残念ながら、修復工事の為このように状態でした。
中にある小さな社がブルーシートで覆われていまして、その中を見ることも叶いませんでした
鎮座地: 仙台市泉区古内仁渡
祭 神:天之水分神 (あまのみくまりのかみ)
※水分神(みくまりのかみ)を調べますと、流水をの分配をつかさどる神とあります。
古事記上に速秋津日子・速秋津比売2神の子、天之水分神 ・国之水分神の2神
が見え、吉野水分神社・宇太水分神社など各地の水源地に分祀される。
「みこもり」と転じて、俗に子守神として信仰される。
二柱神社の仁和多利大権現に続いてここでも、子供神という言葉が出てきます。
実はニワタリ系の神は共通して水の神様と言われています。
コメントを頂いております。「伝八郎」さんからのご教授もあって私も少しずつ分かってきました。
子供守護については次のニワタリ神社あたりでご紹介させていただきます。
封内風土記・宮城郡誌では雲水神社となっています。
この社は旧古内村の村鎮守としての役割を持っていたようです。
この地名にある、古内村ですが下総国(千葉県)出身の古内重時が国分宗政の家臣となり領主となった地です。
古内氏はその後伊達氏の下で家老職まで勤めたそうです。
賀茂神社にも書いていますが、この古内家で有名になったのは伊達騒動(寛文事件)の刃傷事件で、古内家も現場に呼ばれていた。
古内志摩義如(しまよしゆき)は1671年(寛文(かんぶん)11年)3月27日、酒井大老邸での刃傷事件で傷を受けたが唯一生き残り、寛文事件(伊達騒動)の貴重な生き証人となった。
しかし、その時受けた傷がもとでで破傷風となり、1673年(寛文13年)6月に死亡した。
志摩義如の墓は加茂の慈眼寺にある。
この神社は以前UP済みの賀茂神社に合祀されていましたが、戦後分離しこの地に戻ってきました。
神殿に向って右吽形
神殿に向って左阿形
バックシャン
享和三年正月吉日と刻まれていますね。1803年です。
境内裏には石仏や石碑などが並んでいます。
大ヴェテランですね
尻尾の形で年代が想像できましたが
享和製とはねぇ!
未見の貴・記事 ぼつぼつ拝見しますから
さて速秋津姫ですが瀬織津姫同様、祓戸四神の一神で、河口の神とされています(瀬織津姫は滝・渓流です。)。
速秋津姫は阿武隈川を守護していると聞いたことがありますが、話では渡・・・じゃなかった亘理の阿武隈川河口にある湊神社に祭られている??と聞いていました。
正式ではないと思いますが、ご神体が「鮫の上に立つ十一面観音」と聞いていますので、そうだろうと思い、「是非参拝に行かねば」と考えていたのですが、今回の津波で神社が流され、宮司さん夫婦もお亡くなりになったらしいです。
非常に残念です。ご冥福をお祈りすることぐらいした出来ません。
ではでは。
この神社を訪ねたことはありませんでした。
「山神」がおりまして、そぞろに道祖神が気になりました。
関連するようで
鄭重に祭っていただきたいですね
古い狛犬に合うと相変わらず嬉しいですね。
特にヘンチクリンなのが好きですww
しかもそのバック姿 我が家の猫 めい姫そっくりです。
その祭神が何処かで見つかり、祀られれば、また新たな伝説ができるのでしょう 。
今回の速秋津日命でまたまた勉強になりました。記紀の中でも別名水戸神(みなとのかみ)などの水や川の神として 色々と記されているようですね。
祓戸の大神四神を調べてみましたら、新たな発見をしました。
瀬織津姫尊は伊勢の荒祭宮に祀られているのですね。
ここでもアラハバキとの関わりを感じました。
実に面白いです。不思議でもありますが。
ここは、私も意識して探した神社です。
地図を見てると面白いことが色々発見できます。
国譲りを承諾した大国主のために造営された宮殿、出雲大社で 膳夫(かしわで)となった櫛八玉神(くしやたまのかみ )は、この水戸神二神の孫と記されています。
不思議なつながりでしょ。
だそうです。