東京オリンピック
昭和39年(1964年) 10月23日(金)
ソ連との決勝戦
私はリアルタイムで、是をテレビで視ていた。
とにかく、拾いに 拾いまくった
回転レシーブ
日本人の誰もが知らされた技である。
この完璧なる防御は、無敵だった。
大和撫子は頑張った。
血のにじむような練習にも、歯を食いしばって耐え
果して、その精華は
日本中が感動した 金メダル だったのである。
「 勝った 」 ことは、日本人の誇り を蘇えらせた。
「 日本、万歳 」
バレーボールは国民的スポーツとして認知され
空前のバレーボールブームに
小学校一年生の妹が、流行に後れまじと、バレーボールが欲しいとせがむ
バレーボールを持つことは、ファションだったのである。
「 勝つ 」 とは、こういうことである。
アタックNO1
昭和44年(1969年)12月7日からテレビ放映された。
少女たちは、「自分たちのもの」 と、人気は絶大であった。
同時期
中学三年生の、吾々 少年男子が夢中になっていたものは 「巨人の星」
吾々 少年男子は、ヒーロー・星飛雄馬 に、
男のロマン を観ていたのである。
女性に、真のヒーローはあり得ない
昭和44年(1969年)、
中学三年生の吾々少年男子が
『 鮎原こずえ 』 をとおして観たものは
真に、大和撫子 だったのである。
「だけど涙がでちゃう 女の子だもん」
此は
永久に不滅である
・・・そう想う