存在であった自分たちが人々の前で面子をつぶされ、主イエスへの怒りと嫉妬の思いを持ったと思われます。こういうことがこれから繰り返し起こり、やがて十字架へとつながっていきます。 

<十字架と生きる力> 

 ここで主イエスはご自分の権威を語られましたが、もちろん、それを人々の前で誇ろうとされてこのような業をなさったわけではありません。なぜなら、その権威は、やがて十字架におかかりになる、ご自身の死によって立てられる権威だからです。主イエスが血のような汗を流され祈り、父なる神からいただいた杯をお受けになった、その苦しみの極みの十字架によって主イエスは栄光と権威をお受けになるのですから、そこには私たちには想像もできない主イエスの御覚悟と人間への愛があるのです。 

 その主イエスの御覚悟と愛によって、この中風だった人のように私たちも罪の重荷がゆるされ、軽やかに歩き出せるようになりました。それが神の赦しの力です。パウロは罪の報酬は死だと言いました。実際私たちは、本来、罪のために死ぬべき存在でした。しかし、命をいただきました。それはやがていただく永遠の命でありますが、この地上を生きる時も、すでにその永遠の命の輝きに生かされます。この地上での生涯を根底から力づけ、生きる力を与えるのが神の赦しの力です。 

 ここでもう一つ注意したいのが、皆さんもお気づきと思いますが、癒された人自体は治りたいとも何も言っていないのです。彼が言葉を話せたのかどうか分かりませんが、彼を連れてきた人々は親しい人であったでしょうし、当然、彼も治りたいと思っているだろうと考えては連れて来たかもしれません。しかし主イエスは「その人たちの信仰を見て」とあるように、屋根をはがした人々の信仰をご覧になったのです。中風の人本人ではなく、その人を連れてきた人々の信仰によって中風の人は癒されました。これは単純な意味で、ある人の信仰によって他の人が癒されるということではありません。ここで言われているのは、救いとは恵みなのだということです。自分でつかみとるものではないということです。ただ床に寝ているだけ、何もできない、しかしその人にも神の恵みは注がれているということです。叫ぶ信仰と申し上げましたが、叫ぶことすらできない、そこにも恵みが注がれているということです。さらに言えば、伝道とは叫ぶことのできない人を主イエスの側に連れて来ることだともいえます。その人にすでに注がれている神の恵みが、はっきりと見える場、主イエスがおられる場へと連れて来る、それが伝道であり、そこに救いの恵みが起こります。いま、礼拝でみ言葉を聞いておられる方は自分で主イエスのおられる場へと今は来ておられます。会堂へ、ネットの繋がる機器の前へご自分で来られました。しかし、最初はいろいろな形で誰かに連れてこられたのではないでしょうか。人に連れられて来た方もあるかもしれないし、何かの契機があって来られた方もあるでしょう。しかし、誰かによって、あるいは何かによって連れてこられたのです。そこに恵みがありました。主イエスは、中風の人に「起き上がりなさい」とおっしゃいました。これは1章でペトロのしゅうとめを癒された場面で、しゅうとめを起き上がらせた時と同じ言葉です。1章の時にも申し上げたように、起き上がるという言葉は、主イエスが復活する時に使われる言葉です。よみがえるということです。罪のなかで横たわっているのではなく、罪赦された者として新しい命の中に生きなさいとおっしゃったのです。私たちが立派だからではないのです。自分では何もできなかった。ただ恵みの内にキリストの言葉を私たちは聞いたのです。起き上がりなさい、命の中に起き上がりなさい。罪による死ではなく、本当の命に生きなさい。いま、コロナの禍の中で、肉体の命が脅かされています。恐れや不安を感じる日々ですが、なお私たちは聞きとるのです。主イエスの起き上がりなさいと言う声を。本当の命に生きなさいと言う声を。 


マルコによる福音書第1章39~45節

2022-01-23 14:39:36 | マルコによる福音書

2022年1月23日大阪東教会主日礼拝説教「御心って何」吉浦玲子 

 主イエスはガリラヤ中の会堂に行き、宣教をされました。「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」そう宣べ伝えられました。そしてまたその神の国の現実を人々に知らしめるため、病を癒し、悪霊を追い出されました。神の国は精神論や絵空事ではなく、私たち一人一人に関わって来るリアルな力であることを示されました。そして今日の聖書箇所では、「重い皮膚病」の人を癒された、とあります。「重い皮膚病」というのは、今日の医学からみて、どういう病であるのかははっきりと分かりません。旧約聖書においてツァラトと言われていたものです。皮膚に発生する病とされていますが、布や革といった生物ではないものにも起こるともレビ記には書かれています。そのツァラトがギリシャ語ではレプラと訳されるようになりました。レプラは皮膚の感染症、特にハンセン病を指します。ですから、聖書の古い訳では「らい病」と訳されていたのですが、もともと聖書におけるツァラトはいうものは、らい病、ハンセン病そのものを指すわけではなかったのです。ですから適切ではないということで新共同訳聖書では「重い皮膚病」と訳されるようになりました。さらに2018年に刊行された聖書協会共同訳では「規定の病」、つまり旧約聖書で規定されている病と訳されるようになりました。その「規定の病」、ツァラトの苦しみは、病自体の苦しみのみならず、ツァラトに罹ったものは、共同体から切り離される苦しみがありました。レビ記によりますと、この病に罹った者は、宿営の外に住まねばなりませんでした。そして人前に出る時は「わたしは汚れた者です。わたしは汚れた者です」と呼ばわらねばならないとされていました。人と接触することを禁じられていたのです。つまり共同体から切り離された存在であったのです。そして最も大きな問題は、「汚れている」ということは神の前に立てないということなのです。それは生活共同体のみならず信仰共同体からも切り離されていたということです。つまりツァラトに罹った人は神から見捨てられた存在として生きていくことを余儀なくされた人であるといっていいでしょう。 

