大阪東教会礼拝説教ブログ

~日本基督教団大阪東教会の説教を掲載しています~

ヨハネによる福音書19章28~37節

2020-03-29 11:57:25 | ヨハネによる福音書

2020年3月29日 大阪東教会主日礼拝説教 「渇く」吉浦玲子

【聖書】

 この後、イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、「渇く」と言われた。こうして、聖書の言葉が実現した。そこには、酢を満たした器が置いてあった。人々は、この酢をいっぱい含ませた海綿をヒソプに付け、イエスの口元に差し出した。イエスは、この酢を受けると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。 
 その日は準備の日で、翌日は特別の安息日であったので、ユダヤ人たちは、安息日に遺体を十字架の上に残しておかないために、足を折って取り降ろすように、ピラトに願い出た。 そこで、兵士たちが来て、イエスと一緒に十字架につけられた最初の男と、もう一人の男との足を折った。 イエスのところに来てみると、すでに死んでおられたので、その足は折らなかった。 しかし、兵士の一人が槍でイエスの脇腹を刺した。すると、すぐ血と水とが流れ出た。それを目撃した者が証ししており、その証しは真実である。その者は、あなたがたにも信じさせるために、自分が真実を語っていることを知っている。これらのことが起こったのは、「その骨は砕かれない」という聖書の言葉が実現するためであった。 また、聖書の別の箇所に、「彼らは、自分たちの突き刺した者を見る」とも書いてある。 

【説教】

<私たちは渇きを知らない>

 ヨハネによる福音書において、主イエスは何回か、「水」について語っておられます。ヨハネによる福音書4章では主イエスとサマリアの女性と水をめぐる会話をされています。発端は主イエスが井戸の脇で、サマリアの女性に「水を飲ませてください」とおっしゃったことに始まります。その会話の中で主イエスは「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」とおっしゃいました。つまり井戸の水を汲んで飲んでも、また喉は渇くけれど、ご自分がお与えになる水を飲むと決して渇かないとおっしゃったのです。またヨハネによる福音書の7章では、仮庵祭という祭りの場面で、「渇いている人はだれでも、わたしのところへ来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」とおっしゃっています。当時、仮庵祭の祭りの最終日にはギホンの泉から金のひしゃくで祭司がうやうやしく水を汲むということがなされていました。それが祭りの最終日のクライマックスであったのですが、主イエスはそのような形式的な儀式の水ではなく、ご自分のところに来る者にこそ、まことの水が与えられ、その人自身の内から生きた水が流れ出るとおっしゃったのです。

 主イエスのおっしゃっていた「永遠の命に至る水」あるいは「その人の内から流れ出る生きた水」は聖霊を指していると言われます。しかし、サマリアの女性は、最初は主イエスのおっしゃる水を井戸の水だと考えていたのです。彼女は毎日毎日井戸まで水を汲みに来ていた。ですから井戸まで水を汲みに来なくて済むような特別な水があるなら欲しいと彼女は思ったのです。一方、ヨハネによる福音書7章においても、主イエスのおっしゃる「生きた水」よりも、仮庵祭の最終日のクライマックスで、祭司がギホンの泉からうやうやしく金のひしゃくで汲み上げる水を人々は求めていました。

 私たちには、サマリアの女性が井戸の水を必要としたように、たしかに、現実的な必要があります。生きていくためには肉体を潤すための水、食べ物、お金、人とのつながりなど、さまざまな必要があります。一方で、私たちは、精神的な平安をも必要としています。普段は信仰に興味のない人でも、多くの日本人は、神社仏閣などにいくと心洗われるような思いになるということがあります。クリスチャンであっても、礼拝堂で、何となく、おごそかな心持ちになったり、心休まるような思いを持ちます。宗教的な雰囲気や行為で何となく癒されるということがあります。まさに仮庵祭で祭司がギホンの泉から金のひしゃくで水を汲み上げるような行為に人々は心惹かれます。

 しかし、現実の必要が満たされても、何となく心洗われるような宗教行為に接しても、私たちは実際のところ、深いところの渇きは満たされないのです。現実的な必要は、水を飲んでも、またしばらくすると喉が渇くように、ひととき満たされても、すぐに失われてしまうです。あるいは満たされても満たされても、満足できず、もっともっと欲しくなってしまうものでもあります。宗教的な行為で、ひととき、心洗われたような、平安が与えられたように感じても、日常に戻ると、たちまちに壊されてしまいます。

そしてそもそも、人間は、深いところで渇きながら、自分が渇いていることを知らなかったのです。神と出会うまでは本当の渇きを知らなかったのです。あるクリスチャンの姉妹は看護師をされていました。ずいぶん前のことです。私はまだ伝道者としての献身などを考えていない、受洗してさほどたっていない頃でした。彼女はわたしと同年代くらいの方ですが、女優さんかと思うほど美しい方で、そしてまたたいへん落ち着いた方でした。勤務先の病院でも責任のある地位についておられました。教会でも役員としてご奉仕をされていました。口数は多くはなかったのですが、いつも冷静で要所要所で的確な発言をされる方でした。完璧すぎるくらいの方で、私はちょっと気後れするような感じで、あまり親しくお話ししたことはありませんでした。でも、ある時、たまたま、その方がどうしてクリスチャンになったのかということを聞かれて、詳細はおっしゃりませんでしたが、「渇望があったから」とおっしゃったのを聞きました。「渇望」という言葉が彼女から出たことに驚きました。この完ぺきなように見える女性にも深いところで渇きがあったのかと改めて思った記憶があります。

もちろん、彼女のみならず、主イエスからまことの水、永遠の水、尽きない水をいただかなければ、私たちは皆、無限の渇きの中にいるのです。それでいながら、その渇きを知らず、私たちはむなしいものを求めるのです。

<十字架の上で渇かれた主>

 さて、主イエスが、十字架の上で「渇く」とおっしゃったことが今日の聖書箇所に記されています。尽きない水、命の水を与えるとおっしゃっていた主イエスが渇かれたのです。主イエスの十字架は、神の御子であった主イエスが、父なる神の裁きをお受けになることでありました。神の裁きとは、神との断絶です。他の福音書には、主イエスが十字架の上で「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と詩編22編の言葉によって嘆かれたことが記されています。神から完全に見捨てられること、それが裁きでした。この地上を歩まれる時、父なる神といつも豊かな交わりをなさっていた主イエスが、父なる神の裁きのゆえに、父なる神と完全に断絶された、そのことのゆえに、主イエスは渇かれたのです。

 その渇きは本来、罪によって、神と隔たっていた私たちの味わうべき渇きでした。しかし、私たちの味わうべき渇きを主イエスご自身が味わってくださいました。主イエスご自身が渇いてくださった、そのことのゆえに、今、私たちは主イエスを信じるとき、豊かに渇きを癒されるのです。それは一時的な癒しではなく、尽きることのない癒しなのです。渇いていることすら気づかず、むなしく生きていた私たちに、まさに永遠の水が与えられるのです。

 主イエスが渇いてくださったゆえに、私たちの根源的な渇きが癒される、それが「すべてが成し遂げられた」ことでした。主イエスはすべてを成し遂げて、その地上での肉体的な命を終えられました。「成し遂げられた」というのは、単に、人生の終わりで自分の人生に悔いはないというような思いではなく、それは主イエスの勝利の凱旋の言葉でもあります。十字架は、主イエスにとって、みじめな死刑ではなく、むしろ高く上げられることでした。渇いて渇いて渇ききり、なお、そのことのゆえにすべてを成し遂げて、勝利されて、神の栄光を得られた出来事が十字架でした。

<犠牲の小羊>

 さて、主イエスが肉体の死を迎えられたのちのことが、少し細かく聖書には描かれています。まず、主イエスの足の骨が折られなかったということが書かれています。十字架刑になった罪人の足を折るというのは、たいへん残酷なことですが、過越祭を迎える時に、十字架に死体があるというのは、祭りを汚すことになる、ということで行われたことです。本来、十字架は場合によっては数日にわたって十字架にかけられた罪人が死ぬまで続きました。しかし、このときは祭りを控えていたので、祭りの始まる前に、死体を取り除きたかったのです。当時、一日は、日没から始まりました。つまり祭りの始まる日没までに死人を十字架から取り除きたかったのです。足の骨が折られることにより、罪人は十字架の上で体を支えることができなくなって、上体が陥没して呼吸が圧迫され死に至るのです。しかし、主イエスはこの時、すでに絶命されていたので、足の骨は折られませんでした。これはたまたま主イエスの絶命が他の同時に十字架にかけられた罪人より早かったから、ということではなく、旧約聖書の成就なのだと語られています。

