中国鉄道事故 記者は見た車両埋める瞬間/朝日新聞

2011-07-30 08:41:29 | 世界
記者は見た車両埋める瞬間―〈1〉現場へ

■奥寺淳(上海支局長)

 中国では、大事件が起きたときに現場にたどり着くまでの過程が「障害物競走」によく似ている。途中、警察などの検問が待ち構え、飛行機は欠航し、バスは遅延、地図にあるはずの道がなくなっていることもある。予測できない事態をいかに早くくぐり抜けるかが試される。高速鉄道の脱線事故で、追突した列車の運転席部分が埋められるのを目撃することになった今回の現場でも、それは同じだった。

 「高速鉄道が脱線し、橋げたから落下したらしい」という最初の知らせを受けたのは7月23日夜、任地の上海市内で留学時代の語学の先生と食事を終えたところだった。先生をタクシーに残して、交差点の真ん中で降り、カメラを取りに支局へ向かった。土曜日だったが、事故現場は人手がいるので、支局の助手と運転手も招集した。着替えを取りに自宅にも寄りたかったが、遅くなれば現場周辺の検問が増えるので、あきらめた。

 上海から車で約5時間半、浙江省温州の現場周辺に到着したのは午前4時半だった。まだ薄暗かったが、たくさんのやじ馬が集まり、警察が道を封鎖している。現場までまだ約1キロあるが、車は通れないので、カメラをリュックサックの中に入れ、住民のふりをして歩いたら、一つ目の検問はそのまま通過できた。

 脱線した高速鉄道が見えてきた。大雨が降ったあとで、土がぬかるんでいる。新しいスニーカーを履いていたので、汚れるのが気になった。その頃はまだそんなことを気にする余裕もあった。

 ちょうどその頃、警察や消防が二つ目の検問所を作ろうとしているのが目に入った。ここで止められたら、先に進めない――。目撃者に話を聞いていたが、早々に切り上げることに。そして、ツルハシや大きなツチを持って現場へ向かう数百人の作業員の列に紛れ込み、なんとか脱線車両のすぐそばまでたどり着いた。ぬかるみの畑の中を歩いたから、スニーカーはドロドロになったが、この頃にはすでにどうでもよくなっていた。

 薄暗かったから、何とか見とがめられずにたどり着けたのだろう。地元の中国人記者をのぞけば、外国人記者は私をのぞいて一人しか見あたらなかった。

 その時点では、脱線した車両はまだそのまま残されていた。地面に垂直に突き刺さり、高架にもたれかかっている車両。高架上に停車している列車に衝突した北京南発・福建省福州行きD301号の先頭車両も、上下逆さまになって私から一番近いところにあった。先頭車両は先端部分が地面にめり込み、後ろ半分が粉々。ただ、前から3分の1くらいのところにあった運転席部分はそのままの形をとどめていた。


記者は見た車両埋める瞬間―〈2〉近づく重機

■7月24日午前6時過ぎ

 目撃者に取材をしていたら、午前6時過ぎ、パワーショベルがやってきた。計7台。何げなく見ていたら、脱線車両のそばにある野菜畑のほとりに穴を掘り始めた。最初は、地面がドロドロだったため、作業がしやすいように表面の土を取り除いているのかと思って気にもとめなかった。

 そして午前7時半ごろ。土を掘っていたパワーショベルが、今度はひっくり返っているD301号の先頭車両にやって来た。そして重機のアームで先頭車両をガシガシと突っつき、壊し始めた。

 作業はどんどん乱暴になっていった。アームの先を車体に突き刺したり、奥の方から手前に引き寄せたりして、ズルズルと引きずり始めた。ああ、撤去が始まったんだなと思い、近くにいた記者に「荒っぽいやり方だね」などと話をしていた。

 その時、10秒か20秒くらいだろうか、目を離した。視線を戻すと、その隙に先頭車両がなくなっていたのだ。あれ、そんなはずはない。トレーラーも来てないから、運び出したはずもないのに――。不思議に思ってよく見たら、先頭車両が穴に落ちていた。その時初めて気づいた。さっきの穴は、車両を捨てるために掘った穴だと。

 慌てて近くの4階建ての建物の屋上に上がって見下ろすと、穴は思いのほか深かった。深さは目視で4~5メートル、奥行き6~7メートル、幅は20メートルくらいはあっただろう。ちょうど車両が収まるくらいの大きさだ。

 穴に捨てられたD301号は、「CHR2型」という川崎重工など日本の技術を買った中国南車四方(山東省青島市)が製造した車両。JR東日本の新幹線「はやて」が土台となっている。これを、日立やコベルコ、コマツ、住友など日本ブランドの重機がアームを振り落として、穴の中で粉々に壊している。なんとも皮肉な光景だ。(奥寺淳・上海支局長)


記者は見た車両埋める瞬間―〈3〉隠滅?