 さて、今日の聖書箇所ではその重い皮膚病の人が主イエスのところに来てひざまずいて願った、とあります。先ほど申し上げましたように、本来、重い皮膚病の人は他者との交わりを禁じられています。病が癒えた時、祭司の元へ行き調べてもらって、病が治癒していることが確認されてはじめて共同体に戻れるのです。しかし、この病の人はいてもたってもいられなかったのでしょう。主イエスの評判を聞きつけ、この人なら自分の病を癒してくださると思って、藁にも縋る思いで主イエスの前にひざまずきました。周囲の人々の反応は描かれていませんが、きっとこの病に感染することを恐れていたと考えられます。またこのツァラトの人はレビ記に記されていることを守っていない、つまり律法違反をしているのです。周囲の人々は怒りのまなざしも向けたことでしょう。しかし、主イエスはその人が御自分に近づくことをおゆるしになりました。ですから病の人は言ったのです。「御心ならば、わたしを清くすることがおできなります。」「御心ならば」ということは、「あなたに意志があれば」「あなたが望まれれば」ということです。主イエスの思い一つで汚れた自分を清くすることがおできになります、と彼は申し上げました。 

 さきほど、この人は藁にも縋る思いで主イエスに近づいて来たと申し上げました。しかしそれは単に病を癒していただくということだけではなかったのです。この人は主イエスのことをどういうお方ははっきりとは分かっていなかったでしょう。しかし、主イエスの宣教の話を聞いて、このお方は神から見捨てられている存在である自分の存在の根本を変えてくださる方だと感じて主イエスのもとに来たと考えられます。ですから、律法を犯してまで、彼は主イエスに近づいて来て、「御心ならば、清くすることがおできになります」と申し上げたのです。あなたは神とわたしの関係を変えることができるお方だと申し上げたのです。ここにこの人の精いっぱいの信仰告白があります。 

 そう告白した男性を主イエスは「深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ」たとあります。この「憐れみ」という言葉は、スプラクニゾマイというギリシャ語で、この言葉と対応するヘブライ語は「ラーハム」です。これらの言葉は単に「ああ。かわいそうに」という心情的な同情ではなく、痛みを伴うわななきです。語源的に内蔵と関わる言葉で、「はらわたよじる」という意味だと説明されることの多い言葉です。主イエスは、その男性を見て、内臓がよじれるほど痛まれたのです。だから、手を差し伸べられました。神と切り離されていた人へ、汚れた人間へ、感染するかもしれない病を持っている人へ手を差し伸べ、触れられました。「わたしは汚れた者です。汚れた者です」と呼ばわって人が近寄らないように、人を避けなければならないと決められていた人に触れられました。そして癒されました。この人は、まさに主イエスの御心によって、体も、神との関係も、回復されました。主イエスはこの人に、祭司に体を見せ、清くなっていることを確認してもらい、律法に基づいて献げものをするようにおっしゃいました。これはこの人がふたたび信仰共同体の中に入れられるということです。つまり、それはとりもなおさず神との関係が回復されたということです。 

 今日、新型コロナ感染症のパンデミックの中、私たちは今日の聖書箇所の主イエスのようには人と密接に触れ合うことはできません。愛があれば、感染しないということはないからです。人との接触を制限されているなか、子供や若者たちは人との関係、交わりの中で育んでいくべき貴重な体験の機会を失っています。人との交わりは温かいものであると同時に、厳しさをも体験することですが、それを失ってしまう。そしてまたご高齢や病の人は、本来、十分に精神的にもケアされなかればなりませんが孤独の中に置かれざるを得ない状況があります。教会においても、以前は行われていた礼拝後の集会における交わりの時間はとれません。集会だけではなく、礼拝の前後で、さりげなく挨拶を交わしたりする、それすらも今は、控えめにしないといけません。それはとても寂しいことではありますが、絶望ではありません。なぜなら私たちは礼拝において、なにより主イエスの言葉を聞くことができるからです。私たちにも、主イエスは礼拝において御言葉によって手を差し伸べ触れてくださっています。私たちも回復させられるのです。私たちは重い皮膚病にかかっているわけではありません。しかし、罪によって壊れていた神との関係性を回復させていただかなくてはいけない存在でした。神の前に「御心ならばおできになります」と信仰告白をして神との関係を回復させていただいたことを、繰り返し、礼拝において覚えさせていただくのです。そして、新しい神との関係に生きていくのです。 

 だれでも、多かれ少なかれ、罪によって自己中心という殻の中にいるのです。その殻を割っていただくのです。割っていただくために主イエスに触れていただくのです。それが礼拝です。主イエスに触れていただき、神との関係を回復させていただき、そのとき、私たちははじめて他者との関係性をも回復させていただくのです。回復の最初にあるのは神のとの関係の回復です。今、私たちは十分に人間関係において、交わりを持つことはできません。しかし、主イエスとの交わりを持つことはできます。いまこそ、持たせていただくのです。主イエスとの関係が回復する時、私たちはおのずと隣人との関係も豊かにされるのです。私たちは、今、その豊かさを内側に蓄えていくべき時なのです。やがてパンデミックが終息したとき、私たちは内側に蓄えられた豊かさをもって、新しく隣人との関係を回復していきます。それは元通りになるのではありません。もっと豊かなものにされるのです。 

 さて、今日の聖書箇所では最後のところに不思議なことが書かれています。「主イエスはすぐにその人を立ち去らせようとし、厳しく注意して、言われた」とあります。何を言われたかというと、「だれにも、何も話さないように気をつけなさい」とおっしゃったのです。祭司に治ったことを確認してもらうことは良いけれど、主イエスが癒されたことは言うなとおっしゃったのです。しかも、この言い方はかなり激しい言い方なのです。「立ち去らせようとして」という言葉は「追い出す」というニュアンスのある言葉ですし、「厳しく注意して」という言葉は怒鳴りつけた、というに近い言葉です。主イエスはかなり激しくおっしゃったのです。聖書には他の箇所でも主イエスが御自分の為さったことを人に言ってはいけないとおっしゃる場面があります。これは読んでいて不可解に思うことではありませんか。これはいくつかの理由があります。一つはご自分の業が神の業であり、その業は十字架において示されるべきものだということがあります。神の業は十字架の時まで隠されているべきものなのです。たとえばこの癒された人は確かに、主イエスに神の力を確信して「御心ならばがおできになります」と告白しましたが、まだ、主イエスの十字架と復活のことは分かっていないのです。なぜ自分が神との関係を回復されたかは分かっていないのです。だからしゃべってはいけないと主イエスはおっしゃったのです。そしてまた、神の御業の深い意味が伴わず重い皮膚病が癒されたという話だけが独り歩きすると、主イエスの今後の宣教活動に支障をきたすことになるからです。治療家、奇跡を行う人ということだけが喧伝され、人々が押し寄せてきて、本来の神の国の福音宣教ができなくなるからです。実際、この癒された人が「大いにこの出来事」を伝えたため、主イエスはもはや公然と町に入ることはできなくなったとあります。癒された人は言わずにはいられなかったのでしょう。これは私たちにも当てはまることです。私たちは熱心に使命感にかられてさまざまなことをしますが、それが本当に主イエスの望んでおられることかということをよくよく考える必要があります。自分では良かれと思ってやっている、やらずにはおられないと思ってやっていることが、実際は神の御業を阻害していることがないのか、それは祈りのうちに御心をよくよく問わねばなりません。私自身もそれはよくよく思うところです。 