十字架の出来事より1000年以上前、イスラエルの人々が奴隷になっていたエジプトから脱出する夜、人びとは子羊を食べたのです。それは人々の身代わりに犠牲となる子羊でした。その小羊の血を門と鴨居に塗ることによってイスラエルの人々は救われたのです。出エジプト記12章46節にその犠牲の小羊の骨を折ってはならないと記されています。まさに新しい時代の新しい犠牲の小羊として捧げられた主イエスは、その言葉通り、骨を折られることはなかったのです。

<血と水>

 すでに絶命されている主イエスは足の骨を折られませんでしたが、死んでいることを確認するためにローマ兵が槍でわき腹を突きました。するとすぐに「血と水が流れ出した」とあります。これはまさに主イエスが人間としてたしかに死なれたということを示します。神であり、人間であるお方が、肉体において、たしかに死なれたという証です。血と水が流れ出るいう生々しい場面において、主イエスはたしかに人間の肉体をもって死なれたことが表されています。人間的な存在であることをいう言葉に「血も涙もある」という言い方をします。逆に人間的でないというとき「血も涙もない」といいます。血と水が流れ出たということは、主イエスは、冷たいアンドロイドのような存在ではなく、全身に血も通い、また涙が出るような水分に満たされ、感情を持った存在なのだということです。主イエスはまさに肉体として完全に人間であったということです。そして確かに死なれたのです。

 そしてまたこの血と水は、聖餐と洗礼を暗示しています。私たちは主イエスの水で洗われる洗礼によって救われ、主イエスの裂かれた肉と血を聖餐によって受けて繰り返し新しくされるのです。洗礼と聖餐という、プロテスタントの教会において大事にされている聖礼典は、ただのおごそかなありがたい儀式ではありません。まさに十字架の上で、渇き、すべてを成し遂げられ、刺し貫ぬかれた主イエスの血と水を受けることです。そのことによってのみ、私たちはまことの渇きから解放され、永遠の豊かな水を内側に与えられるのです。

<新しい時代が始まる>

 そしてまた、主イエスのわき腹が刺し貫かれた、ということも、旧約聖書に記されていたことの成就でした。これはゼカリヤ書12章10節に描かれています。「わたしはダビデとエルサレムの住民に、憐れみと祈りの霊を注ぐ。彼らは、彼ら自らが刺し貫いた者であるわたしを見つめ、独り子を失ったように嘆き、初子の死を悲しむように悲しむ。」とゼカリア書に記されています。キリストのわき腹が刺されたのは歴史的事実を越えて、それが神のご計画の内にあったということです。

 渇き切って苦しんで命を落とされたその亡骸が無残にも槍で刺されるということは、むごいことです。しかしその普通に考えるとむごい出来事もまた神のご計画であり、十字架に上げられ、渇かれ、足を折られず、刺し貫かれた一連の出来事は主イエスにとっては、栄光の証でありました。

そしてまた、キリストを刺し貫いたのは私たち自身でありました。私たちは、私たち自身の罪のために、この手で十字架のキリストを刺し貫いたのです。この受難節、私たちは、私たち自身が刺し貫いた十字架のキリストを見上げます。受難節に主イエスのご受難の物語を聞くのは、けっして心躍るようなことではありません。<独り子を失ったように嘆き、初子の死を悲しむように悲しむ>とゼカリア書に描かれているような辛い思いになってしまいます。ことに今年の受難節は、新型コロナ肺炎の蔓延の中、この先、世界が、そして日本がどのようになっていくのか暗澹とした思いの中で迎えています。全世界の教会で通常の礼拝が持てない状況でもあります。

しかし、主イエスの十字架は敗北でも暗澹とすることでもありません。主イエスは成し遂げられたのです。十字架によって新しい時代が切り拓かれたのです。それこそがキリストの栄光でした。私たちは、今、聖餐式を執行することは控えております。しかし、み言葉によって、主イエスの血と水を受けます。キリストの血によって清められ、内側に豊かな尽きない水をいただきます。私たちは罪を後悔しながら辛い思いで、十字架の上で刺し貫かれたキリストを見上げるのではありません。御言葉によって血と水を受け、まことの悔い改めを与えられ、新しい人間とされる喜びの内に十字架のキリストを見上げます。毎週毎週、礼拝によって新しくされます。今日は多くの方が、会堂ではなくそれぞれの場でみ言葉に耳を傾ける礼拝を守られています。私たちは御言葉によって日々新しくされます。そこに希望があります。

すべては成し遂げられました。神の偉大なご計画の内に新しい時代が開かれました。いまもそれは開かれています。今は永遠に閉じられない救いと恵みの時代なのです。確かに現実的には、未曽有の困難な時代にあります。しかしなお、キリストが切り拓いてくださった時代は閉じられません。その時代にあって、私たちは、み言葉によって、揺るぎない恵みにあずかります。渇くことのない水をいただきます。


ヨハネによる福音書19章16~27節

2020-03-22 12:05:08 | ヨハネによる福音書

2020年3月22日 大阪東教会主日礼拝説教 「神の家族の誕生」吉浦玲子

【聖書箇所 ヨハネによる福音書19章16~27節】

 こうして、人々はイエスを引き取った。イエスは自ら十字架を背負い、いわゆる「されこうべの場所」、すなわちヘブライ語でゴルゴタという所へ向かわれた。 そこで、彼らはイエスを十字架につけた。また、イエスと一緒にほかの二人を、イエスを真ん中にして両側に、十字架につけた。ピラトは罪状書きも書いて、十字架の上に掛けた。それには、「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」と書いてあった。イエスが十字架につけられた場所は都に近かったので、多くのユダヤ人がその罪状書きを読んだ。それは、ヘブライ語、ラテン語、ギリシア語で書かれていた。ユダヤ人の祭司長たちはピラトに、「『ユダヤ人の王』と書かずに、『この男は「ユダヤ人の王」と自称した』と書いてください」と言った。 ピラトは、「私が書いたものは、書いたままにしておけ」と答えた。

 兵士たちはイエスを十字架につけてから、その服を取り、四つに分け、各自に一つずつ渡るようにした。下着も取ってみたが、それには縫い目がなく、上から下まで一枚織りであった。 そこで、「これは裂かないで、誰のものになるか、くじを引こう」と話し合った。それは、

「彼らは私の服を分け合い/衣をめぐってくじを引いた」

という聖書の言葉が実現するためであった。兵士たちはこのとおりにしたのである。 イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。 イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「女よ、見なさい。あなたの子です」と言われた。 それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」その時から、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。

【説教】

<自ら十字架を背負い>

 主イエスはいよいよ十字架におかかりになります。主イエスは自ら十字架を背負いゴルゴダへと向かわれました。十字架刑が下された場所から、現在推定されていますゴルゴダがあったとされる場所までは、700mから800mであったと考えれます。普通に徒歩なら10分程度の距離です。しかし、肉をえぐり取る残酷な鞭打ちで傷を負い衰弱されていた主イエスにとって、その道行きは痛ましく困難なものでありました。映画などで見ると、歩みの進まない者はローマ兵から容赦なく鞭打たれ、沿道では野次馬たちが罵声を浴びせるといった情景が描かれています。

ヨハネによる福音書では「自ら十字架を背負い」と記されています。そもそも、当時、十字架刑に処せされる罪人は、自分で、自分がかけられる十字架を背負って刑場まで向かわされたという慣習がありました。今日の聖書箇所でもこの慣習に主イエスは従っておられます。しかし、ここでは、「十字架を背負わされて」と受け身の形では書かれていません。「自ら十字架を背負い」と記述されているということは、主イエスご自身が主体的に、ご自身の意思で背負われたということを示します。実際、囚人として背負わされたようにみえて、主イエスご自身が十字架を背負うことを選び取り、ゴルゴダまでの道を歩まれたのです。

 伝承や映画では、その道行きにおいて主イエスはいくたびかお倒れになったと描かれています。また他の福音書では、キレネ人のシモンが主イエスに代わって十字架を担いだ場面も描かれています。実際、そのようなことはあったのでしょう。

 しかし、ヨハネによる福音書では端的に「自ら十字架を背負い」とあくまでも主イエスのご意思によって十字架の出来事が進んでいくことに重点をおきます。十字架は受難であると同時に、まことの王、まことの神である主イエスの栄光への道のりでもあるのです。

