綿井健陽さんはベイルートにいた/ベイルート(レバノン)発

2006-07-30 23:52:22 | 世界
7月19日(水)午後(現地時間。日本からマイナス6時間)、紆余曲折を経てベイルートにたどりついた。

本当はサマワ取材を予定して、一週間前(12日)に日本を出てからその準備をアンマンで進めていたが、イラク入国と現地の護衛の算段が結局つかずで、残念ながら今回僕はサマワ行きは断念した。しかし、知り合いのジャーナリスト2人はいまちょうどサマワに入っている。

「陸上自衛隊がサマワに何をもたらしたのか」の検証を、政府・防衛庁・自衛隊の「広報・PR」ではなく、自分なりの「報道」で果たしたいと思っていたので今回は本当に残念だが、よく考えると自衛隊が「撤収直後」の時期よりも、もう少し後の方が現地の取材時期としてはいいかもしれない。みんながサマワのことなど忘れたころにまた来よう(これまでのサマワの自衛隊に関する原稿や報告は拙著「リトルバーズ」とDVD版「リトルバーズ」の特典映像に収録している)。

それで、僕は急遽予定を変更して、空爆が続くベイルートに向かうことにした。
いまこちらの地域は「第何次」と数えるべきだろうか、「中東戦争」が再び起こっているような状況だ。http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/world/middle_east_peace_process/

イスラエル軍がレバノンに攻撃、
イスラエル軍はパレスチナのガザ地区にも侵攻、
イラクはずっと混乱、場所によっては「内戦状態」

アメリカとイスラエルがやることはいつも同じで、同じような経過と結果だな。
空爆、恐怖、破壊、攻撃、侵攻、制圧、占領、弾圧、混乱、内戦…
ソ連侵攻後のアフガンも同じで、最後は去っていったとしても、現地はその後も収拾がつかなくなってなかなか立ち直ることができない。戦争は「外側」からの攻撃で始まっても、途中からは「内側」にも深く広がっていく。

さて昨日(19日)アンマンからダマスカス(シリア)を経てレバノンに陸路で入ると、国境を越えてすぐに僕の車の運転手は迂回ルートに回った。英語が話せないので最初は「どこかに誘拐されるのか?」というぐらい辺鄙な道を進んだが、結局最後はちゃんとベイルートにたどりついた。後から別の人を介して聞くと、「幹線道路はイスラエル軍が狙っていて危険だから、安全な道をちゃんと通ってきたんだ」と自慢げに話していた。

しかし、それでも途中の道では軍用トラックが空爆で炎上、黒煙を上げていた。
以下の写真参照

(7月19日午前撮影=レバノン中部)

ベイルートはまったく初めて来る街だ。
「ゴルゴ13」を読んでいたわけでもないのに、「ベイルート」という地名にはなぜか特別な響きを感じる。大学生ぐらいのころ、一度は行って見たい都市がいくつかあって、サイゴン(ホーチミン)、プノンペン、ベイルート、バグダッド、カブール、ピョンヤンだった。残るはピョンヤンか。一度は行ってみたいな。

レバノンは70年代後半から内戦状態、イスラエル軍が侵攻、90年代に入ってようやく内戦も終結して、それから10年経ってようやく以前のような美しい街並みが戻ってきたところなのにまた逆戻りか。美しい街ほど戦乱でボロボロになっていく。サイゴンもプノンペンもカブールもそうだった。

いまのベイルート市内は思ったよりも平穏で、イスラム教徒とキリスト教徒が混在して、「中東の匂い」を感じにくい街だ。

午後はシャッターを閉じるお店が多く人通りも少ないが、「この時期は暑いから昼休みでいつもと同じだよ」とハンバーガーショップの客から言われた。

海外のテレビではベイルートから脱出する外国人の様子が何度も放送されているが、欧米人が脱出するというだけでそんなに大きなニュースの扱いになるのか。どこの国の戦争・内戦でもそうだが、地元で暮らす人たちはそもそも脱出したくてもできない人の方が圧倒的に多いというのに。

市内中心部では結構みんなのんびり構えているが、昨夜午後8時ごろには大きな爆音が結構近くから響いてきた。「イスラエル軍の空爆だ」と何人かの人が叫んで路上に出てきて慌てているが、煙などは見えなかった。

