全国中学人権作文コンテストで福岡の朝鮮学校生徒が最優秀・内閣総理大臣賞

2011-12-04 14:03:45 | 社会
全国中学人権作文コンテストで福岡の朝鮮学校の生徒が最優秀の内閣総理大臣賞
を受賞。
その作文がホームページにアップされていました。とても良い内容です。
http://www.moj.go.jp/content/000081842.pdf

「絆」
福岡県・九州朝鮮中高級学校 中級部3年
崔 玄祺(ちぇ ひょんぎ)

大人は皆,同じ言葉をぼく達に発した。
「ちゃんと全員でフォローしてやらんね。」
ラグビーをするぼく達にとって,それはチームプレーとして当たり前のこと
だけど,その言葉には違う意味も込められていた。
健太のことだ。
健太には右手首から先がない。生まれつきだとぼくは聞いた。病気のせいで
そうなったと。だから成長も遅い。
健太とは小学校の時から同じラグビースクールで共にプレーしてきた。体も
小さく,体重も軽い健太だが,厳しく辛い練習に弱音も吐かず,寒い日も暑い
日も一緒にラグビーボールを追いかけてきた。
自分で出来ることは自分でやる。ぼく達も,そんな健太を当たり前のように
待つ。手が不自由だからと特別扱いなど決してしなかった。だから,健太のミ
スには遠慮なくダメ出しもするし,本気で言い合いになり最後はケンカになる
こともあった。健太は言い出したら引かない。小さな体で喰いついてくる。ど
んなに言い争うことがあっても,練習や試合が終われば,ぼくも健太も笑顔に
戻るのだ。
中学にあがってからの健太は,病気のせいで背骨が歪曲したまま成長してい
るそうだ。
痛みとの闘いが始まった。顔をゆがめて,悔し気にグランドの隅で練習を見
学する健太の姿を見ることが多くなった。
それからは,グランドだけの健太ではなく,身の回りの細々したことも手助
けするようにと,周りの大人達は以前にも増して言うようになった。
それは本当に健太の望んでいることなんだろうか・・・。
健太が頼みもしないのに,彼のやるべきことを先取りした時の,少し淋しそ
うな健太の「ありがとう・・・」をぼくは知っている。大人達の心配も分かる
が,ぼく達が必要以上に健太を手助けすることは,彼を少しずつキズつけて,
彼の居場所やすべきこと,そして生きる力をも奪っているようにしか思えない
のだ。
ただ,このことを健太本人に面と向かってたずねたことはない。
でも,ぼくにはわかる気がする。共にグランドを走りまわり一つのボールを
追いかけて,パスをつなぐと健太の考えていることが。
今年の梅雨明けを待たずして,ぼく達は夏のジュニアラグビー福岡県大会で
敗退した。
どしゃぶりの試合が続いた中で,こんな場面があった。一進一退の激しい攻
防が続く中で健太にパスがつながった。その瞬間,ボールは健太の手からこぼ
れ落ちた。
「ノックオン」
嫌な空気が流れてもおかしくない場面だった。だが,次の瞬間ぼくは死にも
の狂いで次の展開へと走り出していた。『健太が落としてしまったのなら仕方
ない。あいつが中学三年間,絶対に妥協することなく常に全力でラグビーに取
り組んできたことは他の誰よりも知っている。だから必ず取り返してやろう。』
後になって,チーム全員が同じ気持ちで駆け出していたことを知り,嬉しか
った。
それは決して健太の右手が不自由だからではない。かけがえのない大切な仲
間だからだ。
県大会のノーサイドの笛がグランドに響きわたった時,小さい頃から紡いで
きたぼく達のチームは解かれ,高校で新たなチームへと別々の道を進んでゆく
ことになった。小さい頃から通っていたラグビースクールの引退式を終え,皆
で遊びながら進路のことを健太と話し合っていた時,ぼく達の前で言った。
「高校でもラグビーするよ。」
決してゆらぐ事のない決意だった。
健太とパスをつなげばわかる,本当に大切なことが。

