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森美術館問題を考える討論集会――問われる表現の自由と責任 2月5日東京(追記あり)

2013-02-02 13:45:10 | 社会
前田 朗さんから
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「森美術館問題を考える討論集会――問われる表現の自由と責任」

『東京新聞』1月31日の特報部記事でも取り上げられていますが、現在、六本木の森美術館で開催されている「会田誠展 天才でごめんなさい」において、美少女ポルノ「作品」が展示されています。

美少女の陰部を描いたものや、人間の大きさのゴキブリが裸の美少女に覆いかぶさってセックスをしているものや、はては四肢を切断された美少女が四つん這いなって「犬」のように首に鎖をつけられているものもあります。
また、壁に「美少女」という文字を書いて、その前に立った裸の男性がマスターベーションをしている映像もあります。

公共の空間である美術館においてこのような「作品」を展示することが「芸術」であり、「表現の自由」なのか。
このような問いかけを持って、市民が森美術館に抗議と当該「作品」の撤去を要請する運動を始めました。
森美術館は、インターネットのウェブサイトから当該作品を削除しました。
美術館での展示は継続しています。

そこで、急遽、「森美術館問題を考える討論集会」を開催することにしました。

日時:2月5日(火)午後6時~9時(開場5時30分)

会場:東京しごとセンター5階セミナー室
東京都千代田区飯田橋3丁目10番3号
JR中央・総武線飯田橋駅・東口より徒歩7分
都営地下鉄大江戸線・東京メトロ有楽町線・南北線飯田橋駅・A2出口より徒歩
7分
地図  
http://www.tokyoshigoto.jp/shisetsu.php?page_id=150

発言予定者:
宮本節子(ソーシャルワーカー)「芸術表現と人間の尊厳」
前田朗(東京造形大学教授)「表現の自由と責任――博物館法における社会的責任」
その他、交渉中。

参加費(資料代含む):500円

共催:平和力フォーラム
   無防備地域宣言運動全国ネットワーク
連絡先:東京都八王子市宇津貫町1556 東京造形大学前田研究室
電話:
E-mail:maedaあっとzokei.ac.jp

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参考

『会田誠展:天才でごめんなさい』を観て考えたこと/ふじい りょう(Parsley)
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細谷実さん(関東学院大学教授 倫理学)は「会田誠展」問題に関して「不快にさせられることについて」岡本太郎の言葉を引いて次のように言っています。
「『不快になる』ということにも、いろいろなあり方があります。
岡本太郎の主張するところでは、綺麗で感じのいい芸術なんてナンセンスで、見る者に嫌な感じを与えてこそ芸術であるということ(言葉は細谷なりに変形)。
さらに敷衍して言えば、そこで言う嫌な感じとは、現状に安住しようとする志向あるいは無難に世界に関わろうとする志向に違和がもたらされ居心地悪くさせられるが故の「嫌な感じ」・不快感です。

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「前田朗さんは僕の展覧会見てくれてないんだろうなあ。なんならタダ券あげるけど。一緒に会場回るのも吝かじゃないよ。
18禁部屋、あんなモンほんの一部だから、サラリとでいいよ。
戦争画リターンズとか、現代社会扱った作品のところでじっくり話し合おうか。
もしかしたら意気投合…ないだろうけど。」

     https://twitter.com/makotoaida/status/298308071371968512

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東本高志さんから

会田誠氏自身の「犬」シリーズについての見解。
「学生時代に着想した『犬』シリーズは、我を殺してひたすら丁寧に描く、という職人的画家のシミュレーションです。
タッチはあくまでも高貴さを目指しつつ、しかしモチーフには変態性欲を選びました。
そのギャップの味わいを試してみたわけです。
近代日本画、あるいは古美術的なものに異質な何かをぶつけて揺さぶってみたい、これが美術家デビュー以前の最初期にあったモチベーションでした。
なので、ああいった切断・嗜虐志向は僕自身の趣味というわけではないのです。
ロリコン気質はちょっとありますが。
このシリーズにはまだ描いていなかった図案があったので、この機会に取り組んでみたという次第です。」
(会田誠インタビュー ART iT (アートイット) 2008年10月号)
http://www.shinichiuchida.com/2008/10/art-it.html

