パキスタン 戦略的視点だけで見るな タリク・アリ/朝日新聞

2008-01-03 11:34:32 | 世界
ベナジル・ブット氏の暗殺は許し難い。だが、彼女
がパキスタンとその民主主義の救世主になりえたとは
とても思えない。
 2回目に首相の座に就いたとき、彼女と夫の腐敗は
最悪だった。パキスタンがアフガニスタンに介入し、
タリバーン政樒樹立に動いたのも彼女が首相の時だ。
 その彼女の遺志で、夫と19歳の息子がパキスタン人
民党(PPP)を率いるという。政党の私物化。中世
の封建制でもあるまいし、グロテスクとしか言いよう
がない。そんな政覚を欧米は改革志向で近代的で民主
的だと言ってきた。
 パキスタンは60年前の建国の際、イスラムを統合の
核にしようとしたが、それだけでは近代国民国家のア
イデンティティーにはなりえない。人櫨などの価値観
の確立が必要だ。結局、国家はできても人々を統合し
て国民を形成することができないまま、1971年に
バングラデシュが分離独立することにもなった。
 この国のエリートは一貰して盲目的に米国に依存し
続けた。冷戦期にはソ連への対抗策からイスラム過激
派を支擾し、今はそれと戦う米国を手伝う有り様だ。
 パキスタンは近代的国民国家になり損ない、自立に
も失敗しているのだ。
 68~69年にパキスタンで反政府運動があった。学生
と労働者と農民は独裁制を倒すために闘った。ブット
氏の父親が創設したPPPはその運動と関係が深い。
パキスタンの社会構造改革に最も必要な大地主制の解
体を主張してもいた。だが次第に大地主たちに接近し
ていった。
 ブット氏が今回、帰国したのは、米国がどうしても
非軍人の政治家を必要としたからだ。彼女の問題を覆
い隠して政界に復帰させた.しかし、人々は彼女が
ブッシュ米大統領の手駒だと感じていた。パキスタン
では過激派自体は少数だが、大半の人々はイラクや
アフガニスタンでの米国の対外政策に反発している。
 もう1人の野党指導者、シャリフ元首相はもともと
ビジネスでサウジアラビアとつながりが深い。だがサ
ウジは巨額の資金でイスラムの過激な宗派ワッハーブ
派の宗教者を送り込み、時のパキスタン政府の支持を
得て体制内の一部をワッハーブ化した国だ。
 軍政と、さらにまして嘆かわしい政党、それがパキ
スタンの悲しい政治状況だ。早晩、選挙は行われよ
う。それは恥部を隠すイチジクの葉にすぎないが、米
国は正統政府ができたと認めるだろう。米国は対外政
策で同調しない政府ができるのがいやなのだ。
 現状から抜け出すのに本当に必要なのは社会改革
だ。腐敗したエリートたちが着服したカネを、まずそ
ちらに回さなければならない。
 貧しい人たちがまず望むのは子供たちへのちゃんと
した教育だ。それがあれば過激派に取り込まれること
もなかろう。それに基本的な医療制度。電気、水道も
届かない地域はまだ多い。
 米国をはじめ国際社会はパキスタンを戦略的、軍事
的視点からばかり見る。それが悲副を招いている。

◆パキスタン出身で64歳。英国ロンドン在住。
朝日新聞2008.1.3朝刊

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2 コメント

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Unknown (百人斬り報道に見る朝日・毎日の反日振り)
2008-01-03 14:40:50
昭和12年の南京攻略戦に参加した第16師団の野田毅、向井敏明両少尉が、どちらが先に100人斬れるかを競ったとする記事を、東京日日新聞の浅海一男が書き同年、4回にわたり掲載。2人は戦後、南京軍事裁判で無実を訴えたが、浅海一男は証言を拒否し、結果として無実なのに処刑されました。浅海一男という人殺しは、戦後も毎日新聞に記者として、とどまりました。(1909年生れ、1932年入社、当時は社会部所属、1988年に死去)悪いやつほど長生きするという典型的なやつですが、毎日新聞という会社をよく現しています。

 朝日新聞は昭和46年本多勝一という国賊が、「中国の旅」という支那のいうがままに裏付けもとらずに「南京で捕虜・市民30万人が日本軍に虐殺された」などと書くという、ジャーナリストにあるまじき行為をしてからです。まだこの捏造本は朝日文庫として売られています。
本多勝一は万人抗といううそ記事もかいていますが、この事を当時支那にいた方々から追求されたときに、厚顔にも「中国のいった事を書いたのだから、文句は中国に言え」といっています。