 そしてまた、今日の聖書箇所で少し考えたいことは、この場面で、主イエスのお姿は、必ずしも、一般的にいうところの、あたたかな優しいお姿ではないということです。ある神学者は今日の聖書箇所の「深く憐れんで」という言葉は、新約聖書の写本によっては別の言葉で書かれていることを指摘しています。その言葉で書かれている写本の数は多くはないそうなのですが、「怒りに満ちて」という意味の言葉で書かれているものもあるそうです。「深く憐れんで」という言葉にも主イエスの慟哭するような思いがあるのですが、「怒りに満ちて」という言葉には驚きます。怒られたとするなら、何に怒られたのでしょうか。それはこの人が神から引き離されているという現実にです。本来、神に造られ、神に愛され、神との交わりに生きるべき人間が神から切り離されている、その現実に怒りを向けておられるのです。それは律法のゆえなのですが、けっして律法が間違っているとか、おかしいということではないのです。この世界の罪ゆえに、人間の罪ゆえに、神に近づき得ない「汚れ」が生じているのです。人間を神から遠ざける「汚れ」、そして人間を神から遠ざけるすべてのものに対して主イエスは怒っておられる、宣戦を布告されていると言ってもいいのです。最後の場面でもさきほど申し上げましたように、主イエスは厳しく注意されています、追い出し、怒鳴りつける勢いでおっしゃっています。そこには一般的に言われる「やさしいやさしいイエス様」のイメージはありません。これから十字架への道を歩んでいかれる、全人類の救いのために、戦いに挑まれるキリストとしての厳しさがあります。主イエスの癒しの力、愛の力は、ある時は剣でもあります。私たちもある時は、その剣に突き刺されるのです。突き刺されないで済む信仰生活はありません。ルカによる福音書に預言者シメオンが幼子イエスを抱いた母マリアに告げた言葉があります。「この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。-あなた自身も剣で心を刺し貫かれます―多くの人の心にある思いがあらわにされるためです」マリア自身も剣で刺し貫かれるとあり―それは必ずしも主イエスの剣ということではありませんが―主イエスと交わる時、剣に射されるような痛みはあるのです。病の治療に、時に痛みや苦しみが伴うように。私たちの病んだ心があらわにされるからです。ですから主イエスは怒りをあらわされます。私たちの心を病へと陥られせているものへ、罪に陥らせているものへの怒りです。私たちを罪の病から癒し、偽りの平安を打ち砕き、まことお救い、まことの喜び、まことの平安へと導くためです。そして何より、主イエスご自身が剣によって刺し貫かれたお方です。十字架において、手足にくぎを打たれ、わき腹を刺されました。誰よりも刺し貫かれた主イエスが、私たちの救いのために来てくださった。この世の悪しきものすべてと戦ってくださった。その主イエスに信頼し、主イエスの御心を信じて歩んでいきます。 


マルコによる福音書第1章29~39節

2022-01-16 15:54:39 | マルコによる福音書

2022年1月16日大阪東教会主日礼拝説教「悪霊を追い出す」吉浦玲子 

<主イエスが家に来られた!> 

 言葉なる神、キリストの言葉、神の言葉は安息日の会堂において、礼拝において語られました。それは今日の礼拝でも同様です。神の言葉は日曜日の礼拝において語られます。そしてその言葉は単なる知識、お勉強のための言葉ではなく、現実に働く神の力そのものです。力の言葉です。伝道とは、神の言葉のもとへ人々を招くことです。神の言葉は礼拝の中で語られます。ですから伝道とは礼拝へと人々を招くことだといえます。 

 今日の聖書箇所では、会堂でお教えになった主イエスがシモンとアンデレの家に家に行ったと書かれています。もともとカファルナウムはシモン、つまりペトロたちの家があるところでした。マルコによる福音書の著者は、おそらくシモン・ペトロから聞いたことを中心に主イエスの出来事を記していると考えられます。ですから今日の聖書箇所は、ペトロ自身が自分の家に主イエスが来てくださった、その忘れられない出来事を繰り返し語った、そのことを元にしているのです。主イエスの弟子になった漁師であったペトロが、まず安息日の会堂に主イエスと共に行った、そこで汚れた霊を追い出す主イエスを見たのです。権威あるものとして語られる姿を見て、おそらくペトロたちはたいへん興奮したことでしょう。俺たちの先生はすごいぞと。そのすごい先生がなんと自分の家に来てくださった。そしてまた、先生は自分のしゅうとめの癒してくださったのだ、そうペトロは繰り返し語ったのでしょう。 

 会堂でみ言葉を語られた主イエスは、ある意味、今日の場面で牧会をなさっているとも考えられます。会堂でみ言葉を聞いた人々、また何らかの事情があって聞けなかった人々、それぞれの霊的な状態に配慮をしていく、それが牧会です。ことに何らかの事情で会堂に集えなかった人々への配慮として、会堂の外へと向かう牧会が今日の場面であるともいえます。現在はコロナのため、なかなかできないのですが、訪問やお見舞いということを教会はなしますが、それは単なるその人が大丈夫かと心配して行うということではなく、特に御言葉を求めながらも聞けなかった人に御言葉を伝え、聖餐に与れなかった人に聖餐に与っていただき、なにより共に祈ることを通して、その人の心に神の慰めを伝え、共同体の一員であることの喜びを分かち合うものです。そのような、会堂の外での牧会の原型がここにあります。 

