ソ連軍によってアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所が解放されたのは、1945年1月27日。
今日の70周年記念式典に先立ち、元収容者やその家族らが昨日、収容所を訪れました。
解放から70年だけあって、辛くも虐殺を生き延びた元収容者も、かなりの高齢になっています。
今なお腕に残る、刺青された囚人番号を見せる元収容者たち。
70年前に撮られた、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所で生き残った子供たちの写真。
その中の4人が昨日、再会を果たしました。
「これが私。」 と写真の中の70年前の自分を示す4人。
“死の壁”。
映画 『シンドラーのリスト』 を監督した、自らもユダヤ系のスピルバーグ監督の姿も。 下右写真、監督の隣はアウシュヴィッツ博物館の現館長さんだそうです。
以上がアウシュヴィッツⅠ。 ここからはアウシュヴィッツⅡビルケナウになります。
今日、“死の門” の外側に張られた巨大なテント内で、記念式典が催されました。
出席した元収容者の多くは80歳以上です。 元収容者の中でも最高齢に近い、96歳の Yuda Widawski さん。
式典後、出席者たちの多くはビルケナウの奥にある慰霊碑まで足を運びました。
10年前の60周年記念式典に出席した元収容者は、約1500人だったそうです。 70周年の今年は、推定で約300人。 数百人単位での出席が望める節目の式典は、今年が最後になるだろうと考えられています。
アウシュヴィッツ=ビルケナウ。 一年半前に私が訪れたのは初夏でしたから、全く印象が違いました。 雪がちらつく酷寒の今は、荒涼として気が滅入りそうに寒々しくて・・・・・ でもこういう場所を訪れるのは、酷寒の冬こそがふさわしいのかもしれません。 軟弱な私は、今年もまた同じ6月に再訪する予定ですが。
ご興味ある方のため、私のアウシュヴィッツ関係の記事の、主だったもののリンクを貼っておきます。
アウシュヴィッツ―訪れる理由 オシフィエンチムの町 ① ② ③ ④ ⑤
オシフィエンチムへ ユダヤ人センターと“最後のユダヤ人の家” オシフィエンチムのタウン・センター
アウシュヴィッツⅡビルケナウ(前編) アウシュヴィッツⅡビルケナウ(後編)
アウシュヴィッツⅠ(前編) アウシュヴィッツⅠ(後編) コルベ神父に救われた命
映画 『コルチャック先生』 ヤヌシュ・コルチャックの生涯 ステファニア・ヴィルティンスカの生涯