 東京日日新聞の記事は、同僚カメラマンの証言やノンフィクション作家、鈴木明氏の大宅賞受賞作「『南京大虐殺』のまぼろし」によって浅海一男の創作記事だったことが明らかにされたが、その後も支那各地の記念館では記事が拡大展示され、支那側のプロパガンダに利用されています。それに肩入れしていたのが、当時の社会党です。現社民党の異常さがよくわかります。国内の学校教育現場でも度々引用され、「真実」であるかのように独り歩きが続いている問題で、平成15年4月28日におこした訴訟にたいして、東京地裁で昨日開かれた第一回口頭弁論で、向井敏明少尉の二女で原告の田所千恵子さんが意見陳述し、「『百人斬り』が真実ならどんなことでも耐えますが、うそなのです。汚名を着せられ、歴史に残るのは残念」「遺族にとってこの裁判は最初で最後の機会。公正な裁判を信じ、父たちの汚名をそそぎ、精神的苦痛から解放されることを願っています」と訴えたそうです。
 
 田所さんは「中国の旅」の文庫本では、実名表記がイニシャルに改められているが、「周りのほとんどの人は誰のことか知ってますし、注釈では『捕虜を据えもの斬りする虐殺競争をした』と、ますます残虐な人間に描かれている。本多さんはどこまで私たちを侮辱するのか」と声を震わせたそうです。
ウソを書いて、反日を商売にしている売国奴である、本多勝一という人間性をよく現ししています。

この百人切りがウソである事を、朝日新聞、毎日新聞、本多勝一ははずかしげも無くこれを認めていません。


 あの辻元清美のホームページを見ていたら、あの国賊の本多勝一というオオバカ野郎が「最近「従軍慰安婦なんかなかった」とか「あれは公娼制度だ」とか言う人が、日本で問題になっています。一方ドイツにも「アウシュビッツの嘘」なんて本が出たりもしています。ただしドイツでは、こういう意見は全くの少数派だし、場合によっては犯罪者として取り締まられてしまう。ところが日本では、『文芸春秋』とかが出す大部数の雑誌などで堂々とそれが出てくる。それどころか閣僚が南京は嘘だってことを平気で言って、辞任しても撤回せず、今度は何かそのための会を作ったりしております。
「最近教科書を攻撃しているいわゆる自由主義史観、まあ私は改竄主義史観と言っておりますけれど、今は第3次教科書事件と言う状況にあります。第1次は、家永(三郎)さんが中心になってやっていた教科書裁判、検定に対する訴訟ですね。たとえば南京大虐殺の記述を検定で削除したことがあります。次に起こったのが、「侵略」と言う言葉を「進出」と変えさせ、それに対して中国その他の国々が非常に反発して、大騒ぎされたことがあって、これが第2次教科書事件です。」などと同じく国賊の辻元清美との対談でいっているが、侵略と進出を書き換えさせたと報道したのは本多が所属していた朝日新聞などであり、元々そういった事実が無いのに嘘の記事を載せて平気な顔をして謝罪記事も載せていません。そこの記者であったこの男は、こういった嘘の事を何度もいうこいつの脳みそは腐り切っているとしかいいようがありません。いつも書くようにこの本多という男は見てもいない嘘の記事を書いて飯を食っている人間です。この男のおかげで、北朝鮮、韓国、支那のために苦しんでいる多くの日本人がいます。国賊の王様のひとりです。バカたれ!(辻元清美のホームページ『清美したデ」の対談より)
低脳がコメントを無関係に入れて (超迷惑ですね!)
2008-01-04 16:37:27
自身が馬鹿なのに、何を罵ってんだか?的なB層右翼はさて置き、タリク・アリは正論をズバズバと言い当てており、真実憂国の辛口な人だね。
米国人は、日本の国家神道カルトにも匹敵する、キリスト教原理主義に囚われて、ずっと洗脳TVとか流れてるからね。
こんな直言が米国で流れればいいんだけど、少なくとも大体的には絶対無理で、控え目に隅っこでヒッソリと、殆ど誰の目にもつかない形でしか…。
ま、米国の低層も、米国が占領した国の中東人同様に抑圧されているのが皮肉だが。

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