 主イエスは、シモンのしゅうとめが熱を出して寝ていることを聞いて、手を取って起こされました。この癒しの業は、けっして派手なものではありません。この前の箇所であった汚れた霊を追い出すとか、これから先、主イエスがなさる多くの奇跡の癒しに比べたら、「熱が下がった」というだけですから、地味な話です。しゅうとめはすぐに癒され、そしてそのしゅうとめは、すぐに一同をもてなしたとあります。病み上がりでいきなり客のもてなしをさせるなんて、昔は女性の立場が弱かったのだ、ということではなく、完全にしゅうとめは癒され、体が癒されただけではなく、心もすっかりと元気になり、もてなす力が湧いて来たということでしょう。ところで、よく話をしていることなのでお聞きになった方がおられるかもしれません。私自身の体験で、イギリスに出張に行ったときのことです。当時、出荷直前の製品や工場の状況を確認する仕事をしていました。イギリスに出張してその仕事をしました。たいへんスケジュールがタイトで、飛行場と工場とホテルの間だけを往復して帰ってくるだけで、海外に行ったという感覚があまりない出張でした。またその当時、仕事が立て込んでいて、国内の出張が重なっていたあとでのイギリス出張で疲れが出たようで、イギリスについたその晩に39度の熱を出してしまいました。私は当時、喉を腫らして熱をよく出していたのですが、だいたい38度以上の熱を出すと数日寝込んで、熱が下がった後も数日は体調が本調子ではありませんでした。なので、その夜、ホテルの部屋で、これはもう明日からの仕事はできないなと暗澹とした気分で悶々としました。体はしんどいのに不安で眠れませんでした。高い旅費を使ってきながら仕事もできずに帰国したら社内でかなり批判を浴びるなあと思いました。なにより準備して待っておられた現地の工場の人々にも申し訳ないと思いました。悶々としてひとり病室で祈りました。そして「そうだこれは、牧師先生に祈ってもらおう」と日本の所属教会に電話をしました。日本はちょうど朝だったのですが、「分かりました祈ります」と先生が言ってくださり、それだけで「あ、祈ってもらえる」と安心して、それまではとても不安だったのですが、安心してスーッと眠れました。ところが、眠ったところで携帯電話が鳴って、慌てて出ると、牧師先生からで「今から祈祷会なので、皆で祈りますから聞いてください」と言われました。水曜日の午前の定例祈祷会だったのです。電話の向こうで皆の声が聞こえ牧師先生が祈ってくださりみんながアーメンと言ってくださいました。それがイギリス時間の深夜二時くらいだったのですが、そのあと眠って朝の六時に目が覚めた時、平熱に戻っていました。しかも、すこぶる体調が良くて、その日以降、帰国の日まで元気に仕事ができました。神の力が及ぶとき、そのようなことが起こります。このシモンとアンデレのしゅうとめが癒されたとたん、元気でもてなしたとしても何ら不思議ではないのです。病み上がりの体を鞭打って、ということではないのです。そして神の癒しの力は単に病を癒すというのではなく、その人が神に従って働くことができる力を与えられるのです。 

<主イエスの御跡を> 

 そもそもこの「もてなす」という言葉は「仕える」という意味で、特に女性が主イエスの御跡をついて行く、という場合に使われる言葉です。つまり、しゅうとめは主イエスの後に従う者とされたのです。元気いっぱいになってバリバリ働きましたという以上に、主イエスに従う者となったということです。主イエスの力が及ぶとき、その力を素直に受け入れる者は主イエスの御跡を歩む者に変えられるのです。これと対照的な姿が悪霊たちです。先週も汚れた霊が出てきましたが、彼らは人間を越えた霊的存在ですから、主イエスの正体を知っていたのです。主イエスは彼らを追い出されました。そして彼らにものをいうことをおゆるしになりませんでした。彼らをしゃべらせない理由はいくつかあります。まず神の業は隠されているということがあります。特に十字架の時まで、神の業は隠されている必要があったからです。人々は主イエスの奇跡を業を見てこの方は素晴らしい方だとは思いましが、実際のところ主イエスがどなたなのか、何のために来られたのかわかりませんでした。ペトロを始めとする弟子たちもそうでした。それは敢えて隠されていたという側面があります。また悪霊たちは、相手の正体を知っているということにおいて相手への支配権を主張するということがありました。「お前のことは俺は知っているぞ」と相手を脅し、今でいうマウントを取るようなところがあり、それを主イエスはおゆるしにならなったのです。 

 ですから、ここで分かりますことは、主イエスの正体を知る、ということと、主イエスに従うということは違うということです。私たちはもちろん聖書を学び、教理を学び、主イエスについて、神について正しく知ろうとします。もちろんそれは大事なことです。しかし、繰り返し話をすることですが、知的な理解と主イエスに従うことは違うのです。主イエスを知るということは、主イエスと交わるということです。そもそも旧約聖書においても「知る」ということは深い人格的交わりをすることでした。主イエスを本当に知るとは主イエスと深く交わるということです。知識として知ることではありません。そして主イエスと交わったものは、ペトロのしゅうとめのように主イエスに従う者、主イエスの御跡をついていくものとされるのです。しかし、主イエスの正体を知識として知っているだけの悪しき霊たちは、当然ながら、主イエスに従うことはありません。 