 そしてまた、23節以下に兵士たちが主イエスの衣服をはぎとって分け合ったと書かれています。これは死刑を執行するものに与えられた特権、すなわち受刑者の持ち物を好きにして良いということが実際行われた場面です。兵士たちにしてみたら、十字架刑などは職務上、当たり前のことで、人間が一人死ぬということにいちいち気持ちを動かしていたら仕事にならなかったといえるでしょう。とはいえ、人間が死の苦しみをしているその下で、楽し気にくじを引き、衣服の取り合いをしているというのは、人間の醜悪な姿そのものです。

 私たちは死刑囚の服の取り合いはしないでしょう。しかし、それぞれの置かれた場所で、心ならずも、人を苦しめるようなことをなさねばならぬこともあるかもしれません。それは職務上のことであるかもしれませんし、立場や役目として、ということもあるかもしれません。たとえば、組織のコンプライアンスということが昨今よく言われます。組織のコンプライアンス違反を知りながら、組織の中で苦しむ人がいます。組織と自分の倫理観の板挟みになって苦しむ人もいれば、そういうことに流されてしまう人もいます。自分が不利益をこうむらないために、倫理に反することを心ならずやってしまうということもあります。場合によっては、そういうことに慣れっこになって、人を苦しめながら、そのことになんの感情も動かないこともあるかもしれません。

 いずれにせよ、そのような人間の罪の姿が、主イエスの十字架の下で描かれています。しかし、そのことも、旧約聖書ですでに預言されていたことであったと聖書は語ります。この衣服のことでくじをひく場面は、詩編22編19節に出てくるものです。つまり、この出来事も神のご計画の内にあったということです。

 人間が自己中心の罪によって、そして神を神としない罪によって、罪なき主イエスを十字架につけ、さらにはその十字架で苦しむ主イエスの下で醜悪な人間の罪の行いがなされる、それはどうしようもないこの世界の現実ですが、なおそこに神のご計画があり、神の業が進んでいたということです。

 本日の礼拝は、公開を中止して行っています。大阪東教会の138年の歴史においてもこれは前代未聞のことではないかと思います。1945年3月に大阪大空襲がありました。その空襲で、大阪東教会の旧会堂が焼け落ちました。その直後の主日礼拝はどうだったのか、親子関係にある森小路教会と合同で行ったのかどうだったのか、記録でははっきりわかりません。しかし、大阪東教会として礼拝公開中止というのは戦争中の非常時以来のことであると考えられます。このような事態となった新型コロナ肺炎の世界的な広がりは、まさにこの受難節にあって、教会にとって大きな試練です。しかし、なおこのような事態にあっても、神の業は進んでいることを私たちは忘れてはいけません。礼拝の公開中止はそれだけを見ますと、教会の敗北のような出来事です。猛り狂うウイルスに信仰が屈したように感じられます。人によっては、けしからん、信仰を持って、おそれず礼拝を公開すべきだと考える方もおられるかもしれません。しかし、私たちは、会堂という場所に集ってはいませんが、なお、共に十字架を見上げ、神を礼拝しています。そこに、たしかに教会は立っているのです。私たちが御言葉を聞き―今日は、多くの方は録音された音声や、ブログという形でみ言葉に聞くことになりますが―そこに確かに教会は立ち、礼拝は捧げられているのです。そこに神の業がたしかに進んでいるのです。

<教会の成立>

 今日の聖書箇所の後半では、まさにその教会の成立について語られています。「イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロバの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた」とあります。十字架の下には主イエスの母を含め女性の弟子たちがいたのです。そしてまた、男性である「愛する弟子」もいました。愛する弟子も含めて、皆が、主イエスの弟子でした。主イエスは母に「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です。」とおっしゃいます。そしてまた愛する弟子に「見なさい、あなたの母です」とおっしゃいます。「そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取ったとあります。」これは、イエスの母と、愛する弟子が、主イエスの十字架ののち家族として一緒に過ごしたということです。

 ある意味、この場面は、死の間際に、主イエスがご自分の親のことをよろしく頼むと、愛する弟子に対して頼んでいるようにも読めます。しかし、そうすると、「婦人よ」という母への呼びかけが不自然です。「婦人」という言い方はいかにも他人行儀です。この「婦人よ」という呼びかけはヨハネによる福音書2章のカナの婚礼の場面でも出てきました。婚礼の場面でぶどう酒がなくなってしまったということを母マリアが主イエスに伝えた場面です。それに対して主イエスは「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません」という、実に冷淡ともとれる返事をされました。そもそも<婦人よ>という言葉は、救い主であり、神であるお方として主イエスが語られている言葉です。人間として、マリアの子としての言葉ではないのです。救い主として、その救いの時、つまり十字架の時はまだ来ていないのだと、カナの婚礼の場面で主イエスはおっしゃったのでした。

 翻って、今日の聖書箇所は、まさに主イエスの時が来た場面です。十字架の時が来たのです。そのまさにその時、再び主イエスは救い主として、神として、母マリアに語られます。「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です。」まさに十字架の時、主イエスの時に、新しい親子関係、新しい家族が誕生したことを主イエスは告げられました。

 ところで、さきほど、ここは教会の成立について語られていると申し上げました。実際の宣教共同体の誕生は、ここのち、主イエスの復活と昇天ののち、ペンテコステの時となります。つまり活動する教会の誕生はもう少し後とのこととなります。しかし、主イエスの十字架のその決定的な時に、教会の核となる<神の家族>は生まれたのです。このことを、私たちはよくよく覚えておく必要があります。

 いま、教会の活動は自粛されています。普段はどこの教会も伝道だ、交わりだ、奉仕だと忙しく活動をしています。しかし、今は、多くの教会のそのような活動はかなり部分で停止しています。ところで、たとえば製造業の会社が製造を停止したら、その会社は企業として成立をしません。小売店がものを売らなくなったら小売店としての存在意義があやうくなります。じゃあ教会はあれこれの活動を停止したら教会ではなくなるのか?教会の意義は主イエスの大宣教命令に基づく宣教にあると考えたら、たしかに、宣教を止めた時、それは教会ではなくなるといえるでしょう。しかし、宣教イコール様々な活動をする、ということではありません。実際的な活動はなくても、神の家族として立っている時、そこに教会はあるのです。神の家族としてのあり方が貫かれている時、それは同時に宣教になるのです。使徒言行録に描かれている生まれたばかりの教会はまさにそのようなあり方をしていました。信徒全体が、一つの家族のように生活をしていたのです。そしてその姿は、周囲の人々の好感や信頼を得ます。積極的に広報活動をしたり、外で伝道をしたからではなく、愛の家族として皆が生きていたゆえに、原始教会に多くの人々が加わって行ったのです。

 そもそも神の家族は、何より、十字架の元に集められた家族です。それを忘れてはなりません。どのように和気あいあいとしていても、そこで十字架が見上げられていなければそれは神の家族とは言えません。親しく何でも話せる楽しい交わりがあったとしても、それが単に人間的な親しさにとどまるのであれば、神の家族とは到底言えません。十字架を見あげ、キリストによって結ばれた家族は、むしろ、言葉はなくても、またお互いの個人的なことは一切知らなくても、なおそこに愛の結びつきがあるのです。

ある牧師は「礼拝で隣の席に座っている人の名前も職業も住んでいるところも何一つ知らなくても、共に礼拝を捧げている時、そこに交わりがあり、神の家族が存在する」とおっしゃいました。逆にどれほど親しく会話やして共に活動をしていても、十字架を見上げていなければ、それは世俗のお付き合いと何ら変わりません。十字架を見上げるとき、そこにはおのずと祈りと神への賛美があります。逆にいますと祈りも神への賛美もない活動や交わりは、ただの世俗のコミュニティに過ぎません。そしてその世俗のお付き合いのようなあり方が教会に浸潤していくとき、むしろ、神の家族としての教会を深いところから破壊するのです。

 さて、主イエスの母マリアと愛する弟子は、それまでどのような関係であったかは分かりません。愛する弟子の側からしたら、主イエスのお母さまですから、当然、それなりの敬意や親しみは持っていたかもしれません。しかし、赤の他人を自分の家に引き取って共に暮らすということは、現実的には、けっして簡単なことではないと考えられます。しかし、主イエスの十字架を共に仰ぐとき、人間的な相性や生活上の問題を越えて、神の家族は立ち上がるのです。愛の家族として立ち上がっていくのです。

