【福島にどう寄りそうのか】 井戸川さんは、孤高の人であったかもしれない。 by いとしのユメちゃん
2013年01月27日 「もうひとつの全共闘・芝浦工業大学全学闘Blog」
http://blog.livedoor.jp/shibakodai_zengakuto/archives/51709926.html
2012.12.23 大震災義援・ウシトラ旅団の双葉町・元騎西高校『餅つき会』で、
井戸川町長とかたりあった時の1シーン。
双葉町町長井戸川さんが辞任した。
ものごとは思い通りにいかない。
真っ当なことが通らない。
しかし、人々は生きていかねばならない。
井戸川町長ほど放射線被曝の恐ろしさを認識し行動した町長はいなかっただろう。
原発爆発によるチリが空から降ってくる真下にいて、双葉町民の避難に尽力した。
「直ちに避難せよ!」
以外何も指示がなかった中で、井戸川さんは、
「どこに避難せよ、という具体的指示がないのなら、自分が考える場所に避難しても、とがめられることはない」
と考え、
「放射能汚染からより遠くへ。先ずは県外だ」
と判断した。
最初は新潟へ。最後は埼玉に決める。
2000人の双葉町民を連れた大移動である。
昨年9月30日、日比谷図書館で「福島との交流会」に井戸川町長が現れた。
テント広場主催の交流会、あの台風接近の日であった。
“よくぞ来られた”。 正直、そう思った。(いろいろな意味で)
埼玉県へ避難の決断の話を聞いたとき、放射能汚染に対する認識の高さと国、県の行政に対するしたたかさを感じた。
その後の「チェルノブイリ法」を基準にした国会への迫り方、事故原因の明確化、責任の所在を明らかにすること、生活再建補償要求。
さらに、国連人権擁護委員会への「直訴」のためジュネーブにも赴いた。
原則に沿った闘いは、「さしあたって健康に問題はない」とし、被災民を放置しつづける経産省・東電・原子力村との違いを鮮明にしていた。
福島県立医大副学長に迎え入れた田中俊一の「見解」が福島を覆い、縛りつける。そして、この「原子力村主導」路線を受け入れたのは、菅、枝野、細野、海江田、引き継いだ野田「民主党政権」である。
この無策、無能、愚作が、福島を大変な苦しみに投げ込み、引き裂いている。
民主党の罪は重い。
井戸川さんは、孤高の人であったかもしれない。
双葉郡8町村の人々は、根拠もない避難指示に翻弄され、幾多の避難所を経めぐりながら仮設、借り上げ、県外自主避難とバラバラにされ、
「原則・根本」
より、
「今日を行きぬく」
選択を迫られている。
原発事故に対する「原則・根本」が、生きることに直結しているにもかかわらず・・。
この現実が井戸川さんを「孤高の人」にした。
昨年12月15日、富岡町仮設で「子どもたちのクリスマス会」を終えて、南台にある「双葉町仮設」自治会長Sさんと話したとき、
「2000人を引き連れて埼玉に避難したまではいい。問題はその後だ」
とSさんはいった。
その後の「展望と具体策」が示されていない、というのである。
他の町村は、「中間貯蔵地」受け入れを認め、その代わり、仮設を一刻も早く出るための「復興住宅建設」(仮の町)、「損害賠償」を進める道を選択していた。
この道は、井戸川さん言うところの「手順前後」である。
しかし、「もう住めない」ことを自覚する町村は、「中間貯蔵地受け入れ」を覚悟し、今の生活(仮設生活)からの脱却、一歩でも前に進めることを選んでいた。
他の町村の動きを目の前にして、福島県内の仮設にいる「双葉町民」は、双葉郡全体から「取り残されている」と「孤立感」を感じていた。
こうした選択は、政府・官僚の土俵にのることも確かである。
「そんな土俵にはのらない。何のために埼玉まで来たのか?!」
-井戸川さんの想いである。
12月23日、旧騎西高校「双葉町支援餅つき大会」で井戸川さんと話した。
町長リコールが決まり、「辞任」か「町議会解散」か、結論を出す直前だった。
「現実路線は動き出しています。
