[TUP-Bulletin] 速報738号 レベッカ・ソルニット「サパティスタ訪問記」(1)

2008-02-16 09:11:22 | 世界
☆地球の片隅から世界に発信する革命のメッセージ★
レベッカ・ソルニットは、2006年12月のトムディスパッチ記事「哺乳
類の時代」《*》では、現代の革命・改革勢力を、恐竜が跋扈〈ばっこ〉す
る世界の草の茂みにひそむ小さな哺乳類にたとえました。本稿(原題「カタ
ツムリの革命」)では、みずからをカタツムリやトウモロコシにたとえる革
命勢力、サパティスタ民族解放軍の自治領域を訪問し、目出し帽やバンダナ
で覆面した先住民女性たちに耳を傾けます。アメリカや日本のメディアでは
ほとんど報道されない土着の民のメッセージ、暮らしに根ざした夢や希望
を、「暗闇のなかの希望の語り部」のサパティスタ訪問記から読みとってみ
ましょう。井上
http://groups.yahoo.co.jp/group/TUP-Bulletin/message/707

凡例: (原注)[訳注]《リンク》〈ルビ〉
[当訳稿では割愛されている4枚の写真が、豊かな視覚情報で本文を補完し
ています。キャプションにURLを付しましたので、ぜひ原文サイトでご覧
ください]

トムグラム: レベッカ・ソルニット、叛乱の核心への旅を語る
トムディスパッチ・コム 2008年1月15日

[トム・エンゲルハートによるまえがき]

1994年元日、メキシコの極貧地方、チアパス州の密林から現れた叛逆集
団サパティスタ[1]は、レベッカ・ソルニットがトムディスパッチに登場
したのとほぼ同じころから、彼女の心に――そして、書き物に――居ついて
いる。2004年に彼女は、彼らの蜂起を「公定版の歴史に対する一揆」
《2》と評した。2006年には「同国におけるインディアンの地位だけに
とどまらず、革命の本質にまでおよぶ革命を演出した」《3》と書いた。そ
して、2007年末には、彼らを集団として「南北両アメリカのスペイン語
を話す過半数の人びとから聞こえてくるなかで、いちばん力強い声」《4》
と称した。サパティスタが世界意識のなかに劇的に乱入してから14年たっ
たいま、彼女はメキシコのチアパスに旅して、サパティスタが支配する領域
を訪問し、今年の元日を彼らとすごした。ひらめきの書『暗闇のなかの希望
――非暴力からはじまる新しい時代』[七つ森書館]《5》の著者は、この
訪問記を携えて戻ってきた。トム
[1.Zapatista=1910年メキシコ革命で「土地と自由」をスローガン
に農民解放運動を指導したサパタEmiliano Zapata Salazar(1879-1919)に
ちなむ]
http://www.tomdispatch.com/post/2088 《2》
http://groups.yahoo.co.jp/group/TUP-Bulletin/message/666 《3》
http://groups.yahoo.co.jp/group/TUP-Bulletin/message/762 《4》
http://www.amazon.co.jp/dp/4822805964 《5》

カタツムリの革命
サパティスタとの出会い
――レベッカ・ソルニット

私は、ビニール製レコード盤を聴いて育った。細密な渦巻の音声情報を毎分
33・1/3回転(revolutions)で再生するやつである。“Revolution”
という単語は、本来このような意味で用いる。例えば、あるものの「回
転」、「旋回」、天体の「公転」といった使いかただ。単語「ラディカル
(radical)」が、「根(roots)」を表すラテン語から派生し、「問題の根
元に向かう」という意味をもつと考えると興味深い。だから、
“revolution”には、元をただせば、一巡、回帰、循環といった意味があ
り、農耕暦のサイクルに従って生きる人なら、よく知っている趣がある。
[revolution=1. 革命[the R ]【英史】→ENGLISH REVOLUTION; 変革
2a. 回転, 旋回; 一回転; 【天】公転 (cf. →ROTATION )、公転周期、(俗
に)自転 b.(季節などの)一巡、ひと回り、循環、回帰 3.【地】変革
(広範な地殻深部の運動)――研究社リーダーズ]

私の古い『オックスフォード語源辞典』によれば、この単語“revolution”
が「事柄または特定のものごとに大きな変化があること」という意味をもつ
ようになったのは、ようやく1450年のことである。コロンブスがそれほ
ど新しくはない世界への第一次航海に出帆した時点よりも42年前であり、
ヨーロッパでグーテンベルグが活版印刷を発明してから、それほどたってい
ないころだ。私の辞典で、この“revolution”の新たな意味の定義2に「あ
る国土または国家における、以前の従属者らによる既存政府の完全な転覆」
とあるとおり、ヨーロッパでは、時間そのものが、循環的というより、直線
的であると思われるようになっていた。

