仙台味噌発祥の地
以前に記事にしていたものですが、写真を撮って来ましたので、再度追記しUPします。
仙台味噌のお話し
何故仙台味噌が有名になったのでしょう。
それは、豊臣秀吉の朝鮮出兵(1592年)の時でした。
伊達政宗は、朝鮮に渡り戦っていた時のことです。
夏期になると他藩の味噌は腐敗してしまいました。
しかし、仙台藩の味噌は少しも変質すること無く美味しかったのです。
当然評判は、知れ渡ります。
実は、この仙台味噌!
偶然出来たものでは無かったようです。
仙台藩には『御塩味噌蔵(ごえんそぐら)』という物がありました。
現在の仙台二高の東側にある『川内大工町』にあったそうです。
この蔵では、藩が軍用の為に研究して作っていたようです。
後に、仙台味噌は、江戸大井の下屋敷でも醸造されるようになり、江戸の庶民にも払い下げられるようになって、ますます有名になったのですね。
板碑(石碑)によれば
政宗公が城下花壇に御塩噌蔵を設け、真壁屋市兵衛を玄米百石で召し抱え、藩の味噌御用を務めさせたことが始まりといわれる。
承応元年(1652)花壇の焔硝蔵より出火し、北隣の御塩噌蔵三棟は消失。
その後、ここ川内仲の瀬橋に再建された。
往時は武器や軍用金と共に米・塩は貴重な軍糧物資であったが、仙台みそは米や塩をふんだんに使った贅沢な味噌である。
塩や米をおしみなく作った味噌だったからこそ、腐ることが無い美味しい味噌が出来たのでしょう。
写真を撮り終えると、二高前をるーぷる仙台が発車したところでした。
折角なので、澱橋(よどみばし)から見た、広瀬川です。
以前に記事にしていたものですが、写真を撮って来ましたので、再度追記しUPします。
仙台味噌のお話し
何故仙台味噌が有名になったのでしょう。
それは、豊臣秀吉の朝鮮出兵(1592年)の時でした。
伊達政宗は、朝鮮に渡り戦っていた時のことです。
夏期になると他藩の味噌は腐敗してしまいました。
しかし、仙台藩の味噌は少しも変質すること無く美味しかったのです。
当然評判は、知れ渡ります。
実は、この仙台味噌!
偶然出来たものでは無かったようです。
仙台藩には『御塩味噌蔵(ごえんそぐら)』という物がありました。
現在の仙台二高の東側にある『川内大工町』にあったそうです。
この蔵では、藩が軍用の為に研究して作っていたようです。
後に、仙台味噌は、江戸大井の下屋敷でも醸造されるようになり、江戸の庶民にも払い下げられるようになって、ますます有名になったのですね。
板碑(石碑)によれば
政宗公が城下花壇に御塩噌蔵を設け、真壁屋市兵衛を玄米百石で召し抱え、藩の味噌御用を務めさせたことが始まりといわれる。
承応元年(1652)花壇の焔硝蔵より出火し、北隣の御塩噌蔵三棟は消失。
その後、ここ川内仲の瀬橋に再建された。
往時は武器や軍用金と共に米・塩は貴重な軍糧物資であったが、仙台みそは米や塩をふんだんに使った贅沢な味噌である。
塩や米をおしみなく作った味噌だったからこそ、腐ることが無い美味しい味噌が出来たのでしょう。
写真を撮り終えると、二高前をるーぷる仙台が発車したところでした。
折角なので、澱橋(よどみばし)から見た、広瀬川です。
他のは食べられない~
我が家は高砂長寿味噌です♪
コレを使った名産品には、どんな物が?
我が家では高いので、しそまきを作る時だけ使っています。
やはり味は絶品だと思います。
買う気ならスーパーで買えますからね。
今度チェックしておきます。
ばぁちゃんが作る味噌パンは、子供たちも大好きですがね。
創業二百年近く。遠田郡と古い住所ですが、今の住所だとどうなのでしょう。
看板を見ますれば「陸前遠田郡北浦村」という古い看板がございます。
ドライブだてらお出かけになられても・・。
「純粋な仙台味噌継承」が売りです。
これを送っていただいております。(今でも)
「手前味噌!」
だれが何と言おうとこいづが一番だっちゃ!
この味噌をつけた「味噌おにぎり」は我が家のひそかなB級グルメでした。
回りの景色も風情があって本当にいいとこです。建物も昔の蔵がそのままです。
朝鮮も基本的に寒いから
気候があっていたのかな?
昔ながらのものは
なんといっても 愛情こもってますからね (^_-)~☆
仙台味噌は美味しいけど ちょいと高い…汗
でも 仙台みそのおにぎり… すっごい美味しかったっけー♪
ウチは いーっつも 一K¥198の激安みそです…
^^: pt
あそこは、旧小牛田町になりますから現在美里町ですかね。
食べなれた味噌が一番ですね。
記事にも書いてありますが、塩加減の調整が良かったのでしょうね。
うちは色々です。かみさんの実家から頂くことも ・・・