<愛する弟子>

しかし、少し不思議です。女性たちは個人が特定されるように語られているのに対し、「愛する弟子」は名前が記されていません。ヨハネによる福音書では「愛する弟子」という言葉がたびたび出てきます。そしてこれは、この福音書の著者とされている使徒ヨハネのことであろうと伝統的に考えられてきました。ではなぜ、ヨハネと書かず、「愛する弟子」と記されているのか、それには諸説あります。

 学問的には諸説あるのですが、一つ考えられますことは、「愛する弟子」と、あえて特定の個人を挙げられていないのは、「愛する弟子」にはキリストに愛されている者すべてに広がるニュアンスが含められているのではないかということです。母マリアと「愛する弟子」によって神の家族が立ち上がりました。しかし、「愛する弟子」とはまた私たちのことでもあります。私たちが、十字架の主イエスから母マリアを指し示され「見なさい、あなたの母です。」と告げられているとも言えるのです。これはけっしてうがった見方ではないでしょう。母マリアは母なる教会をあらわしています。その教会とつながる私たちはキリストの愛する弟子です。そこにまぎれもなく神の愛の家族が立ち上がるのです。「愛する弟子」と呼ばれる私たち、つまりほかでもない、私たち一人一人が、神の家族としてキリストに招かれているのです。十字架は受難であり悲しみでありながら、そこからまことの愛の交わりが生み出された神の愛の出来事でした。暗闇にさす、光でありました。いま愛されている弟子として私たちにも光が注がれています。一人一人は、仮に孤独であっても、なお私たちは、母なる教会に結ばれています。そして私たちはキリストに愛されている者として、神の愛の家族の一員として喜びの内に歩みます。


ヨハネによる福音書19章1~16節

2020-03-15 16:36:15 | ヨハネによる福音書

2020年3月15日 大阪東教会主日礼拝説教 「まことの王」吉浦玲子

【聖書箇所 ヨハネによる福音書19章1~16節】

 そこで、ピラトはイエスを捕らえ、鞭で打たせた。 兵士たちは茨で冠を編んでイエスの頭に載せ、紫の衣をまとわせ、 そばにやって来ては、「ユダヤ人の王、万歳」と言って、平手で打った。 ピラトはまた出て来て、言った。「聞くがよい。私はあの男をあなたがたのところに引き出そう。そうすれば、私が彼に何の罪も見いだせない訳が分かるだろう。」 イエスは茨の冠をかぶり、紫の衣を着て、出て来られた。ピラトは、「見よ、この人だ」と言った。 祭司長たちや下役たちは、イエスを見ると、「十字架につけろ、十字架につけろ」と叫んだ。ピラトは言った。「あなたがたが引き取って、十字架につけるがよい。私はこの男に罪を見いだせない。」 ユダヤ人たちは答えた。「私たちには律法があります。律法によれば、この男は死罪に当たります。神の子と自称したからです。」

 ピラトは、この言葉を聞いてますます恐れ、 再び官邸に入って、「お前はどこから来たのか」とイエスに言った。しかし、イエスは答えようとされなかった。 そこで、ピラトは言った。「私に答えないのか。お前を釈放する権限も、十字架につける権限も、この私にあることを知らないのか。」 イエスはお答えになった。「神から与えられているのでなければ、私に対して何の権限もないはずだ。だから、私をあなたに引き渡した者の罪はもっと重い。」 それで、ピラトはイエスを釈放しようと努めた。しかし、ユダヤ人たちは叫んだ。「もし、この男を釈放するなら、あなたは皇帝の友ではない。王と自称する者は皆、皇帝に背いています。」

 ピラトは、これらの言葉を聞くと、イエスを外に連れ出し、ヘブライ語でガバタ、すなわち「敷石」という場所で、裁判の席に着かせた。 それは過越祭の準備の日の、正午ごろであった。ピラトはユダヤ人たちに、「見よ、あなたがたの王だ」と言うと、 彼らは叫んだ。「連れて行け。連れて行け。十字架につけろ。」ピラトが、「あなたがたの王を私が十字架につけるのか」と言うと、祭司長たちは、「私たちには、皇帝のほかに王はありません」と言った。 そこで、ピラトは、十字架につけるために、イエスを人々に引き渡した。

【説教】

<十字架につけろ>

 早朝、鶏が鳴くころに、ローマから派遣された総督ピラトのもとに連れられてきた主イエスは、ピラトとのやり取りの後、犯罪者として捕らえられました。ユダヤ人である主イエスをローマの総督が裁くのはローマへの反逆の意志を持っている場合であると考えられるときです。実際のところ、総督であるピラト自身は、主イエスにはそのような罪を見いだせませんでしたが、ユダヤ人の権力者に強引に押される形となりました。

 「そこで、ピラトはイエスを捕らえ、鞭で打たせた」とあります。この鞭打ちについては、御受難の聖書箇所を読む都度に何回かご説明したことがありますが、肉をえぐり取るような鋭利な突起がついたローマ式の鞭による鞭打ちで、とても残酷なものです。場合によっては鞭打ちだけで死んでしまう人もあったようです。主イエスはそのような残酷な鞭打ちをお受けになりました。そしてそののち、茨の冠を被せられ、紫の着物を着せられ、「ユダヤ人の王、万歳」といって、平手で打たれたりされました。肉体的な苦痛と共に、侮辱をも受けられました。

 ピラトは、そのような無力なみじめな主イエスには何の力もなく、ユダヤの権力者にとっても恐れるような存在ではないことを示し、主イエスの死刑を回避しようとしたようです。

「見よ、この男だ」

 ピラトは、残酷な鞭に打たれ、またその後も暴力を振るわれ肉体的にぼろぼろになった姿のイエス・キリストを指し示します。「この人を見よ(エッケ・ホモ)」という題で絵画にもよく描かれている場面です。偽物の冠を被せられ茨のとげで頭から血を流し、紫の服をつけられた、この上なくみじめな道化のようなその姿を見たら、ユダヤ人たちも溜飲を下げ、気が済むかもしれないとピラトは思ったのでしょう。しかし、ユダヤ人たちはピラトの意に反して、主イエスに対して「十字架につけろ」と叫ぶのです。

時代を越えて、また国を越えて、権力者の横暴というものはあります。権力者が、自分の意に沿わないものを抹殺するということは往々にしてあります。それが直接に自分の権力を脅かしたからという理由ではなくても、意に沿わないというだけで抹殺されることも往々にしてあります。

 ですが、ここで、主イエスに対して「十字架につけろ」と叫んだ人々は、主イエスから権力者としての面子をつぶされたことへの憎しみや腹立ちや嫉妬だけで叫んでいるのではないのです。彼らは主イエスが三位一体の神その人であることを知りませんでしたが、しかし、そこになんらかの神の力を感じてはいたのです。だから「十字架につけろ」と叫んだのです。

神の力を前にしたとき、人間は謙遜に畏れ敬うかというとそうではないのです。人間は神という存在をほんとうのところは抹殺したいのです。それが罪の本質なのです。なぜなら人間は自分が自分の神でありたいからです。自分が自分の中心であって、自分の意のままに生きたいからです。そのように自分を神としたい者にとって、神の力を帯びたものが現れるということは許しがたいことなのです。

 そもそもクリスマスの出来事を思い起こしてもそれは分かることです。主イエスが受肉され、この世に降誕されたとき、それを知った人々は必ずしも喜びはしなかったのです。マタイによる福音書によれば、東方からやってきた占星術の学者から「ユダヤの王」となる赤ん坊がお生まれになったと聞かされた当時のユダヤの王ヘロデを始め、エルサレムの人々の心には不安が宿りました。それは単に新しい王によって自分の既得権益が犯されるという現実的な不安のみならず、まことの王、それも占星術の星によって示されるようなどこか人間を越えたような存在としての王は許しがたかったという思いがあったからです。その結果、ヘロデ王は、主イエスが生まれたとされる時期から逆算して、主イエスの出生地であるベツレヘムの二歳以下の子供を殺すという暴挙に及びました。

<さまざまな罪>

 しかし、また一方で私たちは思います。私たちは、聖書に出てくるいわゆる悪役的な人々に比べたら、全然悪くないと。罪の本質が神を憎むこと、神を十字架につけることだと言われても、私たちは実際のところ、誰かを殺そうなどとは通常思いません。ヘロデ王のようなことはしませんし、今日の聖書箇所のユダヤ人たちのように「十字架につけろ」というような、誰かを死刑にまで陥れるようなこともしません。