この動きの中に分け入り、国、県行政との対決を考える。
どのような機会を捉え、何を焦点に分岐の軸を作るか。
そのように考えられませんか?」。
無責任にも訊いた。
「核心を突くねえ」、
井戸川さんはいった。
「双葉町は永遠に」―町長メッセージを残して井戸川さんは辞任した。
真っ当なことが通らない。
これが通らないのは、原発事故に遭いながら口を閉ざし、政府・原子力村に叛旗を翻えさない被爆地福島県民のせいなのか。
井戸川さんのいうことを理解しない「双葉郡町民」のせいなのか。
「福島を戻せ!ふるさとを戻せ!」のコールが霞ヶ関にこだまする。
「福島を戻せ?ふるさとを戻せ?分かっちゃいないねえ。
福島も、ふるさとも戻らないんだよ!」
と放射能に汚染された被災地福島の人々はつぶやく。
「福島は終わっていませんよ。福島を忘れないで!」
という無言のメッセージとともに。
私たちは、この矛盾に満ち、分断され引き裂かれている主体の現状をしっかりと見つめながら、井戸川さんの無念の想いを引き受けて進まなければならない。
2013.1.26
By いとしのユメちゃん
**********
3/2映画『フタバから遠く 離れて(NuclearNation)』上映会【高槻市】
日時 2013年3月2日(土)午後6時30分~
場所 高槻市立生涯学習センター2F 多目的ホール
参加協力券 999円 (中高生 500円)
主催 「フタバから遠く離れて」を上映する会
TEL 072-669-3773(岡川)
協賛団体
原発事故を考える高槻市民の会、高槻ドキュメンタリー映画上映委員会、生活者の会
原発ゼロ上牧行動、脱原発高槻アクション、山田さんを支える会、すぎのき整骨院、
憲法をかってにさせない会 、社会福祉法人・四季の会 梶原ピッコロ保育園、カフェぽお、
学校法人 今村学園高槻幼稚園、北摂高槻生活協同組合、富田健康を守る会
ノーニュークス・アジアフォーラム・ジャパン
よろしければ、下のマークをクリックして!

よろしければ、もう一回!
2013年01月27日 「もうひとつの全共闘・芝浦工業大学全学闘Blog」
http://blog.livedoor.jp/shibakodai_zengakuto/archives/51709926.html
2012.12.23 大震災義援・ウシトラ旅団の双葉町・元騎西高校『餅つき会』で、
井戸川町長とかたりあった時の1シーン。
双葉町町長井戸川さんが辞任した。
ものごとは思い通りにいかない。
真っ当なことが通らない。
しかし、人々は生きていかねばならない。
井戸川町長ほど放射線被曝の恐ろしさを認識し行動した町長はいなかっただろう。
原発爆発によるチリが空から降ってくる真下にいて、双葉町民の避難に尽力した。
「直ちに避難せよ!」
以外何も指示がなかった中で、井戸川さんは、
「どこに避難せよ、という具体的指示がないのなら、自分が考える場所に避難しても、とがめられることはない」
と考え、
「放射能汚染からより遠くへ。先ずは県外だ」
と判断した。
最初は新潟へ。最後は埼玉に決める。
2000人の双葉町民を連れた大移動である。
昨年9月30日、日比谷図書館で「福島との交流会」に井戸川町長が現れた。
テント広場主催の交流会、あの台風接近の日であった。
“よくぞ来られた”。 正直、そう思った。(いろいろな意味で)
埼玉県へ避難の決断の話を聞いたとき、放射能汚染に対する認識の高さと国、県の行政に対するしたたかさを感じた。
その後の「チェルノブイリ法」を基準にした国会への迫り方、事故原因の明確化、責任の所在を明らかにすること、生活再建補償要求。
さらに、国連人権擁護委員会への「直訴」のためジュネーブにも赴いた。
原則に沿った闘いは、「さしあたって健康に問題はない」とし、被災民を放置しつづける経産省・東電・原子力村との違いを鮮明にしていた。
福島県立医大副学長に迎え入れた田中俊一の「見解」が福島を覆い、縛りつける。そして、この「原子力村主導」路線を受け入れたのは、菅、枝野、細野、海江田、引き継いだ野田「民主党政権」である。