私たちは革命の時代に生きている。だが、私たちが生きる革命は、ひとつの
信念や慣習の体系からもうひとつの体系への緩慢な移り変わりなのだ。この
移行は非常にゆっくりしているので、大多数の人は、私たちの社会の革命
――または叛逆――に気づかないほどである。真の革命家は、カタツムリの
ように忍耐強い人でなくてはならない。

革命は、将来に期待しなければならない突発的な変革ではなく、これまでの
半世紀のあいだ、私たちのだれもが生きてきた、変革を迫り、問いかけをう
ながす情況なのだ。これは、たぶん1955年のモントゴメリー市バス・ボ
イコット運動[*]、あるいは1962年のレイチェル・カーソンによる化
学産業複合体に対する告発の書『沈黙の春』の出版ではじまったのかもしれ
ない。もちろん、東欧の諸国民が非暴力によりソヴィエト一党独裁政府から
みずからを解放したり、南アフリカ人民が白人支配のアパルトヘイト体制の
土台を揺るがして、ネルソン・マンデラが牢獄から出てくるための道を開い
たりといった、びっくりするようなできごとがあった1989年にはじまっ
たともいえる。1992年、南北両アメリカの原住諸民族が、コロンブス西
半球到着500周年祝典の意味を逆転させて、歴史を根本的に書き換え、自
分たちはいまもここにいるぞと声をあげた、そのときにはじまったともいえ
る。あるいは、このラディカルな歴史改訂版がメキシコ南部でサパティスモ
[サパタ主義]という新たな章を加えた1994年が、この情況の出発点
だったとさえ考えられる。
[アメリカ南部アラバマ州モトゴメリー市で、市営バスの座席差別をめぐる
トラブルがあり、黒人女性ローザ・パークスが逮捕された事件をきっかけに
はじまった運動。当時、弱冠26歳だったマーチン・ルーサー・キング・
ジュニア牧師が指導にあたり、後の全米規模の公民権運動につながる]

5年前、サパティスタ革命はカタツムリとその巻貝の殻を基本シンボルのひ
とつに採用した。彼らの革命は、資本主義の無情な疎外や産業主義の規格化
といった、いくつかの大間違いから離れて、外側や後方へと、昔のやりかた
や小さなものごとへと旋回してゆく。また、新しい言葉と新しい思考を用い
て、内側へと旋回してゆく。サパティスタの驚くべき力の源は、あるサパ
ティスタ女性が「私たちは子どもたちに私たちの言葉を教え、私たちのお祖
母さんたちが生きつづけるようにしているのです」といったように、彼らが
深く根ざしている遠い過去、そして彼らがいうには、まだ生まれかけの別の
世界があり、そこでは数多くの世界の存在が可能になるという予言である。
彼らは、彼らの渦巻を両方向に進む。

[写真1]抵抗の展開を叛逆カタツムリとして描く刺繍作品
http://www.tomdispatch.com/post/174881

革命の風景

2007年の暮れ、1994年の革命蜂起から数えて3回目のエンクエント
ロ[encuentros=出会い]、サパティスタ女性たちと世界とが出会う、注目
に値する集会に参加するために、私は彼らの領域に入った。現地で見えるか
もしれない、あるいは見えねばならない革命の姿を、私はどうしたわけか、
距離を置いて読んでいたサパティスタの言葉と思想の奇跡のなかで見失って
いた。だがそれも、メキシコ、チアパス州の森林高地や農耕開拓地を曲がり
くねって貫く、轍〈わだち〉の深い泥道をワゴン車で長時間たどったすえ、
薄暗くほこりっぽい広場に到着した去年の歳末までだった。私たちは、大き
な町サンクリストバル・デ=ラス=カサスから入り組んだ風景のなかを5時
間ドライブしながら、無数の傾斜地のトウモロコシ畑、木の家、わら葺きの
豚や鶏の小屋、やせた馬、ひとつかふたつの町、もっと多くの森、さらに
もっと多くの森、それに滝さえも見た。

乾いたトウモロコシの茎を除いて、万物が緑であり、みずみずしい緑のな
か、12月の草花が育っていた。アメリカ西部の道端、どこにでも咲く黄色
のブラック・アイド・スーザン[キク科Rudbeckia hirta]のように見える
が、樹木のサイズに大きく育ったものがあった。同じように高い、優雅な枝
振りの茎に咲いた、手のひら大のラヴェンダー・ピンク色の花もあった。
ハッとするその美しさは、生命力、か弱さ、華美を均等に混ぜあわせたかの
ようだ。その後の何日間か、私が耳を傾けた女たちに少し似ているみたい。