 さらには囚人にとげのある茨の冠を被せたり、紫の着物を着せて侮辱したりもしません。侮辱した挙句、平手打ちをしたりもしません。「この人を見よ」という題の絵画を見ても、私たちはさらし者にされている主イエスに同情はしても、「十字架につけろ」などとは言わないように思います。

 ところで、今、季節は三月で、卒業やら入学試験やらの時期です。今年は卒業式などが新型コロナ肺炎の影響を受けているようですが、この時期に思い出すことがあります。私は長崎県の佐世保というところの田舎の高校を出て福岡の大学に進学しました。大阪の方からしたらピンと来られないかもしれませんが、佐世保に比べたら福岡の中心である博多は大都会でした。当時、田舎から出てきた大学生にとって都会の生活というのは目新しく感じました。そしてまたその都会の大学生活も新鮮でした。私は福岡から、高校時代仲の良かった田舎の友達に大学での生活を興奮気味に手紙に書いて送りました。その友達は、家庭の事情で大学進学をあきらめて地元に就職したのです。今思うと、私はかなり無神経だったと思います。その友達は成績も良かったのです。十分に大学に進学できる学力はありました。しかし、進学しなかったのです。でも、高校時代、彼女は進学できないことをそれほど悔やんでいるようにも見えませんでした。ごく当たり前のように、彼女は就職したのです。なので、私も無神経に、大学生活のあれこれや都会での毎日を楽し気に、さらに言えば自慢げに書いて送ったのです。友達からは普通に返事がきました。彼女の就職した先のこと、生活のことが普通に淡々と書いてありました。その文面からわたしの手紙に気を悪くした感じはしませんでした。でも一言「大学の話を聞くと羨ましく感じる」と書いてありました。新しい生活に浮かれてて、無神経な私は、その時は、その一言をさらっと読んでいました。でもずいぶんたってから、とても悪いことをしたなあと感じました。とても残酷なことを彼女にしたなあと、気づきました。現代のように、ネットが発達していない時代、都会と田舎の差は、昔はもっと大きかったのです。思い返すと、彼女の手紙には職場での辛いことも書かれていました。まだ働いていない私にはその辛さは分からずスルーしていました。そんな私の都会での楽し気な無神経な言葉は彼女には辛かったと思います。悪気はなかった、ではすまされない残酷なことを私はしたことにあとから気づきました。

 そもそも、罪ということの本質を考えるとき、そこには自己中心というものがあります。境遇の違う人のことをどうしても理解することができず結果的に冷たいこと、さらには残酷なことをしてしまうかもしれません。場合によって差別的なことを無意識にしている、そういうこともあるかもしれません。大事な人を知らぬうちに傷つけているかもしれません。親しい人の間でも、家族の中でも、そういうことは起こりうることです。

 聖書の中の悪役的な人々の姿はとりたてて残酷で非道のようですが、私たちが自己中心に生きていくとき、聖書の中の人々と私たちの罪の質はまったく同質なのです。

<恐れのゆえ>

 ところで、今日の聖書箇所には不思議な箇所があります。ピラトは基本的にはこのイエスという男をローマに反逆する力もない無力な人間だとみなしています。そしてまた、その男を訴えているユダヤ人たちを心の底では見下していました。ローマに支配された愚かな劣った民族であると考えていました。一方でユダヤ人たちもピラトを見下していました。自分たちイスラエルこそ神に選ばれた民であって、異邦人であるピラトを馬鹿にしていました。ここに出てくる人間はそれぞれに相手を見下していたのです。

 しかし、見下しているユダヤ人であって、それも同胞から訴えられて、ぼろぼろにされ、みじめな姿をされている主イエスに関して「ピラトは、この言葉を聞いてますます恐れ」たとあります。ユダヤ人たちが主イエスは自分を「神の子と自称した」と言ったことに対して恐れたのです。異邦人であるピラトにとっても「神の子」という言葉は神聖な響きをもつもののようです。神的な存在として受け取られるようです。しかも、「ますます恐れ」た、ということから、もともと、ピラトには恐れがあったのです。

 ピラトにとっては、主イエスはユダヤ人の同胞から陥れられた哀れな人間に過ぎないと感じられる反面、今日の聖書箇所の前の部分での主イエスとの会話から、どこか不思議なものをも感じ取っていたのです。ですから「お前はどこから来たのか」と主イエスにピラトは問います。それは単純に出身地を聞いているのではなく、あなたは神的な存在なのか?あなたの由来は一体何なのか?と問うているのです。それに対して、主イエスは何もお答えになりませんでした。主イエスが神の子、さらには神その人であることは、言葉で説明しても理解されないものだからです。聖霊によって、信仰によらなければ、主イエスがどこから来たお方であるかというのは分からないからです。

 主イエスがご自身のことをはっきりと語られませんでしたが、「わたしをあなたに引き渡した者の罪はもっと重い」とおっしゃいます。この言葉によってピラトは、政治犯でもない主イエスを、ユダヤ人たちがローマの権力を利用して殺そうとしていることをはっきりと悟ります。ピラトは主イエスがどなたであるかはっきりとは分かりませんでしたが、漠然と恐れとして感じたのです。ローマの権力によって殺してよい相手ではないことを感じたのです。これは不思議なことです。ピラトは宗教的な人間ではありませんでした。にもかかわらず、主イエスに対して恐れを感じたのです。殺してはいけない存在だと感じたのです。一方で、自分たちは宗教的な人間であると思っているユダヤ人たちは、むしろ主イエスに対して恐れを覚えていませんでした。恐れもなく、「十字架につけろ」というのです。これは今日においても起こることです。自分は神を信じている、クリスチャンだという人が、ほんとうのところは主イエスを恐れていない、軽んじているということがあるのです。

<ほんとうの王>

 しかし、事態は、ピラトの思惑とは異なる方向に流れていきます。主イエスを釈放しようと努めたピラトに対して「もし、この男を釈放するなら、あなたは皇帝の友ではない」とユダヤ人は抵抗します。本来、ユダヤ人が忌み嫌っているはずのローマの皇帝をあげて反論をするのです。「あなたは皇帝の友ではない」という言葉はまさに皇帝の臣下であるピラトにとっては弱いところを突かれる言葉でした。

 そして主イエスは最終的な裁判の場へと引き出されます。それは正午のことだったと記されています。これはまさに過越祭の準備の時でした。ヨハネによる福音書では、他の福音書に比べて、明確に、主イエスが過越の犠牲の小羊であることが強調されています。まさに過越の祭りが始まるとき、かつて出エジプトの時代、イスラエルの民のために子羊が犠牲になった、そのことを覚える祭りのそのとき、主イエスに死刑の宣告がなされるのです。主イエスは人々の解放のために、救いのために、犠牲の小羊としてこれから血を流されるのです。

ピラトは「見よ、あなたたちの王だ」と言います。ここにはピラトの腹立たしい気持ちが反映されています。ぼろぼろのみじめな姿をしている男を敢えて、「あなたたちの王だ」といって、ユダヤ人たちへのせめてもの侮蔑の気持ちを表しているのです。それに対して、ユダヤ人たちは、いっそう憎しみに火が点きます。「殺せ、殺せ。十字架につけろ」と叫ぶのです。そして「わたしたちには、皇帝のほかに王はありません」とまで言うのです。

彼らの目の前には、神のもとから来られた、まことの王がおられました。まことの王を前にして、彼らはローマ皇帝こそがわたしたちの王だと言ってのけました。本来は、ユダヤ人にとって憎むべきローマの皇帝よりも、まことの王である主イエスを憎んだのです。

しかし「殺せ、殺せ。十字架につけろ」と叫んだ人々は知りませんでした。みじめなさらし者にされた主イエスが、ほかでもない自分たちのためにこれから死んでくださることを。神を憎み、まことの王を見ようとしない自分たちのためにこそ、神であるお方、まことの王が死んでくださることを。本来はローマ皇帝とは比べ物にならない王であられる、この世界のすべてに対して権威を持っておられる王が、「殺せ、殺せ。十字架につけろ」と叫ぶ者たちの救いのために死んでくださるのです。

