昭和29年 映画 「 二十四の瞳 」
高峰秀子 主演
私は一度も観たことが無い
昭和42年~43年 ( 1967年~1968年 )
亀井光代 主演のテレビドラマ
「 二十四の瞳 」 が、放映された。
瀬戸内海の小豆島の岬の風景が
吾故郷の風景と似ていて
両親は
同時代の同じ境遇の物語りと、感慨一入で視ていた。
私は、
幼年期 島で過した頃の想い出と物語りが重なり
映し出される風景を望郷の念を以て視ていたのである。
私自身が、
「 二十四の瞳 」 そのもの の様な気がして
女優亀井光代さんの
爽やかな大石先生を、憧れの想いで以て視ていたのである。
記憶して、忘れられないフレーズである
どうしても、残しておきたい
残さずにはいられないのである
「 マアちゃんも、ミイさんも、百合の花の弁当箱買うたのに、うちにもはよ買うておくれいの。」
「 よしよし。」
「 ほんまに、買うてよ。」
「 よしよし、買うてやるとも。」
「 百合の花のど。」
「 おお、百合なと菊なと。」
「 そんなら、はよチリリンヤへたのんでおくれいの。」
「 よしよし、そうあわてるない。」
「 ほたって、よしよしばっかりいうんじゃもん。マッちゃん、チリリンヤへいってこうか。」
それではじめて彼女の母はしんけんになり、
こんどはよしよしといわずに、少し早口で、
「 ま、ちょっとまってくれ、だれが銭はらうんじゃ。
お父つぁんにもうけてもろてからでないと、赤恥かかんならん。
それよか、お母さんがな、アルマイトよりも、もっと上等のを見つけてやる。」
そういってその場を流されたのだが、松江のためにさがしてくれたのが、
古い昔の柳行李の弁当入れとわかると、松江はがっかりして泣き出した。
今どき柳行李の弁当入れなど、だれも持っていないことを、松江はしっていたのだ。
世の中の不況は父の仕事にもたたって、
大工の父が、仕事のない日は、草とのり日ようにまでいっているほどだから、
弁当箱一つでもなかなか買えないこともわかっていた。
しかし松江は、どうしてもほしかったのだ。ここで柳行李をうけいれたら、
いつまでたっても百合の花の弁当箱は買ってもらえまいということを、
松江は感じて、ごねつづけ、とうとう泣きだしたのである。
「 お母さん、百合の花の弁当箱、ほんまに買うてよ。いつ買うてくれるん?」
「 お母さんが、起きれたら。」
「 おきれたら、その日に、すぐに?」
「 ああ、その日に」
「 せんせ、」
「 なあに。」
「 あの、あの、うちのお母さん、女の子うんだ。」
「 あらそう、おめでとう。なんて名前?」
「 あの、まだ名前ないん。おとつい生まれたんじゃもん。あした、あさって、しあさって。」
と、松江は三本の指をゆっくりと折、
そう、もう考えついたの?」
「 まだ。さっき考えよったん。」
松江はうれしそうにふっと笑い、
「 せんせ、 」
と、いかにもこんどは別の話だというふうによびかけた。
「 はいはい、なんだかうれしそうね。なあに 」
「 あの、お母さんが起きられるようになったら、アルマイトの弁当箱、買うてくれるん。
ふたに百合の花の絵がついとる、べんと箱。」
すうっとかすかな音をさせていきを吸い、松枝は顔いっぱいによろこびをみなぎらせた。
「 あーら、いいこと。百合の花の絵がついとるの。ああ、赤ちゃんの名前もそれなの?」
すると松江は、恥じらいとよろこびを、
こんどはからだじゅうで示すかのように肩をくねらせて、
「 まだ、わからんの。」
「 ふーん。わかりなさいよ。ユリちゃんにしなさい。
ユリコ? ユリエ? 先生、ユリエのほうがすきだわ。ユリコはこのごろたくさんあるから。」
松江は、こっくりうなずいて、うれしそうに先生の顔をみあげた。
一つはなをまがったときである。
前の小ツルがきゅうに立ちどまって海のほうをながめた。
先にたつものにならう雁のように、みんなも同じほうを見た。
小ツルが歩きだすとまた歩く。
やがて、いつのまにかみんなの視線は一つになって海の上にそそがれ、歩くのを忘れてしまった。
はじめから小ツルは知っていたのであろうか。
それともたった今、みんなといっしょに気づいたのであろうか。
静かな春の海を、一そうの漁船が早櫓でこぎわたっていた。
手ぬぐいで、はちまきをしたはだかの男が二人、力いっぱいのかっこうで櫓を押している。
二丁櫓のあとが、幅びろい櫓足をひいて、走るように対岸の町をさして遠ざかってゆくのだ。
もうけんかどころでなかった。
なんじゃろ?