 その後、夕方、つまり安息日が終わったのを見計らって、この家には多くの人が押し寄せてきました。病気の人や悪霊に取りつかれている人々がやってきたのです。この人々はとにかく今ある苦しみを取り除いて欲しいと願っている人々です。しかし、この癒された人々、悪霊を追い出していただいた人々すべてが、主イエスに従う者になったかどうかはわかりません。福音書を読むと、ほとんどの人々は主イエスに従わなかったのです。ペトロの家に人々が押し寄せてきたように、教会にもいろいろな人々がやって来られます。その多くの方々は、安息日の会堂、今でいうところの日曜日の礼拝に御言葉を求めて来られるのではありません。別の思いをもって来られます。もちろん切実な悩みを抱えてこられる人も多くあります。悩みや求めが切実であったとしても、御言葉を求めて来られない方への対応というのは教会としてはなかなかたいへんなことです。しかし、主イエスが癒し、悪霊を追い出されたように、教会もまたさまざまな方々への対応をします。それはある意味、しんどいことでもあります。教会はあくまでも御言葉を伝えるところ、主イエスに従う者が起こされる場所です。そのことを根本に置きながら、なお、教会はさまざまにやって来る人々に対して門を開きます。ペトロは懐かしく喜ばしく、主イエスが自分の家に来られ、それから多くの人々が押し寄せてたいへんだったことを語っています。しかしそれはけっして楽なことではなかったのです。主イエスに従うというのはそういうことです。主イエスに従うと、この世的に見て素晴らしいことだけがあるわけではありません。むしろ、関わりたくないことに関わらないといけなくなったり、面倒なことにも巻き込まれるのです。ペトロたちが漁師としての舟を捨て、生活の基盤を手放したように、さらには憩いの場であった家に人々が夜になって押し寄せてくるようになったりしたように。 

<復活の命の中、さあ行こう> 

 さて、その翌朝、主イエスは人里離れた所に出て行き祈っておられました。これは祈ることの大切さを示す箇所としてよく引用されます。人々が押し寄せ、多忙を極めながらも、主イエスは父なる神との祈りの時間を大切になさいました。主イエスであろうとも、父なる神への祈りの時があったからこそ、宣教の業が進められたといえます。そして祈りはただ神の守りや必要を求めるためでなく、あらたな宣教の道をも示されるものでもあります。主イエスはおっしゃいます。「近くやほかの町や村へ行こう」。 

 弟子たちは「みんなが捜しています」と言いました。カファルナウムの人々が主イエスを捜したのは、この素晴らしい奇跡を行う人を自分の町に留めたかったのです。自分たちのためにずっと働いて欲しかったのです。しかし主イエスはもっといろんな場所で宣教をなさろうとされました。祈りのうちに父なる神の示しが与えられたのです。カファルナウムにとどまり、先生として敬われた方がある意味楽であったでしょう。しかし、主イエスは旅をして宣教される道を進まれました。そしてその道はお一人で行かれるのではありませんでした。「近くやほかの町や村へ行こう」と弟子たちへ語られ、弟子たちと共に行かれたのです。弟子たちもまだ主イエスのことはほんとうのところは分かっていなかったのです。でもそんな弟子たちに「一緒に行こう」そうおっしゃってくださったのです。 

 ところで、ペトロのしゅうとめを癒される時、主イエスはしゅうとめの手を取って起こされたとありました。この「起こされる」という言葉は、 ἐγείρω エゲイローというギリシャ語で、マルコによる福音書16章6節でも使われています。それは十字架ののち墓に葬られた主イエスの亡骸のところに婦人たちが向かいますが、墓には亡骸がなかったという場面です。亡骸がなくなって呆然としている婦人たちに対して天使が言うのです。「あの方は復活なさって、ここにはおられない」と。ここで「復活なさって」に使われているのがエゲイローという言葉です。復活する、よみがえる、再び生きるという意味です。ペトロのしゅうとめは単に熱を下げていただいただけではないのです。主イエスの復活の命の先触れに触れさせていただいたのです。私たちもそうです。信仰を与えられ、主イエスと共に歩む時、すでに復活の命の栄光の中に入れられているのです。主イエスの御跡を追うことは、それまでとは違う困難や試練をも受け入れていくことになる申しました。しかしまたそれは同時に主イエスの栄光の内に私たちも入れられる歩みでもあります。そして今日も私たちは聞きます。主イエスの言葉を聞くのです。「近くやほかの町に行こう」。さあ主イエスと一緒に出かけましょう。 

 


マルコによる福音書第1章21~28節

2022-01-09 17:27:45 | マルコによる福音書

2022年1月9日大阪東教会主日礼拝説教「イエスの正体」吉浦玲子 

<権威ある者> 

 主イエスが宣教を開始されました。安息日の会堂に入り教え始めたとあります。「権威ある者としてお教えになった」とあります。私たちは今それを聞いて、主イエスは神さまなんだから権威ある者であることは当たり前だと思ってしまいますが、当時の人々からしたら大変な驚きでした。そもそも当時の人々にとって律法学者たちこそが権威ある者だったのです。律法学者たちは聖書、特に律法の専門家でした。律法を解釈して、実際の生活の中で適用したのです。現代でいうところの法律の解釈と適用を行う人たちでした。これは律法違反になるのか否か、そういう判断を下すのです。しかし、主イエスが教えられることは「律法学者のようではなかった」と書かれています。当時、律法学者に権威がなかったわけではありません。むしろ、あったのです。神に与えられた律法の専門家ですから、人びとから尊敬を受けていました。その権威の源のひとつは聖書にあったといえます。また、当時、律法を教える人は、誰から学んだかということが重要だったそうです。たとえば、伝道者パウロは、かつてファリサイ派、律法学者として活躍していた頃の自分を語るとき「ガマリエルの弟子であった」と言います。ガマリエルは使徒言行録にも出て来る有力なユダヤ教の学者です。パウロはそのガマリエルの流れを汲む者であることを、回心前は誇りとしていたのです。いまでいうところの学閥といいますか、出身校や学会の権威ある人とのつながりのようなものが一つの権威となっていたところもあるようです。それに対して、主イエスはそのようなつながりのなさそうな一介の伝道者のように人々は思っていました。カファルナウムはガリラヤ湖北部の町でペトロの家があるところでした。聴衆の中には、主イエスがガリラヤ出身の大工のせがれであることを知っている人もいたかもしれません。しかし、その言葉にはそれまで聞いたことのないような権威があったのです。 