私たちもかつて叫んだのです。神を神ともせず、自分中心に生きて来た私たちは「殺せ、殺せ。十字架につけろ」とかつてたしかに叫んだのです。その私たちのために、犠牲の小羊として主イエスは引き渡されました。それは私たちの救いが実現するためでした。神を神ともしなかった私たちが、まことに罪から解放され、まことに神と共に平和に歩む日々がここから始まりました。まことの王がわたしたちのもとに来られたのです。しかし、十字架の言葉は、そして罪を露わにする言葉は、絶望の言葉ではありません。まことの希望の言葉です。まことの王が私たちのために犠牲の小羊となってくださった。そこから私たちの新しい日々が始まるからです。


ヨハネによる福音書18章28~40節

2020-03-08 12:35:08 | ヨハネによる福音書

2020年3月8日 大阪東教会終日礼拝説教 「真理とは何か」吉浦玲子

<主イエスが上げられるために>

 逮捕された主イエスは、夜中に大祭司のところへ連行されました。それから鶏が鳴き、明け方になりました。最後の晩餐から、主イエスの祈り、逮捕そして十字架へと、時刻の推移がはっきりと描かれています。それは神の救いの業が刻々と進んでいるということでもあります。いよいよ、主イエスが十字架にかかられる日の朝となりました。その朝、私たちが毎週、礼拝で告白しています使徒信条に出てきますポンテオ・ピラトのもとへと人々は主イエスを連れて行きました。ピラトが当時のローマ総督でした。ピラトのことは、ほぼ詳細にその生涯が分かっています。実際にピラトがユダヤで総督をしていたときに主イエスが十字架におかかりになったということはヨセフスが編纂した歴史書にも記されている事実です。

 さて、ユダヤ人たちがわざわざポンテオ・ピラトのところまで主イエスを連れて行ったのは理由がありました。31節に「わたしたちには、人を死刑にする権限がありません」とユダヤ人たちが答えているように、ユダヤ人たちは主イエスを死刑にしたかったのです。しかし、当時、死刑判決を下し、執行する権限はユダヤ人には、たしかに、なかったのです。しかし、これまでも主イエスは殺されそうになるような場面はありました。実際のところ、主イエスに先立って活動した洗礼者ヨハネは首をはねられて殺されましたし、少し時代が後になりますが、初代教会のステファノは使徒言行録によればユダヤ人たちによって石打にあって死んでいます。こういうことを考え合わせますと、現実には、ユダヤ人たちが主イエスを殺そうと思えば、殺せなくはなかったのです。しかし、おそらくもともと広く民衆に人気のあった主イエスの場合、民衆からの反発を、ユダヤ人の権力者たちは考えたのだと思います。ですから、自分たちが直接手を下すのではなく、ローマによる処刑という形にしたかったのだと考えられます。

 一方、ローマが人間を死刑にするのは、ローマへの反逆の意図があるとみなす時でした。 ポンテオ・ピラトは主イエスを一瞥して、そのようなローマへの反逆の意志があるようには思えなかったようです。ですから、ユダヤ人同士でユダヤの律法によって裁けばいいではないか、そう考えました。朝早くからユダヤ人たちにやって来られて、ひどく迷惑でもあったでしょう。しかも、ユダヤ人たちは異邦人と接すると汚れて過ぎ越しの祭りの食事をできなくなるので、ピラトの官邸には入ろうとせず、外から申し立てるのです。この後、ピラトは主イエスを官邸の中に入れ、主イエスを尋問し、また外に出てユダヤ人たちと話をする、というように、官邸内と外を行ったり来たりする羽目になります。その状況の中で、主イエスを何としても死刑にしたいユダヤ人たちは執拗にピラトを誘導していきます。

 先週の聖書箇所では、神の業である十字架の物語と、ペトロの裏切りという人間の罪の物語が並行して進んでいっているとお話ししましたが、今日の聖書箇所でも、主イエスを死刑にしたい人間の思惑と、神の業が並行して描かれています。並行して、といっても、どちらかというと、今日の聖書箇所ではユダヤ人やピラトといった人間の動きの方が目立って見えます。

 しかし、聖書は語ります。ここにも神の業が働いているのだ、と。むしろ、それこそが大きなことなのだ、と。32節に「それは、御自分がどのような死を遂げるかを示そうとして、イエスの言われた言葉が実現するためであった。」とあります。これは、主イエスはご自分が<十字架で死ぬのだ>と最初からご自分でおっしゃっていたということです。実際、十字架でなければならなかったのです。ステファノのように石打の刑でも、洗礼者ヨハネのように首を切られるような死に方でもなく、十字架にかけられ殺されるということが重要なことだったのです。ヨハネによる福音書3章14節にはモーセの時代の荒れ野で上げられた青銅の蛇の話を主イエスがなさったことが記されています。その蛇のように自分は上げられねばならないとおっしゃっていました。またヨハネによる福音書12章32節でも「わたしが地上から上げられるとき」と主イエスは語られています。いずれも<上げられる>という言葉が出てきます。まさに主イエスは上げられるのです。十字架の上に上げられるのです。主イエスご自身が、ご自分の死に方をそのように語っておられたのです。十字架に主イエスが上げられることは神のご計画だったからです。ユダヤ人たちがピラトを誘導して、結果的にユダヤ人たちの思惑通り、主イエスは十字架におかかりになったように見えますが、実際はそれは神ご自身が実現されたことでした。

 ところで、<上に上げられる>というのは、通常は名誉なことに感じられます。しかし、十字架においては、当然ながら、そうではありません。身ぐるみはがされて、裸の姿で、みじめに罪人として十字架に上げられるのです。しかも、上げられるのは神であるお方です。このことを私たちはしっかりと覚えねばいけません。神であるお方が、みじめなお姿で十字架におかかりになった、三位一体の神が十字架にお係りになった、つまり神を十字架につけるほどに私たちの罪は重いということです。やさしいやさしいイエス様という方が私たちの身代わりに十字架にかかってくださったと安易に甘ったるく考えてはならないのです。三位一体の神が、つまり神ご自身が、十字架にかかられたということです。私の罪によって神が十字架にかかられたのです。それが分かっていないとき、私たちは、本当に意味での自分の罪も、罪の赦しも分かりません。そして悔い改めもないのです。繰り返します。私たちは神を十字架につけたのです。神が私たちの罪ゆえ十字架につかれたのです。

 民数記によりますと、モーセの時代、神に反逆した民は、神に怒りによって送られた炎の蛇にかまれて倒れました。かまれた人々は次々に死んでいきました。しかし、モーセが青銅で造った蛇を竿につけて掲げ、その蛇を見上げた人々は助かったのです。まさにイエス・キリストはモーセが竿に掲げた青銅の蛇のように、人びとの上に上げられました。人間を救うためでした。十字架を見上げた人間が救われるためでした。

<真理とは何か>

 さて、ポンテオ・ピラトはユダヤ人に押される形で主イエスを尋問します。ピラトが確認したいことは、ローマへの反逆の意志があるかどうかだけです。「お前がユダヤ人の王なのか」端的にピラトは問います。つまり、お前はローマへ対抗する勢力のリーダーなのか?と聞くのです。そこから先のやり取りはピラトにとってはおおよそ理解不能な内容でした。しかし、ピラトには主イエスが、現実的な意味でのローマへの反逆を意図していないことは分かったのです。「わたしの国は、この世には属していない」という主イエスの言葉に、それは宗教的なことが語られているのであって、政治的なことではないことがピラトには分かりました。ピラトにとって宗教的なことはどうでもいいことでした。

 ピラトだけではありません、この世界の多くの人にとって、「わたしの国は、この世には属していない」などという言葉はどうでもいいことです。多くに人の関心事は、まさに自分が属しているこの世のこと、会社のこと、家庭のこと、ご近所のこと、日本のこと、世界情勢であり、現実です。しかし、また一方で、神を信じていると思っている者であっても、この世のことと神のことを分離して考えることがあります。神のことは心の問題であって、現実の世界とは別のことであると考える場合があります。しかし、前にもお話ししたように、神の出来事と現実の世界は切り離されたものではないのです。別のものに見えながら、神の出来事は、現実の生活にも及ぶのです。むしろ神の現実が、この世界の現実となるのです。

 さらにピラトに対して主イエスはおっしゃいます。「わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。」真理という言葉は難しい言葉です。ここで語られている真理とは、自然科学における真理とか、哲学的な意味での真理とは異なります。<神が啓示される神ご自身のこと>、それが真理です。端的に言えば、神そのもののことともいえます。つまり主イエスは神を証しするためにこの世界に来たとおっしゃっているのです。神の愛、神の正しさ、神の救いを顕すために主イエスはこの世に来られました。それに対して、ピラトは「真理とは何か」と答えて、審議を中断します。ここで、ピラトはまじめに真理とは一体何なんだ?と問うたのではないのです。「は?真理?何言ってんだよ」というような小馬鹿にしたニュアンスで聞き流したのです。