「犬」シリーズは主要先進国においては違法な児童ポルノとして処罰の対象となるか、についての一考察。
(すちゃもく雑記 2013-01-28)
http://d.hatena.ne.jp/beniuo/20130128

平野啓一郎‏(芥川賞作家)の「犬」シリーズ評価。
「会田誠さんの『犬』シリーズは、彼の勝手な妄想ではない。
古くは高祖の妻呂后が、高祖の死後、寵愛を受けていた戚夫人の「両手足を斬りおとした。
その美しい目をとり去った。
耳をつんぼにさせ、薬で口をきけなくした。
それを厠に置いて『人ブタ』と名をつけた。」(『司馬遷』武田泰淳)とある。
(続く」「承前)僕はむしろ、このサイト
http://www5d.biglobe.ne.jp/DD2/Rumor/column/netlore3.htm
に書かれているような都市伝説に基づく作品だと理解していた。
そうしたデマに顕在化した欲望が主題となっている。
そんなことはみんな分かりきって見ていると思ってたけど、意外とそうじゃなかったというのを今回知った。
https://twitter.com/hiranok/status/297151366730756097
https://twitter.com/hiranok/status/297152972570386434

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東本高志さんから

Hさん

前便のあなたのメールの主旨が何度も読んでみましたが私にはよく掴みきれませんので質問させていただきます。

あなたは前便メールでポール・ニザンの「文学とは読者を『不快にする』ものだ」という言葉を引用した上で次のように書いています。

「だれを「不快にさせる」のか?/きのうそうであったようなおだやかでなにごともおこらない生活が/きょうもあすもつづいていくのだとつゆうたがわず、/その安穏にくびまでどっぷりつかっている/そういうひとびとを、でした」、と。

この「安穏にくびまでどっぷりつかっている/そういうひとびと」とは「『会田某展』という言い方はいかがなものでしょう?」という問題提起をされたI氏ほかの人たちのことを指してそう言っているのでしょうか?
(I氏のメールへの返信としての「だれを『不快にさせる』のか?」発言ですからそのように受けとめるほかないのですが)

だとすれば、Hさんのご認識には同意できません。

「会田誠」という氏名がはっきりわかっている人のことをあえて「会田某」と言う。
そこに会田氏に対する批判の意思が働いていることは明らかです。
もちろん批判は自由です。
しかし、その批判は、一般に理路のあるものでなければ他者(ひと)の共感は得られません。
それをあえて「会田某」と言う。
その言い方には「批判」以前の問題として会田氏をはじめから「貶めよう」とする意志が働いています。

そういう「批判」のありようは「マズイ」のではないか、というのがI氏の問題提起でした。
そうした問題提起者を指して、仮に「安穏にくびまでどっぷりつかっている」人の例示としてあげているのならば、そうした評価は正しい評価とはいえないだろう、と私は思います。

なお、ポール・ニザンはサルトルなどの評論を通じて私も名前だけは知っている作家ですが、彼の著作を直接読んだことはありません。
「文学とは読者を『不快にする』ものだ」という彼の評言はなんという著作の中での評言でしょうか?
ご教示いただければ幸いです。

なおさらに私は昨日、会田誠氏の「犬」シリーズ問題の二伸として「「犬」シリーズの評価をめぐって(2) 報道と参考記事(重要な指摘)」という記事を書きました。
http://mizukith.blog91.fc2.com/blog-entry-515.html

その中で、私は、フランスでの事例をあげて「カナダ、EU諸国、オーストラリアなどの主要先進国においてはすべて、これらは違法な児童ポルノとして処罰の対象になっています」とするポルノ被害と性暴力を考える会(PAPS)の主張の誤りを実証的に指摘しているサイトの論を紹介しています。
これもご参照いただければ幸いです。

