昭和・私の記憶

途切れることのない吾想い 吾昭和の記憶を物語る
 

現御神 アキツミカミ・・・神と同一の心境、純粋無私の精神で君臨す

2015年01月22日 06時30分53秒 | 9 昭和の聖代

神国の中核となっているのが現人信仰である。
日本民族の祖先神のうち、
もっとも重要視され、
信仰の中心になっているのが、天照大御神。
これは 古代における太陽信仰と
偉大な祖先神と 合体した人格神であるが、
この太陽信仰こそ
農耕民族である日本人の民族性の核心を成すものである。

この太陽神と祖先神の合体した人格者である天照大御神の、
直系の子孫が天皇であるというのが現人神信仰なのである。
天皇を現人神または現御神 アキツミカミ と称するのは、
天皇が神であるという意味でなく、
天照大御神と
それにつづく祖先神の神霊を体現して国民に臨む、
つまり神と同一の心境、
純粋無私の精神で君臨するという意味である。

皇太子が新たに天皇の位をうけつがれることを践祚 センソ と称し、
その実を内外に広く告げ、祖宗の神霊に奉告される儀式を即位の礼という。
この即位の礼で一番大切で神秘的な儀式が大嘗祭 オオニエマツリ である。
これは即位の礼を行われた後、
天皇が天照大御神をはじめ祖先神、天神地祗に新説を供えられ、
自らも諸神とともに食事をなさる儀式で、
これによって天照大御神をはじめ祖宗の神霊を一身に体し、
国民の生活を充ち足らしめる意味をもつ、儀式なのである。
この大嘗祭オオニエマツリを簡素化して、
毎年の秋とり行われるのが新嘗祭ニイナメサイで、
敗戦後は勤労感謝の日として伝統的な意味をなくしてしまったが、
十一月二十三日がその新嘗祭の由緒ある日なのである。

このように
天皇は
自ら生身の人間であるが、
祖宗の神霊を体して
国民の安寧幸福を祈る
という天職を 代々うけつがれ、
国民は
その純粋無私の絶対境を
現人神と仰いで
崇敬してきたのである。
これが
現人神信仰が古代から今日までつづいてきた原因である。

二・二六事件 青春群像 須山幸雄 著から

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私の DNA

2015年01月08日 18時00分09秒 | 5 右翼青年 1974年~

1970年代
「 本を読む 」・・は、ステータスであった頃
通勤の車内で以て、文庫本を読むのも、日常の事であった。
吊皮片手に本を読んでいる者も当りまえの如く居た。
「 なにも、この朝の忙しい時に・・・」

十九歳の私
「 文学少女には成れない 」 と、諦めた中学以来
「 本を読む 」 に、縁遠い存在であった。

昭和49年 ( 1974年 ) 年頭
会社の帰り、先輩に伴い大阪梅田の旭屋書店に立ち寄った。
先輩に つられた訳ではないが、書棚に目を遣っていた。
そして
並んでいる本の中に、目を引く物を見つけたのである。
「 天皇制の歴史心理 」
それは、偶然の如く か、必然の如く なりしか
私は、「 天皇 」 と、出遭ったのである。 

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最初の一歩を踏み出した私
以降、勢いついて、止まらない
「 自分とは何ぞや 」・・・を、発見していったのである。
それは、私にとっての 「 歴史上の大発見 」 と、いうものであった。
読みたい、との想いは
必ずや
読みたいもの、と出遭う
そう、実感した私である。
リンク→男のロマン 大東京 二・二六事件 一人歩き (一)

(昭和49年(1974年) 19歳後半から20歳前半の1年間に読んだ本である)

01 天皇制の歴史心理 1/21
02 甘えの構造 1/21
03 天皇制 1/25
04 我々にとって天皇とは何か 1/25
05 極限状況の日本人 1/25
06 いきの構造 2/2
07 内なる天皇制 2/2
08 母権 父権 2/29
09  2.26と下級兵士 2/12

10 二・二六事件と下士官兵 2/14
11 しぐさの日本文化 2/14
12 二・二六事件への挽歌 ・大蔵栄一 2/25


13 花ざかりの森・憂国 ・三島由紀夫 2/28

14 二・二六事件 
獄中手記遺書 河野司 3/4
15 右翼よどこへ行く 3/11
16 三島由紀夫 3/11
17 二・二六事件 3/16
18 三島由紀夫 3/25
19 日本国家主義運動史Ⅰ・Ⅱ 4/2

