昭和・私の記憶

途切れることのない吾想い 吾昭和の記憶を物語る
 

東洋の魔女

2016年10月19日 17時48分38秒 | 8 大和撫子

東京オリンピック
昭和39年(1964年) 10月23日(金)

ソ連との決勝戦
私はリアルタイムで、是をテレビで視ていた。


とにかく、拾いに 拾いまくった

回転レシーブ 
日本人の誰もが
知らされた技である。
この完璧なる防御は、無敵だった。
大和撫子は頑張った。
血のにじむような練習にも、歯を食いしばって耐え
果して、その精華は
日本中が感動した 金メダル だったのである。
「 勝った 」 ことは、日本人の誇り を蘇えらせた。
「 日本、万歳 」

バレーボールは国民的スポーツとして認知され
空前のバレーボールブームに
小学校一年生の妹が、流行に後れまじと、バレーボールが欲しいとせがむ
バレーボールを持つことは、ファションだったのである。
「 勝つ 」 とは、こういうことである。

アタックNO1
昭和44年(1969年)12月7日からテレビ放映された。
少女たちは、「自分たちのもの」 と、人気は絶大であった。
同時期
中学三年生の、吾々 少年男子が夢中になっていたものは 「巨人の星」
吾々 少年男子は、ヒーロー・星飛雄馬 に、
男のロマン を観ていたのである。




女性に、真のヒーローはあり得ない
昭和44年(1969年)、
中学三年生の吾々少年男子が

『  鮎原こずえ 』 をとおして観たものは
真に、大和撫子 だったのである。

「だけど涙がでちゃう 女の子だもん」

此は
永久に不滅である
・・・
そう想う

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