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4 コメント

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Unknown (電灯)
2011-12-05 19:32:38
本当に大切な事が友人を通じてわかる。それは、その友人が肉体と時間を使った濃厚な接触を通じて得たかけがえのない大切な仲間だからだ。

という趣旨の文章である。少年時代のかけがえのない体験を描写している。

しかしあえて疑問を提起しよう。それが人権とどう結びつくのか?どういう意味でこの作文が「とても良い内容」なのか、と。

言うまでもないが、要件が満たされれば人権は保障されなければならない。基本的な人権は、人であれば誰でも保障されなければならない。特定の各権利はその要件がみたされれば保障されなければならない。そこには、「大切な仲間」かどうか、という要件はない。「大切な仲間」でなくても、要件がととのえば、その特定の人権は保障されなければならない。それが人権である。「大切な仲間」であっても、要件がととのわなければ、その特定の人権は保障されない。それが人権である。

したがって、この作文の感覚は、人権というよりも、仲間意識にかかわるものだろう。たまたま健太が障碍者なので人権に関係あるようにみえるだけだ。

この作文は良く書けているとおもう。しかし、コンテストの趣旨が、人権の啓発であるならば、賞には値しないと私にはおもわれる。

朝鮮学校の生徒が、人権作文で、人権とはかかわりのない文章を書き、高円宮妃がお言葉を述べる授賞式で内閣総理大臣賞を受けてほめられる。その一方で無償化しないのは人権侵害だと朝鮮学校の生徒がビラを配る。
現実はマンガチックだ。
先の方もおっしゃるように...。 (ある日本語の教師)
2011-12-05 21:04:59
最初の方のコメントにもありますが、このコンテストのお題は「人権」、ですが、いきなり題名が「絆」ときて、内容も「人権」からちょっと外れてしまっていますね。友情物語になっています。審査員からの講評などはなかったのでしょうか。ちょっとどういう経緯でこの作品が選ばれたのか非常に興味があります。
ちょっと違う (通りすがり)
2011-12-28 17:40:14
先の方の意見には違和感を感じます。
人権については勉強不足でおっしゃる通りかもしれませんね。
しかし、最後の意見には違和感を感じます。
朝鮮学校の生徒が人権について作文することがマンガチックでしょうか?
この生徒は朝鮮学校に通っているが、その前に一人間です。
最後の意見そのものが人権無視ではないでしょうか?
横柄かもしれませんが今の世の中、未来ある子供たちにあまりにも乱暴すぎる世界に成り下がりすぎではないでしょうか?
Unknown (電灯)
2011-12-28 19:33:46
ご意見ありがとうございます。

「朝鮮学校の生徒が人権について作文することがマンガチック」といいたい意図は全くありませんでした。

逆に、朝鮮学校の生徒に、人権についてさらに見聞と考察を深めて欲しいとおもっています。また、作文そのものの出来は、上でも述べたように、良く書けているとおもっています。

私が「マンガチック」と言いたかった点について少し敷衍しておきます。

「人権作文で、人権とはかかわりのない文章を書き、高円宮妃がお言葉を述べる授賞式で内閣総理大臣賞を受けてほめられる」

人権の意味を(私の考えが正しいとすれば)賞を出す側もわかってないでこの作文に賞を与えている。
また朝鮮学校生徒が皇族である高円宮妃がお言葉を述べるような賞をよろこんでいるふうだ。こうした点がマンガチックだ。

「その一方で無償化しないのは人権侵害だと朝鮮学校の生徒がビラを配る」

もしも、作文の通り、人権とは仲間意識がベースにあるものだというのなら、朝鮮学校の無償化は、朝鮮学校と日本人との仲間意識の反映ということになるが、朝鮮学校がその方向で人権を得るために日本人との仲間意識を醸成しようと努力しようとしているようには私には見えない。無償化はもちろん当然だとばかり言っている。この生徒の作文を褒めた教師や保護者たちも、無償化要求のときには作文の内容を忘れているのだろう。それもマンガチックだ。

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