ワゴン車は、ラ・ガルチャ集落の中心部につながる交差点で停まった。その
場で、顔の下半分をバンダナで覆面した男たちに集会参加を告げると、坂の
上のテント広場へ行くようにと指示された。男たちの背後の大看板に「あな
たはサパティスタ叛乱行政区に入りました。当地では、人民が支配し、政府
が従属します」と書いてある。その隣の看板の文面は、昨年の注目すべきオ
アハカ蜂起のさいの政治囚らに宛てられていた。4か月にわたり住民たちが
市街と放送局を掌握し、政府を退けていたのだ。その末尾の言葉は次のとお
り。「君たちは孤立していない。君たちはわれわれとともにある。EZL
N」

[写真2]ラ・ガルチャ集落入口の看板
http://www.tomdispatch.com/post/174881

多くのみなさんが先刻ご承知のように、EZLNとは、“Ejercito
Zapatista de Liberacion Nacional”(サパティスタ国民解放軍)の略語
で、これに先立つ数多くのラテン・アメリカの蜂起の名称と同類のものであ
る。サパティスタ――メキシコ南端・最貧、チアパス州の辺鄙な集落に依拠
するマヤ族主体の叛乱先住民たち――は、1994年元日の蜂起をまえに、
10年の歳月をかけて周到な準備を整えていた。

彼らは武装し、6つの町を攻略して、従来の叛乱者のように発足した。1月
元日を蜂起の日に選んだのは、メキシコの小農たちの徹底的な駆逐を招く北
米自由貿易協定の発効日にあたっていたからである。しかもまた、その14
か月前にコロンブス米大陸到着500周年記念祭がおこなわれたさい、原住
民の諸グループがその半千年紀[500年]を問いなおし、この間になされ
たことは、先住諸民族にとって苦痛や不公正の一撃だったとした、その流儀
にも影響を受けていた。

彼らの叛乱はまた、資本主義と1991年に崩壊したソ連の官製国家社会主
義といった偽りの二分法を少なくとも一歩超えた世界を確保することをも意
味していた。それは、次に来るべきもの、なによりも資本主義や新自由主義
に対する叛乱の最初の実現だった。14年たったいま、叛乱は折り紙つきの
成功を収めた。チアパス州内のサパティスタ支配地域では、土地なしカンパ
シーノ[農夫]だった数多くの家族が、いまでは土地を所有している。被支
配者だった数多くの人びとが、自治の民になっている。押しつぶされていた
数多くの人びとが、活動と力の感覚を身につけている。あの革命のあと、チ
アパス州の5地域が、メキシコ政府管轄外の領域として、根本的に異なった
独自のルールのもとに存続している。

それどころか、サパティスタは、世界に対して、革命や共同社会、希望や可
能性を構想しなおすためのモデル――そして、たぶんそれよりもさらに重要
な言葉――を提示した。近い将来、たとえ彼らがみずからの領域で決定的に
倒されるようなことがあっても、彼ら自身と同じく強力な彼らの夢は死滅し
そうにもない。地平線のうえに暗雲がかかっている。フェリペ・カルデロン
大統領の政府は、これまでの14年間にわたるチアパス州の緊張度の低い紛
争を本格的な絶滅戦争に拡大するかもしれない。それは、夢や希望、諸権
利、そして1世紀前のメキシコ革命の英雄、エミリアーノ・サパタが掲げた
昔〈いにしえ〉の目標「土地と自由(tierra y libertad)」に対する戦争
である。

サパティスタは、兵器だけでなく、言葉でも武装して、1994年に密林か
ら出現した。彼らの初回声明「第一ラカンドン密林宣言」は、珍しくもな
い、時代遅れの革命レトリックとして響いたが、ほどなくして蜂起は世界を
心酔でとりこにし、サパティスタの基本姿勢は変更された。その後の彼ら
は、メキシコ軍や現地の民兵組織に包囲されているにもかかわらず、自衛時
を除いて、おおむね非暴力を貫いてきた(そして、棒で武装し、統制のとれ
た独自の軍隊、つまりラ・ガルチャを夜間パトロールする覆面部隊の大戦列
を維持している)。最も大きく変わったのは、彼らの言語であり、それは、
前代未聞のなにか――暗喩や比喩、ユーモアに加えて、才気縦横の分析が満
載の革命詩、常人のものではない想像力の果実――に様変わりした。