だれのうちのできごとじゃろう?
みんな目を見あわした。
消え去りつつ新しくひかれてやく櫓足から、岬の村に大事件が突発したことだけがわかった。
急病人にちがいない。
船の胴の間にひろげたふとんが見られ、そこにだれかがねかされているとさっした。
しかし、またたくまに船は遠ざかり、乗りこんでくる人の判別もつかなかった。
まるでそれは、瞬間の夢のように、とぶ鳥のかげのようにすぎた。
だが、だれひとり夢と考えるものはいなかった。
1年に一度か二年に一度、急病人を町の病院へ運んでゆく岬の村の大事件を、
さかのぼって子どもたちは考えていた。
かつて小石先生もこうして運ばれたのだ。怪我をしたのか、急性の盲腸炎か。
なんじゃろう ?
だれぞ盲腸の人、おったかいや?
あとから追いついてきた男の子もいっしょにかたまって評定した。
女はだれも声をたてず、男の子がなにかいうたびにその顔に目をそそいだ。
そんななかで松江はふと、今朝家を出かけるときの母の顔を思い浮かべた。
瞬間、黒いかげのさしたような不安にとらわれたが、そんなはずはないのだと、つよくうち消した。
しかし、頭痛がするとて顔をしかめ、手ぬぐいできつくきつくはちまきをした、
その結び目のところの額によっていた、
もりあがった皺を思い出すと、なんとなく払いきれぬ不安がせまってきた。
はじめに、今日は父に休んでもらいたいといった母は、しかし父は仕事を休むわけにはいかなかった。
「 松江を休ませりゃええ。」
父が、そういうと、そんならええといい、松江にむかって、
「 学校、はじめてなのになァ。だけんど、遊ばんともどってくれなあ。」
思いだして松枝はどきどきしてきた。
するといつのまにか足は、みんなの先を走り出していた。ほかの子どももついて走った。
足がもつれるほど走りつづけて、ようやく岬の家並みを見たときには、
松江のひざはがくがくふるえ、肩と口とでいきをしていた。
村のとっつきがよろずやであり、そのとなりのわが家に、おしめがひらひらしているのを見て、
安心したのである。
しかし、その安心で泣きそうになった彼女は、こんどは心臓がとまりそうになった。
井戸ばたにいるのが母ではなく、よろずやのおばさんだと気がついたからだ。
はずんだ石ころのように坂道をかけおりた松江は、わが家の敷居をまたぐなり、
走ってきたそのままの足のはこびで、母のねている納戸にとびこんだ。
母はいなかった。
「 お母さん・・・・・・・。」
ひっそりとしていた。
「 おかあ、さん・・・・・。」
泣き声になった。よろずやのほうから赤ん坊の泣くのが聞えた。
「 うわあ、おかあさーん 」
力のかぎり大声で泣き叫ぶ松江の声は、
空にも海にもひびけとばかりにひろがっていった。
壺井 栄 著 二十四の瞳 五 花の絵