東京第5検察審査会の小沢氏「起訴相当」議決とツイッター現象/「草の根通信」の志を継いで  から

2010-05-02 23:10:15 | 社会
私は先にCMLという公開型のメーリングリストで現在のわが国のツイッター現象、そのツイッターのワンフレーズのつぶやきの特性にふれて、私たちがすでにさんざん反省したはずの小泉純一郎流の「ワンフレーズ・ポリティクス」の小児病的ポピュリズム政治へと再び退行させる蓋然性の大きい現象というべきではないか、ということ。また、ツイッターの基本的性質としての脈略のないつぶやきは、私たち日本人が関東大震災で経験したあの忌わしい「流言飛語」という凶器にいつ豹変しないとも限らないこと。また、私たちが安易に現在のツイッター現象に群がることの危険性についての私見(CML 003910など)を述べたことがあります。

上記で私の言う「ツイッター現象の危険性」とは具体的にはどういうことなのか? 先月27日の東京第5検察審査会の小沢民主党幹事長「起訴相当」議決に関してあった同メーリングリスト上の反応に即して検証してみようと思います。

第1。「小沢氏『不起訴不当』を申し立てた『市民団体』は『在特会』」という指摘が同メーリングリスト上でありました。同指摘は下記で述べるとおり誤った指摘というべきですが、その誤った指摘をはじめの段階で拡散していたのはやはりツイッターでした(注1)。

しかし、①同在特会代表の桜井誠なる人物は「そもそもこの事件で刑事告発をしていない」。「この事件で検察審査会に申立てできるのは、『告発をした者』でなければならない」のだから、桜井誠なる人物が「不起訴不当」を申し立てることはできない。②この桜井誠なる人物が自身のブログで公表している受理書番号第2号と小沢氏についての東京第5検察審査会の議決書における事件番号第10号は異なる(「上脇博之 ある憲法研究者の情報発信の場」2010年4月30日付より)。したがって、東京第5検察審査会の議決における審査申立人は桜井誠なる人物以外の者ということにならざるをえません。

第2。同じく「検察審査会の検察審査員は、無作為に抽選で選出されていませんよ」というツイッター上のつぶやきも虚偽といわなければなりません。ツイッター上のつぶやき人は「検察審査会の検察審査員は、無作為に抽選で選出されていませんよ」とつぶやく根拠として、自身が以前に経験した「(検察)審査員の方からふさわしい人を推薦してほしいと依頼があったので推薦しました」という事例を挙げるのですが、この事例はありえない事例といわなければならないからです。

検察審査会法第9条には「検察審査会事務局長は、(略)検察審査員候補者の員数を当該検察審査会の管轄区域内の市町村に割り当て、これを市町村の選挙管理委員会に通知しなければならない」とあり、同法第10条には「市町村の選挙管理委員会は(略)通知を受けたときは、当該市町村の選挙人名簿に登録されている者の中から(略)検察審査員候補者の予定者として当該通知に係る員数の者(略)をくじで選定しなければならない」とあります。そして、同法第20条には「検察審査会事務官は、裁判所事務官の中から、最高裁判所が、これを命じ」るとあり、また「最高裁判所は、各検察審査会の検察審査会事務官のうち一人に各検察審査会事務局長を命ずる」とあります。

以上からわかるように「検察審査員」が検察審査員を選定する過程に介入する余地はまったくないのです。仮にある検察審査員が次の検察審査員を推薦したとしても(そういうこともありえませんが)、その推薦はまったく無効です。

第3。フリージャーナリストの岩上安身氏発の弁護士の郷原信郎氏の見解とされる「これで検察が起訴するなら、今までの捜査はいったい何だったのか。専門家集団と称する検察などいらない、市民が起訴すればいい」という市民から構成される検察審査会の存在意義さえ否定するツイッター上のつぶやきも郷原氏の下記の直接の発言と比較すれば正しくないことがわかります。

郷原信郎名城大学コンプライアンス研究センター長の定例記者レクでの検察審査会の「起訴相当」議決についての発言(2010年4月28日)

上記発言を読むと、郷原氏は、「公訴権の行使や検察運営に関し、民意を反映させる」という側面における検察審査会制度はそれ自体として肯定的に評価していて、ツイッター上で見たような検察審査会の存在意義さえ否定する暴言のたぐいの認識は一切示していません。この例からもツイッター上の言説の危うさと言説としての限界性を知ることができるでしょう(この場合のツイッター上の発信人はジャーナリストという物書きを仕事とする言論人です。その言論人をしてをや、ということです)。