こちらも何だか3年前のバグダッド空爆のときを思い出す。
あのときも爆音はあちこちから聞こえても、場所がどこなのかさっぱり不明の連続だった。それでも、やはりあの「爆音」は怖い。慣れているようで、こちらもまた「恐怖」を思い出す。レバノン市民もまた「これまでの戦争」の瞬間を思い出しつつ、これから目の前で起きていくことをただ見つめるしかないのか。

しかしこの街の物価は高いし、通訳・車もいわゆる「戦争インフレ」状態だ。紹介された英語の通訳は「この状況で危険なので一日=●〇〇米ドルだ」とこちらの足元を見て言ってくる。イラクもレバノンもどこでもカネは飛んでいくばかり。

レバノンの土地勘はないし、イラク取材と違って完全に今回は「初心者」なので前途多難だな。「おーいお茶」をティーバッグ(Tバックじゃないよ)で飲んで寝る。



【ベイルート発 その6】
http://blog.so-net.ne.jp/watai/2006-07-28

【ベイルート発 その5】
http://blog.so-net.ne.jp/watai/2006-07-26

【ベイルート発 その4】
http://blog.so-net.ne.jp/watai/2006-07-23

【ベイルート発 その3】
http://blog.so-net.ne.jp/watai/2006-07-22

【ベイルート発 その2】
http://blog.so-net.ne.jp/watai/2006-07-21

【ベイルート(レバノン)発 その1
http://blog.so-net.ne.jp/watai/2006-07-20

-------------------------------------------------
【ベイルート発 その7】 

レバノン情勢はまずい展開になってきたようだ。
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/world/middle_east_peace_process/

きょう(30日・日)は、朝起きて9時のテレビニュースでレバノン南部カナ村が空爆されたことを知る。そこから15キロほど離れた南部の大きな街スールに日本人で唯一入っているカメラマンの嘉納愛夏さん(雑誌「フライデー」に写真が掲載されている)に電話した。

先週末に嘉納さん、宮嶋茂樹さんと一緒に一台500米ドル(!)もする車をシェアして南部の街スールに行った。嘉納さんはそのままスールに残ったので、カナの現場で写真を撮っているはずだ。すごい! こんなとき後から「もし残っていれば…」と思ってももう遅い。目撃者は必ずそこにいなければ、写真も映像も何も記録は残せない。

こちらは今日(30日)午後、ベイルート市内でタクシーに乗っていたら、ラジオから「市内の国連本部前で大規模デモ」のニュースが聞こえ、取材予定を変更して国連本部に向かった。

最初は少なかった群衆も、途中からどんどん増えて、国連本部入口に殺到して窓ガラスを破壊。投石を繰り返して国連本部の中に群衆が侵入した。UNマークの看板は倒されて、群衆が掲げる紙には「UNはイスラエルの『虐殺公式スポンサー』だ」と書かれている。

イスラエルへの非難はもちろんだが、レバノンの市民、特にはシーア派の人たちはアメリカ、さらにはサウジアラビア、ヨルダンなどの親米国へも同じように非難する。イラクも湾岸戦争後の経済制裁がずっと続く中で国連に対しては地元の人たちも批判することが多かった。こちらの国連スタッフもイスラエルの空爆で殺害されるなど、レバノンでは「UN」マークがだんだんと窮地に追いやられている。

きょうはUNマークの看板が倒された後、群衆に何度も踏まれていた。そして男はこう叫んだ。

「恥の連合!」

ヒズボラは「カナの虐殺」に対して大規模報復を誓っている。もしヒズボラが攻撃を強めれば、イスラエルは恐らくそれに対してまた大規模な空爆や侵攻を仕掛けるだろう。外交プロセスで打開策が見出せない中、実際の戦争は待ってくれない。待たないどころかエンドレスで悪化する。まずい展開の入口にさしかかったのか。

共同通信から先日(27日)に配信した原稿の最後の部分で書いたが、南部スールからの避難民アフマド・バダウィさん(40)が言っていた。

「私たちにとっての『本当の戦争』はこれから始まる」
http://blog.so-net.ne.jp/watai/2006-07-31


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。