なおまた、同記事の中で、会田誠氏のお連れ合いの岡田裕子さんのこの問題についての意見も紹介しています(岡田裕子さんの意見がある、という事実だけはすでに紹介ずみですが)。

その岡田裕子さんの意見は次のようなものでした。

「はい、わたしはこんな展覧会に呼ばれる作家です。
http://www.brooklynmuseum.org/exhibitions/global_feminisms/ ちなみに
ブルックリンミュージアムのグローバリズムフェミニズム展は、それはそれで過激な表現が多く見られ、ヌード、流血、自傷等。
目玉はジュディシカゴのディナーパーティ、女性器を模した皿が巨大な三角のテーブルに並べられているというもの。
性的な表現はむしろフェミニストアートに多いのです。
しかしフェミニストアートはポルノを彷彿とさせる表現であっても作者が女性であること、主題の内容などの関係でフェミニスト団体からのクレームはあまり無いように思います。
では作者が男性であっても主題によってはそれが単なるポルノか否か、単純な否定では無く論議すべき作品であるべきでしょう。
そのためには実際に作者の展覧会を観る事、画集、著書等熟読したのち議論の場に立つべきで、そうでないと水掛け論で終わってしまい、断絶が深くなる一方かと思われます。
そもそも議論のきっかけと成り得るのが美術作品の存在意義のひとつであるでしょうし。
以上、会田誠妻つぶやきでした。
「妻」と言われると痒いんですが…。
美術を志すパートナーだと思ってます。
今後も表現の上では、劇団★死期など協力体制を取るものもありますが、個人としては全く主題が対立したものも制作する事もあるでしょうし、お互いにそういう理解のもとで付き合ってます。」
https://twitter.com/hirokook/status/296271990468255746
https://twitter.com/hirokook/status/296275168769228800
https://twitter.com/hirokook/status/296277333965426689
https://twitter.com/hirokook/status/296278460635176961
https://twitter.com/hirokook/status/296280587768061952

上記の岡田さんのご意見のうち「性的な表現はむしろフェミニストアートに多いのです。しかしフェミニストアートはポルノを彷彿とさせる表現であっても作者が女性であること、主題の内容などの関係でフェミニスト団体からのクレームはあまり無いように思います。では作者が男性であっても主題によってはそれが単なるポルノか否か、単純な否定では無く論議すべき作品であるべきでしょう」という指摘は、いまある多くのフェニミズム団体の思想の欠陥の本質を衝いたとりわけ重要な指摘であるだろう、と私は思っています(実は私も岡田さんのご意見とほぼ同様の思いを長い間抱き続けています)。

東本高志@大分
higashimoto.takashi@khaki.plala.or.jp
http://mizukith.blog91.fc2.com/

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前田朗さんから

> 上記の岡田さんのご意見のうち「性的な表現はむしろフェミニストアートに多
いのです。しかしフェミニストアートはポルノを彷彿と
> させる表現であっても作者が女性であること、主題の内容などの関係でフェミ
ニスト団体からのクレームはあまり無いように思い
> ます。では作者が男性であっても主題によってはそれが単なるポルノか否か、
単純な否定では無く論議すべき作品であるべきで
> しょう」という指摘は、いまある多くのフェニミズム団体の思想の欠陥の本質
を衝いたとりわけ重要な指摘であるだろう、と私は思
> っています(実は私も岡田さんのご意見とほぼ同様の思いを長い間抱き続けて
います)。

セクシュアリティがからむと頓珍漢な意見を述べて顰蹙を買ってきた東本さんら
しい文章です。

第1に、私たちは森美術館を批判しているのであって、NY事情など関係ありません。
NYで問題があると思う人はそこで発言すればいいだけのことです。
関係ないものを無理やり持ち出して混乱させる幼稚な手法にうまうまと乗せられるのは、事柄にセクシュリティがからんでいるからでしょう。

