ハナママゴンの雑記帳

ひとり上手で面倒臭がりで出不精だけれど旅行は好きな兼業主婦が、書きたいことを気ままに書かせていただいております。

クラクフ報告(14) オシフィエンチムのタウン・センター

2013-09-04 20:06:37 | 2013年6月のクラクフ

6月7日(金)の観光の続きです。

 

この朝、オシフィエンチムに到着したのが午前9時20分頃。写真を撮りながらゆっくり歩いて、約1.5km離れたオシフィエンチム城に着いたのが10時10分。ユダヤ人センター到着が11時20分で、腰掛けてしばらくビデオを見たりしたため出たときには午後1時近くなっていました。 (デジタル写真だと、撮影時間も記録されて便利ですね!

朝食抜きの飲まず食わずだったので、さすがにお腹が空いた・・・  どこか食べる所を探しつつ、オシフィエンチムのタウン・センターに向かいます。

ちなみに白亜の教会の塔の時計は、時間が全然狂ってました イギリス最大手のスーパー・テスコが、こんなところにもありました。

 

ところが!・・・ 旧市街の心臓ともいえる広場が、とんでもないことになっていました・・・   

 

ショックで倒れそうだったので(うそです)、近くのカフェ・ビストロのような所に入り、まず腹ごしらえすることに。

1階はカフェですが、地下が食事を出してくれるビストロになっていました。階段を下りてすぐの喫煙席にはおじさんたちがいましたが、奥の禁煙スペースは誰もいず静かでした。

 

トイレを借りたら、水用の蛇口がありませんでした。すぐに修理せず放置してあるのかな?のんびりしていて笑える~。トイレは清潔でした。

 

中年のウェイトレスさんが注文を取りに来てくれましたが、英語は話せないもよう。私がポーランド語は全然ダメとわかると、カフェの方にいた若い女の子を呼んできてくれました。 (『旅の指さし会話帳/ポーランド』を使ってみるチャンスだったので、ちょっと残念?)

ポーランドの伝統的なスープであるジューレックと、チョコレート・ケーキとコーヒーを注文。 (なんとも不健康な取り合わせ!

ジューレックは発酵したライ麦の上澄み汁を使って作るため、酸味があるのだそうです。スープの具はゆで卵かソーセージのどちらかを選ぶよう言われたので、ゆで卵を選んでみました。私は酸っぱいものは苦手なのですが、ジューレッくは程よい酸味がさっぱり感を与えてくれ、なかなかおいしかったです。

チョコレートケーキは、ちょっとぱさついた感じがして残念でした。3品で17PLN(¥510)だったので、チップ込で20PLN(¥600)払いました。

  

私が入ったカフェ・ビストロは、CUKIERNIA KOLACZEK (Kolaczek菓子店)。ネットで調べてみたら、ちゃんとウェブページもありました。1922年に Louis Kolaczek 氏によってオープンされ、家族によって受け継がれ、現在の店主は創業者のお孫さんだそうです。

あっら~、『菓子店』という以上は、お菓子がメインだったのね。もっとじっくりケーキ選べばよかった。看板のポンチキもおいしそうだし・・・

 

ランチを終えて外に出たのが午後2時頃で、私が地下の洞窟のような?ビストロでもそもそと食事をしていた間に、外では奇跡が起きていました。何と天気が良くなって、青空が見え出していたのです! ホテルの受付のお姉さんが調べてくれた通りになった! ありがとう~!

お腹もふくれたので、とんでもないことになっている広場の現実を直視します。 どうやら地面を全面工事中のようです。 敷石を一斉に取り替えているのかな?

 

広場からすぐのところにあるらしい『自由の鐘』を探しに、ちょっと寄り道。途中にあったお店(下左)はお化粧直しが必要でした。さっきの蛇口といい、この外壁といい、面倒臭がりの私はポーランドって親近感を覚えるわぁ。

ソワ川沿いにある駐車場へと続く、下り階段(下右)。両脇は雑草に覆われていました。

 

『自由の鐘』です。銘板の文章をグーグル翻訳してみたのですが、意味がつかめませんでした。『自由の鐘』の存在を教えてくれたウェブページも、ブックマークするのを忘れたらしく、見つかりませんでした。スミマセン

 

広場に戻る途中にあったグラフィティー(下左)の意味はわかりました。 “Antysemityzm jest grzechem przeciw bogu i ludzkosci” (ポーランド語って子音が多くてびっくり)、英語だと “Anti-Semitism is a sin against God and humanity”、日本語だと「反ユダヤ主義は、神と人道に対する罪である」。とおっしゃる、ヨハネ・パウロ2世。

横断歩道(下右)は色違いの石を並べて作られていて、頭いい~!と感心。

  

広場には、オシフィエンチムの町を下調べしたとき見た覚えのある建物も。 工事する人たちの服装が自由なようで、カラフルです。

 

こんな感じで、今回は広場は全滅・・・ こりゃあ、絶対また来るしかないわ!

カドを切り取って各階に窓をつけたようなスタイルの建物を、ポーランドではよく見かけました。イギリスではあまり(というか、全然?)見かけないので、いかにもヨーロッパという感じがして新鮮でした。  パリとかにもたくさんありそう。

 

(また来るぞ!)の決意を胸に、広場を離れます。

 

 

白亜の(近くからよく見ると白亜じゃないし汚れてもいるけど)教会を最後にもう一度写真に収め、カフェで訊いておいた、タクシーがつかまえられるという別の広場に向かいます。

 

広場にあった記念碑その1。 MILITARI VIRTUTI は英語だと Military Virtue で“軍事的美徳”。下の銘板には「祖国の独立のため犠牲になった無名戦士に捧ぐ 1925年11月25日」とあります。

 

記念碑その2。 “神を讃え、祖国を守るために命を捧げた同胞に捧ぐ 独立80周年を記念して オシフィエンチム市民 1998年11月11日”みたいな意味のようです。

 

なるほど・・・ ポーランドって、1795年から第一次世界大戦が終結した1918年11月11日まで、外国に支配されて国家としては存在していなかったのでしたね。国家として再生できたポーランドの国民は、どんなに嬉しかったことか。その21年後にはまたドイツに侵攻されることになるのではあるけれど。

さて、この日オシフィエンチムの町をまずゆっくり観光していたのには理由がありまして。博物館になっているアウシュヴィッツⅠは、混雑緩和のため4月から10月までの午前10時から午後3時までの間は、ガイド付きツアーのみでしか見学できないのです。私は初めての今回は自由に見学したかったので、午後3時を過ぎてからアウシュヴィッツⅠに入ることにしました。

アウシュヴィッツⅠは午後3時過ぎにしか入れないとすると、先にⅡのビルケナウに行った方が時間的に都合がいい。それならオシフィエンチムの町を見物したあとはビルケナウを先に見て、それからⅠの博物館をゆっくり見学しよう。そう決めていたので、このあと広場に沿って客待ちしていたタクシーに乗り、まずアウシュヴィッツⅡのビルケナウに向かいました。

オフィシエンチムで歩いたルートです。

       ① オシフィエンチム城          ②ユダヤ人センター          ③ 白亜の教会          ④ テスコ

            ⑤ ランチに入ったカフェ・ビストロ          ⑥ 自由の鐘          ⑦ 広場          ⑧ もうひとつの広場

    

 

タクシーを拾った地点から駅の向こう側のビルケナウまで、約3km。

タクシー代は18PLN(¥540)だったので、チップ込で20PLN(¥600)払いました。

 

≪ つづく ≫

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