この無策、無能、愚作が、福島を大変な苦しみに投げ込み、引き裂いている。
民主党の罪は重い。
井戸川さんは、孤高の人であったかもしれない。
双葉郡8町村の人々は、根拠もない避難指示に翻弄され、幾多の避難所を経めぐりながら仮設、借り上げ、県外自主避難とバラバラにされ、
「原則・根本」
より、
「今日を行きぬく」
選択を迫られている。
原発事故に対する「原則・根本」が、生きることに直結しているにもかかわらず・・。
この現実が井戸川さんを「孤高の人」にした。
昨年12月15日、富岡町仮設で「子どもたちのクリスマス会」を終えて、南台にある「双葉町仮設」自治会長Sさんと話したとき、
「2000人を引き連れて埼玉に避難したまではいい。問題はその後だ」
とSさんはいった。
その後の「展望と具体策」が示されていない、というのである。
他の町村は、「中間貯蔵地」受け入れを認め、その代わり、仮設を一刻も早く出るための「復興住宅建設」(仮の町)、「損害賠償」を進める道を選択していた。
この道は、井戸川さん言うところの「手順前後」である。
しかし、「もう住めない」ことを自覚する町村は、「中間貯蔵地受け入れ」を覚悟し、今の生活(仮設生活)からの脱却、一歩でも前に進めることを選んでいた。
他の町村の動きを目の前にして、福島県内の仮設にいる「双葉町民」は、双葉郡全体から「取り残されている」と「孤立感」を感じていた。
こうした選択は、政府・官僚の土俵にのることも確かである。
「そんな土俵にはのらない。何のために埼玉まで来たのか?!」
-井戸川さんの想いである。
12月23日、旧騎西高校「双葉町支援餅つき大会」で井戸川さんと話した。
町長リコールが決まり、「辞任」か「町議会解散」か、結論を出す直前だった。
「現実路線は動き出しています。
この動きの中に分け入り、国、県行政との対決を考える。
どのような機会を捉え、何を焦点に分岐の軸を作るか。
そのように考えられませんか?」。
無責任にも訊いた。
「核心を突くねえ」、
井戸川さんはいった。
「双葉町は永遠に」―町長メッセージを残して井戸川さんは辞任した。
真っ当なことが通らない。
これが通らないのは、原発事故に遭いながら口を閉ざし、政府・原子力村に叛旗を翻えさない被爆地福島県民のせいなのか。
井戸川さんのいうことを理解しない「双葉郡町民」のせいなのか。
「福島を戻せ!ふるさとを戻せ!」のコールが霞ヶ関にこだまする。
「福島を戻せ?ふるさとを戻せ?分かっちゃいないねえ。
福島も、ふるさとも戻らないんだよ!」
と放射能に汚染された被災地福島の人々はつぶやく。
「福島は終わっていませんよ。福島を忘れないで!」
という無言のメッセージとともに。
私たちは、この矛盾に満ち、分断され引き裂かれている主体の現状をしっかりと見つめながら、井戸川さんの無念の想いを引き受けて進まなければならない。
2013.1.26
By いとしのユメちゃん
**********
3/2映画『フタバから遠く 離れて(NuclearNation)』上映会【高槻市】
日時 2013年3月2日(土)午後6時30分~
場所 高槻市立生涯学習センター2F 多目的ホール
参加協力券 999円 (中高生 500円)
主催 「フタバから遠く離れて」を上映する会
TEL 072-669-3773(岡川)
協賛団体
原発事故を考える高槻市民の会、高槻ドキュメンタリー映画上映委員会、生活者の会
原発ゼロ上牧行動、脱原発高槻アクション、山田さんを支える会、すぎのき整骨院、
憲法をかってにさせない会 、社会福祉法人・四季の会 梶原ピッコロ保育園、カフェぽお、
学校法人 今村学園高槻幼稚園、北摂高槻生活協同組合、富田健康を守る会
ノーニュークス・アジアフォーラム・ジャパン
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