 しかし、主イエスはピラトにこうも語っておられます。「真理に属する人は皆、わたしの声を聞く」これはまさに、主イエスがご自分のことを羊飼いであると語られたとき、「わたしの羊はわたしの声を知っている」とおっしゃったことと同じことです。真理に属さない人、つまり神を信じない人は、主イエスの声が聞けないのです。主イエスの声を聞かず、羊飼いが守っている囲いを破って出て行くのです。ピラトもまた、羊飼いである主イエスの声を聞けませんでした。真理に属していなかったのです。

<十字架を見上げる>

 ところで、紀元410年8月24日に、アウグスティヌスが語った説教が残っています。アウグスティヌスはご存知のように、神学のみならず、西洋の文化学問に大きな影響を与えた学者でありキリスト者でした。そのアウグスティヌスの410年の説教です。何回か読んだことがあり、昨日も読みました。410年、当時、長く栄華を極めたローマ帝国は衰退の一途をたどっていました。その年、帝国の中心地のローマは西ゴート族に包囲され、陥落をしました。ローマは<永遠の都>と言われたローマ帝国の象徴的な都市でした。その永遠の都ローマが占領、略奪、破壊されたのです。さらに帝国破滅の危機的な状況の中で、キリスト者への批判も起こったのです。もともとローマ帝国は多神教で、ローマの神々をあがめていました。そのローマ帝国において、キリスト教が国教とされたのはアウグスティヌスの説教から30年ほど前でした。キリスト者でない人々は、もともとのローマの神々を捨てて、キリスト教を信仰するようになったから、帝国は傾いたのだと、キリスト者を批判したのです。帝国が崩壊し、人びとは不安と恐れの中、バッシングする対象を求め、根拠なくキリスト教がその対象となったのです。社会が混乱している時、こういうバッシングやデマははありがちなことです。社会的不安の中で、根拠のないバッシングやデマが広がっていくのは昔も今も変わりません。

 そんな状況の中、アウグスティヌスは語りました。「神は耐えられないような試練を神はお与えにならない」と。そもそも神の裁きと試練は異なる、今、ローマに起こっているのは裁きではなく試練なのだと、そして今こそ神に信頼する時だと語りました。なによりイエス・キリストご自身が十字架において試練をお受けになった、ご受難に遭われた、そのことを覚え、キリストに信頼するのだと語りました。アウグスティヌスが語ったのはけっして目新しいことではありません。聖書にもとづいて、ただキリストを見上げよ、十字架のキリストを見上げよと語ったのです。

 翻って2020年の今日、新型コロナ肺炎の感染が世界的に広がっています。ウィルスの詳細がいまだに分かっていないこと、治療の明確な方法が確立されていないことによって、大きな不安が人々の間にあります。経済や生活への影響も直撃しています。そして私たちのこの小さな群れの礼拝にもその影響は出ています。このことが一か月後どうなるのか、半年後はどうなっているのか、この感染症によって世界がどうなっていくのか、私たちには分かりません。先の見えない怖さがあります。そしてまた、いろいろなものが自粛されていく閉塞感の中で、当たり前の日常が奪われていく日々にあって、ともすれば、欝々としていきます。

 しかし、私たちは410年にアウグスティヌスが語ったように、試練に遭われた受難のキリストを、今こそ覚えるのです。十字架に上げられたキリストを見上げるのです。かつて荒れ野で倒れた人々が、ただモーセが掲げた青銅の蛇を見上げさえすれば死なずにすんだように、私たちは今こそ、十字架に上げられたキリストを見上げます。

 真理とは何か?それは神ご自身であり、十字架に上げられたキリストによって証しされています。その真理は冷酷な事実でもなければ、無味乾燥で難解な理屈でもありません。愛と、命へと、私たちを導くものです。主イエスの時代、絶大な力を持っていた大ローマ帝国も倒れました。確かなものは何一つありません。世界には新たな感染症も天変地異も起こります。私たちの足元の大地ですら揺れ動きます。地面を見ても、周りを見ても確かなものはありません。だからこそ見上げるのです。十字架のキリストを見上げるのです。そこからこそ救いが来るのです。確かな平安が来るのです。乗り越えられない試練はない、その確信が、キリストの光と共に、十字架から与えられるのです。


ヨハネによる福音書18章12~27節

2020-03-06 14:23:32 | ヨハネによる福音書

2018年3月1日大阪東教会主日礼拝説教 「愛の裏切り」 吉浦玲子

<民の代わりの死>

「一人の人間が民の代わりに死ぬ方が好都合だ」

 この言葉は、ユダヤの大祭司カイアファの言葉でした。これはヨハネによる福音書11章で主イエスが病気で死んだラザロを生き返らされたときの言葉でした。ラザロが生き返り、それを知った多くのイスラエルの人々が、主イエスを信じました。それを恐れていた祭司長やファリサイ派の人々に対して、大祭司カイアファがこの言葉を言ったのでした。

 そもそも当時のイスラエルは、支配者ローマとのきわどい関係によって成り立っていました。イスラエルの権力者の多くはローマの傀儡でした。ローマのご機嫌を取ることによって、自らは権力を得ました。しかしまた実際のところ、そんな彼らによってイスラエルとローマとの平和がきわどく保たれていたのでした。しかし、民衆の中には根強く反ローマの思い、民族独立への願いがありました。民衆はローマを倒してくれるリーダーを待っていたのです。

 カイアファの言葉は、主イエスが反ローマの人々にかつがれてリーダーになってしまうと、ローマから睨まれて、結果的にイスラエル全体が滅ぼされてしまうと心配した人々への言葉でした。そのようなローマから睨まれるリーダーとなりそうな人間は死んでしまった方が、イスラエルの民のためなのだとカイアファは言ったのでした。

 しかし、この言葉は、カイアファが考えていたことをはるかに越えて、預言者的な言葉として響きます。主イエスはまさに、<民の代わり>に死なれたのです。カイアファは「一人の人間が民の代わりに死ぬ方が好都合だ」と言いましたが、実際に死なれたのは、神であり人間であるお方でした。そしてその死の意味は、カイアファが言ったように、単に<ローマへの反抗分子が死んだほうが民のために良い>ということではありませんでした。神であり人間であるお方が、全人類のために死なれることが全人類の救いにとって好都合であったということです。カイアファが考えていたこととはまったくレベルは異なるのですが、「民の代わりの死」ということにおいて、カイアファはまさに主イエスの死の本質を語っていたのでした。

  そのまさに、全人類の代わりに、神であり人間であるお方が、死への道のりを開始されました。主イエスは捕らえられて縛られ、大祭司カイアファのしゅうとのアンナスのところへ連行されます。一隊の兵士と千人隊長、およびユダヤ人たちが主イエスを捕らえたことが記されています。これはユダヤ人のみならず、ローマの軍隊も関与したということです。これは普通に考えますと、無力な一人の人間が、多勢に無勢で引っ立てられていっているように見えます。しかし、神の視点で見た時、これは人間の歴史の中で、神の救いの業がまさに怒涛のように始まったということです。救いに向かって時計の針が大きく動き出したということです。しかしまだそのことは、主イエスが逮捕された時点では、主イエス以外はだれもうかがい知らぬことでもありました。

<一人一人の出来事>

  神の出来事が進んでいくことと並行して、今日の聖書箇所には、一人の人間の物語も描かれています。「ペトロの否認」として有名な箇所です。神の救いの大いなる業が始まっている、その傍らに人間の裏切りの物語が描かれます。これは主イエスは立派に十字架に向かわれているのに対して、ペトロはどうしようもない、という対比のためではありません。

  少しわかりにくい言い方になりますが、そもそも神の出来事は、一人一人の人間の物語と直結するものなのです。別の言い方をしますと、大いなる神の業は、人間の目には、小さな人間の出来事として見えるということです。私たち自身の喜びや悲しみの出来事の裏に、神の大いなる働きがあるのです。私たちの目には、うまく物事が運んでよかった、あるいは、思いがけない不幸にあって悲しいというような現実が見えます。しかし、その背後には、神の働きがあるのです。私たち一人一人の個人的な出来事が神のご計画と直結しているということです。今日の聖書箇所の場面でも、神の救いの物語と<ペトロの否認>という出来事はつながっているのです。