 当然ながら、主イエスは誰かから教わったことではなく、ご自身が権威ある者としてご自身の言葉でお教えになりました。語られている言葉は律法の解釈と適用ではありませんでした。偉い学者が語るような内容とはまったく違っていたのです。今日の聖書箇所には語られた言葉そのものは記述されていませんが、福音書全体が主イエスがお伝えになったことを記していると言えます。そして、その言葉の中には「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」という最初の主イエスの言葉もあったでしょう。これは神ご自身による<神の国が近づいた>という宣言の言葉、だから今こそ悔い改めなさいと言う勧めの言葉であり、律法の解釈ではありません。そこには神の権威があったのです。もちろん律法にも神の権威があります。しかしその解釈と適用の言葉には神の権威はありません。パウロの師匠のガマリエルがどれほどすぐれた学者であったとしても、「ガマリエルの弟子」はガマリエルという人間の権威を帯びている者に過ぎません。しかし、主イエスは神の権威をご自身に帯びておられました。その言葉にも権威があったのです。聞いている人々は非常に驚きましたが、主イエスが帯びておられる権威の源が一体何なのかはわかりませんでした。とにかくそれまで聞いたことのない言葉を聞いたのです。驚くべき言葉を聞いたのです。 

<かまわないでくれ> 

 人々は驚くばかりで、その権威の源は分かりませんでした。しかし、それが分かっている者がありました。「汚れた霊」です。これは面白いことです。まじめに聖書の話を聞こうとしている人々にはイエスの権威の源は分からなかったのに、神を冒涜し、人間を神から引き離そうとする「汚れた霊」には分かっていたのです。「汚れた霊」や「悪霊」といったものについては次週にもお話ししますが、これらの悪しき者は、やがて終わりの時に滅ぼされる存在なのです。その裁きを行うお方がイエス・キリストです。ですから「汚れた霊」にとって、イエス・キリストの到来は、終わりの時が近づいたというしるしであり、恐ろしいことでした。ですから「汚れた霊」は叫んだのです。「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」構わないでくれという言葉は「わたしたちと何の関係があるのか」という意味です。私たちと関係がないだろう、ほっておいてくれというということです。 

 ヤコブの手紙の中で、口先だけの信仰者への警告の言葉にこういうものがあります。「あなたは『神は唯一だ』と信じている。結構なことだ。悪霊どももそう信じて、おののいています。」神を信じているというだけで、理屈で神は唯一だと分かっていても、実際に、神に従って生きていなければ意味はないとヤコブは語っています。そして、強烈な皮肉として「結構なことだ。悪霊どももそう信じて、おののいています。」と言っているのです。私たちはただ漠然と神という存在を信じて生きているのではないか、宗教とは心のあり方だと思って良い生き方のための参考にしているだけではないかということを、私たちはよくよく考えてみる必要があります。聖書を解釈して自分の生活に適用して、良い生き方をするためのよすがとしていないか。もしそうであるならば、悪霊よりも、汚れた霊たちよりも、私たちは劣っているとヤコブは言っているといってよいでしょう。良い生き方のために参考にはしても、まことに自分の生活に神が介入して来られ、悔い改めを迫って来られるならば「かまわないでくれ」「関係ないだろう」と叫びたくなる、そういうことがないでしょうか。そうであるならば、この汚れた霊と変わらないのです。実際のところ、私たちにも「かまわないでくれ」と神に向かって叫ばせたくなる力、汚れた霊の力は働いているのです。 

 福音書の中には、悪霊を追い出し、病を癒す話が多く出てきます。それは、現代の人々には信じがたい話です。科学や医学が進んでいなかった昔の人が、神のことを賛美するために作った話、大げさに書いたことだと思ったりする人もおられるかもしれません。たしかに医学が進んでいなかった時代、ある種の病が汚れた霊の仕業と考えられていたことはあったかもしれません。しかし、先ほども言いましたように、神に対して「かまなわいでくれ」と叫ばせる悪しき力は現代の私たちにも働いているのです。この汚れた霊は「我々」と複数形で自分たちを語っています。実際、複数の悪しき霊がこの男性には取りついていたのです。悪しき者の力は大きいのです。しかし、主イエスは神でありますから、病気が治ったり悪霊が出て行ったりというのは、むしろ、当たり前のことです。天地を造られた、世界の支配者である神の子ですから、その程度の奇跡が起こってもなんら不思議はないのです。唯一の神が汚れた霊を追い出せないことなどありえないのです。 

 そしてその力は、単に悪しき者を追い出したということで終わりません。人間が回復されるのです。悪者がやっつけられてめでたしめでたしではなく、その力に捕らえられていた人間が解放され、神と共に歩み始めることができるようになるのです。神に「かまわないでくれ」というのではなく、神によりたのんでいきていけるようになるのです。人間が変えられるのです。それが神の力であり、神の権威です。 

<安息日の会堂> 

 ところで、今日の聖書箇所の最初に「イエスは、安息日に会堂に入って教え始められた」とあります。ここには「安息日にすぐに」という「すぐに」という言葉が原文にはあります。今日の聖書箇所の直前に、ペトロたちを弟子にしたとありますが、その弟子となったばかりの者を連れてカファルナウムに行って、「すぐに」ということです。弟子たちを教育してからとか、準備を整えてから、ではなく、「すぐに」主イエスは宣教を開始されたのです。「時は満ち、神の国は近づいた」のですから、もう一刻の猶予はありません。「すぐに」宣教を開始されたのです。 

 そしてその宣教の場所は安息日の会堂でした。会堂はシナゴークという言葉ですが、これはもともと場所を示す言葉ではなく、集まりを示す言葉でした。安息日の会堂で律法を学び、神を礼拝する集まりが持たれていたのです。その礼拝の中で主イエスは語られました。主イエスは、山の上で語られたり、湖の上で舟を浮かべて語られたりもしましたが、宣教の基本はシナゴークで語ること、礼拝で教えられることにありました。安息日の礼拝の中で神の言葉は語られたのです。ちなみにここで「教え始められた」とありますが、この「教え」という言葉は福音書において主イエスに対してだけ使われる言葉です。たとえば1章に洗礼者ヨハネは悔い改めの洗礼を「宣べ伝えた」とあるように主イエス以外の人々には「教える」という言葉は使われません。主イエスの言葉は特別なものであり、そしてまた、神の国が近づき、まさに新しい教えの時代が始まったということを示しています。 