20 超国家主義 4/2
21 ある彫刻家 ・武者小路実篤 4/29
22 おめでたき人 ・武者小路実篤 4/29
23 若き人々 ・武者小路実篤 4/29


24 若き日の思い出 ・武者小路実篤 4/29
25 馬鹿一 ・武者小路実篤 4/29
26 人生論 ・武者小路実篤 4/29
27 人生雑感 ・武者小路実篤 4/29
28 人類の意志について ・武者小路実篤 4/29
29 老子 列子 5/26

30 二・二六事件の原点 6/4
31 二・二六と青年将校 6/22

32 昭和史発掘 六 ・松本清張 6/22
33 昭和史発掘 七 ・松本清張 6/22
34 昭和史発掘 八 ・松本清張 6/22
35 昭和史発掘 九 ・松本清張清張 6/22
36 昭和史発掘 十 ・松本清張 6/22
37 昭和史発掘 十一 ・松本清張 6/22
38 昭和史発掘 十二 ・松本清張 6/22
39 昭和史発掘 十三 ・松本清張 6/22

二十歳に成りて購入し、読みし書籍である


40 英霊の聲 ・三島由紀夫 7/1
41 若きサムライのために ・三島由紀夫 7/8
42 行動学入門 ・三島由紀夫 7/8
43 不道徳教育講座 ・三島由紀夫 7/14
44 浪漫人三島由紀夫 その理想と行動 7/28
45 総括 三島由紀夫の死 7/28
46 妻たちの二・二六事件 7/30
47 荒野より ・三島由紀夫 8/8
48 奔馬 ・三島由紀夫 8/8
49 尚武のこころ ・三島由紀夫 8/8
50 秩父宮と二・二六 8/19
51 私の昭和史 ・末松太平 9/7
52 太陽と鉄 ・三島由紀夫 9/15
53 天皇制の支配原理 9/29

54 1億人の昭和50年史 11/30
55 東京12チャンネル 私の昭和史 12/7
56 軍閥 12/7
57 順逆の昭和史 12/7
58 浪漫 12/9
59 週刊サンケイ 臨時増刊 昭和50年史 12/19
60 2・26事件 12/24

而して
青春のエネルギー を、燃やした私
是 一つの人生 哉 

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亡き戦友の声

2015年01月08日 10時26分43秒 | 9 昭和の聖代


歴日は思い出せないが
戦後はじめて宮中参賀が許されたので、千葉県のいなか町の野田からさっそく上京した。
久し振りに見る宮城前の広場、明朗会の壮烈な集団自決はあそこだった、
武装せる軍隊として最後のお別れの敬礼をしたのはこの附近だったなあと、
懐旧の情に浸りながら 多くの人々のなかに混じって二重橋を渡った。
記帳して広場の後ろの堤防に近いところで陛下のお出ましを待っていると、
近くでキャーキャーと嬌声をあげながら、白黒の米兵とふざけている二人の女性がいる。
見るに耐えなぬ状況に今まで数回会ったことだし、
こんな風景はいなかの街頭でもよく見かけることなんて
なんら異とするにたらないが、時と場所柄をわきまえぬかと苦々しく思った。
やがて陛下がお出ましになり 期せずして万才の声が起こった。
陛下は手を挙げてお答えになる。
「 あら、天ちゃんが手を振っている 」
複雑な感情をこめた声が聞こえた。
見るとすぐ近くに、先刻までふざけていた女が悲しいような、懐かしいような表情で、
目に涙をためてジッと陛下を見つめている。
ハッと閃くものを感じた----遺族だと。
私は戦死した人々の顔が浮び、声が聞こえるように思った。
「 陛下、何百万という多くの人が死にましたが、誰一人東条英機のために死んだのではありません。
その多くは、その日の糧にも困る名もなき民です。これをお忘れ下さいますな 」
と、私は心の中で叫んだ。
君が代が起こった。
私も唱い出した。
目は涙に曇って陛下のお姿は霞んで遥か彼方に拝する。
何かポツンと私一人でいるように覚えた。
万才の声でわれに返って横を見ると、二人の女が涙を流しながら何かつぶやいている。
「 大丈夫だ。日本はまだ大丈夫だ。必ず再興するよ 」
と、戦死せる人々に向って私は叫んだ。
この日に、日本は必ず復興するという自信を深めた。
昭和二十三年 ( 1948年1月8日) 戦後最初の一般参賀
佐々木二郎 著
一革新将校の半生と磯部浅一
から

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