きょう(11月27日)NHKあさイチのジャパナビで多治見の陶器が出ていました。
そのなかで、陶器でできたイヤリングやボタンが出てきました。
それで思い出しました。
わたしが中学に入ったのは1946(昭和21)年でした。
新品の帽子や学生服を買うことはできませんでした。なかったのです。
上級生がかぶっている帽子の徽章は陶器製でした。ボタンも陶器でできていました。実用だけを考えて作られたもので、今朝のテレビで見たような美しくてかっこよいものではありませんでした。
金属製がなかったのです。戦争中金属類は供出させられました。ボタンや徽章が供出させられたのではないかもしれませんが、そのころから金属製がなくなったのかも、と想像します。
普通のボタン(シャツのは貝殻製が多かったと思います)もなかなか買えませんでした。
ツレはこんな話を今でもします。
「親戚のおばさんからシャツをもらったのよ。うれしかったけど、ホックを全部取ってからくれたので、そのまま着られなかった」
ホックも貴重品でした。シャツはやってもホックはやりたくなかったのでしょう。
戦争中や戦後はそんな時代でした。
テレビを見ながらそんな話を思い出しました。
そのなかで、陶器でできたイヤリングやボタンが出てきました。
それで思い出しました。
わたしが中学に入ったのは1946(昭和21)年でした。
新品の帽子や学生服を買うことはできませんでした。なかったのです。
上級生がかぶっている帽子の徽章は陶器製でした。ボタンも陶器でできていました。実用だけを考えて作られたもので、今朝のテレビで見たような美しくてかっこよいものではありませんでした。
金属製がなかったのです。戦争中金属類は供出させられました。ボタンや徽章が供出させられたのではないかもしれませんが、そのころから金属製がなくなったのかも、と想像します。
普通のボタン(シャツのは貝殻製が多かったと思います)もなかなか買えませんでした。
ツレはこんな話を今でもします。
「親戚のおばさんからシャツをもらったのよ。うれしかったけど、ホックを全部取ってからくれたので、そのまま着られなかった」
ホックも貴重品でした。シャツはやってもホックはやりたくなかったのでしょう。
戦争中や戦後はそんな時代でした。
テレビを見ながらそんな話を思い出しました。