 <ペトロの否認>というとき、ペトロの弱さ、情けなさを私たちは考えます。しかし、そもそもペトロは最後まで主イエスに忠実であろうとした人でした。逮捕された主イエスが連行された先であるアンナスのところまでついていくのです。しかも人を介して門の中の庭にまで入っていくのです。大祭司の関係者がいるところへ入り込んでいくのです。この時点で、ペトロには迷いも恐れもないように見えます。主イエスを安じる一番弟子として、しっかりふるまっているのです。そのペトロをふいに襲ったのは、敵の剣や暴力ではありませんでした。

「あなたも、あの人の弟子のひとりではありませんか」

という言葉でした。主イエスを捕らえた側の人々のいる場所、言ってみれば敵の陣中で、主イエスの味方の者であることがばれたというのは恐ろしいことです。ペトロはとっさに「違う」と答えます。これはある意味、自分の身を守るため、ひいては仲間のために当然のこととも言えます。そして何食わぬ顔をして他の人と共に火にあたり続けるのです。エルサレムは海抜が高く、十字架の出来事があった春ごろですと、夜はかなり冷え込むのです。「あなたも、あの人の弟子のひとりではありませんか」と言われたとき、ペトロの心にぞっとするような冷たい風が吹いたかもしれません。その風を打ち消すようにペトロは火にあたっていました。

  一回目の「あなたも弟子のひとりだ」という言葉に対しては、うまくやり過ごしたとペトロは安堵したかもしれません。しかし、再度問われ「違う」と答え、さらに問われて打ち消したとき、鶏が鳴いたとあります。三回、ペトロが主イエスの仲間であることを否定する間、他の福音書を読みますと、1時間ほどの時間が流れているようです。

  さて、この鶏が鳴くというのは13章における主イエスとペトロの会話がもとになっています。13章36節で、主イエスはペトロにおっしゃいます。「わたしの行く所に、あなたは今ついて来ることはできないが、後でついてくることになる」と。ここで主イエスのおっしゃる<行く所>とは十字架のことですが、もちろん、その時、ペトロはそんなことは知りません。ですから「主よ、なぜ今ついて行けないのですか。あなたのためなら命を捨てます。」と答えます。<命を捨てます>、これはその時のペトロの偽らざる思いだったでしょう。しかしそのペトロに対して「鶏がなくまでに、あなたは三度わたしのことを知らないと言うだろう」とお答えになりました。そして今日の聖書箇所で、<主イエスのために命を捨てます>と言っていたペトロが、実際に、鶏がなくまでに、三度、私は主イエスの仲間ではない、主イエスを知らないと答えたのです。

 これは単に、ペトロが卑怯だったとか、弱かったということではないのです。敵の陣中の中にひそかに入って来ていたのですから、そこで「はい、私は主イエスの弟子です。」と答えることなどあり得ません。しかし、このとき、ペトロは知ったのです。主イエスと自分の決定的な隔たりを知ったのです。ペトロは、心の底からどこまでも主イエスについていきたいと願っていました。実際、主イエスが危ない場面で剣も抜いて戦おうとしたのです。逮捕された後もついて来たのです。これだけでも相当に勇気ある行動です。

 しかし、人間の勇気や誠実さや頑張りなどの無力さをペトロは知らされたのです。主イエスがどこに今から行こうとなさっているのか、このときもまだペトロは分かっていませんでしたが、決定的に違うところ、遠いところに主イエスは行こうとなさっている、そのことが分かったのです。

<弱さの中で示されること>

  <ペトロの否認>の物語は、人間の罪の物語です。ペトロの罪はどこにあったのでしょうか。一つ言えますことは、単純な意味で、ペトロの弱さ、卑怯さにあったのではないということです。むしろ逆なのです。どこまでも自分は主イエスのところへついていく、主イエスをお守りしてみせると思っていた<ペテロの強さ>が問題だったのです。

  私たちも通常、この世界で、強くあることを求められます。大人である以上、誰にも迷惑をかけずにしっかりと生きていくことを求められます。そして精いっぱいそれにこたえようと生きていきます。敵に対しては勇敢に剣を抜いて戦い、怖くても我慢をして敵の陣中にだって入っていくのです。私たちは自立した大人としてしっかりと生きていくことを求められ、実際に誠実にそのように生きてきたのです。しかし、神の出来事は、一生懸命、強くあろうと生きて来た私たちの耳に鶏の鳴き声を響かせるのです。

 ところで、少し横道に逸れますが、私は子どものころ、長崎県の県営住宅に住んでいたことがありました。平屋建ての長屋のような造りで4軒の家が連なっていました。それぞれの家に狭い庭がありました。我が家と同じ棟の二軒隣の家では、その庭に小さな小屋をつくってその小屋の中で鶏を飼っていました。その鶏が明け方や、昼間でもときどき鳴くことがありました。けっこううるさくて、コケコッコーとその声は響き渡るのです。

 私は中学生になって、洋楽のポップスに興味を持ちだしたころ、今の若い方はご存じないでしょうが<ラジカセ>というもので一生懸命音楽を聞いていたのです。ラジオの番組から気に入った曲をカセットテープに録音をするのですが、そのラジカセが壊れていて、録音するとき時々外部の音を拾うのです。ある時、サイモンとガーファンクルの「明日にかける橋」を録音したのですが、その出だしの静かな部分に、鶏の鳴き声が入り込んでしまったのです。音としては大きな音ではなかったんですけど、はっきりと長く響く鳥の鳴き声が録音されていました。ですからその曲を聞くたびに、鶏の鳴き声が聞こえるのです。こう言いますと、なんだか滑稽なことなんですけれど、鶏の鳴き声が何かを打ち破るような響き、静けさを破る響きを持っていることをその鳴き声を聞きながら印象的に感じました。映画やドラマの場面でも夜が明けたとき、鶏の鳴き声を響かせたりします。鶏の鳴き声は夜を破るのです。静けさを破るのです。夜だけではありません、まさに鶏の鳴き声には何かを突き破るような力があるのです。

  ペトロの心に鶏の鳴き声が響きました。それまで大人として、誠実に生きて来た、さらにはユダヤ人として律法を守り、神を大事にして生きて来た彼の根底に鶏の鳴き声は鳴り響いたのです。その鳴き声は、精いっぱい大人として鎧を着てきたペトロの鎧を切り裂いたのです。ほんとうはちっぽけな弱い人間に過ぎなかった本当のペトロの姿をあらわにしたのです。そして罪の姿をあらわにしたのです。

  彼の罪の本質は、主イエスを知らないと嘘をついたということではありませんでした。もちろんそれも卑怯なことではあります。しかしそれは罪の派生的なことに過ぎません。自分で何でもできる、自分で頑張らねばいけないと、自分に依り頼んでいたことこそが罪でした。善意からであったとしても、そしてまた知らなかったこととはいいながら、神である主イエスにどこまでもついて行けると思っていた、神を神としていなかった思い上がりこそが罪でした。鶏の鳴き声はその罪の姿をあらわにしたのです。

<ここから立ち上がる>

  しかし「鶏がなくまでに、あなたは三度わたしのことを知らないと言うだろう」とおっしゃった主イエスの言葉は、断罪の言葉ではありませんでした。主イエスはペトロがそこから立ち上がっていくことを知っておられたのです。主イエスの言葉は愛の言葉でした。実際、ペトロはそこから立ち上がったのです。皆さんもご存知のように、やがてペトロは大伝道者となりました。ペトロは重い自分の鎧を脱ぎ捨てて、神を神として寄り頼む新しい生き方へと歩み出したのです。弱いままの自分で良い、そこに神の力が働いてくださることをペトロは知らされたのです。私たちも本当に強いお方に、ありのままの自分を明け渡して、新しく生きていくのです。悔い改めとはそういうことです。

 このペトロと並んで大伝道者となったパウロに神の言葉がありました。彼は病を癒してほしいと切実に願いつつも病が癒されませんでした。そんなパウロに神は語られました。「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と。自分の鎧を脱ぐとき、自分の剣を捨てるとき、私たちに神の力が注がれます。私たちは弱い、その弱さの中に、神の恵みが注がれ、神の力が発揮されます。そこから私たちは立ち上がります。受難節、まことに神に自分を明け渡して、悔い改め、神の祝福の内を歩んでいきます。