第2に、いまどき、単一のフェミニストアートを語ること自体、大笑いの頓珍漢です。
まあ、東本さんはあらゆるフェミニズムが同じに見える色眼鏡をお持ちなのかもしれませんが。

第3に、女がやっても批判がなくて、男がやると批判があるのはおかしいという、根本的な無理解を露呈した文章を好意的に取り上げています。
セクシュアル・ハラスメントや性差別の基本のキを理解していないからです。
セクシュアル・ハラスメントや性差別は、男が女に対して行うから問題なのではありません。
権力関係を利用して行うことが基本です。
社会的に存在している男女間の構造的格差を利用し、そこに権力関係が作動するからセクシュアル・ハラスメントであり、性差別なのです。
そんなことも理解していないから、女がやると批判されないのに男がやると批判されるのはおかしいなどと馬鹿げたことを書くのです。
そうした馬鹿げたおしゃべりに乗っかっているのが残念ながら東本さんです。

第4に、そもそもフェミニズムを持ち出していることがお笑いです。
会田さんもツイッターで唐突に母親がフェミニストとか書いているそうです。
森美術館問題が浮上した最初の時期に、私はまっさきに「これはフェミニストによる芸術作品への批判だ」という歪曲した攻撃が行われるだろうと述べました([wam]というMLですが)。
その通りになって、一部の人々は会田作品擁護のつもりで、フェミニズム叩きをして、論点すり替えに励んでいます。
ワンパターンの幼稚で卑劣な手法です。
だから、私が主催者となって集会を開いたのです。
私は明らかにフェミニストではありません。
かつて上野千鶴子さんを批判した時に、女性たちから「フェミニズムの敵」と名指しされた私が、森美術館問題の集会を開催しているのです。

第5に、「単純な否定では無く、議論すべき作品である」などというのも、卑劣なごまかしです。
森美術館に抗議した「考える会」や宮本節子さんたちは、「単純な否定」などしていません。
きちんと議論しましょうと言って、自分たちの論拠を明快に提示しています。
それを無視して、「単純な否定」などと虚偽のレッテルを張って非難するのは悪質なデマゴギーにすぎません。

以上、とりあえず東本さんへのリプライです。

ではまた。

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東本高志さんから

「森美術館問題を考える討論集会」での討論の内容を実況的にまとめている「ツイートまとめ」がありますのでそのサイトをご紹介しておきます。

(1)「森美術館問題を考える討論集会――問われる表現の自由と責任」昼間たかし氏と渋井哲也氏の実況を中心としたツイート
http://togetter.com/li/450871
(2)「森美術館問題を考える討論集会――問われる表現の自由と責任」実況以外の反応
http://togetter.com/li/450902

(1)を見ると前田さんのご報告にある「パネラーに対する誹謗中傷をしたり、反対意見の女性に駆け寄ってつかみかかったり」した人はどうやら昼間たかしというフリーライター氏のようですね。
しかし、このハプニングを逆の見方をしている人がいます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%BC%E9%96%93%E3%81%9F%E3%81%8B%E3%81%97

「さすがに主催者の意見に批判的な人に罵声をあげて掴みかかるとか、主催者が人を議論の対象じゃないと決めつけて退出を命令するとか、討論会と名乗る集会としてはどうなのかなぁという展開になっている『森美術館問題を考える討論集会』」
     https://twitter.com/syuu_chan/status/298754123761860608

(1)を見ると「昼間たかし‏@quadrumviro:参加者から「座れ」とヤジが来たので「なにいってんだ!」と言い返すために近寄ったら、精神科の先生に取り押さえられ、前田氏に「出って行って下さい!」といわれ」とあるので、この逆の見方をしている人は昼間氏が「精神科の先生に取り押さえられ」たところを見て上記のような視野狭窄の感想を述べているのかもしれません。
いずれにしても公正な「実況」とはいえませんね(主観が勝ちすぎている)。