以上はツイッター的(ツイッター的ブログを含む)情報を根拠に小沢氏及び民主党擁護の自説を補強しようとするある種の人たちの思想の愚かしさについて述べたものです。

しかし一方で、今回の東京第5検察審査会の小沢民主党幹事長「起訴相当」議決について、検察審査会制度の「民意を反映させる」側面は評価しながらも、「もし弁護士(元裁判官)が議決書の作成を補助したというならお粗末な内容。このような『冷静さを欠く内容』と思われる議決書では検察審査会に強制起訴権限を付与したせっかくの改革が国民から支持されない心配を感じる。法律家である審査補助員の役割が問われる」(「弁護士阪口徳雄の自由発言」 2010年4月27日)などの批判があるのは当然だと思います。今回の東京第5検察審査会の「起訴相当」議決は専門家ではない法律の素人の眼から見ても少し以上にヒステリックです。

その理由はどうも上記においても阪口弁護士によって少しふれられている「法律家である審査補助員」周辺にあるようです。この事件の審査補助員について前出の上脇博之神戸学院大学法科大学院教授が興味深い事実を指摘をしています。この事件の審査補助員となった「弁護士が所属する法律事務所の『40周年祝賀会』が今年3月25日に開催され、自由民主党総裁の谷垣禎一衆議院議員ら(中井洽・国家公安委員長らも)が来賓として挨拶して」いたということです(前出上脇ブログ)。山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記』によれば、この弁護士の名前は米澤敏雄氏。所属する法律事務所の名称は麻生法律事務所(ちなみにこの情報もはじめはツイッターから取得したようではあります。また、法律事務所の名称の麻生はあの元首相の麻生のことか、と疑いたくもなりますが、別人の麻生のようです)。同ブログで山崎氏も「政治的中立性は担保されているのか?」と疑問を呈している人物です。東京第5検察審査会の議決がなぜヒステリックなほどの議決になったのか? おおいに怪しんでいい事実の指摘だと思います。

検察審査会の問題については次の点も指摘しておく必要があるように思います。市民から選出される検察審査会であってもその審査が不当な場合もありえるということです。10年ほど前に地裁、高裁、最高裁、差し戻し第一審、第二審という25年間5回もの裁判を経て、やっと無罪判決が確定した甲山事件と呼ばれる冤罪事件をご存知だと思いますが、この冤罪事件の端緒をつくったのは、検察が証拠不十分で不起訴処分にした同事件の「容疑者」を「不起訴不当」の決議をした市民から選出されたはずの検察審査会でした。同検察審査会は結果として25年もの苦難をこの無罪判決を勝ち取った当時の「容疑者」に強いてしまったのです。このことは忘れてはならないことだろうと思います。

一方、東京第5検察審査会の今回の議決を批判するにあたって「疑わしきは罰せず」という刑事裁判における原則を持ち出して批判する向きがありますが(たとえば上脇前出ブログ2010年4月28日付)、この「疑わしきは罰せず」の原則はあくまでも刑事裁判における原則であり、検察起訴の際の原則ではありません。「疑わしきは罰せず」の原則と検察の挙証責任とを混同すべきではないでしょう。「疑わしきは罰せず」の原則は「ある事実の存否が判然としない場合には被告人に対して有利に」という原則のことです。一方、挙証責任の方は、「ある事実の存否が判然としない場合においても挙証責任を負えるだけの合理的な疑いがあれば足る」とする考え方の謂のはずです。両者を混同して検察審査会の起訴議決のハードルを高くすることには慎重であらねばならないだろう、と思います。

注1:「『twitter』で周知済でしたが、謎の市民団体『真実を求める会』が検察審査会に小沢民主党幹事長不起訴を『不服申立て』たのに続いて、『在特会』桜井誠代表と『博士の独り言』島津義広氏が「不服申立て」に加わったことが事実として確認できました(「杉並からの情報発信です」 2010年2月10日)。

http://blogs.yahoo.co.jp/higashimototakashi/3011742.html

「草の根通信」の志を継いで i

小沢民主党幹事長に対する検察審査会の議決(要旨)を批判する /情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士(ヤメ蚊)