サパティスタは、並みのロック・バンドが脱帽するほど数多く、かっこいい
関連グッヅを繰り出している。最近のステッカーやTシャツの一部には、
“el fuego y la palabra”、つまり「火と言葉」と書かれている。このよ
うな言葉の多くは、彼らの軍司令、非先住民であるマルコス副司令の直観力
ある文才によっているが、そのペンは、長い記憶と豊かな環境――裕福で安
楽な生活は望めないとしても、動物たち、イメージ、伝統、思想の面で豊か
な環境――を享受する人びとの言葉を写している。

例えば“caracol”(カラコル)であるが、これは「カタツムリ」や「巻
貝」を意味する。2003年8月には、サパティスタは彼らの5つの自治区
をカラコルと呼び替えた。そのときからカタツムリは重要な象徴になった。
私は、巻貝の殻をもつカタツムリを描いた刺繍、Tシャツ、壁画がどこにで
もあることに気づいた。多くの場合、カタツムリは黒い目出し帽をかむって
いた。カラコルという単語は、強烈な生命力、土着性をもち、それが私たち
の現実性のない言葉の一部になるとき、しばしば単なる比喩ではなくなる。

カラコルに再編したとき、サパティスタは、そのシンボルが自分たちに意味
するものを説明するために、マヤ民族神話の記憶を引き合いに出した。ある
いは、マルコス副司令が、他の多くの物語と同じく、その物語を「老アント
ニオ」作として、そうしたのだ。架空人物か合成人格、あるいは地域の先住
民伝承のほんとうの原作者であるのかもしれない老アントニオは、こう語る
――

「男たち、女たちの心はカラコルの形をしていて、心と思いに善をもつ者た
ちがあちこち歩き、神々や人間たちを目覚めさせ、世界が正常なままである
か調べさせると、昔の賢者たちは言う。カラコルは、心に入りこむことを意
味しており、これを原初の人間たちは知識と呼んだと神々や人間たちが言っ
たと心と思いに善をもつ人間たちが言うと昔の賢者たちは言う。カラコルは
また、世界を歩くために心から出てくることも意味すると彼らが言ったと彼
らが言うと彼らは言う……カラコルは、集落へ入りこんだり、集落が出てき
たりするための扉、内側のわれわれを見たり、またわれわれが外側の世界を
見たりするための窓、われわれの声を遠くまで広く伝えたり、遠くにいる人
の言葉を聴いたりするための拡声器、これらのようなものになるだろう」

カラコルは、いくつかの集落のまとまりであるが、世界を包み込むまで外部
に展開し、しかも心の内部に端を発する渦巻として説明されている。さて私
は、例の挑戦的な看板から道を少し上ったあたり、ひとつのカラコルの中心
部、がっしりした二階建てで半分できあがった診療所など、ラ・ガルチャ集
落の公共建造物が取り巻く広々とした舗装のない広場に到着した。その空間
を横切って歩いているのは、刺繍飾りのブラウスや、反転した虹のように見
える何列ものリボンを縫いつけた幅広いえりのシャツとエプロン――それ
に、密林から1994年にはじめて出現して以来、サパティスタが公的に姿
を見せるときにはいつも全員が着用におよんでいる例の目出し帽――で装っ
たサパティスタ女性たちである。(あるいは、ほぼ全員がというべきか。何
人かは代わりにバンダナを用いていた)

あの初めて見た光景は、息を呑むようだった。続く3日間にわたり、あの女
性たちの言動を見聞したり、短期ながら叛乱領域に滞在したり、軍隊や世界
の支配的イデオロギーを寄せつけないほどに勇敢であり、有効な代替策を創
案(または奪還)するほどに想像力豊かな人びとを観察したりすることは、
私の人生の一大通過儀礼になった。私にとって、サパティスタは、美しい理
念、インスピレーション、新しい言葉、新種の革命であってきた。彼らは、
この「第三回サパティスタ人民・世界人民出会いの集会」《*》で発言した
とき、現実問題に取りくむ民衆の特定集団になった。私は、自分は山頂に達
したと言ったときのマーチン・ルーサー・キング・ジュニアの感慨を思っ
た。私は森林に達したのだ。
http://zeztainternazional.ezln.org.mx/ [スペイン語]

[写真3]エンクエントロ会場に入るために並ぶサパティスタ女性たち
http://www.tomdispatch.com/post/174881

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サパティスタ訪問記(2)
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/c83289b48d0ecac8f62691b0022bb4e4


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