次に前田さんの論点に対する感想をいくつか。

> セクシュアリティがからむと頓珍漢な意見を述べて顰蹙を買ってきた東本さんらしい文章です。

「頓珍漢な意見」とか「顰蹙を買ってきた」などというのは前田さん個人のご意見、すなわち主観でしかありませんね。実際に私は前田さん以外に「顰蹙を買っ」た覚えはありません。
こうしたあなたの主観にすぎないことをさも「客観」のように言うところこそまさに「前田さんらしい文章」というべきところでしょう。

> 第1に、私たちは森美術館を批判しているのであって、NY事情など関係ありません。NYで問題があると思う人はそこで発言
> すればいいだけのことです。

私が会田誠氏のお連れ合いの岡田裕子さんの意見を紹介しているのはジェンダー関係のメーリングリスト上でのことです。
http://mizukith.blog91.fc2.com/blog-entry-516.html

同メーリングリスト上ではさまざまな会田誠氏批判がありましたので、その批判に対するひとつのアンチテーゼとして「こういう意見もありますよ」という程度に岡田裕子さんの意見を紹介しているわけです。
森美術館批判」オンリーのアンチテーゼとして岡田さんの意見を紹介しているわけではありません。
また、岡田さんの意見は、フェミニストアートの世界的基準をひとつの例証として日本のフェミニズム運動の限界性を指摘しているもので、岡田さんの意見を単なる「NY事情」の紹介などと矮小化するのは岡田さんの指摘の正しい読み方とはいえないように思います。

> 第3に、女がやっても批判がなくて、男がやると批判があるのはおかしいという、根本的な無理解を露呈した文章を好意的に
> 取り上げています。(略)セクシュアル・ハラスメントや性差別は、男が女に対して行うから問題なのではありません。権力関係
> を利用して行うことが基本です。

ここでも前田さんは岡田さんの指摘を矮小化しています。
セクシュアル・ハラスメントや性差別の問題は根本的には「権力関係」の問題である、ということはフェミニストにとって常識の部類に属する「知」の問題といってよいでしょう。
グローバリズムフェミニズム展に呼ばれる作家の岡田さんがそうした「常識的知」すら知らないと考える方がむしろ非常識的です。
岡田さんがつぶやいた今回のツイッターでの論はツイッター上の論という制約から「権力関係」の問題まで論を拡張していないだけだ、というように理解するのがふつうの理解というものでしょう。
また、セクシュアル・ハラスメントや性差別の問題は権力関係の問題であるという認識からは「男」や「女」という性的附従性は本質的な問題ではありえませんから「権力関係」の問題として「女がやっても批判がなくて、男がやると批判があるのはおかしい」という批判にも当然なっていくでしょう。
それを「根本的な無理解」などという前田さんの論理の方が逆に「おかしい」のです。

> 第4に、そもそもフェミニズムを持ち出していることがお笑いです。(略)一部の人々は会田作品擁護のつもりで、フェミニズム
> 叩きをして、論点すり替えに励んでいます。

私は「フェミニズム叩き」にはもちろん賛成しませんが、宮本節子さんの「会田誠展」批判がジェンダー関係メーリングリストを通じて短期間の間に急速に拡まり、今回のような抗議活動が展開される最大の契機になったのは事実です。
私はそのジェンダー関係メーリングリストの参加者のひとりですからそのことは事実をもって立証できます。
そして、そのジェンダー関係者の「会田誠展」批判がPAPS(ポルノ被害と性暴力を考える会)の抗議を含めて往々にして的外れな論であることが多い、というのは私がここ数回の弊記事で「引用」という形で間接的に立証していることでもあります。
前田さんはその事実を見ておられないようです。

> 第5に、「単純な否定では無く、議論すべき作品である」などというのも、卑劣なごまかしです。森美術館に抗議した「考える会」
> や宮本節子さんたちは、「単純な否定」などしていません。きちんと議論しましょうと言って、自分たちの論拠を明快に提示して
> います。それを無視して、「単純な否定」などと虚偽のレッテルを張って非難するのは悪質なデマゴギーにすぎません。