 安息日の礼拝において、主イエスは教えられました。そこに神の権威ある言葉が語られたのです。これが今日の礼拝まで続いています。主イエスの弟子たちも、その宣教において、このスタイルを継承しました。たとえば使徒言行録によりますと、パウロはその宣教旅行において、新しい土地に着いたら、まずその土地のシナゴークを探し、礼拝の中で語ることから宣教を始めています。辻説法、路傍伝道から始めたのではありません。なぜなら礼拝の中で語られる時、聖霊によって、それは神の言葉となるからです。パウロも、それ以後の伝道者、説教者も人間に過ぎません。しかし、礼拝の中で語られる言葉は、単なる聖書の解釈と適用ではありません。語り手の思想信条、聖書の知識を披露しているのでもありません。ですから、説教を聞くことは「お勉強」ではありません。どれほど熱心であろうとも知識や良い生き方をするためのあり方を求めて聞くことは礼拝における姿勢ではありません。礼拝において語られる言葉は聖霊によって神の言葉となるからです。人間が語る言葉が礼拝において神の言葉となるのです。もちろん伝道者や説教者が神となるのではありません。その言葉が聖霊の力によって、神の権威を帯びるのです。神の力の言葉となるのです。 

 2000年に渡り、キリストを頭とする教会は礼拝を守り続けてきました。そこにまさに神の言葉が響くからです。神の力が現実にあらわれるからです。汚れた霊を追い出し、人間をまことに回復させる力がたしかに現れるのです。「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」十字架にかかり復活なさった神の宣言は、2000年に渡って三位一体の神を信じる教会の会堂に鳴り響いて来ました。今もここに響いています。主イエスの権威が今日もここに力強くあります。それを今、私たちは聞いています。「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」 


マルコによる福音書第1章16~20節

2022-01-02 15:41:46 | マルコによる福音書

2022年1月2日大阪東教会主日礼拝説教「キリストについて行く」吉浦玲子 

 新しい年が始まりました。新しい年に新しく連続講解説教を始めたいと思います。昨年のクリスマス礼拝に続きまして、マルコによる福音書を共に読んでいきたいと考えています。マルコによる福音書は福音書の中でもっとも成立が古いと考えられています。そして著者は12弟子の一人であるペトロの通訳をしていたマルコと考えられていましたが、当時、マルコという名前自体ありふれた名前であり、実際にペトロの通訳であったマルコが著者であるのかどうかは確定はできないようです。また、以前、使徒言行録を読みました時、その中に書かれていた話にマルコという青年が出てきました。彼は、パウロたちと一緒に宣教旅行に行ったのですが、どういう理由か分かりませんが、旅行の途中でマルコは離脱して帰ってしまうということがあったようです。その次の宣教旅行に行く際、パウロは前回途中で離脱したようなマルコなどを連れて行くわけにはいかないと言ったのに対し、それまでパウロと共に宣教旅行をしていたバルナバは、マルコを連れて行くべしと主張し、そのことが契機で、パウロとバルナバは別行動をとるようになりました。エルサレムで孤立していたパウロに親切にし、さらに伝道者としてのパウロの才覚を見いだしたのがバルナバでした。そのバルナバとパウロを対立させ、分裂させたマルコですが、新約聖書の書簡には何か所かマルコという名前がでてきます。ペトロやパウロから信頼されていた人物として出て来るのです。そこから、マルコは、のちにペトロのみならずパウロにも認められる宣教者に成長したのだと推測する人がいます。さらにはそのマルコはペトロから聞いた話をもとに福音書まで作成したのだという説があります。それははっきりとは分からないことです。しかし、そうでありますならば、たいへん美しい話でして、一時はパウロから宣教者として失格の烙印を押された青年マルコがやがて宣教者として成長し、ついには最初の福音書まで書いたということになります。神の特別な導きがマルコの上にあったということです。 

 そのあたりは確定はできませんが、ひとつはっきりしていますことは、主イエスを直接目撃した弟子たちの後の世代の宣教者が育ち、福音書として主イエスの物語を書いたということです。福音書より前に、パウロの書簡は信仰の手引きとして諸教会で大事にされていました。そしてまた、おそらく主イエスのお言葉やなさったことの伝承も伝えられていた思われます。しかし、信仰の広がりと信仰者の世代交代の中で、文書という形で、主イエスの出来事がまとめられたほうが良いと考えられたのです。そして、その文書がさらに後の世代に手渡された、その文書の最初がマルコによる福音書でした。2000年を経て、私たちが今、手に取っている書物は、主イエスを目撃した人々、そしてその目撃者の言葉を聞いた人々の熱い信仰の証しです。聖霊によって語らずにはいられなかった人々、聖霊によって文字として書き残さずにはいられなかった人々があった、その結果、福音書という文書はできたのです。 

 ひるがえって、私たちは、それぞれ信仰の証を記した文章を残すことはあるかもしれません。しかし、まとまった形での信仰書を記す人はほとんどおられないのではないかと思います。でも私たちも私たちなりのあり方で信仰を後の世代に手渡していきます。私たちが神から与えられた信仰は、伝えていくべきもの、手渡していくべきものだからです。いま、「べき」という言葉を敢えて使いましたが、それは強制された義務のようなものではありません。神によって与えられた信仰の命の息吹はおのずと誰かに伝わるものなのです。燭台のともし火をテーブルの上に置きなさいと聖書には記されています。燭台のともしびは隠されてはいないのです。テーブルの上で光を放っているのです。そしてその光は小さな窓から外へと漏れるのです。その光は誰かの目に留まるのです。神が目に留まるようにしてくださるのです。そして伝えられていくのです。 

 その信仰のともし火が最初に灯された出来事が今日の聖書箇所です。その後2000年に渡ってその灯は伝えられてきました。私たちにも灯されました。今日の聖書箇所には主イエスの最初の弟子たちは漁師であったことが記されています。シモンとシモンの兄弟アンデレという名前が出てきます。シモンとはペトロのことです。そしてまたゼベダイの子ヤコブとヨハネの名前もあります。やがて彼らは弟子たちの中でも中心的な存在となります。別の福音書を見ますと、ペトロとアンデレはもともとは洗礼者ヨハネの弟子だったと記されています。洗礼者ヨハネの言葉を聞いてアンデレが弟子となり、そののちペトロを主イエスのもとに連れていったと記されています。福音書間でペトロたちが弟子になった経緯の記述が異なるのですが、それは福音書の著者が何を伝えようとしたのかというポイントが異なるからです。 