■7月24日午前7時半過ぎ

 先頭車両の運転席がある部分が、どんどん取り壊されていく。最初は見えていた胡錦濤政権のスローガンから名付けた「和諧号」や、高速鉄道を意味する「CHR」の文字が、重機で粉砕しているうちに見えなくなった。

 しかし、運転席といえば、スピードメーターなどの計器が詰まっている。特にD301号は止まっている列車に高速で突っ込んでいった車両だ。いわば脱線事故の原因をつくった列車の運転席を壊して埋めることが許されるのだろうか。

 しかも、私が脱線事故現場に到着した午前4時45分時点では先頭部分は逆さまになって地面にめり込んでいたから、その間に運転席部分を検証するのは困難だったろう。重機で穴まで引きずる間はわずかな時間だったし、専門家が運転席に入って現場検証する姿も見られなかった。

 証拠隠滅? 臭いものにふた? そんな漫画みたいなことはあるはずはないと思いつつも、目の前の野菜畑に掘られた穴の中で運転席は粉々に壊されていく。とにかく記録に残そうと、シャッターを切り続けた。ビデオも撮影した。その頃には、日本人記者も数人到着し、近くにいた中国人カメラマンも「車両はちゃんと保存して調べるべきなのに」とぼうぜんとしていた。

 さらに不思議なのは、脱線して高架から転落した4両のうち、穴に投棄したのは先頭車両だけということだ。残りの3両は重機で手荒に扱われつつも、野菜畑のほとりに放置されたまま。なぜ運転席だけを埋め、しかも、粉々にする必要があったのか。

 埋めている穴の近くで警備する警官に聞いたが、だれも埋めていることを認めない。今度は現場で作業している複数の鉄道関係者に取材をすると、最初は回答を拒んだが、一部の人は最後に「撤去できないものを埋めるのは自然なこと」と言った。

 仮に鉄道省に対するひいき目で考えるなら、一刻も早く復旧させるため、切断された車両や細かい破片は穴を掘って捨て、大きい車両は埋めるのも大変なのでトレーラーで撤去しようと考えたのか。合理的な中国人らしく、壊れたものはさっさと捨てるということかもしれない。しかし、いくら効率的といっても極めて重要な証拠である運転席を粉々にしてしまっては、事故原因の調査に差し支えるはずだ。しかも、小さい運転席だけ捨てて、大きな車両はそのままにしておくというのも矛盾している。(奥寺淳・上海支局長)


記者は見た車両埋める瞬間―〈4〉世論が政府動かした

■現場取材を終えて

 運転席を穴に埋めた事実は、日本で大きく報道されたのを始め、中国のインターネット上のブログなどでも広まり、その後は国内メディアも報じた。中国版ツイッター「微博」では、朝日新聞など海外の報道が貼り付けられ、発信されていた。

 事故から約26時間後に温州で開かれた会見でも、中国人記者が「なぜ埋めたのか」と鉄道省報道官に詰め寄ったという。事故から半日程度で救助をほぼ打ち切り、車両を撤去してしばらくしてから生存者が見つかったことも重なって、鉄道省に対する批判は瞬く間に高まった。

 こうした批判に押されるように、事故から3日目には、当局は埋めた運転席の残骸を掘り起こし始めた。事故調査専門チームが作られ、脱線した車両を調べることになったのだ。

 共産党の独裁政権である中国では通常、自由な報道は認められていないし、政府批判も容易ではない。

 しかし、今回の脱線事故では、国内メディアも鉄道省の対応を批判的に報じ、ネットを通じて多くの情報が国民に伝わった。それにより、埋めた運転席を掘り起こして調査も始まり、「天災」を強調していた当局も、信号機の欠陥や職員が警告を発しなかったという「人災」も認め始めた。さらに、温家宝首相も現地入りして「公正、透明な調査」を約束し、調査の過程すべてを公開するとも表明した。私が見てきた中国では、かつてなかったことだ。中国で、国民の世論が大きな政府を動かす瞬間を目撃したような気がする。

    ◇

■奥寺淳(おくでら・あつし)=上海支局長 産経新聞を経て1996年に入社。仙台、浦和(現さいたま)支局、経済部、中国留学、香港支局長などを経て09年4月から現職。40歳。



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