宮本節子さんたちが「単純な否定」などせずに「きちんと議論しましょう」と言っていることは私も承知しています。
しかし、私から見ればPAPSの主張には「単純な否定」の主張もあることは否めないことのように思います。
たとえばPAPSの下記の主張などは「単純な否定」以前の問題、すなわち誤りというべきものです。

「カナダ、EU諸国、オーストラリアなどの主要先進国においてはすべて、これらは違法な児童ポルノとして処罰の対象に
なっています」(ポルノ被害と性暴力を考える会 PAPS)
http://paps-jp.org/action/mori-art-museum/group-statement/

下記サイトは「フランスで、犬シリーズが収録された書籍が発行されて」いる事実をあげて、上記のPAPSの主張の誤りを端的に指摘しています。
http://d.hatena.ne.jp/beniuo/20130128

岡田裕子さんの「それが単なるポルノか否か、単純な否定では無く論議すべき作品であるべきでしょう」という主張は「悪質なデマゴギー」ではありません。
「虚偽のレッテルを張って非難」云々の批判も当然当たりません。

東本高志@大分
higashimoto.takashi@khaki.plala.or.jp
http://mizukith.blog91.fc2.com/


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「もし森美術館への抗議文をサラリーマンも書いてみたら」。
http://ameblo.jp/mistral69/entry-11459886142.html

森美術館館長
南條史生殿

謹啓

私たちは貴館において現在開催されている「会田誠展 天才でごめんなさい」に関して、以下の抗議文を提出するとともに、今回の展覧会に関して下記の要求を申し入れします。

森美術館への抗議文 貴美術館が現在公開している会田誠展において展示されている「灰色の山」シリーズなどの一連の作品に対して、またそれらを公開している森美術館に対して、私たちは以下の強い抗議の意志を表明します。

この「灰色」シリーズで描かれているサラリーマンたちはスーツ姿で遺棄され(しかも六本木ヒルズ商業棟で売られているような高級ブランド品ではなくロードサイド量販店で1着1万円均一で売られているような仕様)、かつて社員旅行で訪れた温泉宿ではじけていたバラ色の人生La Vie En Roseではなくドブネズミのように描かれており、作品名もず
ばり「灰色の山」となっています。さらに、これらの作品の中でサラリーマンは表情が伺えず、このような逆境でさえ社命とあらば受け入れあるいは冷え切った家庭より居心地が良いと思っている、せめてカラオケではブルーハーツで「ドブネズミみたいに美しくなりたい」とがなりたてるサラリーマンの心意気は全く無視されています。

これらはまず第一に、作画によるあからさまなサラリーマン差別であり、サラリーマンに対する職業的虐待、商業的性搾取です。日本においては現在、服装による差別は違法とされていませんが、英国の映画「さらば青春の光」においてはモッズ姿の少年が描かれており、まだ髪がハゲてなかったスティングがセクシーだったこともあってスーツ姿が即ダサイと扱われておりません。日本でもやがてピタTシャツによる経営者が再登場するでしょう。このようなものを貴美術館は堂々と公開しており、これはサラリーマンに対する職業的搾取に積極的に関与するものです。

これらは第二に、サラリーマン=負け組男性を安売りスーツに5足千円の靴下を穿かせQBハウスの10分カットで裁断処理し、サラリーマンを最も露骨かつ暴力的な形で会社に従属させ、オフィス機器以下の社畜として扱うものです。これは、描写を通じた暴力の一形態であるとともに、すべてのサラリーマンの尊厳を著しく傷つける下劣な差別行為です。作者あるいは貴美術館はこのような表現を通じて社会の常識や権威に挑戦しているつもりかもしれませんが、実際にはそれは、小遣い月額3万円以下サラリーマン一般を金銭的に従属的な存在として扱っている社会の支配的価値観に全面的に迎合し、それをいっそう推進するものに他なりません。それは反権力どころか、権力の露骨な行使そのものです。