小沢一郎を「起訴相当」とした「検察審査会」への「批判」に関連して・など/東本高志(CMLから) 

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13 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
検察審査会 (麻衣ぷりん)
2010-05-03 09:06:30
検察審査会にしても参考人とう取り調べにしても全面可視化等もっと公開すべきです。オープンにしないからあーだこーだと言ってるんです。言った言わないなんて長々コメントするより全面可視化を訴えた方が建設的です。
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Unknown (伊賀 敏)
2010-05-03 09:16:32
司法 検察 検察審査会が正義のものであるのならば、という前提条件がつきます。 それでも検察審査会の可視化は必要です。少なくとも取り調べ段階での供述証拠が根拠であるなら、自白の可視化、取調べの可視化も必要です。 もう一点、小沢事件に限らず14万件もの検察審査会への申し立てがあります。公式はすべてにあてはまる物ではありません。起訴陪審の方が、まだ透明化されているといえるでしょう。
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ツイッター批判について (今枝俊樹)
2010-05-03 09:55:49
こちらの記事でのご指摘は3点ということですが
第1。>不起訴不当を申し立てた団体にいわゆる在特会も含まれていた
第2。は仰る通り私も同意いたします
第3。とくに個人名を出しての否定ですが、リンク先のツイートにもある通り、岩上さんと郷原さんが電話で話した上での岩上さんの意見という形です。特にツイッターによる事実誤認とは言えないと思われます。
私自身はツイッターは議論に向かないものと理解していますし、情報を再発信する場合も個人の意志と責任において行うべきと考え、また発信しております。
こうした仕組みに対する批判は少々不毛だと考えます
すでに有って一般的になりつつある道具は、それを使いこなすことをこそ考える必要があると思っています。
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Unknown (ツイッターは道具の一つ)
2010-05-03 15:06:35
はじめまして。

上のお方と同じような印象をうけました。
「つぶやき」と「ツイッター」の単語数を調べますと20を超えていますが、せっかくの本論がツイッター論が入ってきたためにボケているようで惜しいと思います。

ツイッターもブログやホームページなどの道具の一つでして、決して使い勝手がいいものでもないですが、簡便さと検索機能を有効に使うとそれなりに使えると思います。

私はこれら3つを日常的に使っていて思ったのですが、どんな道具を使うのにしろ、あくまでも使う個人のモラルや良識などの問題であって、道具の方に問題があるということではないと思っています。

ツイッターは文字数の制限から正確に意図を伝えるのがなかなか難しく、そもそも議論には向かないですし、その意味でもお世辞にも使い安いとは言えない、そんな道具だと感想です。
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Unknown (電灯)
2010-05-03 15:07:30
捜査機関による捜査の独占、検察による起訴独占主義を前提にする限り、検察審査会公開の必要はまったくありません。

検察審査会は捜査しているわけでも、参考人や被疑者を取調べしているわけでも【ありません】。

公訴提起をしない、という検察の判断が、市民目線からして正しいかどうかという【判断のみ】を、【検察の集めてきた資料をもとに】おこなっているだけです。つまり、
検察審査会は、告発側の過程(本来捜査機関が独占している)の一部を補完しているだけであり、本来、告発側の一部としてチェック機能を発揮しているだけであり、裁判をしているわけではありません。

迅速、公開、可視化、反対尋問の権利は、【裁判で保障されるべき】でしょう。甲山事件にしても、批判されるべきは検察審査会ではないとおもいます。
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Unknown (電灯)
2010-05-03 15:24:33
エントリの中では、

>>今回の東京第5検察審査会の「起訴相当」議決は専門家ではない法律の素人の眼から見ても少し以上にヒステリックです

>>東京第5検察審査会の議決がなぜヒステリックなほどの議決になったのか? おおいに怪しんでいい

との議論がなされていますが、本来、民主主義にはヒステリックな面がぬぐいがたくあることは、常識だとおもいます。

それゆえに、司法部門(準司法として検察もふくむ)は、訓練を受けた専門家のものであり、民主的なコントロールに直接はさらされにくいように、システムが設計してあります。しかし、まったく民主的コントロールが及ばないのもまずいとの判断から、民主的コントロール手段として、たとえば検察審査会がつくられているわけです。

ですから、検察審査会の議決がヒステリックに見えようが、それは、本来、システムに内在するものであり、批判として無意味としか言いようがありません。
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検察審査会 (独立を望む志士)
2010-05-03 15:56:32
はじめまして。