 マルコによる福音書の記述はいたってシンプルです。主イエスはガリラヤ湖のほとりを歩いておられた。日本のように水が豊かではないイスラエルにあって、ガリラヤ湖周辺は自然が豊かで美しいところです。ガリラヤ湖は琵琶湖の半分ほどの大きさで、魚のよく獲れるところであったようです。現代のガリラヤ湖周辺の写真を見ても、漁師たちの姿があります。おそらく漁は夜に行い、その後、網の手入れをしている朝のことでしょう。網を打っているアンデレを主イエスはご覧になりました。アンデレたちは、当時のイスラエルの家庭でごく普通に信仰教育を受けたユダヤ教徒であり、さらには、洗礼者ヨハネのもとで求道していた熱心な信仰者であったと言えるかもしれません。しかし、主イエスがご覧になったのは「網を打っている」ところでした。熱心に聖書を学んでいる姿でも、祈りを捧げているところでもありませんでした。網を打つという彼らにとってなりわいである行為、ごく日常の姿を主イエスはご覧になったのです。漁のあとの作業には疲れもあったでしょう。しかしそれをやらないことには、次にまた漁に出ることはできないのです。聖書を読みますと、ペトロには配偶者がいたようです。漁をして家族を支えなければならなかったのです。そんな彼らの当たり前の日常を主イエスはご覧になりました。そしておっしゃったのです。 

 「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう。」 

 有名な言葉です。これからあなたたちは魚をとるのではなく人間をとるのだ。「人間をとる」という言葉に少し抵抗を感じられる人もあるかもしれません。魚はとられたあと、食べられます。死ぬのです。とられた人間はどうなるのでしょうか?生かされるのです。それも生き生きとした希望に生かされるのです。先日まで共に読んでいましたペトロの手紙Ⅰの1章で「神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え」られたと語られています。その生き生きとした希望はまず最初の弟子となったペトロたちに与えられました。そしてまた彼らが人間をとる漁師としてとった人間にも、生き生きとした希望が与えられたのです。 

 その希望は、ただキリストによって与えられました。キリストの方から人間へと向かって来られ、一人一人をご覧になって、キリストご自身がひとりひとりをとってくださいました。親がクリスチャンで、気がつくと教会に行っていた人もあるでしょう。様々な経緯で教会に初めて来られた方もあるでしょう。私は自分で教会に行こうと決めて、あらかじめ教会のことをいろいろ調べて教会に行きました。自分の意思で行ったのです。しかしどのような場合でも、実際のところは、キリストがつかまえてくださったのです。キリストがとってくださったのです。私たち一人一人も、それぞれの漁の網を打っているところから、とられたのです。私たちそれぞれの日常のなか、生きているただなかにキリストが来てくださったのです。そして「わたしについて来なさい」と声をかけてくださったのです。私たちもまたペトロたちと同様、キリストについて来ました。実際のところは、キリストと違う道を歩いたり、キリストについていくのではなくキリストの前に出て、勝手に先を歩いたりしたかもしれません。ペトロたちもまた、忠実にキリストについていったわけではありませんでした。彼らはキリストと共に過ごした三年半の間、まったく主イエスのことがわかっていませんでした。ペトロは、ある時はキリストに向かって、いさめるようなことを申し上げて主イエスから「サタン、退け」とまで言われています。そして最後の最後の十字架のときには、弟子たちは皆逃げてしまいました。彼らは十字架にまで、ついて行けなかったのです。 

 「ついて来なさい」とおっしゃった主イエスは、弟子たちが皆ご自分のことを分かっていないことがよく分かっておいででした。そして何より、弟子たちが決してついて来ることのできない場所があることもご存知でした。十字架は主イエスだけが向かわれる場所でした。神であり人間であるお方しか十字架において罪の贖いはできなかったからです。ただお一人だけで行かれる場所へと、主イエスは地上での生涯をかけて歩まれました。その最後の場所まで共に行けないことはご存知の上で、主イエスはおっしゃったのです。・ 

 「わたしについて来なさい」 

 しかし、キリストの十字架の御業は成就しました。弟子たちが逃げ、キリストお一人で成し遂げてくださいました。そしてキリストは私たちのところまでやってきてくださいました。そして私たちの日々のすべてをご存知の上で、わたしについて来なさいとおっしゃってくださいました。だからついて行くのです。 

 18節「二人はすぐに網を捨てて従った」とあります。アンデレとシモン・ペトロは大事な網を捨ててすぐさま従ったのです。かつて最初のクリスマスの時、羊飼いたちがすぐにベツレヘムへ向かったように。20節ではヤコブとヨハネもまたすぐに従ったことが書かれています。20節「父ゼベダイと雇人たちを舟に残し」従ったとあります。キリストについて行くというのは、すべてを捨てて従わなければならないのかと思われるかもしれません。キリストに従うというのは、ある意味、たしかにそういうことなのです。キリストに従うとき、これまでの価値観や優先順位のままで生きていくことはできないのです。しかしそれは実際に、職業を変えたり、家族を捨てたりしないといけないということではありません。キリストを第一として生きていく、それがキリストについて行くということです。あれも大事、これも大事、その大事なことの中の一つにキリストがあるということではなく、キリストを第一として生きていくこと言うことです。不思議なことに、キリストを第一として生きていくとき、あの大事なことも、この大事なことも、整えられていくのです。あれも大事でこれも大事で、キリストには余裕のある時従おうということでは、あれやこれやの中に人生は埋没してしまうのです。そしてあれやこれやのことへの思い煩いの中に生きていくことになります。 

 新しい年、私たちはキリストについて行きます。キリストについて行くことの第一は、礼拝です。私たちは今年も週の初めに礼拝をお捧げして生きていきます。週の最初にキリストについて行くのです。かつて弟子たちは十字架までついて行けませんでした。しかし、今や私たちはどこまでもキリストについて行くのです。その道は御国へと続いています。希望の歩み、喜びの歩みです。新しい命にあふれた歩みです。一歩一歩をキリストが守ってくださいます。