第三に、これらの作品は、量販店のスーツ装着のサラリーマンに対する差別と侮蔑の行為です。デフレが原因であれ能力主義の結果であれリストラにより収入ないしその一部を失っている人々を愛着ある窓際の事務椅子と一緒くたにして遺棄物扱いすることが許されるでしょうか? これのどこが反権威や反権力なのでしょうか? あなた方は、これらの
作品を当事者が目にすることで、どれほどの深い衝撃と精神的ダメージを受けるかを想像したことがあるのでしょうか?

第四に、このような二重三重に差別的で暴力的である諸作品を、森美術館のような、金満なヒルズ族が女連れで闊歩してそうなリア充施設が堂々と公開し、宣伝し、多数の入場者に公開していることは、このような差別と暴力を社会的に公認し、それを積極的に正当化することであり、社会におけるサラリーマンの小遣い搾取、サラリーマンに対する暴力と差別、窓際族に対する侮蔑と差別を積極的に推進することです。たとえば、アメリカやヨーロッパ、かつて「エコノミック・アニマル」として白人の心胆寒からしめたサラリーマンが、女装したりヴィレッジ・ピープルのような格好もせずに「作品」であることなどありうるでしょうか? あなた方がやっているのはそういうことです。

第五に、作品の中には、不要サラリーマン遺棄をあからさまに描写しているものもあり、これは自治体の廃棄物・リサイクル条例違反にあたる可能性があります。これらの作品はなんだか若者のアベック(※定年間近のサラリーマンはこの用語使用が義務づけられています)が多そうな展望台とセットで入館料1,500円を払わなければ入場できませんが、広く公開されていることに何ら変わりはありません。また中学生以下なら入館料500円を払えばリストラされたサラリーマンの子どもでも鑑賞することのできる状態で展示されており、これは青少年健全育成条例違反にあたる可能性があります。また、「灰色の山」シリーズを含む諸作品は、森美術館の正式のホームページに掲載されており、それは何らゾーニングされておらず、子どもでも簡単にアクセスできるものです。

私たちは、以上の観点から、森美術館による今回の展示に強く抗議するとともに、サラリーマンの尊厳を著しく傷つける諸作品の撤去を申し入れます。また、私たちは、森美術館の高級ブランド推進的立場、その差別性と格差肯定的姿勢、サラリーマンに対する差別推進の姿勢について、今後も広く世間に問題提起していく所存し、下記を要求するものです。

一.「灰色の山」展示に当たっては、「サラリーマンをみだりにいじめたり棄てたりすることは法律で禁止されています」という但し書きを付すること

一.日本政府はハローワーク等の諸機関を通じてサラリーマンのリサイクルに努めており、あくまで一時的な保管場所であることを明記すること。

一.サラリーマン1,000体に1の割合でウォーリーを描き入れること。ただし、同率によりサラリーマン金太郎を描き入れた場合はこの限りではない。

一.サラリーマン10,000体に1の割合で島耕作を描き入れ、「時代によってはうまいことヤレ、かつ逃げ切りができたこと」を明示すること。

一.天気のいい日に布団を干すこと(ただし、紐育爆撃に充てた場合は布団乾燥機による代替を可とする)

           2013年1月30日

サラリーマンの明日と明後日の晩酌を考える会世話人
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参考・「森美術館問題を考える討論集会――問われる表現の自由と責任」昼間たかし氏と渋井哲也氏の実況を中心としたツイート
http://togetter.com/li/450871
------------


関連
参考「会田誠展 天才でごめんなさい」への抗議と「犬」シリーズ展示撤去の要望について1
参考「会田誠展 天才でごめんなさい」への抗議と「犬」シリーズ展示撤去の要望について2
 「森美術館問題を考える討論集会――問われる表現の自由と責任」(5日)報告/前田 朗さんから

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