前書きはさておき、結局のところ、「検察審査員」の選出方法が全く国民側に知らされてないのが問題でしょう?
検察審査会法の条文持ち出して説明されてますが、その通りのまま全く公正に行われたと言う証拠は何処にもありません。
そう言うと、「日本は法治国家だから、守られていて当然。疑う方がおかしい!」とお題目のように唱える輩も多々居られますが、
それら法をかいくぐって不正が行われてる事象がここそこで見られる現代の日本において、疑わざるを得ないと言うのが結論です。
「くじ」と言うのなら、くじ引きの様子から総て公開で行われるべきです。
なんなら、当事者の小沢氏にくじを引かせるぐらい行ってもいいぐらいですね(笑)
何もかも隠れてやってるから、Twitter上で色々言われるんですよ。

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起訴独占主義は既に崩れてますよね (Unknown)
2010-05-03 16:28:07
検察審査会は「2回の起訴相当で検察外の弁護士によって強制起訴」という、単なるチェック機能を超える強力な権限を有しています。なのに従前の制度設計のままであることが問題視されているのでは?今回のヒステリックな議決は公判に耐えるものでしょうか。「ヒステリックなのは民主主義では当然」と言い切るなら、向かう先は魔女裁判となるのではないか。
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Unknown (電灯)
2010-05-03 21:05:56
独立を望む志士さん、こんにちは。

>>検察審査会法の条文持ち出して説明されてますが、
>>その通りのまま全く公正に行われたと言う証拠は何処にもありません

証明責任は、「公正におこなわれていない」という側に、今のところ、あります。

>>「くじ」と言うのなら、くじ引きの様子から総て公開で行われるべきです

私は賛成しませんが、ひとつの考え方だとおもいます。本気でそうお考えなのなら、実現に向けて、議員等にはたらきかけられてみては如何でしょうか。
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Unknown (電灯)
2010-05-03 21:07:07
起訴独占主義は既に崩れてますよね (Unknown)さん、こんにちは。

>>単なるチェック機能を超える強力な権限を有しています

検察審査会の権限は、司法の民主的コントロールという理論的正当性をもち、手続き的にも立法によって正当に与えられた権限です。しかも、日本全体の事件数からみれば、起訴独占主義の例外的なものにとどまります。ですから「補完」「チェック機能」と申し上げることに、なんの問題もないとおもいます。

>>「ヒステリックなのは民主主義では当然」と言い切るなら、
>>向かう先は魔女裁判となるのではないか

ナチズムの例をひきあいにだすまでもなく、民主主義がプレビシットの危険を持ち、ヒステリックに個人の自由を抑圧する面をもっているのは、私の独自理論ではなく、学問的な常識です。

なお、ハナシはそれますが、小沢氏の側もまた、民主主義的な支持の上にのっている政治家であることを忘れるわけにはいきません。小沢vs検察官僚に利用されたヒステリックな民意、という見立てをするひとびとがいますが、小沢支持者のヒステリックな民意vs検察官僚に利用されたヒステリックな民意、とみるのが正しいでしょう。どちらもヒステリックなのですから、どちらもネットウヨ以下という感想が出て当然なのです。

ハナシをもどすと、「魔女裁判」のようなヒステリックな事態を招かず、個人の自由を守るために
司法は、民主的コントロールが直接及びにくいように制度設計されていますが、一方で、
民意から乖離しすぎる弊害を招かないために、検察をふくむ司法過程の
一部に民主的コントロールを導入しているわけで、そのひとつが検察審査会です。
検察審査会の存在にはこのように理論的な背景があることを、まず理解なさってください。
そして、検察審査会は「裁判」ではありませんから、当然、「魔女裁判」でもありません。

起訴独占主義は既に崩れてますよね (Unknown)さんは、一度の小沢不起訴不当決議
 (まだ起訴と決まったわけでもない) に触発されて、問題を考えはじめたように
お見受けしますが、制度は小沢氏であろうと、
福知山線脱線事故のときのJR経営陣であろうと、
明石花火大会歩道橋事故のときの警察副署長であろうと、平等に適用されます。

その上で、法律論として、司法の民主的コントロールのありかたについて議論なさるのなら、
おおいにお考えをうかがいたいとおもいますが、ここは人様のブログでもあり、
私のほうからは、ここまでにさせていただきます。
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